第16話 報告
「じゃあ、冒険者組合に報告したらまた来るからよろしくね」
イヴォンヌが私が渡した鉢植えやら種の入った袋などを一杯に背負いながら手を振ってそう言った。
他の三人も同様で、色々大量にものを持っていて、まるで登山家のような格好になってしまっている。
それでも魔物と戦うには問題はないだろう、と言うのであるから、彼らは相当高レベルの実力者なのだろう。
実際、彼らの滞在中に、少しだけ模擬戦をしたりしてもらったのだが、その実力たるや中々のものだった。
確かに、あれくらいの荷物などものともしないのだろうな、と思わせるほどには。
「それじゃ、まぁ、次に来るときは市民証を持ってくるぜ。それか、もしあんまり待ってるのが嫌って言うならお前の方からナードラに来てもいいんだぞ。ユーリの場合、少し特殊だから市民証発行に時間がかかるかもしれねぇからな。あぁ、ナードラに入ることは市民証がなくても出来るからな。銅貨2枚が入市税になるからもし来るならそのつもりでいろよ」
市民証を発行するための書類を作ってくれたウラノスがそう言って手を振ってくれた。
彼はここに何者かがいて、それがナードラに利益をもたらすものであるならば引き込め、と言われていた関係もあって、そのような書類を持っていたことを教えてくれた。
別にそんなことは黙ってればいいことだろうに「お前のもたらすものが少し大きすぎて……気が引けてな」などと言って大まかなことを教えてくれたのだ。
流石にあまり詳細に教えるわけにはいかないとは言っていたのだが、それにしたって情報を開示しすぎな気がする。
そうウラノスに言えば、自分たちは冒険者組合でも結構上位に位置する冒険者であるから、そう言った点については結構自由が利くのだとも言っていた。
情報漏洩がある程度自由とはどういうことか、と言いたくなったが、流石にそこまで重要な話は漏らしていないのだろう。
さじ加減もおそらく一流なのだと納得して私は頷いたのだった。
ついでだが、いくらかのお金も渡してくれた。
家に一泊してもらったので、その宿泊料と、イヴォンヌから薬の製法を教えてもらった対価だと言う。
街に戻って薬の製法を広めたら、その際に出た利益は法に従って払うとも言っていたので、一部前払い、ということだろう。
この世界のお金を貰えるのは正直言ってありがたい。
見れば、金貨、銀貨、銅貨が基本になっているようである意味極めて解りやすいものだった。
他に国の機関や大店が巨額の金銭を動かすために使う白金貨というものもあるらしいが、普通に生きていく分にはまずお目にかかることはないだろうとのことだ。
価値は大体百倍になっていくようで、細かく言うならある程度の変動もあるようだがそれはいいだろう。
私は帰っていく四人に笑顔で手を振りながら、これからどうするのかを考える。
もらったお金があれば、彼らがもう一度ここを訪ねてくるのを待たずに街に行ける。
あまり細かくはないが大体の位置関係が分かる大まかな地図ももらったし、始めみたいに放浪の日々を過ごしたりはしないで済むだろう。
彼らに聞いたここから一番近い街。
この辺り一体をその支配下としているらしい灰帝国という国の辺境都市ナードラ。
彼ら四人が活動している冒険者組合もそこにあるらしく、私でも所属しようと思えばできるらしい。
私もずっとこの森で一人ぼっちで生活していくのはさびしいなと思い始めていた頃なので、職を得ると言うのもいいかもしれないと思った。
◇◆◇◆◇
「……女が小屋に住んでいた?」
ナードラ冒険者組合の一室にナグレムの呆れたような声が響く。
たった今、煉獄の森に調査に行かせていたAランク冒険者で構成される手練れのパーティが帰ってきたのはいいのだが、その報告が余りにも馬鹿げていたからだ。
煉獄の森はその立地もさることながら、内部に巣食う魔物の強力さでも群を抜いている危険地帯。
冒険者ですら高ランクでなければ近寄ろうともしないような、ある意味でまさに煉獄と言っていい場所なのだ。
なのに、調査に行かせた四人が口を合わせて、そんな場所に若い女が小屋を作り家庭菜園をやりながら住んでいて、しかも非常に上手い料理やらお茶やらを提供されて非常に居心地のいい空間だった、などと抜かすのだ。
これがAランク冒険者でなければ煉獄の森に開く朱き華――血水仙でも間違って口にして幻覚でも見たのではないかと言いたくなるところだ。
けれど、今回行かせた四人は、誰もが一流と言っていい技能と判断力を持っていて、しかもそう言った幻覚に間違っても惑わされないように数少ない魔法薬師と治癒術に長けた神官まで選んでいる。
嘘だとか間違いだとか言うには、信用が高すぎる報告だった。
「まぁ、言いてぇことは分かる。だけどな、俺たちは確かに見たぜ。それに証拠として様々なものを持ち帰っている……度肝を抜いてやるぜ」
今回の探索において、リーダーを任せた男、Aランク剣士ウラノスが様々な物品をナグレムの執務室にある応接用の低いテーブルにいくつも乗っけていく。
興味を引かれて、ナグレムは立ち上がってその物品を一つ一つ眺めた。
けれど不思議なことに、用途がはっきりと分かるものは少なく、それでいながらどれも洗練された出来のものであることが分かる。
ナグレムはそんな様々な品のうち、木製の平べったい板と、裏表が別々の色に塗り分けられている小さな円板を手に取り、ウラノスに質問した。
「……これはなんだ? 木工品のようだが……用途がわからんぞ」
「おぉ、“リバーシ”な。そいつの用途は……俺よりもミリーとオリスの方が詳しいぜ。おい、見せてやれ」
言われて、ウラノスの後ろに立っていたエルフの少女と中年神官が前に出て、ナグレムの手から平板と円板を奪い取って、テーブルに置き始めた。
円板の中央にまず黒と白に塗り分けらえた円板を四つ並べ、その後にミリーとオリスが、
「……黒は私でよろしいですか?」
「僕が黒!」
などとしばらく言い合っていた。
ほどなくしてオリスが黒、と決まったらしく、彼女は自分の手元の円盤を手に取り、板の上に置いた。
それからオリスは黒で挟まれた白の円板を裏返し、次にエリーも同様のことをした。
延々と二人が行っていることを見ていると、何をしているのか、ナグレムにはおぼろげながらも分かってきた。
「……これは遊戯か?」
「お、よく分かったな。そうだ。同じ色の板で挟んだ板を裏返す、ってだけの簡単な遊びなんだがな、これが意外と奥が深いぞ」
「勝敗は、自分が初めに決めた色の板が多かった方が勝ち、というわけか……」
「そうだ」
ナグレムは目から鱗が落ちそうな思いだった。
これほど簡単なルールで、しかも戦術的な要素の含まれた遊戯。
これは流行るだろう……。
そう思った矢先、ウラノスはテーブルの上に出していた別の板を出して言った。
「こいつも遊戯なんだが……」
ウラノスが出したそちらの板は、“リバーシ”とは異なり、駒になる板の種類が極めて多かった。
ルールも若干複雑で、しかしだからこそ“リバーシ”よりもずっと考えさせられるものがある遊びだ
特に、王と、その率いる兵が二つの陣に分かれて戦うことを見立てて作られたらしい、その遊びは、相手の軍の駒を奪い、自軍の駒として扱えるというルールまであり、敵と味方が相乱れて取り込み合いをしている現実をも遊びとして昇華していることに驚きを感じる。
ナグレムは実際何度かウラノスに手ほどきをしてもらいながら遊んでみたのだが、これが夢中になるほど面白い。
非常に知的で、しかも戦略的な思考まで鍛えられる遊戯。
“リバーシ”は“リバーシ”でその単純さが良かったが、こちらの遊戯、“ショーギ”は“ショーギ”で深みがあって面白く、どちらも広めて対戦相手を増やしたいと思ってしまう。
すでにナグレムは幾人かこれに興味を抱きそうな友人が思いついていたが、それについてはとりあえず置いておき、聞くべきことを聞くことにした。
「これほどのものを思いつき、形にするとは……煉獄の森に住むと言うその女性は、学者か何かか?」
かなりの学識、そして発想力がなければこういうものは作れない。
だからこその疑問だった。
そしてその疑問は、ある意味で正しく、ある意味で間違っていた。
ウラノスは答える。
「あぁ。薬師らしい。イヴォンヌと話が合ってよ……いくつか新しい薬の製法まで教えてもらってきた」
「……何?」
遊戯だけではなく、そんなものまで。
ナグレムは頭がついて行かない。
薬の製法と言うのは、本来、秘匿されるものだ。
製法を広め、多くの人々を救う。
それは素晴らしいことだが、実際それが可能な経済力や善性を人は持たないものだ。
だから薬の製法は隠し、資金を集約することによって、出来るだけ多くの人を救おうとする学派が出来、幅を利かせている。
トリトス派の薬師など風前の灯であり、在野の薬師のうち数えるほどの数がいるくらいだ。
なのに、まさにトリトス派の模範となるような人物が、煉獄の森に隠居しているのだという。
極めて奇妙なことであり、ナグレムはどう考えていいのかも分からない。
しかも、その教えられたと言う薬の効果が問題だった。
「教えてくれたのは、大きなものが魔物除けだな」
「そんなものなど、いくつもあるだろう?」
特定の魔物が嫌う成分を作り出す、ということはナードラの薬師でも可能だ。
なのに、ウラノスは首を振る。
「そうじゃねぇって。そうじゃなくて……一般的な効果を持つやつだ。撒けば数日は殆どの魔物が寄ってこなくなるらしい。そういうものだ。まぁ例外はあるみたいだが……今までのものと比べると段違いの効果だろ?」
「……それが本当なら、一体どれくらいの利益を生むか分からんぞ。教えるはずがないのではないか」
「それが変なやつで、教えてくれちゃうんだよなぁ……まぁ、ただでってわけでもねぇが」
ナグレムはその言葉に眉をひそめる。
やはりうまい話には裏があるのだ、とでも言いたげに。
ウラノスはそんなナグレムの表情を読んで、笑った。
「別に交換条件を出されたわけじゃねぇぜ。俺の方から出したんだ。なんかワケありらしいみたいだし、よかったらナードラの市民として登録しないかってよ」
ウラノスのその台詞の意味を理解できないほど、ナグレムは単純ではない。
ウラノスはその女をこの都市に引き込もうとしてそんなことを言ったのだろう。
もし何かしらの理由があって隠居せざるを得ない状況にその女が陥ったのだとしても、今まで提示されたいくつかの物品の価値を考えれば、引き込むに足ると言える。
だから、ナグレムは頷いて言った。
「それくらいなら……構わないが、しかし大丈夫なのか?」
「なにが?」
「何か大きな問題を抱えているという事は……」
質問に顎をさすりながらウラノスは答える。
「おそらくは、大丈夫だろう。見た目は……絶世の美女だったから、貴族と言われればそうかもしれないとは思うが、ここ何か月かで行方不明になった年頃の令嬢とかいねぇだろ?」
言われて、ナグレムは少し考える。
そしてそんな者などいないと言う結論にたどり着く。
「いないな」
「だったら貴族関係で問題が起こることもなさそうだし……他に学者ってことでどこかの研究所からやってきたのかとか考えてみたけどよ。本人があっけらかんと、特に後ろ暗いことはないって保障するし、大丈夫なんじゃねぇか」
「自己申告を信じるのか」
「嘘ではない、ってのはイヴォンヌが魔法で確認してるからな。もし何かあってもいい訳くらいにはなるだろ。それに……ここにある品を見てみろよ。どっかの国で秘密裏に作ってたって言われても、微妙なものばかりだぜ。魔物除けは広めた方がいいだろうし、遊戯関係もそうだ。多分、あの女個人の思いつきの品だろ、全部」
「うーむ……」
確かにそうかもしれない、とナグレムは思う。
けれどそうでない可能性もある。
その女をナードラ市民として受け入れた場合に起こるかもしれないことをいくつも考える。
けれど、答えは出ない。
分からないことが多すぎるからだ。
そして目の前にある品々は、かなり魅力的だった。
これをいつまでも秘匿しておくことの方が問題に感じるほどに。
ナグレムはそうして決断した。
「分かった。その女をナードラの市民として受け入れよう」
「良い決断だぜ、組合長」
ナグレムには、その瞬間、ウラノスの浮かべた笑みが、悪魔のものに見えた。




