第十三話
バン!!!!!!
勢いよく洒落たイタリアン調に仕立てられた扉が蹴破られるかのように開き、黒髪でウェーブがかった髪を乱れさせながら、女が血相を変えて飛び込んできた。
「兄貴っ!!!追われてるの、今すぐここを出ましょう!!」
余程走ったのか額は汗ばみ、呼吸は何百段もの階段を駆け上ったかのように乱れている。この事務所は全四階建てのうち二階フロアの一室のみを借りきっているだけのものだというのに。
「サマンサ、お前、また何かに首を突っ込んだのか!?」
書類が山積みになった仕事用デスクからガバっつとウィルが立ち上がった。居眠りをしていたのか、妙な寝癖がついている。
「とにかく、今は時間が無いのよ!詳しいことは後で話すから、さっさと荷物まとめて!」
サマンサはそう言うと、いたる棚という棚、引き出しを、引っ掴んでは開き、近くのソファーに置いてあるバックにあれこれと詰め込みだした。
まるで、それは空き巣にもでも入られたような様子で、圧倒されてウィルは寝起きの頭でぼんやりとそれを見ている。
「何してるの!早くっ、すぐに奴らがここまでやって来るわ!」
詰め込みすぎてチャックの閉まらないバッグを肩に掛けると、心配そうにそっと、窓の閉じたままのブラインドを指でこじ開け、そっと下を覗き見る。
と、そこに黒のベンツが道路の脇に止まり、中から真っ黒いスーツとサングラスの男達が3人出てくるのが見えた。
「やばい、荷物はもう諦めましょ!今すぐここから逃げなきゃ・・・。」
ぐいっとウィルの手首を掴むと、サマンサは事務所を飛び出す。
「ちょっ、サマンサ、待て!忘れ物だ!。」
ウィルはその手を一旦外すと、走って事務所に戻る。そして、デスクの一番下の引き出しを全開し、上に置いてあるプラスチックの箱を床でひっくり返して、数冊の本、万年筆や食べ残したスナック菓子の袋をドサドサと打ちまけた。そして、その下に大事に保管されていた銃と玉を取り出し、ベルトに差し込んだ。
「兄貴っ、急いで!!!」
サマンサの急かす声と同時に、ウィルはもう片方の手を伸ばし、壁に掛かったスーツの上着と帽子を引っ掴み、部屋を飛び出した。
「悪い!」
「この階段じゃ奴らと鉢合わせするわ!非常階段から降りましょう。」
サマンサはひらりと黒髪を靡かせ、通常の階段のある方角から体を反転させて、廊下の一番奥にある非常階段の方へと走り出す。
が、その階段の前には元は緑のペンキが塗ってあったと思われる、錆びた鉄の扉が南京錠と鎖で完全に封鎖されたまま立ちふさがっていた。足場が朽ちて危険な為だろうか。
階段から先程の男達のぼそぼそと話す声と、足音が徐々に近付いて来る。
「サマンサ、そこを離れてろ。」
ウィルが銃を構えると、銃声とともに、金属が弾ける音がし、鎖がぶらんと垂れ下がった。
サマンサが慌ててその鎖を解くと、2人は思いきりドアをこじ開け、建物の外へと走り出した。
ウィル自身、妹であるこのサマンサが、一体何に関わり、何者に狙われているのか、そして、あのスーツの男達は何者なのか、それがどうして自らにも関係するのかが理解できないでいた。しかし、必死で逃げるサマンサの汗ばんだ横顔を見て、確かに危険が迫っていることだけは理解できた。今この最愛の妹を救えるのは、この銃と、この腕だけなのかもしれない。
しかし、あの男達が階段を登りきった後、荒らされた部屋を見て、非常階段のドアの鍵が壊されていることに気付き追ってくるまでそう時間はかからないだろう。
「サマンサ、一体奴等は何者なんだ!」
ウィルが走りながら小声で叫んだ。
「奴等は、私の命を狙っている。そして、唯一の血縁者であり、仕事仲間である兄貴のことを仲間だと勘違いしている可能性も高いわ・・・・!!」
サマンサは暗い路地を走りながら、必死な面持ちで言った。
「とりあえず裏道から地下鉄に行って、今はなるべくここから遠くに離れましょう・・・・!
そう、途中変装した方がいいかもね。ロスに行けば、ニックが偽造パスポートを作ってくれる、それでなるべく小さな国に行くのよ。未発達で目立たない国にね・・・・・!」
ポツリと冷たい滴がウィルの頬に触れた。
雨だ。
雨は次第に強まり、あっという間に二人を湿らせていく。
雨は暗闇と不幸を連れて来る。
そう、いつだって・・・・。
「あそこだっ!!!」
数十メートル離れた、錆びた非常階段の二階から男の声がした。
振り向くとあのスーツの男達が勢いよく階段を駆け降りてくる。
二人は一層足を速め、地下鉄を目指して走り出した。とにかく人目の多いところへ・・・!人ごみの中へ・・・・・!!
しかし、降りしきる雨で、服は水をたっぷりと含み、足に纏わりつく。
ウィルは疲れきった妹の腕を掴むと、今度は自分が前を走った。サマンサを引っ張るような形で。
暗い路地の終わりが近づき、通りを傘を差して歩く人がちらりと見える。
二人は少しほっとしつつも足を止めることなく、走り続けた。
そして、今まさに路地を抜け、地下鉄のある通りに出た瞬間、目の前に黒いワゴンがキキッと止まった。
まさか・・・・と思うのも束の間、中から同じようなサングラスとスーツの男達がゾロゾロと五人現れ、そして背後から先程の三人の男が追いついてきた。
そうして、銃を構えたまま、ぐるりと二人の周囲を取り囲んだ。
「サマンサ・J・マキハラ、お前は多くを知りすぎた。
私達についてきてもらおう。」
「そうはさせるかっ!!!!」
ウィルは忍ばせていた銃をぶっ放す。それは見事全て男達の腹部に命中し、数人が濡れた地面に呻き声とともに蹲ったが、残念なことに、元々入っていた玉が少なかった為、八人分には弾の数が足りなかった。いくら引き金を引いても、あとはカチャカチャと虚しい音を立てるだけ。
「どうやら弾切れのようだな。」
残った三人の男のうち一人が、持っていた銃をウィルに向けた。
降りしきる雨の中、ウィルの鼓動が高く鳴り響く。
「やめてーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」
サマンサの悲鳴に近い叫び声と共に、ズバアアアンという哀しい銃声が木霊した。
くらりと視界が揺らぎ、ドサリとウィルが仰向けに倒れた。
腹部の凄まじい痛みと嗚咽に襲われ、ウィルの意識は次第に遠のいていった・・・・。
昼間、耶江に初めて真実を話したせいであろうか、ウィルは久しぶりにあの日の夢を見た。
辛い紛らわせようとするかのように、すぐ近くの幹に、からまっていた粘糸を利用して縛りつけている龍司や悟、ダイアンの姿を見てつい先程の出来事を思い出していた。
「さ、観念しろよ、龍司。よくも俺のアーティファクトを奪って逃げやがったな、このヤロウ。せっかく俺が演技してこいつ等から遠ざけてやろうとしたっつうのに。」
粘糸に手足をとられて身動きの取れない龍司から取り返したアーティファクトが、銃に姿を変え、その銃口は悟の額に宛がわれていた。
「人の物は俺の物、だ。間抜けなテメエからアーティファクトを奪って何が悪い?」
龍司は小馬鹿にしたように目を細めて言い捨てる。
「ちょ、ちょっとお、物騒な物を私に向けないでくれる!?」
悟が見るからに嫌悪の情を顔に浮かべながらウィルに言う。しかし、その言葉は簡単に無視されてしまう。
「確かに、あんたの言うことは一理あるわ。この島自体弱肉強食の世界。弱い者は死に絶え、強い者が生き延びる。そして目的の物を手に入れることができるってワケ。その為に、武器や食料は当然盗ったもんがちでしょう?でも、私を裏切ったことに関しては許せないわ。どう仕返しさせてもらいましょうか。」
「ちょっとぉ、あんた達、聞いてるの!?さっさとこの銃引っ込めさせてよ!!」
「五月蝿い!!!黙ってろ、このカマ男!!射抜くわよ!!」
恐ろしい険相で怒鳴りつける耶江に、その場全員がしんと黙る。
(こ・・・・こええ・・・・・・・・。)
「キーファ、聞こえてる?この粘糸は一体何だと推測できる?」
やがて、がさごそと近くの草陰から、銀髪の男が姿を現した。
「ま〜た耶江ちゃんが僕を必要としてくれるなんて嬉しいな〜〜♪」
「どうでもいいからさっさと答えて。」
耶江が腕組をして冷めた目でキーファをじろりと睨みつける。
「うーん、そうだねぇ・・・、僕が推測するに、これは変異生物の仕業だろうね。」
さらりとした髪を掻き上げると、キーファがニタリと笑った。
「そう、僕という君の虜になった変異生物のね♪」
ふふふっと笑いながらキーファはすっと再び草陰に消えた。
「まー、今回の嘘は半分は本当みたいね・・・。これが変異生物の仕業ってことは。」
そしてきっと龍司に鋭い視線を向けると、耶江はとんでもないことを言い出した。
「そうだ、ちょうどこ〜んないい形で再会できたんだし?
あんた達を囮にさせてもらうわ。もしその変異生物があの壷の変異生物だとすれば・・・・、
とっ捕まえて脅せば、一気に山の頂上まで行けるんじゃないかしら!?」
それを聞いて悟とダイアンの顔が真っ青になる。
しかしその時、悟とダイアンの一瞬で僅かな微笑を、二人の間で交わされた瞬間的なアイコンタクトを、龍司は決して見逃さなかった。