α―XXXI. クソ野郎
一斉に二人へと襲い掛かる同じ服を纏った者たち。
その誰もが二人だと思っていたのだが、次の瞬間には一人になっていた。
一瞬驚きはしたが、犯罪者たちの動きを止めるには不十分であり、残った一人の男に襲い掛かる。
何の動きも見せない男だったが、男の眼は五つの円を映し出していた。
破壊魔眼。
自分が壊したいと意識したものを、空振と似たものを通して破壊する眼。
だがしかし、それが発動する前にその場にいた全員が男の異様な眼が見る先を振り返った。
聞こえたのは雷と全く同じ轟音と、それが落ちた時の地面の振動。
犯罪者たちが雷が落ちたと錯覚するほどに、数十人の人々が地下一階の床に倒れている。
そして、その中心では一人の少年が立っており、その少年に近いところで倒れている者たちは殆どが黒く、焼け焦げていた。
先輩であり、犯罪者である谷崎からの連絡があってから一週間、少年は決して遊んでいたわけではない。
電撃の三つ目の性質である反応は未だ長い間、使用する事は不可能。自分の電撃の魔術を高める為に一週間、破壊魔眼の男に相手をしてもらった。
少年の通う高校の生徒会副会長の言った二人三脚と言う言葉にはこの事が含まれていたに違いない。
二日前くらいにそんな事を考えていた少年も今は一つの事しか頭に無いようで、先の行動は彼の信念を曲げているようにも思える。
魔術で人を傷つける事を忌み嫌うはずの少年が、目の前で傷つけている姿を見て、危うさを感じる破壊魔眼の男。
相手は魔術で人を傷つけたか、それと同等の罪を犯した犯罪者たちなのだが、だからと言って、信念を曲げて良い理由にはならないようにも思える。
思案する男は口に出そうとするが、それどころではない状況である事に気がつく。
だがしかし、その瞬間、少年は右手を自らの前に翳し、Araiを唱えた。
「Lampas」
右手から放たれる電撃は直進するかに思われたが、違った。右手を中心として、電撃は扇の様に広がり、電撃に触れた犯罪者たちの気を失わせていく。
残るは二十人程度。
その中には少年が電撃の魔術を使うことが分かり、自分も魔術を使おうと構えるものもいた。
だが、それも無意味に終わる。
少年はまた姿を消し、残る二十人程度の犯罪者たちはもう一度その姿を見る事無く、意識を闇に落とした。
その階で立っているのは数分で二人だけになってしまった。
男が一人で犯罪者たちを片付けてしまった少年に対して、何か言おうと口を開いた瞬間に、二人の間にある地下一階の床が爆発する。
そして、その穴からは地下二階の犯罪者たちの姿があった。
◇
地下へと行く階段は存在せず、代わりにエレベーターは存在する。
しかし、エレベーターから降りたとしてもすぐに地下留置場に入れるわけではなく、数百メートルの道を歩かなければならない。
道の途中途中には頑丈な扉があり、その扉毎に一人の魔術師が結界を張る為に普段はついているのだが、ある男のせいで今日はいない。
そのある男というのが今、エレベーターに乗って地下八階へと向かっている魔術委員会副会長の福津哲也。
彼の隣には棚木に肩を貸してもらって、辛うじて立っている魔術委員会会長の姿があり、その額からは大量の汗がにじみ出ている。
「苦しそうですね。病院に連れて行きましょうか?」
「心配はいらん……それよりも、お前の身を心配したほうが良いぞ? さっきの爆発で……警察が動き出すかもしれんからのう」
話している最中も息が荒かった会長は横目で耳にピアスをした少年を見る。
『俺はただ、あいつを殺しに来ただけだ』
それは復讐。五年前から溜められた怒り。
↑
五年前
当時十二歳だった彼は九歳の弟と一緒に野球観戦に来ていた。
それは偶然、チケットが二枚当たり、両親もドーム付近にある数々の店舗に用があった為に子供たち二人で見に来れたのだった。
兄として弟を守る。
その事を胸に抱きながら、背の高い人混みを掻き分けて飲み物を買う。その後、弟の手を引きながら座席へと座った。
一緒にわいわい言いながら、野球観戦を楽しんでいた。そして、 七回に風船を天井に向けて飛ばしたとき、それは唐突に起こった。
左隣で一緒に観戦していた弟の姿が無い。
弟だけではない。彼の左側の席全てに人が座っていなかった。
満員だったはずの球場にぽっかりと人のいない場所が生まれた。
いや、その中心には二人だけ人がいた。桐島雪乃と桐島尚紀。
棚木は弟の身に何が起こったのか、分からなかった。
ただ、隣にいた筈の弟の姿が無い事だけが鮮明に彼の目に入る。
そして、人のいなくなった空間の中心にいた少女が眼を抉られ、叫び声を上げたのを皮切りに一斉に球場にいた人々が出口を目指し、騒ぎ始める。
彼の中でも恐怖が支配し、周りの人々と同様に出口に走った。
その眼に元凶である男の姿を刻み込んで。
死体も無く、いつの間にか消えていたからだろうか。棚木は弟が死んだという実感が湧かなかった。
葬式が執り行われた時に初めて、死んでしまったという実感が湧き、その後、すぐに“殺された”という単語が頭を過ぎった。
それと同時に、憎悪の念に駆られる。
頭に浮かぶ男を殺してやりたいと思った。だが、それは法に委ねるしかない。
死刑を切に願った彼だったが、判決は終身刑。
そのニュースを見た時唖然とし、その後すぐに嘲笑う。
法は正義ではない。そんなものに期待を寄せていた自分は馬鹿だったのだと、自らを嘲笑った。
だったら、自分の正義を作れば良い。
復讐を決意した彼の復讐と言う行為を正義と言う言葉で取り繕って、正当化させようとしただけなのかもしれない。
だが、そうであったとしても仕方が無い。
五千人を殺した人でさえ、地下で殺されないように生き長らえさせる。
世界は思っていた以上に残酷だったのだから。
↓
エレベーターは停止する。
ドアは三人を誘うように開かれ、その先にはすぐに壁が存在していた。それは壁ではなく、扉。
初めにエレベーターから降りるのは福津で、その後ろを二人三脚のような状態でついていく棚木と魔術委員会会長。
扉の前に辿り着くと、福津はその扉の横にある機械を弄り、扉を開けるに至る。
それを繰り返す事十数回。
「これが最後ですかね」
そう言って、最後の扉を開けようとする男に会長は尋ねかける。
「……お前さん。何故、谷崎側についたんじゃ……?」
扉を開けようとしていた指を止める。
「その質問は二回目ですね。そんなに理由が知りたいんですか?」
理由を知りたがる老人を嘲笑う男は後ろを振り返る。
「これが、谷崎側についた理由です」
そう言った男は何もしていないように見えて、理由をちゃんと示していた。その証拠にそれを見た二人の目は大きく見開かれていたのだから。
「言っていたほどの記憶力はありませんし、その情報を元に未来を予測する事なんてできません。ただ、私の眼は未来を視る」
男の眼は一個の大きな円と小さな十一個もの円で構成されており、それは紛れもなく魔眼である証であった。
「未来を視ると言っても、情報処理しているだけなんで、変わったりするんですけどね。でも、変わらない事実と言うものは存在するんですよ。それを基にして、私は一番自分に被害の無い場所、立ち位置を選んだ」
その眼を普通の状態に戻し、扉の横の機械に視線を向ける。
「谷崎は――――世界の王になる気です。いや、確実になります」
そう言った瞬間に扉は開き、老人は「やはりか……」と言って、ある言葉を呟く。
「樹を現出せし者、世界の王となるべし。そういう事なんじゃろう?」
「もう見当はついていましたか。私に相談しなかったと言う事はそれを認めたくなかったからですか?」
振り向く事なく、尋ねた男だったが誰も答える者はおらず、諦めるように足を前に進め始める。
そして、三人の目に一つの三メートルは超えるであろう壁が映る。
それを見た瞬間に棚木は自らの口元を大きく歪めてみせた。
「やっとだ……やっと――――」
◇
唯一の光源であった蛍光灯が全て割れ、闇に包まれている魔術委員会本部の地下八階。
そこで最強を名乗る二人が会話をし、その会話を聞かせない為か、一人の少女は五年間、地下に閉じ込められてきた兄貴によって、黒い二メートル四方の箱の中に容れられていた。
二人の話が終わった頃にその黒い二メートル四方の箱は崩壊し、遮断されていた二人の声も聞こえるようになる。
「……なるほどな。まあ、少しは協力してやるよ」
二人の間でどんな会話がなされたのかは分からない少女だったが、今この瞬間が最悪である事だけは分かっている。
最凶と最強が手を組んだ瞬間。
五千人もの人を一瞬で殺し、自分の左眼を奪った男と魔術委員会会長を殺そうとし、自分に左眼を与えた男。
暗闇で何も見えない。だが、彼女は確かに自分の兄が自分の方に目を向けたのを感じ取った。
「ホント大きくなったよなぁ。左眼も治してもらったみたいだしよぉ」
裸足で地面を歩く音が聞こえる。
左眼を抉られた時の恐怖が蘇り、無意識の内に足をじりじりと後ろに退けていく。
瞬間、そんな彼女を救うように闇に包まれていた階に一筋の光が差し込む。
だが、それは決して救いの光などではなく、絶望に突き落とす為の光なのだと理解する事となる。
二人がこの階に入ってきた扉が開き、三人の人物が姿を現す。
扉はその中の一人の男によって開きっぱなしにされ、この階に繋がる道の光が唯一の光源として働いた。
そして、その光は五年間髪を切っていない男の姿を鮮明に映し出した。
「桐島ァァア尚紀ィイイイイイ――――!!」
怒号。
それは老人に肩を貸していた男によって発せられたもの。
思わず少女は耳を塞ぎ、それと同時に男は老人に肩を貸す事をやめ、最凶の男の方へと走った。
弟を殺した男が五年間もこの地下で生き続けてきた怒り。それが棚木淳を突き動かす。
Araiを唱える事無く、魔術を使おうともせず、ただ、桐島尚紀の方へと走って右拳を振り上げる。
だが、その拳は復讐の相手に届く事無く、黒い壁に阻まれる。
「誰だ、お前? 俺に恨みでもあんのかぁ?」
何も知らない。
そんな発言が棚木の感情を逆撫でし、「殺せ」と頭の中で連続した音を奏でる。
「ふざけんなよ、クソ野郎がぁぁぁああああ!!」
黒い壁に接した右拳を広げ、水を発する事によって、黒い壁を崩壊させるに至る。
「Lqusal!」
黒い壁が崩壊した為、棚木の右手が翳す先は桐島尚紀となる。
そして、その右手から放たれる直径十センチほどの水の柱は男を壁に叩きつけるには十分すぎるものだった。
だが、殺せはしない。
地下にいる為、空気中の水の量は限られていたのだ。
それを承知でここに来た棚木が大量殺人犯の方へと歩き出そうとした瞬間、“それ”が襲い掛かっている事に気がつく。
黒く鋭いものが自らの腹から生えている。
そして、目の前の壁に叩きつけられた男はにやりと笑みを浮かべる。
「五年で魔術も成長したのかと思ったけどよぉ。全然だな」
桐島尚紀が口を閉じた瞬間に棚木の腹から生えていたものが抜かれ、うつ伏せの状態で地面に倒れる。
そこから地面を伝う血の量が傷の重傷さを物語っている。
だが、そんな傷で鎮火してしまうような復讐心では無かった。
唇から顎に伝わらせる血を地面に垂らし、体を起こして復讐の相手を睨みつける。
『お前は非情じゃない。今の状態でこの魔術を使えば、お前は確実に――――』
魔術を教わった人にそう言われ、教えられた魔術があった。
その人による忠告とも呼ぶべき言葉を棚木は笑う。
「上等だぁ……クソ野郎」
そう呟いて、右手を突き出すのと同時に、数本の黒が棚木の体を背中から突き刺した。
しかし、それでも棚木は笑って見せた。
「知ってるかぁ……人間は六割が水でできてんだよ……」
↑
建物が自分の背中から生えてくる異様な世界。だが、それは決して生えてきているわけではなかった。
それは自分が落下しているだけの事。
“窓から落とされた”。
気付いた頃にはもう重力加速度の働く世界にいた。
三秒ほどで落ちるはずの四十メートルはゆっくりと進んでいく。
死を覚悟し、生きるのがどうでも良いものだと分かった瞬間。
その時に過ぎったのは弟の姿か、復讐相手の姿かは定かでは無い。
だが、そいつを殺すまでは死ねないとそう思った。つまりは、そいつを殺せば死んでもいい。
地面に叩きつけられて死ぬ前に、透明な網のようなものに引っかかり、地面とすれすれの位置で、速さがゼロになる。
地に足を着けると、そこには谷崎の姿があり、笑みを浮かべている。
「死に直面した気分は?」
尋ねかけに答える。
「クソみてぇな気分だ。クソ野郎」