第2話 記憶
周りには光が満ちていた。
数えきれないほどの星々が瞬き、消え、流れ、そして遥か彼方で集合し……。
あぁ、これは銀河だと思って、自分が宇宙空間のような場所に浮かんでいることに気づいた。
けれど、全く寒くなく、また息苦しいとも感じない。
手を見つめようと自分の目の前に掲げてみれば、それはうっすらと透けて、向こう側に星のきらめきが見えた。
宇宙ではないのかもしれない。
それに似た、どこかなのかもしれない。
そう、思った。
彼ら――勇者たちの力によってどこかへと転移させられた私、蓮見優理。
ここが、そのどこかなのか。
そうだとすると、私はここで永遠に生きていかなければならないのだろうか。
何もない、星々の海のなかで、誰とも接触せずに……?
そう思うと、急にさびしさが体を襲う。
震えを感じる。
混乱して、何も考えられなくなる。
それから、どれくらい経ったことだろう。
気づいた時には、私の体はただ浮いているだけではなく、どこかへと向かって進んでいた。
どこへ向かっているのかは分からない。
ただ、確かに向かうべき目的地があるらしいことは、なんとなくわかった。
私の体をぼんやりと光が照らしている。
勇者たちが、私に宿してくれた四色の光が、ぼんやりと先導してくれている。
白、黄色、闇、緑。
あの光が、私を導いてくれる。
そう思えるようになると、だんだんと心が落ち着いてきて、なんとかものを考えられるようになった。
そして、ふと頭に浮かぶ。
どうして私はこんなところにいるのだろうと。
私は、こんなとんでもない経験に巻き込まれるような、選ばれしなにかではないのに、と。
それから、私は思い出していた。
どうしてこんなことになったのか、その始まりの記憶を……。
◆◇◆◇◆
そもそも私は平凡な女だった。
客観的に見るならば、女子高生、と呼ばれる身分であった私は、何の変哲もないサラリーマンの父と、どこかの会社で適当にOLをしていた母との間に生まれた筋金入りの平凡娘だったのだ。
見た目が優れている、とか何かしら特殊な技能を修めている、とかそんなことも全くなく、そこそこの大学へ行くためのそこそこの高校に入学し、それなりの学生生活を送りながら毎日、授業以外に二、三時間勉強して、それ以外の時間は趣味に充てる、そんな生活。
友人は多くは無かったが、少なくもなかった。
いじめに遭っていたか、と聞かれるといじめられた時期もあったしそうではない時期もあった。
成績は中の上で、容姿も中の上にぎりぎり引っかかる、と評価してもらえれば御の字だ。
それなりに勤勉だったので、学校へは無遅刻無欠席を貫いていたが、特筆すべき功績はその程度で、他には特徴など存在しない、いわゆる詰まらないタイプの人間だった。
そんな私の生活はこれから先、大学へ入っても、そして卒業してどこかの会社にもぐりこんだ後も変わらず、延々と消化試合のように続いていくものだと思っていた。
実際、それで満足だったし、特別な何かなんて人間が幸せに生きていくためにはそれほど必要がないのだと私は心の底から思っていた。
雨風を凌げる家と、生活費を賄える程度の金銭、それに数人の友人に、適度に熱中できる趣味。
それくらいで十分だ。
そう思っていたのだ。
それなのに、神様と言う奴は底意地の悪い性格をしているものだ。
そんな慎ましやかな希望すら叶えてくれず、全く別の運命へと私を放り込んでくれたのだから。
その日、私は高校からの帰り道をぼんやりと何も考えないでとことこと歩いていた。
スマートフォンは持っていないわけではなかったが、生来の面倒臭がりな性格が帰り道でそれをいじくる、とか歩きながら文明の利器を操る、とかそういう技能を私に身につけさせてはくれなかった。
大体、機械と言う奴は、次から次へと新しいものが出てきて、その対応を迫る。
どうして私がそんな無機物からの指示に従わねばならないのだ。
電話とメールが出来れば足りるし、私の友人も私のそんな性格を分かっているからか、連絡するときは大体その二つでしか来ない。
SNSなんてものは当然の如く登録が面倒くさくて挫折したし、アプリも入れようと思って面倒臭くなって放置してしまった。
私はスマートフォンを持っている意味が果たしてあるのだろうかとたまに思うが、日本は広いのだから一人や二人、こんな女子高生がいても許されるのではなかろうかと、そんなことを考えながら歩いていたのだ。
しかしだ。
今思えば、私はもう少し前を見て歩くべきだった。
いや、前と言うより、もっと足元に注意をして歩くべきだった、と思う。
なぜなら、待っていた信号が青に変わり、一歩踏み出したそのとき、私の右足が踏んだコンクリートの上には歩道を示す白線ではなく、地球は日本で滅多に見ないような奇妙な幾何学模様で構成された巨大な魔法陣らしきものが光り輝いていたのだから。
「……え?」
そんな声が自分の喉から洩れたのを、私は覚えている。
そして、その直後、辺りは真っ白に輝き、そして。
気づいた時には知らない場所にいた。
辺りを見回せば、そこは明らかにコンクリートジャングルではなく、謎の建造物の中であることが察せられた。
広い。とにかく、広かった。
これほどまでに何も存在しない、真っ白な建物は、日本ではついぞ、見たことが無かった。
ここは日本ではないのかもしれない。
その一瞬で、私は心の片隅でそんなことを考えてしまったほどだ。
そしてその想像は、間違ってはいないことがその突然の事件の数瞬後に明らかになる。
そこは無人ではなかった。
私の立っている場所、巨大な魔法陣の外側に、一人の女性が跪いてこちらを見つめていた。
綺麗な女の人だった。
黄金の髪を持ち、雪のように白い肌をしていて、空のような青い瞳が美しかった。
着ているものはゆったりとした、真っ白な衣服で、どことなく神聖な印象を受ける。
そしてその脇には巨大な宝石の嵌められた杖が置かれていた。
その女性は私の姿を確認して、信じられないほど美しく笑った後、杖を手に持って立ち上がり、こつこつとこちらに向かってきた。
そして、丁度私の正面に立ったそのとき、彼女は信じられないことを言ったのだ。
鈴の鳴るような耳に心地いい声だった。
麻薬が染み込むように、甘い、それでいて良く響く、人を魅了する声だった。
彼女は言った。
「突然のこと、驚かれているでしょう。しかし、これは仕方のないことだったのです。お許しください。私はこの神殿の長、ルル=リリストラ。貴女様を……女神様をお呼びした者でございます」
女神、と彼女は言った。それが誰を指し示しているのか、分からないほど察しが悪い訳ではない。
それはおそらく私のことなのだ。
そう確信した。
そうであるなら、私はこのまま歓待されるのだろうか?
私がそんなことを考えていると、彼女は、ルルは笑顔を浮かべ、続けた
「そして、改めて、お許しを請います。女神様。貴女をお呼びしたのは他でもありません……」
ルルは私に近づいてきて、抱きしめてきた。
彼女からは花のいい香りがした。
同性とは言え、一瞬くらりとしてしまう。
それから、私はふと、違和感に気づいた。
「……? え……」
ルルの白い服が、赤く染まっていく。
まるで、絵の具が染みだしていくように、どんどん、どんどん。
もしかして、彼女は怪我をしているのか。
そう思った。
だから、それを聞こうと喉に力を込めたのだが、
「……あ……」
私の喉からは、言葉にならない声しか出なかった。
気づくと、お腹が物凄く熱く脈打っている。
どくり、どくりと。
まるで何かが流れ出ているかのように……。
ルルは、私の胸元にうずめていた顔をあげ、そして笑った。
艶やかな笑みだった。
そして、それは、恐ろしいほどの、狂気に満ちた笑みだった。
彼女は言う。
「申し訳ございません、女神様。女神様とは、もうお別れでございます……」
彼女がそうして、私からゆっくりと離れていく。
少し離れた彼女の手は、真っ赤に染まっていて、それは明らかに血液の汚れだ。
そして赤く染まっていながらも銀色の不気味な光を放っている何かを、彼女は持っていた。
刃物だ。どう見ても。
それから、事態を悟った私は自分のお腹を見た。
穴が、開いている。
そこから血が漏れ出している。
確信したときには遅かった。
この出血で助かるとは、とても思えない。
それに意識も徐々に薄くなっていく。
ぼやけつつある意識の中で、微笑むルルの顔だけがはっきりとしていた。
「ありがとうございます。女神様……私は、これで……」
意識が完全に飛ぶ前、彼女がそんなことを呟いているのが聞こえた。