第22話 確保
「魔族化とは……なんだ?」
言葉の不穏さからあまりいいものではないということは分かっているようだが、不思議なことにシードラの表情を見るに、彼は《魔族化》がどのようなものなのか理解していないようだった。
前にいた世界ではありふれたもの、とは言わないまでも、国の上層部は大体知っているものであり、特に街の治安騎士のような行政に関わっているようなものが知らないと言うことはないものだったので、不思議だった。
症状自体はどんな魔族にやられたか、により異なるから通常の医師、薬師では診断しようがないのは分かるが、よもや存在すら知られていないとは思ってもみなかった。
医療が進んでいないのか、それとも魔族化、という現象自体この世界では珍しいものなのか。
少し考えるが、答えは出ない。
それに、そんなことよりもまず今は説明が必要だろう。
詳しい事情の説明を求めるような視線を私に向けるシードラに、私は話を続けた。
「治安騎士団長でも魔族化、知らないのかしら?」
「あぁ、知らない……聞いたこともない。言葉のニュアンスからして危険そうだと言うことくらいは分かるが……一体それはどういうものなのだ?」
本当に知らないらしい。
仕方なく私は続けた。
「魔族化、というのは読んで字のごとく、魔族ではない生命体が魔族へと体が作り替えられる……病、といえばいいかしら。厳密には病ではなく、魔族の繁殖方法の一つなんだけど……」
その説明に、シードラは顔を蒼白に染めた。
冒険者組合でノレンから聞いた亜種族の説明からも分かってはいたが、この世界では魔族はあまり歓迎されない種族なのだろう。
私から言わせれば、彼らは人の一種に過ぎないので特になんとも思わないのだが、帝国は国として亜種族に属するところの魔族を迫害している印象を感じる。
そんなものに団員が変化しようとしている、と言われればそれは蒼白になるのも当然だろう。
シードラはそれから血相を変えて叫んだ。
「どうにか、どうにかならないのか!? 魔族になど……!」
表情には魔族に対する憎しみや嫌悪を感じさせるものが宿っている。
なぜそこまでの激情を魔族に感じているのかは分からないが、仲が悪いのであれば殺し合いぐらいはしたことがあるだろう。
そう言う中で、恨みを買ったり売ったりするのは普通だ。
つもりつもって、憎しみをため込んでしまっているのだろう。
まぁ、今はそれはいい。
それよりも、騎士団員たちの治療が先だ。
「どうにかできないことはないわよ?」
「本当か? では……」
「ただ、そのためにはまず問題の原因である魔族を捕まえないとならないわ」
「すぐに団員を捜索に出そう。この間取り逃がした犯人、それが問題の魔族だろうからな」
そうしてそのまま執務室を出て団員に指示を出そうとするシードラを、私は止める。
「待って」
「なんだ?」
「騎士団員を出すのはやめてくれない? 私が一人で探すから」
そんなことを言った私をシードラは一瞬呆れたように見つめたので、言ってやる。
「そこの執務机の左側の三段目の引き出しに白金貨が一枚入っているわね」
「……!? なぜわかる?」
驚いて目を見開いているあたり、正解なのだろう。
私は人や物を魔力を使って探知できる魔法を身につけている。
それほど集中しなくても、一部屋分くらいならどこに何があるかを瞬時に把握することなどたやすい。
そう説明する。
「……恐ろしい技術だな。魔力の放出を極めればそのようなことも可能だとは聞いたことがあるが……」
「ま、そんなわけだから、あなた達はよけいなことしないで待っていてくれた方がいいのよ。そもそも一度は逃がしているんでしょう? もう一度同じことをしたって同じ結末になるだけじゃないのかしら?」
相当に痛いところを抉ったのだろう。
シードラは顔をしかめて、
「分かった、任せる……」
と言って執務机に戻った。
「はいはい、任されました。あぁ、あと問題の魔族なんだけど、捕まえたら私の自由にしてもいいかしら?」
「……何をする気だ?」
「私ほら、薬師だから……」
そう言って、不自然に語尾を切ると、シードラは不快そうな顔をしてため息を吐き、それから言った。
「……好きにしろ。団員達が治癒するなら俺はそれで構わん。魔女」
私の言葉をどう解釈したのかは分からないが、よほどおぞましいことを考えたのだろう。
魔女扱いである。
私はひらひらと手を振り、
「はいはい。じゃあまたね」
執務室を後にした。
それから詰め所を出て、しばらく歩いたところで、魔力を体内でよく練り上げる。
いつもは体の奥にしまい込んで気配を感じさせないようにしている魔力の固まりが、徐々に体に回っていくのを感じた。
探索に必要な分の魔力をその固まりから切り出し、魔法へと換えていく。
そして、ちょうど街一つを覆えるくらいの大きさになったところで、私は魔法を自分の体の内から外へと拡散させた。
極めて薄いが、ナードラ市を満遍なく覆っていく私の魔力。
それが私にこの街に住む人々の位置を詳しく教えてくれる。
「……見つけた!」
街の一角。
目立たない路地裏の端の方に、息を潜めるように小さくなっている存在を感知する。
ただのスラムの住人、という訳ではないのは、その身に宿る奇妙なほど大きい魔力から理解できる。
人では、これほどの魔力を持つことはほとんど無いからだ。
それに、体力がなくて動けない、という感じではなく、何者かから隠れているように辺りを常に気を張って伺っているのだ。
他に候補もなく、これで決まりだとしか思えない。
まぁ、もし間違っていたらそのときはまた捜せばいいのだから。
私は広げた魔力を発見したその対象の周辺に限定して展開、維持し続け、そのままその場所に向かって走り出した。
◆◆◆◆◆
「……寒い……」
ここ数日、まともに体を休めることが出来ていない。
その事実が自分の体から明確に体力を奪っていることは分かっていた。
しかし、だからといってゆっくりと睡眠を取るわけにはいかないのだ。
わたしは、人を、数人襲った。
もちろん、殺すつもりなんてない。
ただ、そうしなければ生存が維持できないから、仕方なく襲っただけだ。
街でそんなことをすれば治安騎士たちに襲われるのは分かり切っていた。
けれど他にやりようがなかった。
街の外で人を襲い、行動不能にしてしまえば、すぐに魔物がよってきて命を奪われてしまうかもしれない。
けれど、街の中で人を襲っている限りは、すぐに治安騎士がやってきて救護してくれるし、来てくれないときも、いざとなったら自分自身で声を上げて人が倒れていることを示せばそれでいい。
人を、自分の食事のために、殺したくはなかった。
両親も、それだけは避けていたのだ。
たとえ、その食事が、人から血を奪うものだとしても、命までは取りたくはなかった。
でも、そんな考えがいま、自分の命を脅かしている。
一体自分はどうすればよかったのだろう。
考えてみるけれど、答えはまるで出ない。
こんな路地裏に座り込んで、ただひたすら治安騎士が追ってこないかおびえている。
そんな日々に嫌気がさしていた。
だからだろう。
そのときかかった声に、とっさに反応できなかったのは。
「ふふふ。みーつけた」
柔らかで、深みのある、若い女の声だった。
楽しそうで、艶やかで。
その場違いな雰囲気に、一瞬、思考が停止してしまったのだ。
けれど長年の習慣は体を正確に動かしてくれた。
目の前の女の意識をすぐに刈り取り、逃げ出すために体が動いたのだ。
けれど。
「うーん、惜しい!」
驚くべきことに、そう言われた直後、女の体は目の前から消えていた。
そして気づいたときには背後にいて、
「じゃあ、お休み」
首筋に鈍い感触を感じた瞬間、意識は暗闇へと落ちたのだった。




