第11話 奇妙なる森の家の話
「煉獄の森で小屋を見かけただと?」
その報告を聞いたのは、帝国辺境都市ナードラに居を構える冒険者組合の長、ナグレムであった。
老年ながら、良く鍛えられたその身体は背筋が伸び、力に溢れており、今でも剣を振るえば、かつて“帝国の疾風”とまで呼ばれた技を見ることが出来るだろうと思わせる。
ただ、現在その面長の鋭い顔貌には奇妙な表情が宿っており、それは今しがた冒険者組合に所属する冒険者が報告してきたとされる情報によるものだった。
ナグレムは首を傾げつつも、聞いた情報を噛み砕き、疑問の声を上げる。
「それは見間違いではないのか? あの森は暗く深い上、強力な魔物が多く跋扈している秘境だぞ。近づく者も冒険者以外にはほぼいないに等しい。さらに言うなら街道からも外れていて、辿り着くためには荒野に等しい平原を進まねばならないのだ。それを、小屋だと?」
渋面を浮かべるナグレムの質問に何と答えるべきか迷いつつも、組合職員であるナグレムの執務机の前で報告書を手に携えている女性は、改めて冷静に、しっかりと把握している情報を伝えた。
「おっしゃることは分かります。しかし、おそらく見間違い、というわけではございませんでしょう。まず、この報告は一人の冒険者の情報によるものではなく、四件――つまり、四つの異なるパーティの情報に基づくものです。さらに、それぞれのパーティ名は、“空の星”“牙の傷”“青狼”“水の流れ”の四つであり、このどれもが我が組合においてそれなりに定評のあるものです。そして直接話を聞いたのですが、その報告は非常に冷静で、客観的なものであり、それぞれが困惑しながらも、これはあくまで一つの意見として聴いてほしい、と前置きしたうえで告げられました。名の知れたパーティによる、そのような態度の報告であるからこそ、むしろこれは信用に足るべきものである、と私は考えます」
ナグレムは女性職員の言葉にさらに眉をしかめた。
女性職員の挙げた四つのパーティ、それはどれもが高ランクの冒険者パーティであり、しかもどれも非常に真面目に仕事に取り組む依頼の取りこぼしの少ないパーティとして有名なものだ。
その彼らがわざわざギルドマスターたるナグレムにまで届くだろう報告に嘘を織り交ぜるとは考えにくい。さらに、煉獄の森について、そんな報告をしたところで誰が得をするとも考えられない。
あんな森に人が棲んでいると偽って、一体どういうメリットがあるのだろう。
どんなに考えてもその答えは得られそうもない。
なぜなら、何のメリットもないことが明確だからだ。
そしてだからこそ、彼らの報告は真実だと受け入れるべきだった。
ナグレムは眉を寄せたまま、言った。
「……誰か人を行かせろ。そうだな、今の四つのパーティは全てBランクだったな。では、今度はAランクのものを選抜しろ。さらに、眩惑系の魔法や、毒に耐性のある治癒術師もつけろ」
それは、煉獄の森に未確認の眩惑魔法がかかっている可能性、また何らかの有害なガスや植物の発生を考えての人選である。
そのナグレムの意図を長年の付き合いでもって正確に理解した女性職員は短く色代をするとそのままナグレムの執務室を出ていく。
ナグレムは、一人になった執務室の中で、さきほどなされた報告のことを考え、額に手を当てると、一言つぶやいた。
「なぜだろうか……嵐の前の妙な静けさを感じる……」
それは冒険者として数々の戦いを切り抜けてきたナグレムだからこそ感じられた予感だったのかもしれない。
その後、ナグレムの指示を受けて煉獄の森に向かったパーティはそこで信じられないものを目にした報告を持ち帰ることになる。
◆◇◆◇◆
煉獄の森、それは帝国辺境都市ナードラにおいてはそれとしれた危険地帯の一つであり、冒険者以外誰も立ち入ることのない、見捨てられた場所であった。
ナードラの西に広がる大平原、そしてその平原をしばらく進んでいくと、その向こう側にあるとき突然こんもりと盛り上がった緑の塊が見えてくる。そんな風に現れる森、それが煉獄の森であった。
今、そんな森を警戒しながら歩く影が四つ。
一人は剣士風の男である。屈強な肉体を鋼の防具で囲い、さらに大剣を携えていつ魔物が襲ってきても対応できるように身構えている彼は、ナードラ冒険者組合に所属するAランク冒険者の一人、ウラノスであった。
「本当にこんなところに小屋なんてあるのかよ……おい、ミリー、どうなんだ」
そんなウラノスの声に、一人の明るい少女の声が答えた。
「知らないよ……でも、あるってナグレムさんが言うんだから、あるんじゃないの。Bランクのパーティがいくつか確認したって言うし」
その少女は年の頃は15にも至ってないのではないかと思われた。
しかしそれは視覚に頼った間違った判断だろう。
彼女の耳を見れば、その感覚が明確に間違っていることがすぐに理解できる。
人間とは異なる、長く尖ったその耳。
その特徴が表すのは、少女がエルフと呼ばれる種族に属する者であると言う事実である。
そしてエルフの年齢はその容姿から判断するのが難しい。
事実として、その少女はすでに齢にして100をいくつか超えていた。
「あのおっさん呆けたんじゃねぇの? 煉獄の森に小屋とか幻覚以外の何物でもねぇじゃん。なんで信じるの? 大体、本人が一番信じてないから治癒術師とかいるんじゃん。なぁ? オリス」
ウラノスが振り返った場所には、中年の女がいた。
真っ白な衣服に身を包まれたその姿は、神職であることを容易に想像させる。
実際、彼女は神に仕えることをその職とする神官であった。
ただ、神殿に属している訳ではなく、あくまで冒険者として在野で活動していると言う点で、通常の神官とは異なる。
そしてその力は治癒の力。
神に祈りを捧げることによって人の身を癒し、毒を取り去り、呪いを消滅させる。
そのような力を持つ彼女が今回ついてきたのは、この場所において幻覚が発生している場合、このパーティのメンバー全員を正気に戻すことを期待されているからだ。
年を経て十分な落ち着きを得た女性神官は、その立場に相応しい厳粛な声で思ったところを告げる。
「信じていないから、ではなく念のために私を加えられたのではないでしょうか。Bランクとは言え、間違いがある場合もないではないわけですし、それが幻覚や毒の仕業だと考えるのは自然です。ただ、それはあくまで例外であり、原則的には信じる、という方向で意思を固めたからこそ、Aランクである我々を指名して依頼したのでしょう。確信のない案件につぎ込むには私たちの依頼料はお高い……そうではありませんか、イヴォンヌ?」
そう言って女性神官オリスが話しかけた先にもやはり女性がいた。
妙齢の、妖しい美貌を持つ女性である。
唇は病的に赤く、目のは魔性が宿っていた。
彼女は魔術師。
それも、ここにいる他の三人と同じくAランクに属する一流のそれだ。
魔力を練り上げ、放てばその力は街すらも灰燼に変えかねない。
そんなレベルの力を持っている。
「全くね。ただ……私はギルドマスターの話が正しい方に一票入れるわ。何せ、ここに広がる魔力の質が前に来たときと明らかに変わっているから。何か変化があった、と考えるべきでしょうね。そしてそれが何物かがここに居を構えているからと考えるのは間違いじゃないわ」
表情に似合わない、冷静で客観的な意見だった。
その言葉に、ウラノスは顔をしかめる。
「なんだよ……じゃあ、やっぱり小屋はあるのか。さっさと帰りたいんだけどよぉ」
面倒臭そうにウラノスはぼりぼりと頭を掻く。
本当に帰りたいのだろう。
そんな気持ちが仕草全体に漂っていた。
「まぁ、でも、すぐに帰れそうかもね?」
イヴォンヌがそう言ったのは、次の瞬間だった。
彼女はゆっくりと手を挙げ、そして一方向を指した。
するとそこにあったのは。
「……あるじゃん、小屋」
ウラノスの唖然とした声が森に響いた。




