β―XII. 記憶
晴天の下、開会式が行われ、それを面白くないと言わんばかりの表情で受けていた山田愛沙は、観客席に哲郎の姿を探すが見つけられない。
そんな挙動不審な彼女の様子を観客席から窺っていた哲郎は自分の事を探しているのは分かっていたが、手など振ったりする事なく、逆に見つからないように少し顔を伏せる。
見つかったりしたら、彼女の方から手を振ってきそうだったからだ。
それ以上の恥ずかしい事はない。
開会式が終わり、第一回戦に入る。
一回戦は福岡と宮崎の高校の試合。
すると、福岡の高校の中には山田愛沙の姿があった。
(一回戦の高校だったのか……)
そう思いながら、トーナメント表に書かれた東坂高校という字を見る。
中心に五人と五人が向かい合うように並ぶ。
ホイッスルが鳴るのと同時に十人は互いに頭を下げて、それぞれ散らばる。
もう一度ホイッスルが鳴れば、試合開始。
そして、そのホイッスルが鳴って一瞬の内に事は起こる。
その起こった事を視認できた者は殆どいないだろう。
試合開始のホイッスルが鳴るのと同時にカメラのフラッシュよりも強烈な光と電撃の音が鳴り響き、眩しさに目を細め、次の瞬間には一方の五人が全員、芝のグラウンドに倒れていた。
試合終了のホイッスル。
(……これって試合になるのかな……?)
山田愛沙の絶対的強さを目の当たりにして、苦笑いする哲郎。
「……なかなかできるようですね……」
今日電車であった女子高生のいる高校を見ながら、笑みを浮かべる容姿だけ綺麗な女子高生。
その後ろには彼女と同じ高校の魔術部の生徒たちがいた。
「まあ、こっちにも電撃には対策がありますから。ね?」
と後ろでガムを噛んでいる男子高校生の方へと目を向けると、顔を背ける。
「私を無視するなんていい度胸ですね?」
◇
試合は順調に進んでいき、決勝は福岡対福岡の高校となった。
東坂高校と容姿は綺麗だが、性格に問題のある女子高生のいる高校の対戦。
両校ともに実力を出し切っていないまま、決勝にたどり着いた。
「よくここまで残ったものですね?」
「あなたたちこそ」
紅林音衣子の言葉に答えたのは神津沙智。
睨みあう二人の横に並んだそれぞれの魔術部の面子は呆れるように溜息を吐いている者もいれば、彼女らとともに睨みあっている者、無表情の者もいる。
ホイッスルが鳴るまで数十秒。
東坂高校はホイッスルが鳴った瞬間に電撃を仕掛けてくる。
つまりは相手の高校はそれより前か同時に仕掛けなければ、決勝まで残らなかった高校と同じ目に遭う。
だが、彼らにも秘策はある。
ホイッスルが鳴るのと同時に愛沙は動く。が、もう一人、ガムを噛んでいた相手の高校の男子生徒も動いた。
Araiを唱えることなく、芝のグラウンド一面に二、三十センチほどの水を溜めて見せたのだ。
つまりは相手の高校に愛沙が攻撃すれば、味方もやられる。
しかし、彼女だけ立ってれば勝ち。迷う必要は無かった。
愛沙は一瞬、迷ってしまった。
それが隙となり、相手の高校にチャンスを与えてしまう結果となる。
「Felliher」
Araiを唱えたのは両手を前に突き出した紅林。そして、両手の先には電撃を纏っていない愛沙の姿があった。
手から放たれる炎は彼女の身を直撃し、勢いで彼女の体は数十メートル先にふっ飛ばされる。
「愛沙ちゃん!」
部長が声を上げながら後ろを振り返ろうとしたその時、相手の高校の終始笑みを浮かべていた男子生徒が部長の前に迫っていた。
「人の心配より自分の心配ですよ、部長さん」
右手を部長の顔に持っていくその動作に見覚えはあった。何故なら、自分も使った事があるから。
「Morst」
それは風の魔術。
手から放たれる暴風は部長の体を頭から吹き飛ばし、眼鏡は宙を舞い水の中に落ちた。
開始数秒で二人の人物が水に叩きつけらてしまった東坂高校の状況は芳しくない。
「強そうだったけど、そうでもなかったわね」
「何言ってるんですか、紅林さん。東坂高校のエースはこの石川兼太郎ですよ」
紅林がそう呟くのと同時に反応したのは彼女に好意的な髪の毛の無い高校生。
この場にいる誰もがその発言に首を傾げた時、東坂高校の江藤と神津だけは笑みを浮かべた。
それは、エースは言いすぎだがそれくらいの実力はあると言う笑みだった。
「Morst」
終始笑みを浮かべている男子高校生と同じAraiを唱える石川は自らの足に風を纏って、水面上を飛んだ。その姿は水面を滑って移動しているかのようにも見える。
そして、移動しながら、両手を広げ、両腕を少し開いて、手のひらを進行方向に向ける。
「Notrado」
両手のひらにでき始める小さな竜巻は二秒程度で二メートルを超え、石川を中心にハの字状に伸びた。
ハの字の先にいたのは二人の人物。未だにAraiを唱えてはいない相手高校の二人だった。
その二人は結界を張ることもできずに石川の作り出した竜巻に飲み込まれ、宙を舞い、そのまま水の敷かれたグラウンドに叩きつけられる。
これで三人対三人。結構な高さまで上がって叩き落されたので、復活の見込みは少ない。
右手にもう一度、小さな竜巻を作り出す石川はその右手を振り上げながら紅林の方へと突っ込む。
「Notrado」
それは石川が唱えたものではなく、石川のすぐ横から聞こえたもの。
すぐさま、器用に風を纏った足を捻って、横を向き、その勢いのまま左側に向けて右腕を振るう。
だが、その右手は笑みを浮かべた男子高校生の小さな竜巻を持った左手によって相殺させられる。さらに男は足に風を纏っているようで、石川は完全に封じられた。
そして、ガムを噛んでいた相手の高校の男は右手を銃に見立て、その人差し指を石川に向ける。
「Sundob of a cserad lapec」
石川を中心として八円陣結界を展開するのと同時に男の指からは水が放たれ、八円陣結界によって石川は守られる。
展開したのは神津であり、彼女の存在を捉え、人差し指を彼女の方へと向け直そうとした時、彼の右から炎が迫っている事に気づいて、すぐさま炎に人差し指を向けて、消火する。
炎が飛んできた方向には江藤が立っていた。
「あなたの相手は僕のようですよ。ガムなんて噛んでないで、僕とお話でもしませんか?」
応えない相手はガムを噛み続ける。
「そうですか……残念です。なら、僕は一人であなたの悲鳴との会話を楽しむ事にしましょう」
江藤は本気だった。何故なら、こんな所で終わるわけにはいかないから。
ガムを噛む男とは江藤。笑顔を絶賛振りまいている男とは石川。
残るは紅林と神津の組み合わせしかないと言う事は小学生でも分かる。
「あなた、まだ結界しか展開してないけど、まさか、結界しか使えないなんて言わないわよね?」
神津は紅林の質問に答えない。それは間違っていないと答えているようなもの。
「まさか、図星? と言うことは五人の中でもあなたって無能な人なのね。通りで、ブスなはずよ」
「ブスと無能は関係ないわ。それに、あなた何か勘違いしてる。結界だけしか使えない=無能だとは限らない」
紅林の言葉に反論すると、彼女は身構える事などせずに、ただそこに突っ立っているのみだった。
その様子を挑発と受け取った紅林は右手を彼女の方に向ける。
「だったら、それを――」
右手に炎が収束し、丸い球の形を成す。
「――証明してみなさいよ!」
それを彼女に向けて、放とうとした瞬間だった。彼女の周りに二メートル四方の立方体の結界が現れ、放たれた炎は自らに跳ね返る。
爆発はその直方体の結界の中で起こり、紅林は自爆した。
地雷式の結界を仕掛ける時間などいくらでもあった。
「あなたの敗因は結界しか使えないと私を甘く見たこと」
神津がそう言葉を紡ぐのと同時に、立方体の結界に二人の人物がぶつかる。
それはガムを噛んでいた男子高校生と笑顔の男子高校生だった。
試合終了のホイッスル。
それが鳴るのと同時に起き上がる部長と愛沙。
壊れた眼鏡をポケットに入れて、拍手しながら三人の方へと近寄る。
「いやいや。凄かったよー。一年前とは大違いの強さだ」
「部長!? ……やっぱり、僕たちを試すために狸寝入りしてたんですか。山田まで……」
近寄ってきた二人にため息を吐く江藤。
「実力をはかるためにはこの方法しか思いつかなかったんだ。しょうがないだろ? けど、これで分かった。俺と愛沙ちゃんがいなくても、東坂高校魔術部は強いってことがね」
晴れて、二年連続九州を制し、全国大会への切符を手に入れた東坂高校。
全国大会は東京で行われる予定で、その時、谷崎は何かを仕掛けるつもりのようだ。
閉会式を終えて、部長と愛沙は一応、医療関係者によって検査を受け、紅林などの怪我を負った者は医療関係の魔術を施される。
帰宅しようと哲郎を探していた愛沙はスタジアムを出て、彼の存在を探す。
すると、彼は二人の人物と何かを話していた。
「それでは、楽しみにしてますヨォ?」
そう告げると男は去っていき、女の方もその後をついていった。
残された哲郎はどこか悲しそうな表情をしている。
「あの人たち……誰?」
哲郎の方に近寄って、そう尋ねると哲郎は首を横に振って、答える。
「今日初めて会った人たち……だよ」
そう言って、「帰ろうか」と階段を下りていった。
◇
試合開始のホイッスルが鳴るのと同時に山田愛沙は水面下に叩きつけられた。
その様子を観客席から見ていた哲郎は思わず立ち上がってしまう。
(愛沙……!)
心配の眼差しを水に浸かったグラウンドに向けていると、その声は後ろから聞こえてきた。
「彼女の事が心配カイ?」
聞いた事のある声だった。だが、思い当たる節は最悪な記憶。
ゆっくりと後ろを振り向く。そこには愛沙に向けて銃を撃った男と自分を騙した女がいた。
「……何の用ですか……」
「まあ、あの時は殺されかけましたからネェ。その仕返しの用もありますがァ、他にもあなたには用があるんですヨォ」
笑みを浮かべる男に殺されかけたのはこっちの方だと思いながら、自分が殺されかけたと言う男の言葉に疑問を抱く。
(あの時……愛沙がこいつを攻撃したのか……?)
そう思ったが、すぐにその予想は頭から消した。何故なら、彼女はあの時、魔術で攻撃できる状態ではなかったからだ。
誰かが攻撃した。第三者が。だが、第三者ではなかった。
「まあ、まずは座って少しリラックスしたほうが良いヨォ」
自分と愛沙を殺そうとした人物が後ろにいるのに、リラックスなんてできるわけがない。
そう思いながら席に着くと、男は尋ねかける。
「君が心配してた彼女。あの時から少し疑問に思ったこととか無かったカイ?」
そう尋ねられて、思い返してみると、愛沙はあの日の事を何も覚えていないように話が噛み合わなかった。
ショックで覚えていないと思っていたが、それを違うとでも言うかのように男は話を続ける。
「あの時の事を何も覚えてなかっただろう? それはね。僕が彼女の記憶を消したからだヨォ。彼女に魔術委員会の事を疑われるのも嫌だしネェ。僕の眼はそう言う能力なんだ。記憶を消したり、呼び覚ましたりできる」
自分の能力をわざわざ説明し、笑みを浮かべる男。
何の意図があるのか分からないが、その男は話を変える。
「さて、ここで昔話をしようかァ。君もその名くらいは知っているだろう? 桐島尚紀」
哲郎も知っている。
少年が野球場で五千人もの人を消した事件。
「彼を捕まえる際には勿論、魔術委員会会長が関わり、あともう一人の人物が関わっていたんだァ。その人物は人の魔術の根源である魔力を奪う銃弾を開発したァ。それを使って桐島尚紀の魔術を封じ、捕らえる事ができたんだヨォ。それから彼は行方不明になったァ。これが表の話。
ここからが裏の話だァ。その人物は桐島尚紀を捕らえた後、大切な者を失い、時枝の手によって記憶を消され、姿を消失したァ。けどネェ、時枝がなんで彼の記憶を消したのか全く分からないんだよネェ。それに僕たちは時枝に釘を刺されてしまったァ。だから、その人物を見つけても僕は記憶を取り戻させる事はできない」
長々と語る男はずっと、笑みを浮かべており、そして、哲郎の耳元で続ける。
「でも、もしこの会話を偶然、その人物が聞いてしまっていて、偶然、その記憶を思い出したとしても、それは不可抗力だよネェ? 柏原哲郎さん。僕の眼を見てごらんヨォ」
哲郎は男の眼を見る。そこには一つの大きな円と七つの小さな円。合計八つの円が描かれていた。
「いや、君は――――かしわオニギリとでも呼んだ方がいいのかナァ?」
歯車は噛み合い、ゆっくりと、だが確実に回り始めていた。