第六話
「ふぁ〜〜〜あ」と欠伸をしたのは、紫色の奇妙な服を着た、年の頃30過ぎの細い身体の男だった。
「あんただれよ?」とその男は、少女に尋ねた。が、少女は黙ったまま動かない。
「いゃ〜だ! 心配しなくていいのよォ。あたし、別に悪い者じゃないんだもん。あ〜ら、ごめんごめん。ちょっと驚かせちゃったァ?」
(何だよ、あいつはぁ?! 男のクセに、妙な言葉使いやがって……)
龍司はホッとして、ポケットの中の二つのアーティファクトを確かめるように、外側から撫でた。
(へっへ。俺だけが、二つの武器を持っているって訳だな)
龍司は一人ほくそえんだが、次の瞬間その少女の手から放たれた奇妙な武器を見て、首をすくめた。それは丸い弧を描いて飛び、済んでのところで背後の龍司の首を切り落とす所だったからだ。ブーメランだ!
「ひぇぇぇ〜〜〜!」
叫び声で、その紫の男も龍司の存在に気付いてしまった。
「なぁによぉ! もうお一人居たってわけ? あたしとあんただけかと思ったじゃないの?」
不平を言う紫の男に向って、その少女は何か喋りかけた。罵っているらしいが、どうやら英語のようで、その男にも龍司にも少女が何を言っているか、ほとんど理解できなかった。出来た言葉は、ただ「ファック・ユー!」のみとは。
こんなときにこそ、ウィルが居てくれたら、多分得意げになって通訳してくれただろうに!
「ちょちょっとぉ〜。そ、そんな早口で言われても、あたしには分かんないわよ。それ、そこの坊やも出ておいでよ! あたしは怪しい者じゃないわ。名前は伊賀悟っていうの。こう見えても、れっきとした忍者の子孫なんだからァ」
「は? に、忍者〜? う、嘘だろ?」
「ニンジャ?」
初めてその少女は自分の知っている日本語らしき物を判別して、ニタリと笑った。
「アイム・フロム・オーストレィリァ! アボリジーニ!」
「なんだ、オーストラリアから来たのか」
龍司はほっとして、草原から飛び出した。
「どうりで、ブーメラン上手いはずだよな」
アボリジニの少女は正12面体に戻ったアーティファクトを大事そうにポケットに仕舞うと、不審そうな目付きで二人の日本人を見つめていたが、やがて、
「ダイアン、サーティーン」と短く告げた。
「あ〜ら、大安だって! 大安吉日! すごくいい名前ね」
伊賀悟が手をパチパチ叩きながら小躍りしたので、龍司は(こいつ、馬鹿か?)と思った。けれどもすぐに、ここまで一人で辿り着いたと言うことは、見かけと言葉によらず(?)相当の“猛者”だという事が分かり、身を引き締め、身構えた。
この目の前の浅黒い肌をした少女だって、13歳といえども、気を抜く事は出来ない。ちょっと前までは耶江こそが自分の敵だと思っていたが、どうやらその考えは甘かったようだ。そもそもこの伊賀悟にしても、どういう武器を持っているのやら、皆目分からない。
けれどもあとの二人は、ここで出会ったのも何かの因縁と感じているようではあった。初めてダイアンの顔に微笑みらしき物が浮かんだ。カモシカのような足がスラリと伸び、13歳だがどこか色香が漂っている。
(いかん、いかん。何考えてんだぁ、俺は?)
「せっかく出会ったんだから、途中まで一緒に行きましょうよォ」
と悟はなよなよとした仕草で言いかけた。
「だけど、最後はあたしがいただきよっ」
「頂上に着くのは俺だ!」
「なによっ! あたしこう見えても、以前一度ここまで来た事があんのよ」
「え?」
龍司は驚いて、その言葉を反芻した。「以前来たって事は……」
「そう。あたし、耶江って子に会ってるの。あいつ、ああ見えて相当の使い手なのよ。それにとてもずる賢いし」
(そんなこと、もう知ってるよ)
龍司は顔をしかめた。この悟も耶江もここまでは到達したらしい。ではなぜここから頂上までは辿り着けなかったのだろう?
「あんたが何考えているのか分かるわ」
歩きながら、このニンジャの子孫と称する30男がつぶやいた。
「ここから、何があるのか、と言うことでしょ。それは今に分かるから」
ホホホ、と悟は掌を口に当てて、微笑んだ。
しばらくの間は3人は押し黙ったまま、険しいジャングルの中を歩いていた。この奇妙な10代二人と30代一人の三人連れは、けれどもお互いに事が起これば殺し合いもやりかねないほどの緊張感に包まれ、歩を進めていた。
何かの変異生物が襲ってくるのか? それとも他の魑魅魍魎が? 龍司は絶えず後ろを振り返りながら、いつ耶江とウィルが追ってくるのかビクビクしていたが、どうやらその気配は今のところ全く感じられない。
「考えたら、あの日あたしの元に『異界の扉への招待状』が届いてからだわ」
誰に言うともなく、悟がブツブツ呟くと、龍司もピクリと反応した。
「俺にもそれが来たぞ」
振り返ると怪訝な顔付きのダイアンが、その黒い瞳で見つめ返した。
「ということは……ダイアンにも来たんだな」
「多分、英語でね」と悟が茶化した。
「求める先に何があるかは分からない。けれども、俺たちみんな、何かを切実に求めている」
「ふん、それだけは確かのようね」
悟も相槌を打ったがすぐに緊迫した声で「来た!」と叫んだ。三人が輪になって緊張していると、やがて黒い霧が辺りを包み始め、異様な匂いがし出した。
「これが曲者なの。第一の関門というわけよ」
悟が静かに述べた。