第八話
「もうっ、ついて来ないでよ!!!」
耶江が振り向き様に回し蹴りを繰り出した。
「うがっっ!!!!っぶね!」
ウィルが寸でのところで屈んでなんとかそれを避け、そのすぐ頭の上でぶんっと風を切って耶江のすんなりした足が通り過ぎた。
「ちっ・・・。」
いかにも標的を外して残念そうな舌打ち。
ウィルは少しばかり掠った帽子を慌てて脱ぎ、無事を確認する。余程大切な帽子か、もしくは高い帽子なのだろう。
「耶江ちゃん、耶江様、耶江姐御〜〜、アーティファクトさえも失った無力な俺を見捨てないよな!?死んじまうかもしれないだぜ?」
素早く耶江の前方に回り込み、手を擦り合わせて、拝み込む。
「じゃあ死ね。」
冷たく言い捨て、まるで無視するかのようにその隣をすり抜ける。
「ああ〜〜〜〜!!!ひどいっ、耶江姐御、そりゃあんまりだっ、鬼っ、悪魔っ!!」
「鬼で結構、悪魔で結構。だいたい裏切り者を連れて歩く気は無いわ。」
纏わりつくウィルをていっと手で払いのけ、うっ通しそうに睨み付ける。
「ご、誤解だ!!あれは演技だよ!確かに誰かが俺達を付けていた。
仲間割れって形でなんとかあの場を切り抜けようって思ったんだ、信じてくれ。」
ウィルが急に声を落とし、真面目な顔になった。
「だが、まずいことにどうやら奴は龍司の跡を追って行ったみたいだな・・・。」
耶江がふうと溜息をつくと、ふとウィルを振り返った。
「私も気付いてたわ。龍司は気付いていたかどうかはわからないけど・・・、あいつが本気であたしを裏切ったのは確かだわ。ほんとムカツク。」
ふつふつと怒りが込み上げてきたのか、耶江は近くの幹にどうっと華奢な拳をぶつけた。ハラハラと濃い緑の葉が落ちる。
(・・・やっぱこの子、こえぇ・・・・・・。)
「あんたが私を裏切ってないって証拠は?無いならここでぶっ殺す。」
耶江がアーティファクトを取り出すと、いつでもそれを武器として使用する準備をする。
「わ、わかった!わかったから物騒なもんは引っ込めてくれ。」
ウィルが手の平をバタバタと振り翳し、驚いた顔で懇願する。
「あんまりでかい声じゃ言えねえが、俺ぁ山頂にある『あるもの』が欲しい訳じゃない。
他に目的があるんだ・・・・。」
不審な顔をする耶江を前に、ごそごそとスーツの懐の辺りを弄り始めるウィル。耶江は素早く自らのアーティファクトを構える。
「俺の目的は・・・これだ・・・。」
ウィルが差し出したのは、小さな金でできたロケットだ。
「なに・・・?これ・・・。」
耶江がそれを受け取ると、恐る恐るその中を見てみる。
そこには、ウィルに良く似た二十歳前後の娘の写真が入っていた。娘は、幸せいっぱいといった表情でそこに写っている。
「俺の妹だ。」
耶江がちらりと視線をウィルの目に移した。
「三年に一度のこの企画に国が一切関与していないことは知っているか?」
持っていたアーティファクトをゆっくりとポケットに戻すと、耶江は頷く。
「じゃあ、この企画に関与しているのは世界規模の大手薬品会社TDC(Tomy Drug Company)だということも知ってるよな?」
こくりと耶江が頷く。
「俺と妹は二人で仕事をやっていた。これでも裏世界じゃちょいと名の知れた探偵でな・・・、っとこれはまあいいとして・・・。
しかし、二年前急に妹が何者かに攫われちまって、なんとかこのTDCが絡んでいることまで嗅ぎつけた。そして、何やらこの島に関係しているということもな・・・。
狙いは分からないが、奴らはどうやら妙な実験を繰り返し、この島にも変異生物を放している。何かを隠しているに違いねえ・・・・。」
「ふ〜〜ん・・・。なるほどね・・。
でも、まだぴんとこないわ。だって、私は以前にもこの企画に参加してるのよ?
それに、よくこの参加者百名のうちに入ることができたわね?
攫った人間の血縁者なんて、簡単に受け入れるようなことするかしら?」
しかめっ面で耶江は腕組をする。
「実を言えば、俺は参加者じゃない。
百名の参加者の乗る船にこっそり紛れ込んだ百一名目の人間だ。」
いつになく真剣なウィルの目は、到底嘘を言っているようなものではなかった。
「ま、まさか・・・。そんなことあり得ないわ!?
この企画に参加するには、『異界の扉への招待状』が必要なはずよ!」
まだ疑わしいのか、どうもウィルを信じ切ることのできない耶江は、目を細める。
「言ったろ?俺は探偵なんだよ。偽造ぐらいどってこたぁねえ。」
「じゃあ、荷物を変異生物に盗られたっていうのももしかして嘘・・・?」
にやりとウィルが笑う。まるでご名答、とばかり言うように。
「じゃあ、あの龍司が持ってったアーティファクトはどうやって手に入れたってのよ?」
とんっとウィルを軽く押すと、耶江は思わず少し大きな声を出してしまう。
しっとウィルが人差し指を立てて周囲を見回す。
「ありゃあ、変異生物に殺られた可哀想な死体から戴いた物だ。
食い物や他の道具は使い物にならなくなっていたが、奇跡的にあいつだけはちゃんと残っててな。それで使い方が分からないんで、試し撃ちしたところに、ちょうどお前等が来たって訳だ。」
ぽりぽりと髭の生えた顎を掻くと、じっと耶江の顔を見つめた。
「・・・・・・、ほんっとにもう・・・、いつもながらとんでもないお荷物を背負い込む事になったもんだわ・・・、は〜〜あ。」
耶江が頭の後ろで腕を組むと、再びスタスタと歩き始めた。
「・・・ってことは、一緒に行動してもいいってことだよな!?」
ウィルが子どものようにその後を素早く追いかける。
「勝手にしなさいよ。ただし、今度私を裏切ろうもんなら、その場で射抜くからね。」
「よっしゃ、任せろ!」
「じゃ、とりあえず龍司の跡を追うわよ。あんたのアーティファクトを取り返さなきゃあんたも役に立ちそうにないし、それに・・・・・・、裏切った仕返しをしなきゃね、ふふふ。」
真っ直ぐひたすら前方を見つめながら早足で進み歩く耶江は殺意の篭った不気味な笑いを漏らす。ウィルは顔を引き攣らせながら、この少女を怒らせないように努めようと自分の心に誓うのだった。
「かりっ。」
龍司は、木の幹にもたれ掛かりながら、木の実の殻を前歯で砕いた。
口腔内にその砕けた皮が散らばる。
それをぺっと吐き出すと、胡桃のような中身を口に放り込んだ。
味はどちらかというと、栗に近いような感じだ。
ぐにゃりと捻ったような固い殻に覆われたこの木の身は、龍司たち三人が今夜野宿することになったその辺り周辺に多数転がっていたものだ。
木の実が落ちているとなると、山の麓もそう遠くはないだろう。
何十メートルか先で獣の遠吠えが聞こえる。
地鳴りのような不気味な声。
龍司はぶるっと身震いし、不安そうにぐるりと周囲を見回す。
「おい、悟、本当にこっちでいいんだろうな・・・?」
声を落とし、近くで自らの腕を枕に眠る悟に問いかける。
ごそごそと寝返りをうち、龍司に体を向けると、クスクスと癇に障るような笑いも漏らした。
「あら、龍司ったら怖いの?サバイバルは初めてかしら?
可愛いわね〜、不安で仕方無いって感じね?大丈夫よ、私達もいるんだし。」
ちらりと小さく蹲ったまま眠るダイアンを見る。
「べ、別にそういう訳じゃねえよ。けど・・・・。」
「けど・・・?」
言葉を飲み込んでしまった龍司を見て悟るはむくりと起き上がった。
背中には木屑がいくらかくっついている。
「けど、なんだかこの辺り、湿気が多くないか?木の実があるってのに、妙なキノコもあちこちに生えてる・・・。それに、なんだか黴臭い。さっきのあの霧の臭いと言え、どうも引っかかる・・・。」
起き上がった悟るは、ふっと気の抜けたような笑いを口元に含むと、再びゴロリと横になった。
「龍司は気にしすぎなのよ。さ、私はもう寝るわよ?
明日も早いんだから。あんたもさっさと寝ちゃいなさい。」
ダイアンはピクリとも動かないまま、小さな寝息を立てている。
「まあ、それもそうだな・・・。」
悟るは、背中を龍司に向けたまま、糸のような細い眼をさらに細め、音もなく静かに微笑した。
そうよ、さっさと眠るのよ・・・。
ここの木の実は、眠りにつくことで、催眠作用が働くのよ・・・。
一度眠れば、私の術中にかかったも同然・・・ふふふ・・・。
ねえ、ダイアン?
間も無く龍司がうとうとと転寝を始めた。
ダイアンが顔を埋めたまま、息を殺して様子を覗う。
「ダイアン、もう眠ったみたいよ・・・。」
ぼそりと悟が呟き、ダイアンがそれに反応し、長い冬眠から覚めた動物のように、目をギラギラさせて四つん這いで胡座を組んだまま眠る龍司の元へと静かに近寄る。
「・・・アーユースリーピン・・・?」
確認するかのように、眠る龍司の顔を覗き込み、ダイアンが話し掛ける。
しかし、相変わらず旅の疲れもあってか、全く起きる気配もなく、龍司は夢の世界に入り込んでいる。いや、夢さえも見ていないかもしれない。
「なんだ、やっぱり寝てるんだ・・・。じゃ、もう英語で話す必要ないね。」
急にケロリとした顔で、ダイアンがケタケタと笑い出した。
「ばか!あんまり大きな声出すんじゃないの!変異生物が寄って来るでしょ?」
悟がダイアンを諭す。
「ご、ごめん・・・・。けどさ、ほんとバッカだよね、こいつ。」
ツンツンと、龍司の頬を人差し指でつつく。ぐらぐらと頭が揺れるが、催眠作用が働いているせいか、一向に目覚める気配は無い。
「まあね、あのウィルとかいう男に目を付けなくてよかったかもね。
まあ、あの弓女が近くに居ちゃあ、面倒臭いしね。」
悟がダイアンの龍司をつつく手を掴みながらほくそ笑んだ。
「さ、これ以上ここに留まるのは危険だわ。
ダイアン、さっさとこいつに催眠をかけてしまいましょ・・・・!
そして、さっさと荷物をいただいてずらかるのよ。」
悟が龍司の頭をゆっくり持ち上げると、地面に仰向けに寝かせた。
そして、その額に、ダイアンが儀式のときに使用すると思われる三日月型の木彫りのペンダントをかざし、何やら暗示を掛け始めた。
その可愛らしくも残酷な声は、湿った空気を伝い、木々に吸い込まれて消えていった・・・。