第五話
飛び出してくる変異生物を、耶江は弓で仕留めて進んで行く。
前を歩くその少女を見て、龍司は内心で舌打ちしていた。
耶江と共に来た事である程度の情報は手に入った。まず、湖を越える方法。それに、兵器の名前と、彼女の武器だ。そして、その威力も。
ウィルはどうだか知らないが、馬鹿なふりをしたのは正解だったと思う。元々、湖の中に変異生物がいるだろうとは予測していた事だ。いざとなれば龍司もそのアーティファクトで戦っていた。
ただ、問題なのは耶江自身だ。
参加者である限り、最終的には競争相手に変わりは無い。どこかで龍司を出し抜こうとするのは明らかだ。そうなる前に耶江の武器を見ておく必要があった。
(それ以前に気にくわねぇんだけどな)
正直なところ、龍司は耶江の性格が苦手だった。そりが合わない。
(……そういえば、もう湖には着いたんだよな)
一瞬だけ視線を隣のウィルへと向け、様子を探る。警戒した風もなく、気楽な表情で歩いている。
次に前方の耶江に視線を向ける。
彼女だけでなく誰にも明かしていないが、龍司は密かに特殊な訓練を積んでいる。
「……ん?」
不意に、背後で爆音が響いた。
「始めやがったな」
ウィルが呟く。
背後へと向けた視界の中で、何人かの参加者が争っているのが見えた。互いに足を引っ張り合い、湖の水が引いてできた通路に入れないでいる。
「急いだ方が良さそうね。ああいうのって危険なのよ」
言うや否や、耶江が駆け出した。既に弓はしまったらしい。
「流れ弾は厄介だしな」
「そうじゃないの。変異生物が寄ってくるから」
ウィルの言葉を耶江はすぐさま否定する。
「寄ってくる?」
「そう。何でだか知らないけど、変異生物って人間を狙うのよ」
龍司の言葉に耶江が言葉を返す。
つまり、人間がいると判るような音のする場所へ変異生物は現れやすいという事だ。
「まぁ、俺にゃどうでもいい事だな」
ウィルが笑みを浮かべた。
(――来た!)
瞬間的に龍司は走る速度を速める。耶江を追い越し、向こう岸へと急ぐ。
「ちょっ、龍司!?」
「――向こうまで行く方法を教えてくれた事に免じて今回は見逃しておいてやるよ」
背後で、耶江とウィルの声が聞こえた。
ウィルの気配が耶江を追い越すのが解った。
「ただし、お前は別だ!」
声が聞こえた瞬間、龍司は前方に身を投げ出していた。轟音と共に龍司の真上を銃弾が通過する。前転するようにして受け身を取り、龍司はすぐに起き上がって走り出した。
水に濡れた地面を転がれば服は汚れるが、この際どうでもいい事だ。
「やっぱり仕掛けてきやがったな!」
龍司は言いながら、懐からアーティファクトを取り出す。
耶江はともかく、ウィルは龍司の武器をまだ目にしていない。アドバンテージがあるのは龍司の方だ。
湖の向こう側まで後数百メートルという場所まで迫った時、龍司は足を止めた。
走ってくるウェルに振り返り、アーティファクトをかざす。ウィルがそれを見て銃を向けてくるが、その瞬間には龍司がウィルへと踏み込んでいた。
今まで走って来たウィルは急に止まれず、龍司の接近に対応しきれない。懐に飛び込んだ龍司はそのままアーティファクトを結晶状態のまま掴んでいる右腕で肘打ちを繰り出し、ウィルの横っ面に叩き付けた。
「――っ!?」
よろめくウィルの右手を空いている左手で掴み、肘打ちを繰り出した右腕をフックのように絡め、同時にウィルの軸足を払って背中から押し倒す。
「悪ぃな、元々俺は誰も信用しちゃいないんだ。そんな簡単な手にはひっかからねぇぜ」
ウィルに告げ、龍司は彼の右手からアーティファクトの銃をもぎ取った。アーティファクトはウィルの手から離れた瞬間、結晶状態に戻る。
湖まで、と言ったウィルは必ず仕掛けてくる。そう龍司は踏んでいた。湖に着いた瞬間に行動を起こさなかった事から、向こう岸に辿り着く前に仕掛けてくると予想した。ウィルにも叶えたい願いがあるのだ。それを考えれば、最終的には敵なのだから。
「はぁっ!」
呼気と共に腕を捻り上げ、ウィルの右肩の間接を外す。
「ぐあぁっ!?」
呻き声を上げるウィルから離れ、龍司は二つのアーティファクトをジャケットの内ポケットへ放り込んだ。
「人殺しは趣味じゃないんで、これだけで勘弁しといてやるよ」
言って、龍司が走り出そうとした瞬間、足元に弓が突き刺さった。
「待ちなさい! 私を置いていくつもり!?」
「元々俺はお前を信用してないんだ。ここで別れる」
「私は頂上付近までって言ったはずよ?」
「同行する事には応じたけど、そこまで同行すると言った覚えはないぜ」
足元を唸りながら転げ回っているウィルを蹴飛ばして黙らせ、耶江が歩いて来る。耶江が進み出るのと同じ分だけ龍司は後退した。
「――俺の武器を返せぇ!」
地面を転げまわったせいで泥だらけになったウィルが左手で耶江の足を掴んだ。
「きゃぁっ!? 汚い! 触るなっ!」
喚き、耶江がウィルを蹴飛ばしている隙に、龍司は駆け出した。
「あっ!? 龍司! こらっ! 待ちなさいよ!」
足を掴まれて弓を使えない耶江の叫び声が聞こえるが、龍司は無視した。
「これ以上付き合ってられるか……!」
吐き捨て、龍司は湖を越えた。
岸に辿り着いて直ぐの森の中に駆け込み、身を潜める。そのまま森の中を進み、十分な距離を置いてから龍司は一息ついた。
泥だらけの服とバッグの汚れを、雑草を引き抜いて半ば強引に拭き取る。防水加工の施されたジャケットを着ていたため、泥は完全に落とす事ができた。ズボンに跳ねた泥はできるだけ拭き取っておく。
その上で、遅めの食事を齧った。
中央の山がかなり近くに見える。だが、その山頂は雲を突き抜けていて見えない。山道自体もかなり急勾配になっているようで、登るだけでも二、三日ぐらいの時間はかかりそうだ。変異生物や参加者の事を考えれば、更に時間がかかる。
十日間の期日のうち、既に二日が過ぎている。あと八日、正確には七日のうちに山頂に辿り着かなければならない。
(待ってろ、俺が、必ず――!)
心を落ち着け、決意を固めて、龍司は立ち上がった。
周囲に注意を払いつつ、龍司は山の方角へと歩き出す。懐には右手を突っ込み、いつでもアーティファクトを出せるようにしておく。
風が草木を撫で、揺れた枝や葉が音を立てる。
息を潜め、気配を殺し、龍司は森の中を進んでいった。
不意に、木々のない一本道が見えた。それが基本的には道筋となっているのだ。龍司はその道には出ず、少し距離を置いて道に対して平行に進んで行く。
(――ん?)
それから一時間ほど経った頃、道の方に人影が見えた。
一人で歩いているらしいが、それよりも目に止まったのは、その人影の身長だった。
かなり低い。明らかに龍司よりも年下に見える少女が道を一人で歩いている。そこに表情は見えず、ただ進んでいるようにしか見えない。最年少の参加者かもしれない。
龍司の存在にまだ気付いた様子はないが、警戒を強める。
ここに至るまでに、一度は必ず変異生物の強襲を受けているはずだ。それを考えれば、少女はその戦闘を切り抜けてここにいる、という事になる。どんな状況だったにせよ、切り抜ける実力と運を持ち合わせているのならば、それは注意しておかなければならない。
少女に気付かれぬよう、足音が聞こえぬように龍司は距離を取る。
(……やけに静かだな……)
その時になって龍司はようやく気付いた。
湖を越えてからというもの、鳥の鳴き声が聞こえない。小動物の姿も見かけなかった。
(危険って事か……?)
龍司がその推測をした時、道を挟んだ向かい側で物音が聞こえた。がさがさと乱暴に葉を鳴らす音が続き、少女がその方向へ視線を向ける。
変異生物かもしれない。その場合、場合によっては龍司も狙われる危険がある。そう考えた龍司は立ち止まり、様子を探っていた。
(――来る!)
知らず、龍司は身構えていた。