第四話
個は群。
群は群。
個体は必ずしも群に紛れる。相対的な意識は常に他者に委ねられ、定められる。ないし評価とはそういったものであり、それは個では意味をなさない。
確立する世界は等しくして群であり、個は絶対的にあり得はしない具現に帰す。個は原因であり群は現象。
停滞。
怠惰。
欺瞞。
得てして求める先にあるものは、個であるべきか群であるべきか。一人称か三人称かの違いでしかなく、しかしこの相違は限りなく大である。
人は他者との介入により繋がれたと錯覚する。それは詭弁である。消滅の時が来れば、孤独を知る。
では。
人は、先を求めるべきではない。含有する欲はやがて群より個へと移ろう。だから人は壊れる。完璧であればある程に『生』に固着し『死』を恐れる。
もし、人が求める先にあるものを識れば、
人は個を自覚する。錯覚が消失する。
湖まで難なく来てしまい、龍司はホッと嘆息した。逆に、ウィルは出番がなくガッカリしていた。
「変異生体に出くわす事なく、着いて仕舞ったな……」
ウィルのガッカリ度数が増えた。
「だから言ったでしょ。湖まで来るのは簡単なんだって。大変なのはこれからよ」
リュックを担ぎ直し、耶江は呟く。更にウィルのガッカリ度数が増える。
「ともかく、まずはイカダ作りだな」
「必要なし」
気合いを入れ直し、森の木に向かい合いながら呟く龍司に間髪入れずに答える耶江。龍司もガッカリした。
「ウィル……さん?オッサンもここ初めて?」
「オッサン言うなッ!俺はまだ三〇だ!(四捨五入)」
「ごめん。私から見たらオッサン。んで、ここ初めて?」
「………………(怒)。まぁ、初めてだ」
何かを諦めたのか。ウィルは渋面のまま頷く。あっそ、と耶江はどうでもよさげに呟き(ヒドい)、ケータイを取り出して時刻を確認する。
二日目の夕方。リミットは十日まで。湖に来るまでに随分と時間を喰って仕舞ったが、まぁこれで島の四分の一は淘汰した訳で、と耶江は心中で呟く。
「だったら、ここの渡り方を教えとく。私に感謝し敬いなさい」
「……何だその尊大な態度は」
スーツパンツのポケットに手を突っ込んだまま、ウィルが脂汗を浮かべていた。
「イカダ作らなくていいって、どういう事?」
ようやくガッカリ状態から復帰した龍司が訊ねる。ステータス状態から『ガッカリ』の項目が消え、代わりに『こんらん』が増えた。
「……ステータス状態って、何だ」
律儀にナレーションに突っ込む。そして耶江は表情を崩さずに無視した。
「まずめって言葉、知ってる?」
「まずめって、釣りの?」
「そう。魚が釣れやすくなる時間帯。
水温や光反射率もさる事ながら、釣れやすくなる一番の原因は水位。太陽や月が空にない時間帯があって、引力による潮の引きが発生するから、一時的に水位が下がる。魚の密集率が僅かに上昇するだけだけど、それだけ餌が目に映りやすくなるから効果抜群って時間帯。大体、九時から十二時と十六時から二〇時くらいが『まずめ』って呼ばれる時間帯なの。
そして、この湖は、元からそんなに水位が深くない。意味、分かるよね?」
「はい先生」
ウィルが挙手した。
「はいウィル君」
「つまり、まずめの時間帯は湖の潮が引き、自然の橋が架かると言う事でしょうか?」
「正解です」
「わーいやったー!」
「猿でも分かる問題に真顔で答えてくれて先生は嬉しいです」
またウィルはガッカリ状態に陥った。
耶江はそれを無視して(ヒドい)再びケータイの時刻版に目をやる。龍司は哀れみのこもった視線をウィルに送りながら、心中で合掌した。
「なるほど……だから急いでも意味がない訳だ」
「そゆ事」
だがそうなると、龍司は一つだけ疑問に思う事がある。どうして湖に辿り着くまでが安全で、それから先が大変なのだろうか。
その事を耶江に訊ねようとした時、龍司は見た。
湖が、まるで聖人の戒の如く、ザザァと引いていくのを。
勿論、そんなに早く引いた訳ではない。しかし、夕日が沈む様にあっさり、ゆっくりと湖が割れて道が出来上がった。
「うわぁ……」
幅にして二メートル弱。湖をサイドに分けた、自然の道が出来上がった。夕暮れの紅光を浴びて、とても幻想的に。
水気のある橋は、紅く輝いていた。
「大変なのはこっからよ」
「うおぉぉぉ!」
叫びながら、龍司は突っ走る。耶江の忠告も聞かずに。パシャパシャと水が跳ねる。
「待てよ!俺が先だ!」
ガッカリ状態の抜けたウィルが龍司の後を追う。ピキリ、と。耶江のこめかみに青筋が浮かぶ。
(この、ツートップ馬鹿ッ……!)
付き合う人選を誤った。今はただひたすらに後悔しながら、二人の後を歩いて追う。
「大変なのはこっからよ!」
テンションに相違はあるものの、耶江は同じ言葉を繰り返した。そこでようやく我に返ったのか、二人の馬鹿は背後の耶江に振り返る。
と、同時、
ザザザザザザザザザ!
二人の視界の端。湖の中に、走る陰が見えた。
『……えっ?』
強ばる声は異口同音に。
「変異生体は、何も陸上だけじゃないって事よ」
ハァ、と嘆息しながら、耶江が呆れながら呟く。
バシャアァッ!
水を巻き上げ、
陰は空を舞い、
シルエットは異形のまま、
それを、二人は口をあんぐりと開けて、呆然と眺めていた。
「まったく、世話の焼ける……」
知覚情報は瞳孔を通じ水晶体に到達。反射は硝子体を経て網膜を刺激し、視神経から情報が光速で脳に送られる。僅か0・2秒のプロセス。
逆光により、黒いシルエットの『それ』は、シルエットにも拘わらず醜いと表現してなおお釣りがくる。
つまり、これは、曰く、
『出たァァァァ!』
やはり声は異口同音。異形の変異生体を認知した二人は、身構える事もなくその残虐性のある爪により引き裂かれる。
――筈、だった。
ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ!
が。
引き裂かれる直前で、変異生体は横からの攻撃により、吹き飛ばされた。
ドシャッ、と鈍い音をたて、計四匹の変異生体は湖の橋に落ちた。グッタリとしたまま、絶命。
「……やっぱ、一人の方が良かったかしら」
呆れ声のした方を見てみると、耶江が立っていた。身体を真横にしたまま。硬直した様にピクリとも動かない身体と対照的に、栗色のポニーテールだけがユラユラと揺れている。
平坦そうで実は割とふくよかそうな胸元には、深緑色の胸当て。左手には、小柄な身長の一・五倍はありそうな長さの長弓。右手には、長弓の弦につがえた矢が存在していた。
「き、弓術……か……」
誰にでもなく、龍司が呟く。恐らく、この装備こそが耶江の使う兵器の形なのだろう。日本式の弓の技。
「アンタら、どこまで世話焼かせる気よ?」
「……ドウモアリガトウ(汗)」
緊張した様子で、ウィルが苦く笑う。
耶江のトンデモ速射は、見事なまでに変異生体の身体を貫いていた。
おまけに、用心棒はあまり役に立たない様子。耶江は落胆をオーバーに表現し、肩を落とした。
「白木弓、銘は重清永。これが私のアーティファクトよ」
パリン、という硝子が割れる様な音と共に、長弓と胸当ては正二〇面体の謎物質に戻る。
「一切の飾りを無くした重清永は、攻撃力に特化した弓。射殺せないものはない」
弓とは、ひたすらに殺人の武具である。秒速六〇メートルで飛来する矢は、貫くのみが目的だ。強い、弱いという言葉には『弓』という文字が用いられる。飾りのある破魔弓などはは引きが『弱』く、飾りのない純粋な弓は引きが『強』い。これらの言葉の由来は弓術から来ている程に、弓の歴史は古い。
「ほら、さっさと行くわよ」
ツカツカと前を歩く耶江。龍司とウィルは、従うほか無かった。
「なぁ……アーティファクト、って何だ?」
おずおずとウィルが訊ねる。龍司も気になっていたのか、コクコクと首を上下している。
「Artifact。日本語で人工物。でもここではこの兵器の名称。Do you understand,fool guys(分かったか馬鹿野郎ども)?」
「い、イエス!」
「理解しました、Sir(上官)!」
渋面と苦笑を足して二で割った様な表情を浮かべ、二人は別に答えた。龍司はさっきよりも首を大きく縦に振り、ウィルは何故か敬礼をしている。
ハァ。何度目だろうか、耶江はため息を吐いた。
(……人選を間違った気がする)
このサバイバルに参加した人間に若干一名、味方をしようとしている奴はいる。だが奴は当てにならない。何せ、嘘が服を着て歩いている様な奴であり、信用ならない。それに別に親しい訳ではなく、前回知り合っただけ。
(……結局、頼れるのは自分だけなのよね)
心中呟く。嘆息。
個は群。
群は群。
群を自覚しながらも、個は存在する。それは錯覚。
錯綜する×。そこに個は存在しない。
個はあくまで群の一部というだけで、群は群に過ぎない。それは現象である。
家族。友達。仲間。
言い方は違えど、それは現象。