第21話 治安騎士詰所
「ユーリさんは亜種族をご存じですか?」
「亜種族って言うと……亜人とは別なの?」
亜人、というのはエルフやドワーフなど、人族とほとんど変わらない背格好をしているが、様々な点について、人族とは特徴を異にする人々のことを言う。
ノレンは続ける。
「亜人はあくまで人ですが……亜種族はそれとは異なります。代表的なのは、魔族など、人よりむしろ魔物に近しい外見的特徴を持つものたちです」
そんな区別を私ははじめて聞いたので、驚く。
前の世界においてはそのような区別は存在していなかったからだ。
人族と亜人がいて、人の形をしている知的生命体はすべてが亜人に分類されていた。
魔族は区別されていたが、魔族は魔物と同様の存在だと理解されていたためである。
ノレンが言っている区別はそういう区別に近いもののような気がするのだが、少し異なるような気もする。
そこのところをはっきりさせるため、続きを聞いた。
「簡単に言ってしまえば、人に敵対的な人型の生命体のことをすべて亜種族と言っています。細かい区別に関しては、帝国が施行している亜種族識別法の基準によりますので、詳しく知りたい場合は図書館で帝国法について調べてみてください」
どうやら細かい識別の仕方があるらしいが、ここでは説明してくれないらしい。
法律に基づいている、ということは生物学的な区別ではないのか?
後で調べてみよう、と思った。
しかし、ノレンはなぜ今、亜種族について説明を始めたのだろうか。
何か指名依頼と関係するから説明を始めたのだと言うことはわかるが、薬師である私と関係しそうな依頼が思いつかない。
「それが何か指名依頼と関係があるの?」
だから、私は率直にどういう意味のある説明なのかノレンに聞いた。
ノレンは足下から丸めてある羊皮紙を取り出して机の上に開き、それを読みながら説明を始めた。
「つい最近のことです。ナードラは普段、比較的治安のいい街で、犯罪発生率もそれほど高くないのですが……数人、人が襲われる事件が起こりました」
「事件ね。死人とか出たの?」
物騒な話である。
ノレンは首を横に振った。
「いいえ。死人は一人も。犯人について、おそらく亜種族の仕業であろう、との予測は立ったらしく、目下、原因である亜種族の捜索に全力を注いでいるところですが……ただ、その際、けが人が多く出まして……それで、薬師であるユーリさんに依頼が」
けが人、ということはその治療と言うことだろうか。
それならば傷薬なり治癒魔法なりで対応すれば良いような気がするが、それではだめなのだろうか。
首を傾げていると、ノレンは続けた。
「怪我自体は大したことなかったのですが、問題は怪我を負った騎士達が原因不明の病に罹患したことです。詳しい症状を見ていただかないと何ともいえないのですが……多数の医師、薬師に診療してもらっても原因が分からず」
「それなのに、どうして亜種族の仕業だと?」
私の質問にノレンは微妙な表情で答える。
「過去の文献によれば亜種族が病をまき散らしたことがある、ということなので、その関係かも知れない、との話に上がっているのですが、実際はどうなのか分かりません」
要は、いくつかの予想しうる原因のひとつにすぎないと言うことだろう。
だからノレンは一応頭に留めておいてくれればそれでいいと言った。
ノレンは続ける。
「病、ということで高名な薬師としてイヴォンヌさんがいますから、そちらへの依頼も考えたようなのですが、彼女は今、街を出ておりますし……残るはユーリさんの知識くらいしかなく。治安騎士団も上層部はユーリさんが魔物除けの開発者であることを知っていますから、その知恵にお頼りしたい、とのことです。受けていただけますか?」
つまり、亜種族らしきものが原因の病に罹患した可能性のある治安騎士に治療薬を作れ、ということだろう。
しかしどんな病なのかも分からないし、失敗して違約金を取られたら目も当てられない。
その辺りについて尋ねると、
「今回については既に多くの医師、薬師たちが失敗しておりますし、もし治療ができなくとも違約金の請求はなされません。あくまで成功報酬の約束がなされているだけですから……そのあたりの心配はなさらなくて結構です」
ノレンの説明に安心した私は、依頼を受けることに決めた。
大体の病の治療法は頭に入っている。
この世界、この地域の風土病、とか言われるとそれに特化した治療薬は製造できないだろうが……そのときはそのときだ。
失敗しても文句は言われないらしいし、やるだけやってみよう。
「分かった。依頼を受けるわ」
私のその言葉に、ノレンの表情が目に見えてほっとする。
受けないと思っていたのだろうか?
そう尋ねると、
「病は恐ろしいですからね。近づいたらかかるものもありますし……原因がはっきりしない、となれば断る方も多いです」
まぁ、伝染病などがこの世界にも当然存在しているだろうし、そのことを考えれば病気の人間には出来る限り近づきたくないと思うのが当然か。
医師や薬師である以上、そうも言っていられないが、原因がある程度分かっているのと、全く不明なのとでは覚悟の仕方が違うだろう。
「ま、とにかく行ってみるわ。どこに行けば?」
「治安騎士団の詰め所に。北門のすぐ近くにあるので、行けば分かると思います。こちら、依頼票になりますので、お持ちください」
ノレンはそう言って羊皮紙を差し出す。
受け取るとそこには依頼の詳細が記載されていた。
細かい症状と、罹患した人数など。
基本的にはその内容は極秘らしく、人に言いふらすことは厳禁とある。
伝染病かも知れないし、街人に言いふらしてパニックになるのは避けたいだろう。
私は冒険者組合を出て、治安騎士団詰め所へと向かった。
騎士団詰め所は結構大きな建物であって、中々頑丈そうで迫力が感じられた。
二階建ての石造りの建物であり、壁は厚く、そう簡単には壊れそうもない。
このような作りなのは、ここが治安騎士という、ナードラ市の治安を確保するために重要な組織の建物だからなのだろう。
ナードラ市のほかの建物はこれほどにしっかりした作りではなく、もう少し薄っぺらいものが多いのだ。
「すみませーん」
騎士団詰め所をのぞきながら、中に声をかける。
一階入り口は扉はあったが、完全に解放されていて中がのぞけるようになっていたからだ。
ほどなくして、一人の騎士が中から顔を覗かせた。
鉄製の鎧を着て、腰に長剣を下げた背の高い男性だ。
未だ幼さが抜けない顔立ちをしているので、それほど年齢は高くないだろう。
おそらくは十代であり、騎士と言うよりは騎士見習い、と言った佇まいだ。
身のこなしも洗練されているとは言い難く、鎧も着ていると言うよりは着られていると言っていいほど様になっていない。
「……女が、うちに何か用か?」
眉を潜めてこちらを見つめるその表情には不審の色がある。
ずいぶんと感じの悪いその少年騎士見習いに、少しいらっとしたが、私は大人である。
その余裕を見せびらかすために、にこやかに対応することにした。
「冒険者組合から依頼を受けた薬師ですが……」
依頼票を見せながらそう言うと、少年騎士見習いは目に見えて驚いたような表情になり、
「お前が? 高名な薬師で冒険者だってのか?」
まるきり信じていないその表情。
冒険者は簡単になれるが、それなりに名前が知られるようになるまでが長い。
けれど、私の名前は薬師としての仕事と、煉獄の森を譲られたことからかなり広まっている。
私がそんな存在だとは、この少年にはとても思えなかった、ということだろう。
あからさまに私が見せた依頼票の記述を間違っていないか矯めつ眇めつ読み、何も偽造の証がないことを確認した上で、邪険な表情を崩さずに言った。
「……嘘ではないようだな。入れ。こっちだ」
もう少しくらい愛想良くできないと世の中うまくわたっていけないよ、と忠告してやりたい気分になったが、そういうことを言うとこういうタイプはかえって逆上したりするものだ。
私は何も言わずに黙って後に続いた。
さっさと依頼を終わらせて帰ろう。
そう思った。
◆◇◆◇◆
騎士団詰め所の二階、仮眠所に当たるその場所には数人の治安騎士が肌着姿で苦しそうに簡易ベッドに横になっていた。
全員がそれなりの訓練を積んだ一端の騎士であることはその体についた筋肉のしなやかさで分かる。
しかしどれだけ体を鍛えようとも、人間、病には勝てないものだ。
全員が病の苦しさに体をひねっている。
ここまで私を連れてきた騎士は、戻らずに騎士達の診療をしている私の後ろについて沈鬱そうな顔をしている。
彼にしてみれば、ここにいる人々は頼れる先輩なのだろう。
そんな人々がこんな風に苦しんでいるのを見るのは苦しいだろう。
気持ちは分からないでもなかった。
「……それで、何か分かったか?」
少年騎士がそう質問した。
私は首を縦に振る。
「ええ。分かったわ」
「ほ、本当か!? 今までだれも分からなかったんだぞ!?」
少年は目を見開き、私の肩をつかんでそう尋ねた。
少年の言葉を聞きながら、思う。
分からなくて当然だ。
この病は、病であって病ではない。
薬で治すことは出来ない、そういうものだ。
「先輩達は……助かるのか?」
少年のその言葉に、私は何ともいえずに黙った。
そんな私の表情を不安に思ったらしく、少年は続けた。
「おい……なんだよ、助からないのか!?」
「いえ、そうじゃないわ。別にこのまま放っておいても、死ぬことはないし……そのうち元気になるでしょうね」
「……? だったら、なんでそんな微妙な顔してる?」
微妙な顔か。
言い得て妙だ。
まさにその通りの心情を、私はいましているからだ。
そうだ、彼らの症状は、極めて微妙だった。
顔色は悪く、体を痛めてのたうち回り、目は赤く染まり、喉の渇きに飢えている。
その症状を、私は一つしか知らない。
そして、その治療法も、一つだけだ。
私は少年に言った。
「とりあえず、今日出来ることはないから、いったん戻るわ。彼らについてはしばらくよく見張ること。特に夜は絶対に目を離してはだめよ」
「ど、どういうことだよ……?」
「いいから。それより、治安騎士団の責任者はどこにいるの? 話をしなければならないことが出来たわ?」
「騎士団長か? 今なら、二階の端にある執務室にいるから……」
「分かった」
私はすぐに仮眠室を出て、執務室に向かった。
木製の扉を叩き、「……どうぞ」と言うハスキーな声が聞こえてからすぐに扉を開く。
中は書斎、と言った感じで部屋の隅に法律書や経済書、それに各種資料が並べられた本棚があり、部屋の真ん中には飴色に磨かれた執務机があった。
部屋の主らしき大柄な男が、執務机でしていたらしい書類仕事の手を止めて、羽ペンを置き、こちらに目を向けた。
あれが騎士団長、なのだろう。
さきほどの少年剣士とは明らかに格の違う眼光を持っている。
なんとなく背筋が伸びた私は、それでも物怖じせずに、その男に話しかけた。
「あなたが騎士団長?」
「いかにも。ナードラの治安騎士団長シードラ=ヒュドーファだ。貴女は?」
「私は冒険者組合所属の薬師ユーリ。依頼できたんだけど、相談しなければならないことが出来たから、ここに来たわ」
「貴女があの……? ふむ。ユッタに案内を任せてのだが、彼では対応できないことか」
ユッタ、というのはあの少年騎士見習いのことだろう。
その通りなので私は頷く。
「ええ。病に罹患したという騎士達を診療したのだけど、あれはどうしようもないわ」
「……治らないのか?」
「すぐには」
「すぐには?」
私の言葉の意味を図りかねたのだろうシードラが首を傾げる。
「ええ、だってあれは厳密には病じゃないから。あれは……」
――魔族化と呼ばれるものよ?
私の言葉に、シードラは目を見開いた。




