アキラくんと不思議な小人
窓を開けると、潮の香りが漂ってくる。眼前には宝石がちりばめられているかのようにきれいな青が広がっていて、遠くの方で青い空とつながっているのが見えた。すぐ真下に目をやると、黄緑色のパジャマを着た小さな子供たちが鬼ごっこをして楽しそうに遊んでいた。ミホちゃんがユウタくんにタッチをする。ユウタくんは「やられたー」とかなんとか叫んでいたが、タッチをされる時にわざとゆっくり走っていた。ミホちゃんのことが好きだから触られたかったのだ。ユウタくんがミホちゃんのことを好きなのは、もうずっと前からみんなが知っていることだった。
アキラはそんな光景をぼんやりと眺めながら、小さなため息をついて、また窓を閉めた。ベッドに戻ってまた横になる。天井を見つめて、自分も身体がよかったら鬼ごっこできたのにな、と恨めしく思った。
アキラは今、サナトリウムで療養している。物心ついたときにはもう入院していたので、いつからここにいるのかなんてまったく知らなかった。どんな病気なのかは知らないが、自分は身体が悪いらしい。自分ではどこが悪いのか分からなかった。サナトリウムの廊下を思いっきり走っても息が苦しくなるなんてことはなかったし、ご飯だっていつもたくさん食べている。よく食べるわねってナースの柏木さんも笑って言っているくらいだ。
でも本当はあまり走り回っちゃいけないって言われている。それだけじゃなくて部屋から出ることも許されない。お医者さんも、ナースの柏木さんも、そしてほとんど毎日面会に来るお母さんも、アキラが走ったり部屋から出たりすると、すごく怖い顔で怒る。
ある日の真夜中のことだった。アキラがふと目を覚ますと、掛布団の上に、なにかがちょこんと乗っていた。小指の先くらいしか身長がない小人さんだった。赤や黄色、緑などのカラフルな服を着ていて、ピエロがかぶっているような三角形の帽子を小さな頭に乗っけている。
「君はだれ?」
アキラは聞いた。
「だれ? ぼくはだれ?」
小人さんは首をかしげた。
「自分でも分からないの?」
「ないのです」
小人さんは胸の前で×を手で作ってみせた。
アキラはその不思議な小人さんと毎夜お話をするようになった。
「今日は雨だったからユウタくんとかミホちゃんとかが遊びに来てくれたんだ」
「かもーん」
小人さんは手招きしてみせた。
「それでトランプしてたらさ、ユウタくんってひどいんだよ、ミホちゃんにいいかっこして見せたいからってズルするんだ」
「ずるずるー」
小人さんは布団の上にうつぶせで寝そべって手足をぱたぱたとさせた。
「ひどいと思うよね?」
「どいひー」
小人さんはさらに激しく手足をぱたぱたとさせた。
次の日の夜はお母さんについてお話しした。
「今日はお母さんがマドレーヌ作ってきてくれたんだ」
「へい、おもち!」
小人さんはばんざいした。
「おもちじゃないよ、マドレーヌだよ。お母さんが作るお菓子はとってもおいしいんだ」
「うまうまー」
小人さんは口に両手を当ててきゃっきゃと笑った。
「注射ってなんであんなに痛いんだろうね」
「くう~っ!」
小人さんは目をぎゅっとつぶって、両手を頭の上に乗せてしゃがみこんだ。
「柏木さんはさ、大人になるためだから、とか言ってるけどさ、あんなの嘘っぱちだよね。ユウタくんなんて一回もしてないって言ってたよ」
「うそ~ん」
小人さんは力が抜けたみたいに、大の字になって寝っ転がった。
「あした、みんなは海で遊ぶんだってさ」
「からい~からい~」
小人さんは口をすぼめてみせた。
「いいなあ。僕も行きたかったな」
「からいのお好き?」
「そうじゃないけど、僕だって遊びたいじゃん」
「みず~! すな~!」
小人さんは両手を横に広げて一回転してみせた。
「今日は柏木さんがずっと隣にいてくれたんだ。一緒に将棋したんだよ」
「うひょー!」
小人さんは正座したままとびあがった。
「僕、途中で眠くなっちゃって寝ちゃった。考えるのって疲れちゃうよね」
「おねむ~」
小人さんは両手を合わせて頬っぺたにあてて眠るふりをした。
「小人さんは眠くなるの?」
「なるの? ならないの?」
小人さんは首をかしげる。どうやら小人さんは自分のことがよく分からないらしい。
そして何日か経ってからのことだった。アキラはまた同じ時間に目を覚ました。小人さんはちゃんと布団の上にいて、こちらを見ていた。最初に会ったときよりも少し大きくなった気がする。
アキラはいつものように小人さんに話しかけた。
「ねえ小人さん、はなし聞いてくれる?」
「くれる?」
「今日ね、お母さんにものすごく叱られたんだ」
「うぅ~、かみなりさんピカピカ~」
小人さんはおへそのあたりを両手で押さえた。
「そう、めちゃくちゃ怖かった」
「鬼さんこわい~」
小人さんはおへそを押さえたまま布団の上を駆けずり回った。
「ミホちゃんに外で遊ぼうよって言われてさ、柏木さんに見つからないように病院の中をあちこち隠れながら外に出て鬼ごっこしたんだ」
「鬼さんきた~!」
「そしたら柏木さんに引きずり戻されちゃってさ、ちょうど来てたお母さんにもすっごく怒られちゃった」
「鬼さんいっぱい~」
小人さんは布団の上であおむけになって寝ころんだ。もうどうにでもしてと言いたげだ。
「なんであんなに怒るんだろうね。僕だって外で遊びたいよ」
「おそと~」
小人さんは起き上がって、両手を前に突き出してゆらゆらと上下に揺らした。風でもおこしているのだろうか。
「お母さんは僕に、良くなってほしいからって言うんだけどさ、そんなのどうだっていい事じゃない?」
「どうだっていいの~」
小人さんは、今度はうつぶせになって寝っ転がった。やる気をなくしたということらしい。
「今遊びたいから遊んだのに、そんな将来のことを言われてもさ、僕よくわからないよ」
「いま? あした? あした? いま?」
「僕はさ、いったい誰のために生きてるんだろうね。お母さんのために生きてるわけじゃないんだ」
「ぼくのためなら死ねる~」
「自分がやりたいこともできないなんてやだよ……」
アキラは涙を流した。
「やだやだー」
小人さんはうつ伏せになったまま手足をばたばたさせた。
その翌日のことだった。
柏木さんやお医者さんがたくさんアキラの部屋に入ってきた。
いったいなんなんだろうとアキラがびくびくしていると、柏木さんが辛そうに口を開いた。
「アキラ君、落ち着いて聞いてね?」
柏木さんはアキラの肩に手を置いて、一呼吸した。
「お母さんが亡くなったの」
「…………………………え?」
柏木さんはぎゅっと目をつぶって、苦しそうにもう一度言った。
「死んじゃったの」
アキラのお母さんは重い病気だったらしい。アキラの前ではそれを隠していたのだという。
アキラはそのときだけ部屋から出ることを許された。冷たくなって寝ているお母さんと会った。すると、すごくすごく涙が出てきた。とても悲しい気持ちになった。今までお母さんと話したこと、お母さんに作ってもらったお菓子のかずかずを思い出して、ますます涙が出てきた。冷たいその部屋中に響き渡るくらい大きな声で、アキラは泣いた。
アキラはお母さんの気持ちが、その時初めて分かった気がした。
誰かがいなくなると悲しい。お母さんは、自分がいなくなってしまうのが嫌だった。だから外に出ることを禁止したのだ。
その日からアキラは一歩も外に出ることはなくなった。あまり喋らなくなった。それまで遊びに来てくれていたユウタくんやミホちゃんも、アキラを気持ち悪がって来なくなった。
小人さんは、お母さんが死んだ日以降、アキラの目の前に現れることはなかった。
最後のアキラ君の行動は賛否両論あるかもしれませんね。いわゆるQOLってやつです。
まあそんなことより小人さんに萌えていただければ、こちらとしてはなによりの喜びです。
え? 連載のほう書け? すみません……。なんか気づいたらこんなの書いてました。