第五十話
タァンタァンタァン!
三つの銃声が鳴り響く前に、サマンサは近くの物陰に隠れた。ギィンと弾丸が跳弾する音が響く。
「くっ……」
「おいおい、どうしたよ?逃げてるだけがアンタの戦い方か?」
ウィルの狂笑が轟くが、サマンサには対抗するすべはない。何せ相手は銃を持っているのだ。それも、ジャム(弾詰まり)なしの弾切れなしという、ある意味強力なアーティファクト。
龍司や耶江らのアーティファクトは確かに脅威に値するが、こういった物陰のある場所では、銃ほど怖い物はない。しかも向こうは銃を熟知している。証拠に、近距離では最低三回の発砲というのが銃撃戦時の鉄則なのだが、それを守っている。
(兄貴……本当に、私を殺すというの?)
違う。ウィルはそんな事はしない。あれは兄ウィルの姿を借りた別の者だ。
極めて適切に、迅速に、大胆に。兄の皮を被った奴を無力化しなくてはいけない。
耶江は死んだウィルを助け出すと言っていたが、恐らくそれは無理だろう。何より十字教では死者転生は御法度だ。最後の審判の時に魂が還元しなくなる。神に誓ってそんな事は出来ない。
(……ごめん、兄貴。多分、私は、アンタを殺す)
生かして倒すのではなく、殺して救う。これ以上、あの顔で、あの声で、何よりあの姿で、奴が喋る事が我慢ならない。
(その為には、まず、考えろ!)
手順を。
(まず私には何が必要だ?)
武器を。
サマンサは首を小さく動かして、辺りを見渡す。
そこは、石畳の古風な住宅街。ヨーロピアンなら誰もが見慣れた、水路都市の一部だ。
隠れる場所が多いのは今のサマンサにとって嬉しい事だが、それは好機と危険を兼ね備えていた。
何せ向こうは反則じみた銃を持っているのだ。映画などでよくやる『銃を取り上げる』というのは、あまり現実的ではない。間合いとしては向こうの方が広い上に、頭が切れる。絶体絶命(In a desperate situation)という言葉がふさわしい。
「このまま引き分けに持ち込むつもりか?俺は別にそれでも構わねぇぜ。俺自身が生き延びれりゃ問題ねぇ!来ないのかよ、この娼婦!」
(うるさい!うるさいうるさいうるさい!兄貴の声で私を侮辱するな!)
心中で泣き叫びながら、サマンサは考える。声の距離からして、約一〇メートル。さっきから一歩も動いてないらしい。しかも自信に満ち溢れている。
思えば、前ウィルと現コワルスキーの父の相違点は、自信に満ちている事以外なのかも知れない。
†††††††††
サマンサは、八つ年上のウィルを、ある意味尊敬し、そして一人の男性として意識してもいた。
日頃から誰に対しても紳士であり、かつ成績優秀・運動抜群な上に容姿も良かったウィルは、常に周囲から羨望の眼差しを浴びていた。またそれはサマンサにも言えた事だ。
ウィルに非凡な才能はない。むしろ平凡だったからこそ努力家だった。どちらかと言えば努力なしに高みに昇るのはサマンサの方だ。
しかし、それでも。
サマンサは努力するウィルの姿を見て、胸を高鳴らせる事が多かった。
まずサマンサは、ウィルに近付く全ての女性を、殺しこそしていないが社会的に排除する事に成功した。勿論、証拠を残さずに。
ある程度の女性を引き離したところで、次にサマンサは戸籍を調べた。もしかしたら血が繋がっていない可能性があるからだが、残念ながら実兄という事が判明しただけだ。
だがそれでもサマンサは諦めず、ウィルの探偵事務所の秘書兼助手を務める事にした。それからの共同生活はサマンサにとって充実したものだった。常にウィルの傍に居られるというのは、至福以外形容のしようがない。
ウィルに対し自分の胸の内を決して明かさなかったのは、それは彼女自身の良心がそうさせたからだ。
そしてウィルが死んだと発覚した今、兄を殺す事で救うという行為に間違いはないと、心の底から思っていた。
†††††††††
(……殺す。……殺す?私が兄貴を?)
殺す。それは呪詛に似ている。或いは強迫観念。
抵抗はある。だが殺さなければウィルは救えない。だから殺す。
抵抗は?自問する。
ない。自答する。
サマンサは物陰から物陰へと瞬時に移動する。「そこだァ!」ダァンダァンダァン!弾丸は運良く当たらないまま、サマンサは薄暗い路地へ跳び込んだ。
(これで私は側面から攻め入れられる。逆に『奴』は私を見失う事になる)
ウィルではなく、『奴』。サマンサは益々決心を固めた。
サマンサは改めて辺りを見渡す。使えそうな物がどこかにないか……。
とにかく、『奴』に銃を使えない状況を創らなくちゃいけない。本当はガソリンや高純度テキーラみたいなのがあれば一番手っとり早いのだが、残念ながらない。
目に付くのは道端に転がっている鉄パイプくらいだろうか。あと、拳大くらいの石が二つ三つちらほらと落ちている。そして――別れる前に密かに耶江にもらった物が一つ。
(……さて、どうする?)
例えるなら、それは飛車角どころか金銀落ちの将棋。ルーク、ビショップ、ナイト抜きのチェス。レーシング仕様の車に対し、原付バイクでゼロヨンをする様なものだ。
(……でもね、残念。もう決めてるの。アンタを殺すって)
今なら分かる。自分がどれだけ欲深く、嫉妬深いかが。
そして、どれだけ異常か。
いや、それは初めからか――。サマンサは自嘲気味に自虐気味に嗤った。
†††††††††
(クソッ、どこに行きやがったあのクソアマァ!)
ウィル――いや、『そいつ』は焦っていた。ウィルの知識を受け継いだ『そいつ』は知っている。サマンサの天才ぶりを。
耶江やコワルスキー程ではないものの、少なく見積もってもキーファ並の頭脳はある。IQ130というのはなかなかの脅威だ。
しかし。しかし、だ。頭脳の程度で言えば『そいつ』も負けていない。更にウィルの運動能力も兼ね備えている。まさに最強だ。
もっともその最強というのは、あくまで一般レベル。龍司や優牙の様に桁外れな力はない。
(ま、この空間にいる限りはあの化け物どものイタチごっこのとばっちりを受ける事もねぇし、ずっとはイヤだがここなら安全だしな)
ククッ、と『そいつ』が咽を鳴らして笑っていると、コツン、と何かが足下を転がった。『そいつ』が視線を落としてみると、小石が転がっていた。
「……ようやく覚悟を決めたんかよ、待ってたぜクソ娼婦!」
振り向くとそこには、鉄パイプを左手に、服の袖を引き裂いた布切れを右手に持ったサマンサの姿。路地から姿を現し、敵意を隠す事なく剥き出しに『そいつ』を睨み付けている。
「歯ァ磨いたか?首ィ洗ったか?命乞いする準備は出来てるか?激痛に小便漏らさねぇ様にトイレにゃ行ったかァ!?」
ジャカッ!『そいつ』はアーティファクトの銃口をサマンサに向けた。
口元には下卑た微笑み。紳士らしい口髭だけが不釣り合いだ。
二人の距離は一〇メートル。とても一足で飛び込める距離ではない。
「……人類が最初に考えた遠隔武器って何か、知ってる?」
「あん?」
サマンサはポケットから拳大の石を取り出しながら呟く。
「弓でもなければボーガンでもない。勿論銃なんかあり得ないし、ミサイルなんか論外」
石を布切れの真ん中に絡ませ、折り畳んだ布の先を握り締め、
それを回転させ始めた。
驚愕した表情で『そいつ』は石を振り回すサマンサを見つめる。回転はどんどん加速し、運動エネルギーを蓄えていく。
「答えは投石。三キログラムの石でさえもイノシシを殺す。現在でも過激派武装テロでは投石を行う。頭に当たればそれだけで死ぬ。そんな凶器に、遠心力という運動エネルギーを加えたら、どうなると思う?」
物理的な衝突エネルギーというのは、運動エネルギー×位置エネルギーとなっている。運動エネルギーとは『物体がどれだけ動いたか』の力、位置エネルギーとは『物体がどれだけ移動したか』の力である。そして力点と支点を中心に作用点を一定に回転させる遠心力というのは、これら二つを効果的に兼ね備えた現象なのだ。
衝突エネルギーというのは、言い換えれば静止エネルギーだ。物体は貫通するより静止した場合の方が物理的なダメージを与える。銃弾で考えれば、普通のラウンドノーズ方式弾丸よりホローポイント方式弾丸の方が殺傷力が高いと言われる所以はここである。
話を戻すが、布にくるんだ石を回転させて投石を行うというのは、なまじ衝突エネルギーが高すぎる為に、失敗すれば自滅の恐れさえもある。もし石を放す前に足に当たれば複雑骨折、頭に当たれば即死は免れない。今のサマンサの様に高速で回転させていれば尚更だ。
「ふん」
鼻で笑う様な吐息を漏らし、サマンサは石を放つ。拳大の石はとんでもない速度で『そいつ』の髪を掠め、背後に聳える住宅に激突した。ボゴン、と鈍い音がして壁が砕けた。
「今のはサービス。次は当てる」
「なっ、かっァ、ぃ……ッ!」
声ならぬ声を上げ、『そいつ』は電気ショックを当てられた様に硬直する。その間にもサマンサは石をかつて袖だった布切れにくるんでいく。
(い。ッや、待て、落ち着け俺!今はどっちが有利だ?銃を持っている俺に決まっている!怯むな、殺せ!)
ヒュン、ヒュン、ヒュン。だんだんと力強く、風を唸らせる石の音色。まるで音楽を歌う様にリズムを刻む。その音に我に返ったのか、『そいつ』は銃を構え、サマンサめがけて発砲した。
しかし、そこにサマンサはいなかった。
「な。に?」
代わりに飛んでくる、拳大の石。それは『そいつ』の頭めがけて飛んできたが、あまり回転してなかったのが幸いし、横に飛ぶ事で何とか避ける事に成功した。
「ぐぅ、ックソ!」
捨て身の飛び方をした為に体勢を崩したが、前回り受け身を取って即座に体勢を整え、瞬時に辺りを見渡す。
いた。布切れを捨てて鉄パイプを両手持ちしたサマンサが左舷から突っ込んできていた。どうやら回り込む事で一時的に視界から消えていたらしいが、それが幸いしたのかまだ四メートルは開いていた。
「ち、ク、ショウがぁ!」
銃を構え、発砲しようとしたが、サマンサはその前に鉄パイプを投げつけてきた。思わず反射的にそっちに反応して仕舞い、銃で迎撃する。
(しまっ……!)
いくら中身が別人とは言え、身体はウィルの物だ。反射神経が良すぎる分、逆に考えとは裏腹な考えが出て仕舞う。
ウィルの癖や特徴を知り尽くしているからこそ出来た事である。
二人の距離は二メートル。サマンサは身軽に走り、『そいつ』は銃の反動で動けない。
「なっ、待――てッ」
「歯ァ磨いたか?首ィ洗ったか?命乞いする準備は出来てるか?激痛に小便漏らさねぇ様にトイレにゃ行ったか?」
距離、五〇センチ。サマンサはサッカーのPKの様にキックを放ち、ウィルは反動を無視した無茶な体勢で銃口をサマンサに向けた――。
†††††††††
「ぐっ」
「がっ」
二人は同時に呻き、それぞれ崩れ落ちた。サマンサは左肩を押さえ、『そいつ』は手首を押さえて。
『そいつ』ががむしゃらに発砲した弾丸がサマンサの左肩を掠めた瞬間、サマンサのハイキックが『そいつ』の銃を弾いた。どちらも必殺の一撃と言うには程遠いものの、そのダメージは雲泥の差だ。
カシャン、と。銃が離れた場所に落ちる。
「ちぃ!」
手首を押さえたまま、『そいつ』が我先にと銃に向かって走――
「動くな!」
――ろうとした瞬間、サマンサが叫ぶ。『そいつ』は動きを止め、サマンサに振り返る。
サマンサの手に握られているのは、
黒光りするイタリア製の高性能自動拳銃・ベレッタM92F。
それこそが、耶江がサマンサに渡した切り札である。
「……動いたら、分かってるわよね?」
重厚感のある合金チタンフレーム。見慣れた形状に、微かに漂う芳しい硝煙の匂い。間違いなく本物だ。
動けない『そいつ』の前を横断する形で、ジリジリと正二〇面体物質に戻ったアーティファクトに近付くサマンサ。銃を両手で構えているが、アーティファクトを取る為に、しゃがみ込みつつ左手を延ばした。
二人の距離はそこまで離れていない。怪我をした左手では掴みにくいらしく、サマンサがほんの一瞬だけチラリと視線を落とす。
――その隙を『そいつ』は見逃さない。
「ヒャハッア!」
今度は逆に、サマンサは右手首を蹴られ、銃を弾かれた。『そいつ』が宙に浮かぶ銃に飛びつき、サマンサがアーティファクトを拾い上げ、同時にバックステップ。再び、一気に差が開いた。
「ふぃ〜……もしかしたらモデルガンやガスガンかと思って冷や冷やしたが……この重量、感触、間違いなくM92Fだな」
カショッ、『そいつ』はサマンサを見ながら銃の上部をスライドさせる。その際にちょっとした『しこり』の様な違和感を感じた気がするが、気にしない。そんな事より彼は一種のエクスタシーを感じていた。
「俺の勝ちだ、サマンサ」
優しく。
その柔らかな声は聞き覚えがある。それはまさしくウィルそのもので、サマンサは吐き気がした。
『そいつ』はまるでウィルの様に微笑み、次の瞬間には相変わってニタリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……そもそも、俺を殺す事だけを考えてりゃ良かったなァ!陰から投石で狙い撃ちャアこんな事にゃならなかったのになァ!」
そうしなかった理由はある。それは『そいつ』にも分かっているが敢えて口にした。
全ては、サマンサを絶望に突き落とす為に。
「テメェは綺麗に勝とうとし過ぎた、だから負けたんだよ!」
「……私は、殺す、事が目、的じゃない。兄、貴を救う、事が、目的だ。不意、打ちなんて、出来る、筈が、ない」
左手にアーティファクトを持ち、右手で肩を押さえながら、息も絶え絶えに呟くサマンサ。苦痛の表情は、ますます『そいつ』に快感を与える。
「……それに、私がアーティファクトを持っている事を忘れないで」
「忘れちゃいねぇさ。……でもな、既に正二〇面体に戻ったそれを何らかの武器に具象化し、俺を殺すのに2アクション。対する俺はただトリガーを引くだけの1アクション。さぁ、どっちが早い?」
「……そうね。それならアンタの勝ちだけど、でもね、」
苦痛の表情は一変し、勝利を確信した笑みへと変わる。
「一つ問題。『どうして私は最初からその銃を使わなかったでしょう?』」
「……は、」
ギクリと、『そいつ』は肩を震わせた。
パキン。正二〇面体が変質する。
それは、ウィルの物と似た形状の、拳銃だった。
「……なんて皮肉。まさか私の『も』銃だなんて、ね」
カタカタカタ、と。何かが震える音が聞こえると思ったら、『そいつ』の手が震えていた。音の正体は銃だ。
「さて……何だっけ?私が2アクション、アンタが1アクションだっけ?……ホラ、1アクションとったわよ?さっさとアンタのアクションを起こしなさいよ」
「ぐ、ッう、ぁ、あ、ア。ッァァァアアアアア!?」
ガギッ。力の限りトリガーを引こうとした『そいつ』だったが、銃のトリガーはピクリとも動かない。安全装置が固定されている訳ではない。先程スライドしたのだから間違いない。
銃の重量や重厚感、質感やディティールは間違いなく本物。にも拘わらず動かない。
(待てッ――これはまさかッ!?)
「もう想像はついてるわよね?」
ゆらりと立ち上がりながら、サマンサは甘露に優雅に妖艶に囁く。
「それは無稼動銃。内部機構を全て溶接した、本物である偽物。
この島に来る際、危険物の持ち込みがないかチェックがあったらしいじゃない?まさか銃なんて持ち込めると本気で思ってた訳じゃないわよね?」
ゆったりとゆっくりと。両手で銃を支えながら、『そいつ』の胸をポイントする。
「クッ、カヒッ、キシシヒヒ、クカキカキヒヒクカカカカカカカカカカカカカ!」
狂笑。質の悪いラジカセが壊れた様に、『そいつ』は嗤いながら両手を広げた。その様はまさに、堕天使にそそのかされた天使の様に、まるで両手が翼である様に。
「最後に、私に言う事があるんじゃない?」
「ギャハハッ。死ねよ娼婦」
「最初から期待してない」
発砲。数発の弾丸は銃口から飛び出し、綺麗にお行儀よく『そいつ』の心臓を喰い破った。
「……さよなら、兄貴」
倒れゆく『そいつ』――否、ウィルを見つめながら、サマンサは銃を見つめる。
「天におります主よ、お赦し下さい」
そのままこめかみにつけ、発砲。
全ての音が止み、空が病み、何もかもが闇となった。
†††††††††
サマンサ×―×偽ウィル(両者ノックダウン)
†††††††††
「……シード?」
「そうじゃ。この勝ち抜き戦で、勝者はたった三人じゃからのぉ。誰か一人がシードとならざるをえんのじゃよ」
シャオを見つめる人間は三人。龍司、優牙、耶江の三人である。
「で、誰と誰が戦って、誰が休んでるんだい?僕としては、ベストな状態で龍司と戦いたいんだけど?」
「……私もそれで問題ない」
「異議なしだ」
三者の意見は合致した。シャオは「ホッホッ。青いのぉ」と笑った。
「……龍司。決着をつけようか」
「ほざけ、低能」
決して互いと視線を合わせる事なく、しかし互いに睨み合うという奇妙な行動をとる二人は、シャオの手により別の空間へと飛ばされた。
だからこそ、誰も気付かない。
キーファを殺して仕舞ってからずっと俯いていた耶江が、静かに口元に笑みを浮かべていた事に。