第二十四話
あっちはパラパラ。こっちはザーザー。
空は晴天、ときどき狐雨。
太陽の光を浴びて、キラキラ煌々サラサラ爛々と七色に光る。
雨は乾いたアスファルトを湿らせ彩り、跳ねて踊って歌って笑う。パラパラザーザーパラザーザー。
楽しげなリズムを刻み。
儚く散り逝く妖精たち。
あっちはパラパラ。
こっちはザーザー。
そっちはポタポタ。
どこもかしこも歌の洪水、リズムを刻む。乾いたアスファルトを癒す波音。
さざ波の様に心地よい。
願わくば、この旋律が皆に響きますように――。
††††††††
コツン、コツン、コツン……。
「湿っぽいなぁ」
「しょうがないな。諦めろよ」
耶江は、傍らを歩くウィルに愚痴りながらも先に進む。しっかりと舗装されたその道は、今は閉鎖されているが、どうやら昔は物を運ぶための線路だったみたいだ。現に、道にはトロッコの為の線路が敷かれている。
「この島が人工的に管理された島だ、とタカくくってみりゃドンピシャ、か。山のふもとにまさかこんな場所があるなんてな」
「国連黙認説なり迷彩処理説なり、どちらにしろ管理する為の施設は必要でしょ。だったらその機材を運ぶ為の設備がある。探偵のくせにそんな事も分からないの?」
「うっ……。あのなぁ、探偵の仕事なんて殆どが浮気調査かペット探しで、どこぞの小学生探偵(メガネ仕様)みたいな事件、どこにもないんだぞ?ってか有り得ない。勘も鈍るってもんさ」
「言い訳?」
グッ、とウィルは押し黙る。自分でも言い訳がましいというのは理解できていたのか、言い返したりはしなかった。
ウィルがだんまりした事で会話が終了したと解釈したのか、耶江は言葉を紡ぐ。
「それに。私はここが人工的な島だって思ったのは、別に勘じゃないわよ」
「は?あぁ、TDCの連中が手を加えたってか?そのくらいなら俺にも――」
「ばぁか。逆よ逆。TDCの連中は異界の扉を開ける事が目的じゃないわ。この島自体はただの実験場、つまりただの舞台。この島に価値を求めているとは考えにくい」
「……へ?」
「……ここまで言って、まぁだ分からないの?探偵は廃業した方がいいわよアンタ」
耶江はため息を一つ吐き、立ち止まる事なく、振り返る事なく告げる。
「この島を“加工”して、変異生体という“標的”を作ったのは、恐らく、別の誰か」
「……は?」
「もっとも、これは飽くまで推測の領域。決定打がない以上はTDCはやってないという可能性は否定できないけど、それでも確率としては低いと思うわよ」
どうという事もなく語る耶江だが、ウィルは衝撃を受けた。
「ちょっ……待てよ。オイ、耶江ッ!待てっつってんだろうが!」
「立ち止まってる暇は――ッキャ!」
ウィルは後ろから耶江の肩に掴みかかり、そのまま力任せに壁に叩きつける。耶江の小柄な身体が震える。どうでもいい話だが、耶江の女らしい悲鳴は恐らくこれが初めてだろう。
「な、何すんのよ!ねぇ、肩痛いってば!」
「どういう事だよ、それ!あいつらが関係ないとでも言うつもりか!?」
「そん、な、事は言ってないでしょ!?とりあえず落ち着きなさいよ!」
「これが落ち着けるか!いつもいつも周りを差し置いて自分だけで理解して。一から十まで説明しろ!」
「くぁ。痛、い……っつってんだろうがアンタ!」
ガシ、と耶江の小さな手がウィルの手首を包み込む様に掴み、
グルン、とウィルの身体が回転し、地面に背中から落ちた。激しい音を立てて落ちたせいか、ウィルが噎せ返る。
「こンのッ……次ぃ、私にそんなナメた事してみなさい?全身の骨をバッキバキにへし折ってやる」
腕をとり、倒れたウィルの首と腹部に足をねじ込み、ギリギリと逆腕ひしぎ。今にも折らんばかりの耶江の両手に、力が込められる。
「が、ぎが……クソッ……」
「落ち着いた?」
先程とは打って変わって、穏やかで優しい声。耶江はウィルが落ち着いたのを確認して、逆腕ひしぎを解く。肩を押さえながら立ち上がるウィルを見つめ、耶江は口を開いた。
「そんなに、TDCの連中が『悪』であって欲しい?」
「……当たり前だろ。だってあいつらは、俺の妹を……サマンサを、」
「誘拐した、って?」
コクン。無言でウィルは頷く。
「別に私は、TDCを庇ってる訳じゃない。アイツらはアイツらで『悪』である事に間違いはない。けど、ね」
ため息を一つ吐き、耶江はウィルを見据える。まるで、心を見透かす様に澄んだ真っ直ぐの双眸。
耶江は、言葉を、紡ぐ。
「けど、それは本当に、TDCの仕業?」
息を呑む音が、通路の壁面に反射して響く。言うまでもなく、息を呑んだのはウィルだ。
「アンタの話を聞いた限りじゃ相手がTDCという可能性が消えた訳じゃないけど、でもアンタ、『TDCが絡んでいる』としか言ってないわよね?さらったのは別の組織という考えは浮かばなかった?そもそもそれは確かな情報?」
「……」
ウィルは口を開かない。言い返せないまま、耶江の言葉に聞き入っている。
「確率論だけで言えば、アンタのその考えは間違ってる。思いつく限りの可能性を浮上させて、それから消去法で削除していくという考えこそが、真理に近付く方法として最も有力。世界はね、箱の中の猫めいているものよ」
開けてみなければ、中の猫が生きているのか死んでいるのかが分からない。量子力学の世界では有名な逸話だ。
「恨み辛み悲しみ憎しみは人の生きる活力の源。否定はしないけど、逆恨みはただ見苦しく醜いだけ。確固たる真理に近付いてから、そこで初めて怨みなさい」
フン、と鼻を鳴らし、耶江はウィルに背を向けて競歩張りの速度で歩きだした。ウィルは黙したままその後に続く。
どのくらいそうしただろうか。不意にウィルが口を開いた。
「……なぁ。一つ聞いていいか?」
「何?」
「……アンタは一体、何者だ?」
言葉を受けた耶江は、ピタリと立ち止まり、ウィルに振り返りながら告げた。
「三国 耶江。特技は弓道、趣味は運動。でも最近のマイブームはシュレディンガーの研究誌を原典で読む事。血液型は、意外だってよく言われるけどAB型。四年前にワシントン大学を飛び級で卒業。現在、花も恥じらうハタチ成人」
――それは、かなりの爆弾発言だったりした。
††††††††
「ゼロ。調子はどうだ?」
「あぁ、君か。ボクに構ってる暇があるんなら、お友達にでも会ってきたらどう?」
やけに不機嫌気味に簡潔にゼロは答えた。
コツン、コツン、コツン。無機質な足音を響かせ、少年は大きな椅子に座ったままのゼロに歩み寄る。
「調子というのは、一九体の『創作道化』を統制するBCS(思考管制システム)機能の事?それともリュウジの進行状況?『純粋培養』コワルスキーの動向?」
「そのどれもに興味はない。知りたいのは、ただ、君の身体の事だ」
「……右腕の細胞が崩壊を始めたから取り外した。別のボクの個体から右腕を切りはずしてくっつけたから、大丈夫。ただ問題は、神経接合の固着に時間がかかる事かな。一時的にホルモンバランスを崩して再生を促してみたけど、気休め程度にしか再生速度はあがらなかった。やっぱES細胞からのクローン素体は性能はいいけど、寿命的には劣化製品に過ぎないね。DNAマップを元に元素を組み立てた方が、まだ長命な個体が創れるよ」
何気なく、振り返る事なく語るゼロ。ケラケラと笑っているが、その話の内容はどこかが壊れている。
「寿命を取るか、性能を取るか。こんな選択肢なら電化製品と変わらないのにね。どうしてかな?ボクはクローンなのに、死ぬのが怖いんだ」
「それはおかしな事かい?」
「おかしいよ。だって、クローンなんて素材と道具さえあれば、たった一五〇〇ドル程度のお金で『製造』出来るんだよ?なのに、ボクは死にたくないんだ。新しい個体を作って、『このボク』という固有の意識を刷り込み(インストール)すれば、新たな『このボク』が生まれるというのに……ボクは、死ぬのが怖い」
「だったらいいじゃないか。それは君が生きている証なんだから」
腕にバンダナを巻いた少年は、椅子を覗く。そこには、両膝を抱え、小動物の様に震えるゼロの姿。
銀髪の一部を赤に染めた少年――優牙は、目を優しげに細め、ゼロの震える肩を抱き締めた。
「君はそれでいいんだよ。代わりなんていない、君は君自身だ。生きている証を自ら捨てる様な真似はしないでくれよ」
「ゆ、優牙ぁ……」
泣きそうな顔で、ゼロは優牙の背中に手を回した。泣き顔を優牙の胸に埋め、すすり泣く様からは、いつもの気丈さは欠片ほども見えない。
ゼロは、コワルスキーとの比較を嫌う。それはクローン素体では染色体の弱体のせいでどうしても性能的に純粋培養に勝てないからであり、それはゼロ自身も例外ではない。
だが、
(少し彼女の世界に入ってみれば、それだけが世界の全てだと認識する。ただそれが、コワルスキーの場合はジョシュア。ゼロの場合は僕、ってだけか。こういう盲目的なところは、流石は血、ってか?)
物思いに耽っていると、ゼロが顔を上げて目を閉じた。求められている事に気付いた優牙は、反射的に唇を重ねた。
「優牙ぁ……」
「はいはい、分かってるよ」
ゼロの頭を撫でながら、優牙はもう一度、今度は長めに唇を重ねる。
目を閉じたゼロに気付かれない様に、
優牙は嗤った。
††††††††
パラパラ。サラサラ。ポツポツ。ザーザー。
雨が降る。晴れ、時々、にわか雨。
リズムに合わせて身体が動く。空の鳴き声が心地よい。
雨が上がれば綺麗な虹。空に架かった、丸い丸い光の吊り橋。
理屈を知ればどうって事ない。それでも綺麗だなって感じる不思議。
雨が降る。
……雨が降る。
…………雨が降る。
狐雨は、いつの間にか本降りになってて。
いつまでも、雨はやまない。