第一話
島に辿り着いた船からは、続々と人々が降りて行きている。
二割程しかいない未成年者の一人、十八歳の少年、奈義原 龍司は、近くの木陰で船を降りる際に渡されたバッグの中身を確認していた。
木に背中を預けるようにして座り、バッグを開いている。
船を出る直前、クルーから皆、それぞれ一つのバッグを受け取っている。この島での探索の際に必要なものが揃えられているそうだ。
約十日分の携帯食料に、懐中電灯、方位磁石、地図、ペン、サバイバルナイフが一つずつ。
「何だ、これ?」
バッグの中に、一つだけ妙なものが入っていた。
龍司はそれを掴み、引き摺り出す。小さなケースだ。縦横厚さ二十センチの正方形のケースの中には、正二十面体の宝石のようなものが入っている。それは、見た事もない金属光沢を放っていた。
ケースの中には、一枚の紙切れが入っていた。
それによると、この正二十面体の結晶は、島に生息する変異生命体に対抗すべく開発された特殊な新兵器なのだそうだ。
何が特殊化と言えば、持ち主によって兵器としての姿が変わるという事らしい。
原理から破壊力の全てが未知数な兵器を、一人一つずつ持たせているという事だ。
「説明書もないのかよ……」
ぼやき、龍司は結晶をジャケットの内ポケットに入れると、食料などの荷物をバッグに戻して立ち上がった。
龍司自身、この島に来るにあたって必要だと思うものを別途、用意してきていた。船員から渡されたバッグとは違い、ウェストポーチの中に入るものだけだが。
元々、食料や懐中電灯などのサバイバルセットは企画者側が用意すると申し出があった。そのため、参加者達は不用意に荷物を増やすような事はしていない。中にはかなりの荷物を持ってきている者もいるようだが。
「十日後、船はこの場所に戻って来ます。船が動き出した時からが始まりです」
船のスピーカーから、声がした。
全員降ろされたのだろう。船自体は、十日間の停泊はせず、企画実行中は全て参加者だけが孤立するようになっているのだ。
まるでゲームだ、と龍司は思う。
参加者がプレイヤーで、たった一つのゴールを目指して、十日間を期限に、競争をする。
だが、どんな手を使ってでも、ゴールに辿り着きたい者だけがこの場にはいるのだ。それを忘れてはいけない。龍司自身ですらも。
船が島から離れて行くのを見送って、人々は全員が全員を見回した。
不意に、何かが焦げるような臭いが漂い始めた。それに気付いた者達が、慌ててその場から走り出す。
龍司も、走り出した方の人間だった。
直後、背後で轟音が轟き、突風が吹いた。
爆弾だ。
参加者を減らす事で、競争相手を減らそうとしたのだろう。開始直後に実行するのはオーソドックスだが、効果は期待できる。
「ちっ、こりゃあ本当にサバイバルになりそうだな……」
舌打ちし、龍司は集団から逃れるように林の中へと踏み込んだ。
爆発物を使って参加者を減らそうとする奴が現れた。それだけでも、既に周り全てが敵だと言い換える事が可能になる。
集団行動をするのは得策ではない。いざという時に裏切られれば、損をするのは龍司自身なのだから。
(俺は、絶対に勝つんだ……)
参加決定時の誓いを胸のうちで繰り返し、龍司は草木を掻き分けて進んで行った。
どこまで進んだのだろうか。元々、それほど広い島ではないのだから、二・三日も歩けば中央の湖にまで辿り着けるはずだ。
以外と、島は狭い。
草や木で覆われた林の中、龍司は一人で休息を取っていた。
一刻も早く、島の中央にある山へ行きたいという思いはあるが、その前に考えておかなければならない事がある。その問題を解決しなければ、山に辿り着く事はできない。
問題は、山を取り囲む湖だ。
泳いで行くには距離は遠く、かといって橋や船もない。道具を駆使すればいかだぐらいは作れるだろうが、時間がかかる。仮に、いかだで湖を越えようとしても、妨害がないとは限らない。逃げ場がない事を考えれば、危険性は高い。加えて、変異生物の存在もある。泳ぐにしろ、いかだで行くにせよ、海中から変異生物に襲われればひとたまりもない。
今のところ、龍司は変異生物と遭遇していない。
船の中で見せられた資料によれば、変異生物は様々なものがあるらしい。ただ一つ言える事があるとすれば、変異生物を現代兵器で倒すのは至難の業だという事だけだ。ナイフや銃弾のような金属兵器でさえも、変異生物の硬質な皮膚を貫く事はできなかったのである。
「どうしたもんかな……」
龍司は一人溜め息をついた。
まだ初日だからといって楽観視していれば、他の者に出し抜かれる事もある。誰よりも早く山頂に辿り着かなければならないのだ。
木に背中を預け、クッキーのような固形食料を一つ齧る。それ一つに一食分の栄養分が含まれていると説明を受けたが、正直な事を言えば物足りない。とはいえ、荷物の重さも考えれば、食料も軽量化しなければならない事は理解できる。物足りなければ、野生の木の実などを採取して自力で調理しろという事だ。
「ん?」
不意に、周囲の草むらがざわめいた。
何かが近付いてくる。それも、かなりの速度で。
息を呑み、龍司は懐の兵器結晶を右手を掴み、周囲に視線を廻らせる。兵器と呼べるものがあるとすれば、その結晶しかない。使い方も解らない状態で、頼らなければならないのは心許無いが、仕方がない。ぶっつけ本番で扱い方を身に着けなければならないのだ。
姿勢を低くし、草陰から周囲を窺っていた龍司の視界に、大きな影が映った。人間と同じくらいの大きさ、いや、近付くにつれてその影は確かに人の姿をしている事がはっきりと解るようになった。
「――っ!?」
近付いた人影が草むらから飛び出し、龍司の脇を駆け抜けた。その瞬間、龍司と人影の視線が合った。
「あ――!」
少女だ。
龍司と同年代ぐらいの、少女。すっと通った鼻筋に、やや大きめの瞳、栗色の髪はポニーテールにしてまとめている。美人と可愛いの中間ぐらいの少女だった。参加者という事なのだろう、服装は動き易いシャツとズボンに、ジーンズ生地の上着を身に着けている。
息を切らしながら、龍司の脇を駆け抜けた少女が何かを言い掛ける。
だが、その直後、龍司と少女の間に何かが割り込んだ。激突したかと思うほどの勢いで、割り込んできたのは異形の生命体だった。
「こいつ――!」
変異生物か、言おうとした時には、その変異生物は少女へと跳びかかっていた。
脚部が発達して太いのに対し、上半身は細身という釣り合いの取れそうに無い体系をしているにも関わらず、変異生物のその動きは人間を明らかに超えるものだった。その細長い腕の先には鋭利な爪があり、少女へと振るわれている。
少女が横に身を投げ出し、変異生物の攻撃をかわした。
良く見れば、少女の服はあちこち汚れていた。同じように間一髪のところでかわし続けて逃げてきたのだ。
「――!」
瞬間、変異生物の頭が龍司を見た。
蜥蜴のようにも、昆虫のようにも見える不気味な頭には、赤く光を帯びた目が付いている。それが向けられた瞬間、龍司の背筋に寒気が走った。初めて実際に見る変異生物は、グロテスクと呼ぶに相応しい姿をしていた。
龍司も標的として認識されたに違いない。
一瞬、その場の動きが止まったように見えた。少女も、変異生物も、龍司自身も、互いの出方を窺っているかのようだった。
「――ごめん!」
少女が言い、龍司に向かって駆け出してくる。
「は!?」
何かを言う暇さえなく、龍司の目の前を少女が走り抜けようとする。
その向こうに、変異生物が跳びかかってくるのが見えた。少女は龍司と一直線上に並ぶ事で変異生物を動かし、龍司を餌に逃げようとしているのだ。今の状況なら、少女を仕留められなかった場合、龍司に爪が届く。
「!」
瞬間、龍司は前に踏み込んでいた。
少女と激突する動作だが、下手に避けようとするよりも変異生物の攻撃をかわしやすい。目の前にいる変異生物は脚力が強靭なはずだ。だとすれば、一度思い切り跳んだ後の着地の直後はその衝撃を打ち消しきれないはずである。つまり、直ぐに方向を反転させる事はできない。
横や後ろに動くより、前に進んで変異生物の背後を取るのが一番安全だと判断を下したのである。
「えっ!?」
驚いた様子の少女の足が、龍司の足に引っ掛かって転んだ。龍司もバランスが崩れたが、それも利用して身体の向きを変える。
「きゃ――!」
悲鳴を上げて転倒する少女を他所に、龍司は身体の向きを反転させて着地した変異生物の背後を取っていた。
「頼む、これで死んでくれ!」
願いを込めて、龍司は懐から取り出した結晶兵器を変異生物へ目掛けて思い切り投げた。
それは一瞬の事だった。
結晶の表面に無数の亀裂が生じたかと思った瞬間、結晶が内側から砕け散る。だが、その直後には砕け散った結晶の内部から槍が飛び出し、変異生物の頭を貫いていた。
青紫色の液体が傷口から噴き出し、変異生物が倒れて動かなくなる。気持ちの悪い体液だった。
「……や、やったのか?」
龍司には目の前の光景が信じられなかった。
変異生物という、人間には明らかに勝ち目のない生物を、龍司は一撃で葬ったのである。それも、結晶の兵器としての力をも使って。
数秒間固まっていた龍司だったが、意を決すると、変異生物の死体に歩み寄って槍を引き抜いた。
自分の身長ほどもある長い柄の先に、鋭利な刃がついている。刃の長さは四十センチ程だろうか、西洋の剣のような、五角形を縦に伸ばしたような両刃だ。柄には見た事もないような紋様が刻まれており、かなりの強度がある。刃にも似たような紋様が刻まれていた。
「全く、どうなってんだ……」
吐き捨て、龍司が槍の扱いに困った直後、槍が光となって拡散し、龍司の目の前で一点に集約する。その次の瞬間には、元の結晶体に戻っていた。
つまりは、そういう兵器なのだ。持ち主が必要だと思った時に武器となり、必要なくなったと感じた時には元に戻る。原理はさっぱりだが、この島で生きていくためには確かに必要な武器だった。
何せ、変異生物の硬い皮膚を貫いたのだから。
特殊な力でもあるのだろう、そうでもなければ人間の力で投げた槍が変異生物の皮膚を貫く事などできない。
「……凄い、倒しちゃった……」
見れば、少女が目を丸くしていた。
「お前、さっき俺を囮にしようとしただろ」
「えっ!? 解ったの!?」
龍司の苛付いた声に、少女が肩を震わせて愛想笑いを浮かべる。
「このやろう……」
引き攣った笑みを浮かべて、龍司は少女を見下ろした。
W1595Aの白銀です。今回の順番変更で一番手になり、このようなプロローグと第一話を書かせて頂きました。前回とは違ったものにしよう、と皆でも話をしていた事もあって、がらっと雰囲気が変わった出だしになったと思っています。ここから先、どうなって行くのか楽しみです。