第三十四話
誰もいない部屋で、あたしはショーガラスにも似た筒の中で、奇妙な液体に漬け込まれたまま時を過ごしてきた。
誰もが私を見ては失敗作と呟く。それからは見向きもしない。
望まれて生まれた訳じゃない。望まれて生まれた訳じゃない。望まれて生まれた訳じゃない。
だったら、どうしてあたしは生まれた?どうしていらないあたしを廃棄してくれない?
右腕はない。左腕はある。右脚は膝から先がない。左足は足首までしかない。
不完全な存在は所詮、不完全なまま放置される。ただそれだけの話だ。
生みの親……短い銀髪と宝石の様な翠色の双眸を持つ少女の顔を思い出しながら、あたしは今日も眠りにつく……。
††††††††
優牙が消え、その場に残った龍司、耶江、パウザ、ウィル、ナイアは先へと進む事にした。ダイアンと悟は『アンタ達についていくのはごめんだ。あたし達は別のルートから行く』と残してどこかへと消えていった。
そして……龍司は再び、耶江の関節技の地獄を見せられていた。
「一度ならず二度までも!よっくもこの私を出し抜きやがったなコンチクショウ!マリアナ海溝(世界一深い海)よりも深くエンジェルフォール(世界一高い滝)よりも高く反省しやがれ!」
そう叫びながら、耶江は龍司の右足を自らの足で固定したまま、左にねじ曲げる。インサイド・ニーホールドと呼ばれるプロレス技で、とても痛い。
「グギァぁァアアあ!ロッ、ロープロープロープ!何でコイツはこんなに力強いんだ!?あぎぇっ、すんません耶江さんギブギブギブ!ギブですよー!」
ルールでは、ギブアップ宣告出来ない状態である場合は相手の身体かリングを叩く事になっていて、現に龍司は床でも耶江の身体でもとにかく叩きまくっているのだが、それでも耶江は止めようとしない。
「……あの龍司が、いいようにしてやられてる」
呆然と、パウザが呟く。頬を伝う一雫は果たして、汗なのか涙なのか。
「……相変わらず、とんでもない技のキレだな。俺の時より気合い入ってるぞ」
ウィルが背筋を震わせた。何度となく体験した彼としては、手加減されていた事にホッとするより先に、まだ上があったのかとゾッとした。
「えっと……スみません、どちら様なんスかねこの人達は?」
恐る恐る口を開くナイア。そこで初めてお互いの存在に気付いた様に、パウザとウィルが顔を見合わせた。
「……アンタ誰?」
「お前こそ誰だ?」
片や奇妙なアイマスクを被った長身の青年、片や没落貴族風な中年男性。二人は顔を見合わせたままピクリとも動かない。
ビシュッ、と。二人は同時に腕を振るう。
「どうも初めまして。パウザ・シュトーレンです」
「あぁ、こりゃどうも。ウィリアム・J・マキハラだ」
ガッシリと握手していた。しかしやはり警戒しているのか、実はさりげなく左手握手だったりする。
「ってテメェらいい加減にしろ!コイツなんとかしろっつってんだろがぁ!」
やけに涙目の龍司はニーホールドされながら腕を伸ばし、救済を懇願するが、パウザら三人は顔を見合わせた。
「いやぁ……だってその子怖いし(パウザ)」
「つーか見てて面白いし(ウィル)」
「とゆう訳で、自力で頑張ってくれって事ッス(ナイア)」
「殺すぞ貴様らぁぁぁあああ痛たたたたたたたた!(龍司)」
「アンタは黙ってなさい!(耶江)」
耶江は龍司を俯せにさせる様に体位を入れ替え、龍司の背中に座り両足首を両脇に挟んだ状態で仰け反る。見事なスコーピオンデスロックを極めた状態で、背後の三人を逆さまに見つめる。
「初めましてぇ。私は三国 耶江といいますぅ。お見知り置きを〜」
「……今更、猫被ったって仕方ねぇだろ(龍司)」
「アンタは黙ってろっつってんだろうが!」
ギリギリギチギリと不吉な音が股関節から響く。三人は背筋に何やら冷たいものが滑ったのを感じた。
それから自己紹介、お互いに持っているアーティファクト能力等の情報を交換し、耶江はフムと声を漏らす。
「優牙の話が本当なら、どうせ参加者は私達とシャオの爺さん、それに悟とダイアンの凸凹コンビ、優牙とキーファとコワルスキーの一〇人。ま、ウィルはおまけとして一一人しかいない。優牙の目的は龍司との決闘、ナイアは参加者であるコワルスキーへの復讐、ウィルは妹さんの救出、シャオの爺さんは実は扉の門番、キーファとコワルスキーの目的は不明だけど性格からして扉を開ける事じゃない。悟とダイアンは遠回りの道を行ったからこれは無視するとして、私、龍司、パウザの都合五人は扉を開けるライバル、と。
だったら優先事項はゼロ及び優牙の駆逐。同時にサマンサの救出。異界の扉は後回し。こんな所かしら?」
淡々と語る耶江。唖然とする三人を余所に、耶江は尚も続ける。
「狙われている以上、戦力分散はなるべくしない方がいいわね。正規分隊から考えて一人多いけど……まぁ、とりあえずはこの五人で行くべきだわ。
ところで、この中の誰か、MOUTのインナークリアリングに関する移動テクニック、知ってる人いるカシラ?」
よく分からない単語を耳にした三人は、首を横に振るう。
「ふむ。MOUTってのは都市部軍事作戦の略で、インナークリアリングってのは要するに屋内に立てこもったテロリストとかを制圧する事ね。
中国の洛水神亀……って言っても分かんないか。神道霊学の根本概念『一霊四魂』として有名な話なんだけど……外人が三人いる訳だし、仕方ないか。えっと、とりあえずこれからの移動法は縦3マス横3マスの計9マスを想像してもらうとやりやすいわ。ここまでは分かる?」
三人の顔を見渡しながら耶江が訊ねると、パウザが口を開いた。
「ようするに、
『1』『2』『3』
『4』『5』『6』
『7』『8』『9』
って事か?」
「漫画のふきだしみたいな表現だけど、分かってくれて先生なによりです」
妙に頷きながら、耶江は説明を続ける事にした。
「んで、まずは配置ね。『3』にナイア、『4』にウィル、『5』にパウザ、『7』に私で『9』に龍司。これが通路を歩く際の立ち位置。覚えといてね」
「それは決める理由とかあるんスか?」
小首を傾げて訊ねるのは、新しい棒付き飴をリュックから取り出したナイア。耶江は、まるで先生が生徒の質問に答える様に優しく微笑んだ。
「まず先頭を歩くナイア。貴女のアーティファクトは突進力があるから、左右に避けにくい狭い通路に於いてはかなり強力よ。もし敵影が前方に見えた場合、貴女はとにかく突進して。軍兵士的な表現をすれば、貴女は突撃銃を持ってる様なものよ。部隊の命綱ね。
で、パウザの場合の持ち味は聴力と、障害物を一切介しない音波攻撃。故に丁度中心で、前方ないし後方に常に気を配りながら、何かあった場合はそのアーティファクトで援護する。いわば分隊支援火器みたいな役割ね。
ウィルが中央左に配置された理由は、武器性能が直線的だから。だから前方攻撃の際は必ず被射体が味方と重ならない様にする。バックアタックの場合は、後ろにいるのが背の低い私だから問題ないでしょ。アンタも分隊支援火器みたいなもんね。
んで、最後に私と龍司なんだけど、私達は常に後方担当。時々は前を見るけど、基本的に後ろを向いたまま歩く。龍司のアーティファクトは水を操る遠中近万能攻撃、私のアーティファクトは遠中特化攻撃だから、もし曲がり角の陰に潜んでいる場合も攻撃しやすい。突撃銃での攻撃も似たようなものよ。
狭い通路だと人数が多い方が不利になるから本来は『3』『4』『5』『8』の四人組が好ましいんだけど、この五人だと、まぁ、こんなもんじゃないかしら?」
どう?覚えた?と確認する耶江だが、三人は口をポカンと開けたまま固まっていた。
「……何?なんか異論でもある?」
「いや、異論はないんだが……」
歯切れ悪く、ウィルが呟く。他のメンバーも似たような表情を見せる。
「いや、ちょっと待ってくれ」
不意に顔を上げ、耶江の提案に異議を唱えたのはパウザだ。
「攻撃力の面で言えば、龍司の方がウィルより上だ。それにアンタの頭の上から後方攻撃するって言うんなら、龍司とウィルを入れ替えた方がいいんじゃないか?その方がウィルもやりやすいだろうし」
「それは私も考えた。答えは却下。
前後のバランスを考えた場合、一番攻撃力のないウィルは中央配置がいいのよ。アーティファクトっつったって発射衝撃を見たところ、所詮は9mmパラベラム弾。せめてPDW(個人防衛兵器)の5・7mm×28の方が発射ガス量が低い上に貫通力もあり、なおかつストッピングパワー(弾が人体に突き刺さった場合、制止する力)に優れているんだけど、M92Fを使い慣れたウィルじゃそれもない。
正直言って、弾が無制限に出るしか脳のない、撤退戦でしか役に立たない武器。支援火器は飽くまで支援火器でしかないのよ」
散々ボロクソ言われたウィルは、ズーンと重たい空気を醸し出しながら凹んだ。パウザも口をつぐみ、もはや異論を唱える者はいない。
反論がないと分かると、耶江は咳払いを一つし、話を続けた。
「んで、移動の際は最初に言った陣形を崩さずに進む事。ナイアとウィルは前方、パウザは前後、私と龍司は後方に集中。
もしも曲がり角が右にあった場合は、ウィルは『1』に移動して、曲がり角に敵が潜んでないかを確認。曲がり角が左だった場合は同じ要領でナイアが確認。アンタら二人は最も重要なポジションに立っているわ。期待してる」
話が終わったのか、耶江は「ハァ〜」とオッサン臭いため息を吐いた。
三人は、感心だか疲労だかのため息を吐いたが、ナイアがふとした疑問を口にした。
「……って、そう言えば。何か……話のノリというか勢いというか、流れに任せて聞いてたんスけど……何でウチらは君の頭数に入ってるんスか?」
あっ、と。パウザは声を漏らした。
そう言えばそうだ。誰も、耶江と行動を共にすると口にしてはいない。にも拘わらず話はトントン拍子に進み、何故か三人は戦隊に組み込まれていた。耶江が『チッ』と舌を鳴らす。それはきっと『余計な事を言いやがって』という意味が多分に含まれているのだろう。
「それは何だ……あれよ。この先何が起きるか分かんない訳じゃない?だからまぁ、用心に用心を重ねとくに越した事はない訳じゃない?
……あ〜、とにかく一緒に来い!」
……まぁ、優牙だとかゼロだとか道化だとか、不確定要素が多い現状で戦力を分散する事は無謀とも言える為、パウザは何も言わなかった。ツッコみ所が満載で、必死に衝動を抑えながら。
耶江が立ち上がり、重要なポジションを担うナイアやウィルと打ち合わせを始めた。それを感じ取りながら、ふと思い出した様に、先程まで耶江がいた場所に声をかける。
「……龍司?」
そう。今の今まで、耶江はずっと龍司にスコーピオンデスロックをかけたままで。龍司はずっと会話に参加しなかった訳で、ついでに言えば描写すらされなかった訳で。
龍司は、シャチホコよろしく海老反りしたままの体勢で固まっていた。
恐る恐ると言った様子でパウザは横にかがみこみ、ツンツンつつきながら訊ねる。
「……龍司サン?生きてますか?」
……死んでた。
††††††††
もう白衣の人間達があたしの前から姿を消して久しいある日、一人の少女があたしの前にやってきた。
――――アンタ、ボクと似てるな。
処女雪の如き白い髪、透き通る様な白い肌、宝石の輝きを放つ翠色の瞳。
あたしを捨てた少女に似た、似すぎてはいるが決して別人の少女は、裸体を隠す事なくショーケースに両手をついた。
――――望まれて生まれたんじゃないんでしょ?……アンタ、生きたいの?死にたいの?
死にたい、とあたしは答えた。
――――どうせ放棄されたこの施設じゃ、生命維持も長くは続かない。身体も不完全なアンタは特にね。
それでも、とあたしは答えた。
――――精神は安定してる様ね。クローンにしては珍しい。殺すには惜しい物ね。
殺せ、とあたしは叫んだ。
――――身体。地に立ち、歩ける自由な身体、欲しくない?
身体が震えた。
――――ボクは君にそれを与えてやれる。……ねぇ、本当に死にたい?
……答えは、決まっていた。