α―XXXVI. 怪物
七月下旬。
東京のドームでは近日、魔術師たちの決戦の全国大会が行われる。
出場校は六校。九州、中国・四国、近畿、中部、関東、東北・北海道代表の六校。
そして、谷崎が現れる予定である為、魔術委員会は選出した四人の魔術師をそのドームに集める。と言っても、四人全員が全国大会にまで駒を進めている為、必ずドームに来るのだが。
小野原聖花からキューブを預かった敬治も彼女の豪邸から東京に来ていた。
今、亡霊のメンバーの全員が東京に来ている。だが、紅炎の魔術師だけは亡霊に所属していながらも、大会に出て、魔術委員会側にいる。
それは偵察の役目もあったが、何よりも本人の意思を尊重した。
亡霊の情報も全然持っていないため、情報漏洩の心配も低い。
公に犯罪者扱いを受ける事がなかった斉藤敬治は今、渋谷駅のハチ公と向かい合っていた。
キューブはちゃんと彼のポケットの中に入っている。だが、それは一度、断ったものだった。
向かい合っていてもハチ公が言葉を話す事は無い。
そんな時、敬治の背中に悪寒が走り、後ろを振り返ってみると、そこにはこの前あったばかりの男がいた。
いつもどおり無表情な男。だが、無表情なはずは無い。何故なら、敬治の感じた悪寒には――。
「時間だ。行くぞ」
そう言って背を向ける彼を敬治は追いかけた。
↑
七月一日。
「この男性のこと。あなたはよくご存知ですよね?」
小野原の家でスマートフォンの画面を見せられながら、彼女に尋ねかけられる。
三十代後半から四十代くらいの男性の写真を見せられた敬治は自らの眼を大きく見開いた。
「……――――親父!?」
「やはり、あなたのお父様は警察官だったのですね。そして、あなたと同じように電撃の魔術を使えるお方でもある。何故、お父様に魔術を習わなかったのですか?」
彼女の問いに敬治は自らの顔をその写真から背ける。
「“あんな奴”に何を習えって言うんだよ……」
「……それは魔術で人を傷つけないとおっしゃるあなたの信念と関係がありそうですね」
図星だった。それ故に敬治は無言。
彼女は溜息を吐き、これ以上の会話は望めないだろうと、敬治に背中を向けた。
「では、キューブを取りに行って参りますので」
そう言って離れようとする彼女のその行動を敬治は止める。
「待ってください……キューブはいりません」
段々と頭の整理ができてきて、キューブが与えた影響について彼は理解したからこそ、自分が持っていてはいけないと思った。
そして、小野原が理由を尋ねる前に彼は言葉を続ける。
「本部の地下の囚人たちを見て、怒りがこみ上げてきたのはそいつらが魔術で人を傷つけたからだけじゃない……二階堂が持ってたキューブが俺に影響してたからだ。だから、俺はその人たちを魔術で傷つけた……キューブは人を狂わせる」
「そうですね。あなたの言うとおりキューブは人を狂わせます。ですが、そのデメリットを気にしなくていいくらいのメリットがあるかもしれないと申したら、あなたはどうされますか?」
彼女はそのメリットを知っているかのような口ぶりだ。そのメリットは敬治も承知している。
キューブには大量の魔力が入ってる。
だが、彼女の言うメリットは少し違うものだった。
「キューブに呑み込まれたあなたのいる現場にわたくしが居合わせた時、桐島尚紀は怪我を負って膝を着いていました。その怪我はあなたと同じ酷い火傷のようなもの。ですが、あの場で火の魔術を使えるのは桐島尚紀だけでした。つまり――」
敬治の方へと向き直り、笑顔で告げる。
「――あなたは桐島尚紀の魔術をどうにかして跳ね返した」
跳ね返す。つまりは反射。
そこで敬治の頭に過ぎるのは電撃の四つの性質の反射。
「ですが、それを電撃の反射と呼ぶには少し、未完成な気がします。キューブの魔力でそれができたのですから、完成させるにもキューブの魔力が必要なはずです。それでも、あなたは要らないとおっしゃいますか?」
その質問に敬治は答えなかった。
「では、キューブを取って参りますね」
そう言って部屋を出て行こうとする彼女を敬治は止められない。
メリットを考えれば、デメリットは小さいものであり、敬治の精神が強ければ、キューブの感情に飲まれる事はないのだ。
部屋に帰ってきた彼女は一人の男を連れていた。
茶髪でしゃれた感じの服を着た男性は十代後半くらいの年齢に見える。その顔に一切の感情はない。
金色に輝くキューブを手渡された敬治は彼女の隣にいる男を紹介される。
「この方は時枝元宏さんです。あなたの怪我を治してくれた方でもあります。そして、彼は時間魔眼の持ち主です」
怪我を治したという事と目の前の男が時間魔眼だというのを聞いて、時間を操る類の魔眼であるのが分かる。相当厄介な能力。
だが、ここにいると言う事は敵ではないと言う事で敬治も安堵する。
「よろしく。君の名は?」
差し出される右手。キューブを左手で持って、右手でそれに応じる。
「斉藤敬治です」
↓
七月下旬。都内某所。
「なんや。もうへばったんか? 自分、根性の無いなァ?」
広い窓が一つもない空間で、四つん這いになっている敬治に向けて、邑久清次は関西弁で罵倒する。
彼と敬治は既に魔術委員会地下にて会った事があり、そこでは敵同士として戦ったが、今はそうではない。
邑久は今、敬治の為に戦っている。
「そんなんじゃ、いつまで経ってもできへんわ」
「……うるさい!」
立ち上がって、右手に電撃を纏いながら突っ込む。
それは無謀にもほどがあり、邑久はため息を吐きながら、敬治の拳を敬治の腹に飛ばした。
自分の攻撃を自分で食らい、床に突っ伏す。
「ホンマに……学ばんやっちゃなァ」
呆れる邑久だったが、しょうがないとは思っていた。
迫る全国大会と、この前谷崎と会ったこと。
それが敬治の集中力を欠く主な原因と言える。
そんな状態で続けても、意味が無いとは思うのだが、小野原に逆らえない邑久であった。
傍から二人の様子を見ていた時枝も邑久と同じ考えだが、一つだけ付け加えている。
それは敬治がキューブの感情に呑まれるのを恐れて、キューブの魔力を使おうとしていないこと。
その瞬間、無表情だった男はにやりと笑みを浮かべた。
時枝が立ち上がるのと同時に邑久は彼の方を見る。
「……? なんや?」
邑久のその眼は十五個の円が浮かんでおり、時枝も同様に十四個の円を眼に浮かべた。
その瞬間、邑久は時枝を室内から消し去った。
「……なんで……?」
目の前ので起きた出来事に驚き、疑問を抱くしか敬治にはできない。
「自分、あいつの眼ェ見たか? あれは殺る気やったで」
冷静にそう答える邑久は時枝の眼を見たと言う事は、その表情も見ていた。
いつも無感情な顔だったが、さっきはにやりと笑みを浮かべていたと言う事実は邑久を思考に浸らせるには十分。
飛ばした所は此処からそう遠くはない。それを邑久は後悔する。
(無感情な男のあの表情はやばいて俺のセンサーが言っとるわ……此処離れた方がええかもな……悪い予感がするで)
そう思った瞬間に即行動に移すのが、彼の強みとも言える。そして、今回はそれが最善だった。
敬治を呼んで、何本もの柱のある広い地下空間からエレベーターで上に上がり、地上階に出る。
そこはホテルのような場所で、ロビーにいた小野原に邑久は事情を話す。
その話を聞いていた敬治だが、邑久の直感的な行動に不審感を募らせていた。
「あなたの意見にはわたくしも少し賛同するところがあります……彼の条件にはキューブへの執着のようなものも……」
「ほなら、話早いわ。はよ、こっからキューブ持って去ね。俺があいつの相手したるわ」
そう言う彼は本当に一人で時枝の相手をする気でいる。
だが、やっぱり敬治は納得できなかった。
「俺も残ります」
「俺の魔眼で無理やり移動させたろか?」
「反射を身に付けるためにはあなたの力が必要です。だから、ここに残ります」
何に自分が納得できていないのか分からない。それを確かめる為に残ろうと思った。
揺ぎ無い敬治の眼差しを見て、足手まといにはならないと思った邑久はそれを了承するのと、ホテル内にいる亡霊の全メンバーを東京内の他の場所に飛ばした。
ホテルに残ったのは二人だけ。
邑久の指示に従って、地下の広い空間に戻り、邑久は独り言のように話し始める。
「……俺ら亡霊の事は詳しく教えられてへんみたいやな。俺らはその名の通り、社会から抹消された亡霊や。五年前の桐島尚紀を作り出した事実を隠蔽する為に魔術委員会によって処分された」
「処分……」
敬治が同情するようにそう呟く。
「俺はその処分される奴らを逃がす為にあの豚箱に入ったんや」
本当はこの人は良い人物なのではないかと思い始めていたその時だった。
納得できない理由。それが少しだけ分かった。
邑久はこんな良い人物ではない。そう。初めて会った時の印象は“狂い”。
この人物は狂ってる。
「あんた……何が目的――――?」
そう尋ねかけながら、彼の表情を見る敬治だったが、彼はその表情を見なければ良かったと後悔する。
邑久の顔は彼の印象どおり、狂っていたのだから。
「なんや。もうバレたんかいな。早いわー」
瞬間、敬治は彼と距離を取る。十メートルほどの距離を。
「自分が取った距離はホンマ適切なんか? 俺はそれの百倍とったがええと思うけど……まあ、物理的に無理な話や」
嗤う彼がポケットの中からゆっくりと取り出したのは、金色に輝く立方体。
「時枝が持っとったんをさっき奪った。自分らなんで、キューブ持っとること気づかへんねん」
目の前の男が持っているのは自分のキューブではない事を知り、安堵する敬治だったが、全く安堵できる状況ではない事を再確認する。
時枝からさっきキューブを奪ったと言う事は、彼の魔眼で敬治のキューブもいつでも盗めると言うこと。
咄嗟に敬治は自らの身に電撃を纏った。
それは電撃による魔術破壊。電撃を纏えば、魔眼を防げると思ったから。だが、その考えは甘い。
目の前の男は敬治の電撃を纏った腕でさえ、次元の穴に通す事ができる。先の地下監獄での事である。
それは彼の次元空間を壊すには電撃の威力が足りないと言うこととを意味する。
「やっぱまだ底辺やで。谷崎と殺り合う前の予行練習のつもりやったんやけどなァ……キューブ使わんのやったら、てっぺん見せたろか?」
十五個の円を刻んだ眼で睨みつけられ、敬治はポケットの中にあるキューブに手を伸ばす。
触れた瞬間に伝わってくる怒りの感情。敬治を呑み込もうと迫る悪魔。
敬治がキューブを強く握り締めるのと同時に、その身に纏う電撃が十倍ほどの大きさにまで膨れ上がった。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
ニーチェの言葉通り、敬治の中に存在する深淵を覗くと、そこには大きな目玉が存在していた。
瞬間、敬治は姿を消し、同時に邑久の前に現れる。
邑久の魔眼が作り出す次元の穴と敬治の身に纏った電撃がぶつかり合う。
そして、敬治の電撃は次元の穴を粉々に粉砕した。
自分の魔眼が通用しない怪物。桐島尚紀と同じ自分よりも強い相手。
それを目の前にして、邑久は自らの口元を歪め、この状況を愉しんでいた。
眼を赤くした悪魔の手刀が迫る中、自分の体を移動させようと足元に次元の穴を開ける。
次元の穴に落ちる邑久。
彼がその空間に落ちるのに掛かるのはおよそゼロコンマ六秒。
常人ならば、その間に彼に攻撃する事はおろか、触れる事すらできない。
だが、邑久の目の前にいる怪物はいとも簡単にそれをして見せた。
落ちる彼の腹に一発蹴りを入れるのと同時に、予想だにしていなかった攻撃に対応できずに広い空間に存在する柱にその身を叩きつける。
電撃の速さで繰り出された蹴りは彼の内臓と骨を壊すには十分。そして、邑久は血反吐を吐いて初めて気がつく。
左腕が無い。
キューブは右手に持っていた為、無事だが左腕は敬治の右手に握られていた。
「ぐふ……か……怪物……が……」
辛うじて息をしている状態の邑久は声を聞く。
『こんなところで終わるのか。底辺』
(なんや……お前……)
『我が名は――――ルシファー。最強の悪魔なり』
瞬間、敬治の目の前でありえない事が起こる。
キューブの魔力によって、左腕を再生させ、全ての傷を治した。
しかし、闇を見つめる敬治にその光景は見えていなかった。