β―XI. スタジアム
土曜日
(フフフッ……今日は山田愛沙も僕の為に帰ってくるみたいだし、それに今日は大切な試合! 気合入れて頭の手入れをしないと!)
そんな事を思いながら、髪の毛のない頭を触る。
手入れとは言っても育毛剤を塗ることで、いわば焼け石に水。
太陽の光が反射でもしたら眩しくて眼を瞑ってしまいそうなつるつるな頭の準備は終わったようで、制服を着て、玄関へと向かう。
「じゃあ、行って来るよ!」
玄関にまで見送りに来る、と言うかまだ起きてすらいない両親にそう声を掛けながら、東坂高校の二年生――石川兼太郎は泣きたい気持ちになった。
電車に乗って博多駅に向かっているときにも同じ気持ちになる。周りの視線が彼をそんな気持ちにさせる。
だが、その視線に彼が慣れていない筈もなく、すぐに立ち直って、白いカッターシャツの胸ポケットからサングラスを取り出してかける。
電車のドアのガラスに映る自分の顔を見て、かっこいいとでも思ったのか笑みを浮かべる。
その間に電車のスピードは落ち始めて、博多駅より二つ前の駅で停車する。
石川が鏡代わりにしていたドアが開き、彼の目の前に電車に乗り込もうとする東坂高校の制服を着た女子生徒が現れる。
「……何してんの、ハゲ」
「よ、よぉ! 神津って、ちょっ……やめて……やめてよ、その人を可哀想な奴みたいな目で見るのやめてよ」
哀れみの目で目の前のハゲでサングラスをかけた人物を見ながら、神津沙智は電車に乗り込んで、石川から離れようとする。
「ちょ、待って! 同じ部活で今日、大事な試合のある神津さーん! あのー! 聞こえてますかー!」
神津にはもう石川の声は聞こえないようで、ちょうど空いていた席に座った。
すると、隣には違う高校の制服を着た女子生徒がおり、神津はその女子を去年見た事があった。
勿論、一度見ただけの人物の顔を一年間も、よほど特徴がない限り覚えてはいない。
つまり、覚えていると言うことはよほどの特徴があったから。
「あら? 誰かと思えば、去年問題起こした東坂高校の人達じゃありませんか?」
女子生徒も神津とサングラスでスキンヘッドの男の事に気づいたのか、口を開く。
サングラスを外してその女子を見る石川は彼女が誰か気づいた瞬間に動いた。
「く、紅林さんじゃないか! 会えて嬉しいよー! ところで去年、メルアド渡したのにメールくれなかったのはなんで……?」
ドアの前から神津の座っているところまで瞬間移動したかのように見える速さで動いた石川は彼女の隣にいる人物の手を両手で握りながら、首を傾げる。
すると、手を握られた女子生徒はにっこりと笑って立ち上がる。
神津が覚えていた特徴の一つは彼女がテレビに出ているタレントくらい美人で綺麗なこと。
見てる分には何の問題もない。満足感すら与えさせる容姿なのだが、
「何故、私があなたのような家畜同然の生き物に対してメールを送らないといけないのか理解に苦しみます。どうしてもというのであれば、土下座の姿勢で地面を舐めながら懇願していただけないでしょうか?」
ドのつくサディスティックだった。
また、こんなきつい言葉を丁寧な口調且つ、笑顔で言うのだから意地が悪い。
そして、ひどい言葉を浴びせられた本人も気を悪くするどころか、彼女の言う通りの事をやろうとする。
すかさず、それを止めに入る神津は石川の髪の毛のない頭を叩く。
「ちょっと! なんで、叩く! 髪が生えてこなくなったら神津のせいだからな!」
そんな言葉など気にする事なく、笑顔の自分と同年代の女性に目を向ける。
やはり自分には到底敵わないような美人。
「私たちの部の石川が迷惑をかけたようですみません。紅林さんもお座りになったらいかがですか?」
「あら? ありがとう。あなた礼儀が良いわね。お名前は?」
そう言って、神津の隣に座る彼女は高校三年生。先輩であるため、敬語は使ったが正直、使いたくは無かったのが本音。
紅林音衣子。
県内でも指三本に入る頭の良い高校に通っている彼女は去年、戦う事はなかったが、今回は決勝に行けばあたる高校。
去年の成績は一回戦負けとあまり良くないが、彼女だけが異彩を放っていた。それは容姿だけではなく、魔術においても。
「神津沙智と言います」
「…………プッ!」
彼女の名前を聞いて、暫しの間沈黙したと思ったら、急に吹き出す。
訝しげな表情と言うよりも、「またこれか」と呆れるような眼差しで綺麗な彼女を見る。
「いえ……ごめんなさい……近くで見るとあなたの顔があまりにもブスで、加えて名前もおかしかったから笑えちゃって……本当にごめんなさいね」
神津を見て笑う紅林。それを指差しながら爆笑している石川のデリケートゾーンに蹴りを入れる神津。
電車内でもがき苦しむ彼の姿には目もくれずに紅林を睨みつける。
「ちょっと、失礼じゃないですか?」
「だから、『ごめんなさい』ってちゃんと言ってるじゃないのよ。言葉が理解できないブスね」
「あなたに比べれば、ブスかもしれませんが世間からすると私は中の上くらいなんですが?」
睨みあう二人の間に火花が散っているのを電車の地面に這いつくばった石川には見えていた。
「決着は魔術で」
「そうしましょう」
そう言うと二人は顔を反対に向けた。
それから何駅か過ぎて、終着駅の博多駅に着いた。
そこから歩いていけなくもないところに会場はあるが、やはり遠い。
バスに乗って福岡空港を通りすぎて、会場の近くのバス停で降り、歩いて会場に向かう。
魔術で対決するとあって、狭い場所ではできない。だからと言って福岡ドームは空いておらず、残る広い場所で人も見に来れるのはここぐらい。
そこはサッカーの試合やラグビーの試合が行われるスタジアム。
観客もそれなりに入ることができる。
なんで観客がいるのか。それも谷崎が出した条件の一つだから。
魔術師たちの決戦が行われているのは谷崎が人質を取っていくつかの条件を出しているからであり、全国大会の決勝の生中継もそれに含まれている。
つまり、谷崎は魔術に注目が浴びるようにしている。
注目を浴びた上で何かをしでかす気でいるのだろう。
それを阻止しようとするのは魔術委員会であり、そして、五人の魔術師を選び出した。
一人は亡くなり、愛沙が候補としてあげた人物も犯罪者になった。しかし、もうその罪は咎められる事はない。
何故なら、谷崎と、桐嶋尚紀と彼は会長の目の前で戦って見せたのだから。
五人の魔術師は四人になってしまったが、四人でも十分なほどの兵ぞろい。
そして、その中の一人である少女はいつものジャージではなく、制服姿でスタジアム前の階段を上がりながら、ため息を吐いていた。
「……暑い……」
「そりゃあ、東京よりは暑いでしょ……」
隣の三十代くらいの男がその言葉に答え、睨みつけられるのと同時に階段の上の方から声が聞こえる。
「おーい! 愛沙ちゃーん! 久しぶりー!」
大きくこちらの方に手を振っているのは銀縁の眼鏡を掛けた高校生。
(若い子って元気だなぁ……)
とそんな事を思ってしまったのに自己嫌悪しているうちに、東坂高校の魔術部、幽霊部員である山田愛沙は階段を駆け上がった。
「部長。久しぶり。それとエトーも」
「久しぶりですね」
銀縁眼鏡をかけた横にいる副部長にも挨拶をすると、階段を振り返り、上ってくる男性を見る。
「あの人は東京でお世話になってたタクローって人!」
「たくろう……?」
魔術部部長の藤井亮にはその名前に思い当たる節があった。それは棚木淳が彼に残した手紙の中の人物。
(でもあれは哲郎だろうし……違うな)
そう思って流し、階段を上ってきた三十歳の男性に頭を下げる。
「どうも。東坂高校魔術部部長の藤井亮です。よろしくお願いします」
「ああ。どうも……よろしく」
柏原哲郎はここで自分の名前を再度言うべきだったのだ。そうすれば、部長も彼の漢字を聞いただろう。
つまりはまだ、歯車は噛み合わないまま、哲郎の自分の知らない物語も止まったまま。だが、止まったままの方がいいのかもしれない。何故なら――――。
「あとは沙智ちゃんと石川だけか……ってもう来たみたいだね」
階段を上る直前に太陽の光を反射するつるつるな頭の男と、自称、中の上の女が距離をとって歩いていた。
これで東坂高校魔術部部員は全員集まった事となる。
「タクローは先に入ってていいよ」
愛沙にそんな事を言われたら、スタジアムの中に入る選択しかない。
哲郎は愛沙の言うとおり、先にスタジアムの中の観客席に足を進めた。
観客席には人が満席とまではいかないが、まあまあ入っている。
スタジアムに入る直前にもらった出場校とトーナメントの表を見たら、その理由がすぐに分かった。
ここで行われるのは県大会ではない。九州大会だった。
そうしなければ、出場校があまりにも少なすぎる。
鹿児島、沖縄、佐賀、大分の出場校は無い。熊本、長崎が一つ。宮崎が二つ。福岡が三つ。計六校。
魔術部はオカルト系の部活と思われがちであるのに加えて、政府は魔術をよくは思っていないため、魔術部自体が無い地域は多い。
携帯電話で時間を確認すると、午前九時。
始まるのは十時。
あと一時間しかないのに外で話していてもいいのだろうかと愛沙たちを心配に思いながら、出場校とトーナメントが書かれた紙ではなく、もう一枚の紙を手にとって見る。
そこには魔術の説明と今大会のルールが書いてあった。
魔術の説明は愛沙から受けたものとほぼ同じような内容。
ルールは哲郎にも分かるくらい簡単なものだった。
五人対五人で五人を倒した方が勝ち。
つまり、味方の四人が倒されて一人残ったとしても、一人で敵の五人を倒せば、一人残った方の高校が勝ち。
制限時間は一時間。それまでに勝負が決まらなかった場合は残った人数の多い方の勝ち。
しかし、相手を死に至らしめた場合は即刻、その高校は負けとなる。
「これって目の前で魔術で対決するのか……もしかして、危ない……?」
哲郎が思っているほど、観客席は危険ではない。
観客席から見下ろす芝のグラウンドの四方の角には一人ずつ、魔術師がおり、自らの前と後ろの両方に結界を張っている。
つまりは観客席は二重の結界によって守られている。
円の数は十二と少なくない。
立方体の形に結界を張っているので上から魔術が出て行くことも無い。
(大丈夫かなぁ……)
と心配しながら、またトーナメント表に目を落とす。
(そう言えば、愛沙の高校って名前なんだっけ……? 福岡の三校は全部バラバラだから早くて一試合。遅くて三試合目かぁ……)
長いと思いながら、何もする事が無く、表示板に時計があるのに気づいて、それをじっと眺める。
◆
その頃、スタジアム内の控え室では、東坂高校魔術部の五人が集まって、部長が珍しく真剣な眼差しで話をしていた。
「去年。俺たちはこの九州大会を勝ち上がって、全国大会に行った。そこで、あいつは俺たちの目標を踏みにじり、俺たちはそれを止められなかった」
銀縁眼鏡を右手人差し指でクイっと上にあげる。
「今年はあいつを止める。その為に全国大会に行くよ」
頷く四人。
五人対五人の魔術での戦いはチームワークの強さも問われる。しかし、それについては心配なさそうであった。
中心に手をやる部長。その上に江藤が笑顔で右手を乗せ、神津が乗せ、石川、愛沙が乗せる。
「これからのは前哨戦。行こうか!」
そのまま皆で手を上げて、心が一つになったところでスタジアムの芝のグラウンドへと出ようとする。
そんな時、愛沙は石川の姿を見て、一言。
「……なんでサングラスしてる? 気持ち悪い」
そう。電車の中で外したはずのサングラスを石川は愛沙が現れると同時に付けていた。
「え? かっこよくない? 俺に惚れない?」
「うん。惚れないし、気持ち悪いし、ハゲ」
笑顔でそう言われ、サングラスを外す彼の目には涙が浮かんでいる。
「あれ……? 目から液体が……どうしてだろう……?」
「はいはい。早く行くよ! 石川!」
呆れ気味にそう言った部長を彼は睨みつける。
「部長! 前にも言いましたけど、なんで僕だけ『石川』なんですか!? 僕をなめてるんですか? スキンヘッドだからですか? 今日も校長のヅラを盗んできたからですか!?」
その瞬間、四人が一斉に石川の方を睨みつけた。
睨みつけられて漸く、自分が言ってはいけない事を口にしてしまった事に気づく。
「お前……ちゃんと返してこいよ……」
そう言って、また生徒会に怒られる事を懸念しながら、青空の下の芝のグラウンドに足を踏み入れた。