β―X. 魔術師たちの決戦
六月二十四日
「見せて……やるよ……――――“セントエルモの火”を」
酷い火傷で立っているのがやっとであろう紅炎の魔術師はそう口を開く。同時に、紅炎の右手には炎によって作り出された刀が現れ、目の前の男へと向けられる。
それを向けられた男は十四個の円が浮かんだ眼で睨む。
その瞬間、彼が最初に展開した半径十五メートルの半球の中に入ったもの全てが停止する。
唯一、止まっていないのは光のみ。
時間魔眼。
彼の展開した半球の中にいる者の時間を操る。
つまり、怪我をした者も時間を戻すことで元の状態にすることができる。
彼の魔眼にも代償は存在している。
それは彼を昔から知っている者なら分かる事なのだが、目の前の魔術師には分からない。しかし、“目に見えない魔術師には分かる事”であった。
十五メートルの半球の中に入っていないその人物の方へと話しかけ始める。
「お前は何故ここにいる?」
『……いつから、オイラの事に気づいていたんだい? 時枝』
何もないところから響く声に動揺している様子は見られない。彼にとってそれは当たり前のことだから。
「俺の質問に答えてもらいたい」
『……君はまだ、オイラたち魔眼保持者がどれだけ戦争に重要なのか知らない。それを君に知ってもらいたくて、オイラはここに来たんだよ』
一向にその姿を見せない魔眼保持者。だが、耳に届く男の声から、男のいるであろう方向は分かった。
「そんな事は十分に承知している。これでお前の用はなくなった筈だ。早く立ち去ってくれないか?」
自分の背後にいるであろう見えない男に話しかける。
対する男の返事は勿論、否定的なもの。
『その態度……君はオイラのことが嫌いなの? まあ、オイラの性格上、好きって言う人が極端に少ないのは知っているけど……ちょっと嫌いなのを露骨に出しすぎてやいないかい? オイラの勘違いならいいんだけど……
まあ、そんな事は良いとして、オイラは立ち去る気ないね。君の能力は使える』
その言葉を聴いた瞬間、時間魔眼を持った男、時枝元宏は笑う。
それを不審な眼差しで見ていたのかも分からない見えない人物は黙ったまま、彼の事をじっと見つめているようだった。
「お前は本当に俺の能力が分かってるのか?」
その質問は時枝の魔眼の能力には男が知りえないものもあるというのを含んでおり、男もそれを察する。
男の知らない時枝の能力。対して、時枝も男の能力を詳しくは知らない筈であるが、男の頭に警戒心を植え付け、容易に行動に移せなくするには十分すぎる言葉であった。
『そんなはったりは効かないよぉ。君は時間を止める魔術しか使えない』
男の言ったことは真実であり、時枝も否定はしない。
そして数十秒後、時枝はAraiを唱えた。
「Crouelens」
その瞬間、時枝の背が円に外接するように十五メートルの半球が展開される。
見えない男の誤算はこれだった。
男は時枝が一つの半球しか作れないと思っていた。いや、時枝がそう思わせていた。
「しまっ――――!?」
男が気づいたころにはもう遅く、彼の入っている十五メートルの半球の中の時間は停止する。
◆
「――――った!?」
そう思って駆け出す見えない男は自分の魔眼を解かずに十五メートルの半球から出ようとする。
だが、それに夢中で彼はある事に気づいていなかった。時が止められた間に移動した時枝の姿と、もう一人の人物の姿に。
そして、走り出して二秒後に自らの左側に見える人物に目がいく。
炎で作り出した細い刀を手にした紅炎の魔術師。
その細い刀には彼が作り出した全ての炎が集約されている。その様子は彼の周りに発生した蜃気楼によって、一目見ただけ分かった。
自分の動きがスローになっていくのが分かる。透明で目で見れなくとも分かる。
(……オイラは――)
スローで近づいてくる炎を避ける事は不可能。
(――死ぬみたいだ……)
炎は見えない男に当たるのと同時に大爆発を引き起こし、その衝撃はそれを引き起こした本人である紅炎の魔術師でさえ吹き飛ばし、時枝は立っている状態からいつの間にか体をうつ伏せにして衝撃から逃れた。
砂埃が舞う中、立ち上がった時枝は紅炎の魔術師の方に近寄ろうと足を一歩踏み出そうとしたが、それをやめる。
何故なら、砂埃に紛れて何者かがいるのが分かったから。
時間を止めてその人物を確認することもできたのだが、それをしなかった。
時枝の目の前に存在する人影は身長が一五七センチほどしかなく、そんな子供が自分に危害を加える可能性は低いと考えた。
いや、言い聞かせた。
(……こっちに来るな……)
ごくりと唾を飲み込んで、足をじりじりと退かせていく。
人影と頭の中の記憶が重なる。
『そうやって、また逃げようとする』
人影が完全に頭の中の人物の姿になる。
『事実から目を背けようとするんだ』
「……違う」
小さな声での否定は、彼の言葉を完全に否定しきれていない証拠。
そんな彼の隙に入ろうとする何か。
『違わないでしょ? “父さん”は僕を見殺しにした。そして、その眼を手に入れたんだから。
でも、その眼で時間を操ることができても、死んだ人を生き返らせることはできない』
死んだ息子が目の前で言うように、彼のおかげで時間魔眼を手に入れたといっても過言ではない。
(幻覚だ……まじめに受け答えする必要はない)
自分に言い聞かせて、その眼を閉じる時枝。
そんな時に聞こえたのは信じられない言葉だった。
『父さんの魔眼じゃ無理だけど、僕を生き返らせる方法は他にあるよ』
その眼を大きく見開く時枝に幻覚は続ける。
『七つのキューブ。七つの罪源。悪魔。これら全てを揃えればいい。そしたら、君の息子は……』
目の前の少年がぶれ始め、少年はにやりと笑みを浮かべてみせる。
今の「君の息子」という発言で幻覚なのは確実となる。なら、目の前の少年は何なのか。
「……お前は一体……!?」
『我が名は――――』
瞬間、突風とともに煙が晴れ、煙で見えなかった人物の姿が露になる。
外国人の血が混ざっていそうなハーフっぽい中学生くらいの少年。
時枝の子供とは似ても似つかない。
「王水の魔術師が何の用……いや、お前はもう亡霊として行動しているのだったな」
「はい。僕は亡霊の一員です。あなたにとってはとても都合のいい組織だと思いますが、入る気はありませんか?」
その質問を受けて、時枝は考える。
先の幻想の発言。七つのキューブ。
その存在は魔術委員会でも問題になっている事なので知っている。
七つのキューブを集めたら、息子を生き返らせる事ができる。そして、キューブは魔術委員会が管理していたことから、七つ揃ったらどうなるのかも知っているはず。
キューブを集めている谷崎もそうであり、それを阻止しようとする亡霊もそう。
考えを巡らせているそんな時、自分のズボンのポケットの中に何か入っていることに気がつく。
それはここに来て目の前にいる少年に会うまでは入っていなかったもの。
恐る恐るポケットの中に手を突っ込んでそれが何なのかを確認する。
感触は硬く、立方体の形をしている。
そう。それはルービックキューブのような形。
谷崎の方についた見えない男が何故、こんなところにいるのか疑問にも思ったが、今それが解決した。
(このキューブを狙っていたと言う事か……)
もうこの世にはいない人物の姿を思い浮かべながら、時枝は笑う。
「お前らはキューブを持っているのか?」
「……はい。一つ持っていますが……」
その言葉を聞いて少しだけ考える時枝は頷く。
「分かった。お前らの方につこう」
笑っている時枝を不審に思う少年。
彼を少し不審に思っているからといって、時枝の能力を手に入れないわけはなく、自然と不審に思う気持ちも薄れていく。
完全に煙が晴れたダム建設が中止になった場所。
時枝は仲間になる上で少年に二つの条件を出した。
倒れた紅炎の魔術師の姿も露となり、時枝は彼も一緒に連れて行くこと。
そして、亡霊が持っているキューブの場所。あるいは、持っている人物を教える事。
時枝は悪魔に――――。
◇
七月
見知らぬ男に言われた日付。六月二十九日は過ぎ去って、自分の家から一歩も出ることはなかった男、柏原哲郎は今、当たり前のように会社にいた。
(なんだか……魔術なんてあるのが夢見たいだなぁ……)
そんな呑気な事を考えている彼の日常は魔術などそこまで話題にならない。だが、そんな日常が少しずつ壊れてきている。
テレビで取り上げられる魔術委員会本部の爆破事件。
それに伴って、去年の魔術委員会会長の暗殺未遂事件もピックアップされ、谷崎と魔術委員会の抗争は暴力団の抗争と同じような扱い方がなされている。
「魔術は危険であり、警察がきちんと取り締まるべき」というのが人々の意見。
魔術委員会主催の魔術甲子園(仮)も正式名称もまだ決めておらず、去年のような事件もあった為に中止すべきという意見が半数以上。
哲郎にとって、そんな事はどうでもいい。
自分の日常が守れればそれでいい。彼女を守れればそれでいいのだ。
そう思うと仕事にもやる気が出てくる。
仕事が終わったのが午後六時過ぎで、今もなお学校をサボり続けている山田愛沙がいつもいるカフェに赴く。
彼女はいつもどおり、一番奥の席でつまらなさそうに携帯電話を手にしてストローを銜えている。
彼の姿を見ると、口に銜えていたストローをコップの中に戻して立ち上がり、恰も自分が会計するかのように彼の前を歩いていく。
そして、彼を急かすように腕組みをして外で待っていた。
「遅い」
彼女は哲郎の仕事が終わるのが遅いと言っているらしいが、会社員の中では早い方ではないかとも思う。決して口に出したりはしないが。
「今日はお寿司がいい」
「そんな贅沢はしないよ。早く家に帰ろ」
そう言う哲郎の発言に頬を膨らませる彼女を置いて、駅へと向かう。
電車の中はいつもどおり満員で、その中でも愛沙は哲郎のことを睨み続けていた。
家に帰り着いて、夜ご飯は冷蔵庫の中にあるもので適当に作る。
机の上に出された食事を見て、またも不機嫌そうな顔をして見せる彼女。
「ねえ。女子高生の食べる夜ごはんがこんなもので良いと思ってる?」
「ん? 目玉焼きにご飯に味噌汁のどこが駄目なの?」
「私に対する敬意が見られない。今の気持ちを古語で言うと、苦苦し」
非常の不愉快という意味を知らない哲郎は首を傾げて、手を合わせて「いただきます」と言い食べ始める。
「そう言えば、君学校は? 出席日数とか大丈夫なの?」
ズルズルと味噌汁を飲んで、目玉焼きの黄身と白身の部分を分離させようとしている目の前の女子高生に尋ねかける。
すると、彼女は何かを思い出したような表情をして、口を開いた。
「今週の土日、福岡に帰るから」
「……へぇー……いってらっしゃい」
他人事のように聞いていた哲郎の手が一瞬止まる。
ゆっくりと目玉焼きから彼女の顔に視線を持っていくと、彼女は冷たい眼で見ていた。
「まさか……僕も?」
それに対して、何も言わずに首を縦に振る。
ため息を吐いてみせる哲郎は箸を茶碗の上に置いた。
「お金は渡してあげるから一人でお願いします」
「駄目。私と一緒にいるのが契約でしょ?」
彼女は白身と黄身に醤油をかけて、白身を頬張る。
「でも、僕が会社に行ってる時は一緒にいないよね」
「会社にまで来て欲しいの? タクローが変態呼ばわり、というかあれを疑われる可能性があると思うけど?」
返す言葉がない。彼自身、愛沙が会社にまでついてきていない事に安堵しているからだ。
また、幸せが逃げていくというため息を吐く哲郎。
「でも、なんで急に福岡に行きたいなんて言い出したの?」
「……もうすぐ、私の高校の魔術部の大会があるの。それに出ないといけないから福岡に行くの」
「ああ……あのニュースで言ってる……なんだっけ? 魔術甲子園だっけ?」
抗うのを諦めた哲郎は茶碗の上に置いていた箸を手に持って、白いご飯を口に入れる。
すると、テレビで言っていて気になっていた事を思い出す。
「でも、魔術甲子園も仮の名前って言ってたし、中止になるんじゃないの?」
「中止にならないよー。と言うか、谷崎に脅されてるから中止にできない。それに正式名称もちゃんと決まったみたい。会長が考えたんだと思うけど……聞きたい?」
笑顔でそう尋ねて来た彼女は哲郎に頷いて欲しいのだろう。その期待に答えて首を縦に振る哲郎。
「魔術師たちの決戦!」
彼女はこの命名に、と言うか英語ならば何でもいい彼女にとっては最高なのだろうが、哲郎は心中で呟く。
(…………そのまんまだね……)