第三十六話
TDC会長早瀬は、深い地下の底まで秘密のエレベーターに乗り、到着した衝撃でよろけながら、そこに続く長い長い廊下を歩き出した。目的は廊下の先の、早瀬しか知らない場所、ある一室だった。
トーキョーの真ん中にあるというのに、ここ地下は薄暗く、ジュラルミン色に燻されたような殺風景な場所には、人間らしい趣は全く無い。
廊下を歩きながら、早瀬は今までにあった事を知らず知らず思い出していた。
天才科学者コワルスキー氏に出会った、遥か30年ほど前。そして二人で発見した『異界の扉』と言われている、もう一つの存在を知ったときの興奮!
地球上にありながら、今まで誰もが知らなかった『異界の扉』の向こうには、今までの科学者すら想像できなかった、異質な空間があったのだ。そしてその先には、人類とは違うマインド・シング(知的物体)が存在しており、彼らはその扉の向こうから、長い間人類の進化の過程を眺めていたのだ。
時折彼らは『異界の扉』からこっち側にやって来て、時には“人類”として偽りの生活をし、そしていずれそこに戻って行ったのだ。そこに存在している人々(あえて言えば)は、計り知れない長寿を持ち、時にはその落とし種をこっちがわに撒いていく。つまり、それは、今まで仏陀であったり、イエス・キリストであったり、チンギス・ハーンやマホメットであったり、地球上の偉人達であったりもしたが、逆にヒトラーやその他の残虐な人間をも生んできた。
ここしばらくはなりを潜めていたと言うのに、とある番人が人間の女と交わって出来た子孫が存在していると言うのだ。それが誰か、早瀬とコワルスキー氏は知ろうと努力していたが、やがて共同研究者のコワルスキー氏は不治の病で亡くなってしまったのだ。
けれども氏には一人娘が居た。それが今のコワルスキーだ! 彼女は惨めな境遇にあるとき、早瀬に拾われ、そして英才教育を受けた。彼女は自分を救ったジョシュアの目を潰すと言う行為をしたときから、自分の中に潜む残虐性に気付きだしていた。
見た目は銀色の髪に青い瞳の、神々しいまでの美しさを宿しながら、その中身は科学と言う名目の元、あらゆる残酷な実験をしてきた天才科学者! 彼女が求める度に、早瀬は、実験に必要な子供達を世界各国の浮浪児やホームレスの少年少女たちを言葉巧みに連れ帰って、コワルスキーに生贄として捧げたのだった。
その後悔の念が時として、早瀬を襲ったが、成功のためにはどんなことでもやってのけるのが、早瀬とそして第二のコワルスキーだったのだ。
けれどもある日、コワルスキーは変節した! 彼女は女であることを意識し始め、そして贖罪の為にここを出て行ったのだ。それは『異界の扉』を守るためでもあったし、そして自分が作り出した第三のコワルスキー、“ゼロ”を抹殺するためだった! ゼロはコワルスキーが作り出し、そしてコワルスキーのクローンとして存在していたのに、それを滅ぼすことでコワルスキーは”第三のコワルスキー”を滅亡させ、『異界の扉』の向こう側を守ろうとしていたのだ。
そして、向こう側の血を引く龍司を守り、こちら側の人類に貢献させるために。龍司はまさに選ばれた存在だったのだから。
コワルスキーがゼロを殺してしまうことは、なんとしても防ぎたい。早瀬の足は速くなった。
やがて到達した先には、無機的な部屋があった。電子ロックを外しながら、早瀬の心臓はバクバクと打っていた。
ガッチャーンと開いた分厚い扉の向こうには、マスター・コンピューターが鎮座していた。早瀬はそこに走り寄った。
「コワルスキー! 君の娘が何もかも台無しにしようとしているぞ! 一体どうするんだ!?」
「お・ち・つ・け」とコンピューターから耳障りな電子音が聞こえてきた。
「優・牙・が・居・る」
「優牙? ああ、あいつか! シャオ番人の弟子の一人」
「あいつが、龍司をやっつけるだろう。そうプログラムしておいたのだ。あいつはわたしの意のままに、龍司と対決する宿命なのだ!」
やっと元通りになった電子音が、この不気味な部屋に響いた。
「優牙が、異界との混血児、龍司を倒せば再びわたしは復活できる! そして、龍司の身体を借りて、この世の中に出て行き、世界を、そう、本当の世界を征服する!!」
「ここと、そして異界の全てをか!? けれども君には娘が居るではないか? 彼女は、次第次第に真相を知り始めた。我々の企みを知って、阻止しようとしてきている。それはなぜだ?」
早瀬はコンピューターにしがみついた。
「それは分からぬ。我が娘とはいえ、別人格だからな。クローンとは違う」
「君がまだこのコンピューター上で生きていると知ったら……彼女は……」
「ハハハハハハ! 娘は、コワルスキーは、もう気付いているさ! 娘が天才なのが分からないのか! いずれはわたしをも滅ぼすつもりかも知れぬ。そして、君を、それからTDCを!!」
コンピューターからは、更なる哄笑が響き渡った。早瀬はぞっとして、全身に鳥肌を立てた。