第四十二話
サマンサを見た瞬間、ウィルが駆け出した。声を上げる事すら忘れて、走り出している。針路上には、キーファとコワルスキー、そして、ゼロがいる。
三人がウィルを見て、身構えた。
だが、当のウィルには彼等が目に映っていないのか、攻撃に備える様子はない。
動き出したのは、耶江を除く三人だ。
ナイアがキーファの鼻先に拳を突き出すように寸止めをし、動きを止めさせる。パウザはコワルスキーの胸元へと音叉を突き付ける。
「どけ、龍司っ!」
ウィルの正面に割り込んだ龍司は、振り返ると同時にウィルの頬を殴り付けた。吹き飛ばされ、ウィルが地面に尻餅をつく。
その行動に、龍司を除く全員が驚愕に目を剥いた。
「あほか、お前は!」
「何しやがる!」
立ち上がるや否や、ウィルは物凄い剣幕で龍司の胸倉を掴む。
「少しは周りを見やがれ!」
いとも簡単にウィルの腕を振り払い、龍司が怒鳴り返す。
「サマンサがいるんだぞ!」
「それぐらい見りゃ分かる!」
「なら――」
「うるせぇ! テメェの頭ん中には妹の事しかねぇのか!?」
言葉を遮った龍司に、ウィルがアーティファクトを拳銃に変えた。
「邪魔をするっていうんなら、お前でも撃つ」
背筋に寒気が走るほど冷淡に、ウィルは告げた。周りにいた誰もが、ウィルから一歩後退っている。
だが、龍司はその銃を掴んだ。同じぐらい冷酷な、据わった視線をウィルに返して。
「そうやって、ただ突っ走るから、サマンサも守れなかったんだろうが――!」
底冷えのするような低い声音で告げる龍司に、ウィルがようやく表情を変えた。
「無事に取り返したいんなら、まずは状況を見ろ。サマンサを人質に取られたり、お前が近付いたせいて殺されたりしたらどうするつもりだ」
龍司はそのままウィルからアーティファクトを奪い取り、槍へと変化させる。
水を纏った槍を地面に突き刺し、龍司はウィルを見据える。槍から溢れ出る水が、地面を濡らしていく。
「元々、お前は戦いに向いてない」
それだけ言うと、龍司はゼロへと向き直った。
「悪ぃけど、その子、返して貰うわ」
一転して、普段の調子に戻った龍司はゼロに言い放った。笑みを浮かべながら。
「何を――!?」
龍司の行動や態度の変化に、ゼロがうろたえる。
その隙を見逃さず、龍司は槍を更に地面深くへと食い込ませた。突き刺した瞬間から地面の下を進ませていた水流の流れに意思を伝える。
刹那、サマンサの周囲から水流が吹き上がった。その水圧がサマンサを拘束していた機器を全て断ち切る。そして、水柱の中からサマンサだけが弾かれるようにして吐き出された。
吹き飛ばされるように向かって来るサマンサを龍司は受け止め、唖然としているウィルの前に突き出した。
「これで満足だろ? いいから下がってろ」
それだけ告げ、龍司は槍を引き抜いた。
「お〜、やるッスねぇ」
感心した様子でナイアが言った。
「……それで、ここが、異界の扉の前か?」
パウザはコワルスキーに音叉を突きつけたまま言った。
部屋には、壁とでも言えるような大きな扉が見える。
「まぁ、そうだね。参加者達の目標地点だ」
キーファが言う。
「ふん、その娘を生贄にしようと思っていたが、まぁいい……。お前等全員を生贄として、扉を開けてやる」
その言葉に、ゼロへと視線が集中する。
「やってみる?」
弓を作り出す耶江。
「その前に貴様を始末してやる」
鋭い視線を飛ばすコワルスキー。
「どっちに着くか、悩む所だね」
含み笑いを浮かべ、キーファ。
「お前に殺されるつもりはない」
もう一方の手に音叉を作り出し、パウザ。
「死んだらお願いできないッスからねぇ……」
キーファからゼロへと向き直るナイア。
ウィルは部屋の隅でサマンサの容態を確認し、傷の手当てをしている。
「シャオの気配がない……優牙もいないな……」
龍司の呟きに、全員の視線が集中した。
「……多分、扉を開けるのに生贄なんていらないんだろうな」
「どういう事?」
龍司の言葉に、耶江が眉を顰める。
「シャオは、扉の番人と言っても問題ない。それに、扉を開けようとしているのは優牙も同じだ。あの二人がこの場にいないって事は、今の俺らには、全員がかりでも扉を開けられないって事だ」
「優牙が……!?」
ゼロは驚いたように、その名を口にした。
「どれどれ」
言うや否や、ナイアは篭手で扉を殴り付けた。接触の瞬間、閃光が迸り、ナイアの身体が弾き飛ばされる。
尻餅をついたナイアは、目を丸くして篭手と扉とを見比べた。
「力任せでも無理っぽいッスよ……」
アーティファクトという、普通の兵器でないものを用いても傷一つ与えられない。特殊な力が働いているとしか考えられなかった。
「鍵は、シャオか……」
「お前は、何者だ? 何故、シャオを知っている?」
龍司の呟きに、コワルスキーが鋭い視線を向けた。
「知りたいんなら、お前らが持ってる情報を全部よこせ」
「何……!?」
全員が龍司に身構える。
周りの状況を気にした様子もなく、龍司は扉の前へと歩いて行った。
「そうしたら俺が開けてやるよ、その扉」
龍司は扉に手を触れ、寄りかかるようにして告げた。
「情報が足りない。もし、ここにいる全員の持つ情報で十分なら、俺はこの扉を開けられる」
「何故、そう言い切れる?」
龍司の言葉に、パウザが問う。
「さぁな……。理屈なんて解らねぇよ。そう、俺が感じたんだから」
忌々しげに扉に視線を向け、龍司は問いへ返答した。
龍司の中に流れる、異界の者の血が、扉を間近にして無意識のうちに反応しているのかもしれない。冷静を装ってはいるが、龍司の意識の内側はざわついている。
「先に言っておくが、俺は扉には余り興味がない。情報も持っていない」
「奇遇ッスね、ウチも同じッスよ」
口を挟むナイアに、見えぬ目を一度だけ向け、パウザはコワルスキーへと視線を向けた。
「俺の目的は、貴様だ、コワルスキー……」
「そうか、ジョシュアか……。久しいな……」
哀しげに目を伏せるコワルスキーを他所に、ナイアが驚愕のあまり尻餅をついた。
「じょ、ジョシュアぁッ!? それに、コワルスキーって…!?」
パウザを見上げるようにして、ナイアは信じられないとばかりに目を見開いている。
何か思う所があるのか、耶江が鼻を鳴らしたのを龍司は見逃さなかった。龍司自身、おおよその見当はついている。彼の過去というものが、コワルスキーに関係しているのだろう。
「何だか込み入った話があるみたいだね」
「ちょっと、龍司、さっきの話は本当なの?」
キーファと耶江は三人には余り興味がない様子で、それぞれ視線を別の方へと向けている。
耶江の言葉を無視して、龍司は三人を眺めていた。
気を取り直したのか、ナイアはパウザ、もといジョシュアへと向き直って身構えている。ジョシュアは音叉をコワルスキーに突きつけたままだ。
三つ巴の戦闘が始まるのに、そう時間はかからなかった。
コワルスキーが動き、ジョシュアが音叉から衝撃波を放つ。同時に、ナイアがジョシュアへと突撃する。ジョシュアの放った衝撃波をナイアがガントレットで強引に突き破った。ジョシュアはコワルスキーへと衝撃波を飛ばすと同時に自分の身体を弾き飛ばし、ナイアの攻撃をかわしている。コワルスキーは細い弦を伸ばし、振るっていた。
「アンタらがいなければ独りにはならなかったのに!」
ナイアの声が響く。
「貴様だけは、俺が――!」
ジョシュアが声を上げる。
「私には、まだしなければならない事がある……!」
コワルスキーの言葉。
互いに攻撃をかわし合い、繰り出し合う。
三人の乱闘を、周りの者達は唖然として見つめている。その戦場は危険だった。衝撃波が突風と斬撃を撒き散らし、ガントレットが打撃並の破壊力を持つ風圧を振り撒いている。その合間を弦が閃いていた。
介入しようものなら、一瞬で身体がバラバラになってしまうほどに凄まじい戦いだった。
それを中断したのは、やはり龍司だった。
戦場を地面を裂いて水の壁が走り、三人の動きが止まった。水が放たれたであろう先にいる、槍を振り下ろした体勢の龍司に視線が集中する。
「やべぇな……。力が抑え切れねぇ……」
自分の右手を見つめ、龍司は渋い顔で呟いた。
今まで抑え込んで来た力が、扉の前では拡大しているように感じられる。異界の力なのか、別のものなのかは解らない。ただ、幼い頃から龍司の中にあった力が、ここに来てその存在を主張し始めたようにも思えた。
「邪魔をするな、龍司!」
「ケリを着けないといけないんスよ!」
ジョシュアとナイアが文句を言う。コワルスキーだけは、戦闘が中断された事に不満を感じていないようで、何も言わなかった。
「戦うんなら、後にしてくれ」
龍司は二人に言い放ち、視線をコワルスキーへ向けた。
「コワルスキー、あんたは情報持ってるんだろ?」
「何故そう思う?」
「あんたの戦い方の中にシャオの教えが見えた。だから、そこのゼロよりもあんたの方が信頼性の高い情報があると思った」
「ならば、お前はシャオの弟子か何かか?」
「まぁ、師事は受けたな。幼い頃に」
「そうか……だとしたら、お前は私の兄弟子になるのかもしれないな……。私が、過去を、ゼロを断ち切ろうと思うようになったのは、彼に師事を受けてからだ……」
龍司とコワルスキーの会話に、誰も入り込めなかった。自然体で話しているはずなのに、会話に隙がない。
「おい、いるんだろ、出て来い」
不意に、龍司は部屋の入り口の一つに視線を向けて呼びかけた。
「悟、ダイアン、出て来ねぇなら、斬るぞ」
冷たく言い放ち、龍司が槍を振るう。槍から溢れ出した水は刃となって突き進み、入り口付近の壁に穴を開けた。
威嚇である。
「バレるとは思わなかったわねぇ……」
「気配は消してたはずなのに……」
引き攣った笑みを浮かべながら悟が現れ、続いて強張った表情のダイアンが表れた。
二人の気配は確かに無かった。だが、扉を前にして知覚が拡大しつつある龍司には、二人の存在そのものが判った。
「まさか、ここまで来るとは……!?」
「あら、そう簡単に殺される訳にはいかないわよ」
驚いた様子のゼロの言葉に、悟が口元に笑みを浮かべて言う。
「あんたと私に違いなんてないもんね」
ダイアンが鋭い視線をゼロへ向ける。
「お前らも少しは情報を持ってそうだからな、吐いて貰うぜ」
「はいはい、解ったわよ。そんな怖い顔しないでよ」
冷ややかに睨み付ける龍司に、手をぱたぱたと振って、悟が言った。
龍司は全員を見渡した。その上で一度大きく息を吐くと、口を開いた。
「じゃあ、情報を俺にくれ」