α―XXV. ――――
(破壊……けど、俺のは魔術破壊で、こいつは多分、何でも破壊できる)
同じ破壊だと言っても、敬治の懸念どおり違いは一目瞭然だった。そして、今の彼の状態から二階堂に勝つ見込みは限りなくゼロに近い。
それでも、逃げようという考えが浮かぶ事は無かった。
雪乃の言葉がそれをさせなかった。
「雪乃は駒なんかじゃない……お前らの駒なんかじゃない!」
肩で息をしながらも自らの体を酷使させ、二階堂の後ろへと回り込んだ敬治は血だらけの右手を制服の後姿に翳す。
「Ricelect chosk!」
放たれる電撃は二階堂に当たるかと思われたが、制服に触れる前に電撃は飛散する。
光源を失った暗闇の中、猫の様に光らせた眼をぎろりと後ろにいる敬治へと向ける。
「芸の無い攻撃だよ。無駄だと分かっているのに同じ事を繰り返す人間ほど、愚かな人間はいないだろうというのが私の考えでね? そんな人間には自分の愚かさを知ってもらうために、肋骨を壊す事にしている。
さて、君の肋骨はどんな音を奏でてくれるのかね?」
その瞬間、敬治は自らの耳で確かに聞いた。自らの骨が折られた鈍い音を。
「…………!?」
痛みで言葉を発する事もできずに地面に倒れ、悶え苦しむ。
(何本……折られた……?)
目の前の男を睨みつけるが、睨みつけるだけではその答えは出ず、痛みに耐えることしかできない。
「はて……よく音が聞こえなかったような気がするよ。もう二三本くらい折った方が良いかね?」
その問いかけに痛みで答えることができない。
すると、そんな姿を虫けらを見るような目で見下している二階堂の肩に一粒の液体が落ちてきた。雨粒。
それを皮切りにポツポツと雨が降り注ぎ、梅雨のじめじめとした空気を一層、濃くしていく。
傘を差していない二人は勿論、雨に打たれる以外に道は無く、段々と、服や髪を濡らす。
「どんどん君にとって、不利な状況になっていくが大丈夫なのかね? それとも、少しハンデを上げた方が良いとも思ったりするが、それでは君の小さなプライドを傷つけてしまう可能性があるのでしない方が得策かね?」
雨音でかき消された二階堂のその声が敬治の耳に届く事は無い。
(寒い……体が凍ってしまいそうなくらい……冷たい……)
このまま死んでしまうのではないだろうかと思えるくらいに彼の体はピクリとも動かなくなった。
それは彼自身が諦めたからである。
(破壊魔眼……勝てるわけがない……違う。勝ち負けを考えてる時点で……ダメなんだ……)
右手から流れ出る血が止まらないのを見ていると、段々と誰かの靴が近づいてくるのが見える。
「……――くん! 敬――く――! 治く――! 敬治くん!」
その声は段々と耳元で聞こえ始め、最終的に体を激しく動かされながらその声は発せられた。
暗く、雨でよく見えないその姿。
それを捉える事ができたのは五秒後の事だった。
東坂高校の制服を着て、左眼に眼帯をした二つ結びの女の子。
「……雪……乃?」
(なんだよ……いないって言ってたのに……ちゃんといるんじゃないか……)
雨と涙とが混じって彼女の顔を濡らしていた。
血だらけの右手に力を入れて、ゆっくりと起き上がる敬治。
「だめ! もう……起き上がらないで!」
それを止めに入る彼女だったが、今の彼の耳には届いていない。
(なんで俺は諦めようとしてたんだ……? こいつは……雪乃を駒扱いした奴なのに)
するとその瞬間、横にいたはずの雪乃が棚木と一戦交えたA級犯罪者の手によって二階堂の横に連れて行かれてしまう。
彼の目にそれすら映らないくらい彼の体は限界にまで来ていた。
(雨が冷たい。体が熱い。体が――――動かない?)
「もう限界と言ったところかね? そろそろ、決着をつけさせてもら――」
呑気に言葉を紡いでいた刹那――目の前の今にも倒れそうだった男子はそこにはおらず、自らのすぐ右横にいた。
すぐさま、後方へと下がるが一瞬にして横に立っていた男子は突っ立ったままの状態で、何もしてくるような気配は無い。
(今のはまぐれか……?)
それを確かめるために二階堂は自らの魔眼での魔術をふらつく男子に向けて、放った。
魔眼と言っても、破壊したいと念じれば必ずそこを破壊できるわけではない。
空振と似たものが直線的の宙を飛んで対象を破壊する。
つまりは、空振と似たものが迫ってくる前に避ければ、破壊を免れる。
そして、敬治はそれに気付いたのか否か、二階堂の破壊が迫る前に光速移動で横に飛んでいた。
「――!?」
二階堂が大きく目を見開いたのも無理は無い。目の前の電撃少年はゆらゆらとその場を漂い、今にも倒れてしまいそうだったからだ。
それに加えて、雨。電撃は体を通って自らにダメージを与えているはずである。
だがしかし、斉藤敬治は目の前に存在していた。
(……冷たい痛い熱い怖い死ぬ……死ぬ……?)
その瞬間、敬治の脳裏に埋もれていた誰かから言われた言葉が浮き出し、頭の中全てを支配する。
彼は口を大きく歪めて、嗤った。
「俺は――――――――だ」
雨にかき消されたその言葉。だが、二階堂の耳は確かにその言葉を受け取っていた。
「……それはどういう意味だ?」
訝しげな表情を浮かべた瞬間に、辛うじて立っていた目の前の影は雨で濡れた地面に倒れた。
そこに一人の足音が近づいていく。
◇
翌日
悪い夢を見ていたかのような苦しい表情のまま、自らの目を開けた敬治が見たのは光り輝くシャンデリアだった。
それを見て、確実に自分の家ではない事と、病院ではない事を確認できたのだが、ここがどこなのかは皆木見当もつかない。
それよりも、今の彼にそんな事を考えている余裕など存在し得なかった。
(どうなった? 雪乃が来たとこまでは覚えてるけど、それ以降は……)
思い出そうとしても思い出せず、あの時、自分はどうなったのかという疑問だけが頭の中で取り残される。
すると、足元の方から扉を開くような音が聞こえ、そこに目をやった。そこにいたのは清楚な格好と笑顔を振りまく女性がいた。
「お早う御座います。先ほど、お目覚めになられたのですか?」
彼女の問いかけに訝しげな表情で小さく頷く。
彼女はベッドの横にある椅子へと腰を掛けた。
「状況が飲み込めていないようですわね。一二度、見た事はあるでしょうが、わたくしの事を覚えていらっしゃいますか?」
ベッドの上から胸の鈍痛に耐えながら体を起こし、自らの首を横に振る。そして、自分が病人の服ではなく、Tシャツに短パンを着て、右拳と胸に包帯が巻かれている事に気付く。
(もしかして……彼女が……?)
その思考に及んだ途端に自らの顔が赤くなるのが分かる。
そんな敬治の一連の動作から彼女は察したのか、笑顔を崩す事無く、口を開いた。
「あなたのお着替えと治療は全て、使用人にさせましたわ。わたくしは何もしていません。だから、お礼を申し上げたいのであれば、わたくしではなく、使用人に申し上げてくださいね。
わたくしは東坂高校の生徒会副会長の小野原聖花と申します。以後、お見知りおきを」
(どこかで見た事があると思ってたら……なるほど、副会長だったのか……)
彼女の正体については納得するが、それでも腑に落ちない事はたくさんあった。まず、何故、自分がこんな場所にいるのか。
「此処はあなたの家ですか?」
「そうですわ。病院に入れてしまわれたら、大変な事になりますもの」
その言葉に疑問を抱く敬治。
(病院に行ったら、大変な事に……?)
彼の中で最悪の状況が浮かぶが、それを必死に消す。何故なら、それを認めてしまえば、魔術部部長の藤井が彼を売った事になる。
知るのが怖い。が、問うた。
「どういう意味ですか……?」
「あなたはもう、表に立つ事はできないと言う意味ですよ。魔術委員会は公にあなたを犯罪者と発表しました。階級は――Sです」
その事実を聞いて、驚いたがすぐに彼は自分を嘲笑った。
(部長はちゃんと、忠告してくれたんだ。それだけで十分なはずなのに、それ以上は無いはずなのに、期待した俺が悪い……)
自分を責める敬治だったが、それでも部長に魔術委員会に報告して欲しくは無かった。信じていたかった。
(覚悟が足りなかったのか……?)
自分の全てを捨ててでも雪乃を救うという覚悟。
その覚悟ができていなかった自分に対して無性に腹が立って、拳を握り締める。
「大丈夫ですか? とても、動揺されているようですが……」
「……大丈夫です」
と口を開いてふと思った。
(なんで、この人は――――犯罪者の俺を自分の家に匿ってる?)
彼女の笑顔が悪魔の微笑みに見えてきた。
(何かの目的が無い限り……犯罪者を匿ったりなんてしない)
ごくりと唾を呑みこむ敬治は彼女に尋ねかける。
「何故、犯罪者の俺を匿ってるんですか……?」
「それはわたくしたちにメリットがあるからですわ。
それよりも、わたくしは二階堂壱さんからの言伝を申し上げなければならないのですが、よろしいでしょうか?」
その者の名前を聞いて、目を見開かせながら頷いた。
↑
足音の主はずぶ濡れの状態で倒れている敬治の元まで来ると、その足を止めた。
「誰かと思えば……お嬢様がこんな時間に何のようだ?」
皮肉を混じらせながら尋ねかけたのは二階堂の隣で、雪乃を自分の魔術で押さえ込んでいる男。彼は敬治の元にいるご令嬢と話した事があった。
彼女はにこりと微笑んでみせ、真っ白の傘を携えて、足元に倒れている男子を見る。
「彼を引き取りに来たんです。もう、終わったようなので出てきましたの」
「引き取りに? 笑わせるな、こいつは――」
と男が自らの足元から黒いものを出そうとした瞬間、彼の足元の地面に大きな亀裂が入った。
「彼女と斉藤敬治には手を出さないでもらえるかね? 私としても、谷崎様としても、君という人材を失いたくはない」
「それは俺を誘ってるのか?」
横にいる制服姿の男を睨みつけると、彼は首を横に振る。
「誘ってなどいない。私は君をこの世から数秒足らずで消し去る事など、朝飯前であり、君を『誘っている』よりも『脅している』と表現した方が妥当だと思っているのだが、違うかね?
まあ、今はそれよりも、目の前にいる可愛い彼女と斉藤敬治の事の方が問題だ。そう言えば、君は彼女と知り合いのようだったが、二人は付き合っているのかね?」
質問に答える気配は無い。
雨の音だけが周りに鳴り響く時間が間を挟み、傘を持ったご令嬢が口を開く。
「今日の戦い。見ていて思ったのですが、彼は病み上がりでいつもどおりの力が出ていなかったようでした。そして、あなたは彼の本当の力を知りたい、のでしたよね?」
頷く二階堂の様子を見て、「そう言えば、お前もこいつと知り合いだろうが……!」と心中で呟きながら怒る男。
そんな事など知る由も無い彼女は淡々と言葉を続ける。
「でしたら、再戦してはどうでしょうか? ですので、ここはわたくしたちを見逃してくださいません?」
「ほう? それは良い考えだ。なら、彼に再戦を申込む事を伝えておいてくれないか。日程は勝手に決めてもらって構わない」
笑顔を振りまく彼女は後ろから出てきた使用人に敬治を任せて、踵を返して校門へと歩いて、闇夜の中に消えていった。
残されたのは二階堂とA級犯罪者の男と桐島雪乃。
その三人になって初めに口を開いたのは、A級犯罪者の男だった。
「再戦の会話に持ち込むのが、無理やりすぎだな。お前の本当の目的は、いや。“お前ら”の本当の目的はなんだ? 斉藤敬治をどうする事だ?」
「バレていたのかね。私の研ぎ澄まされた演技力ならば、君を欺く事ができると考えていたんだが、私の勘違いだったようだ」
笑いながらご令嬢の歩いていった方向へと歩き出す二階堂に対して、男は真剣な眼差し、かつ足元の地面から伸びた黒い刃物よりも鋭いものを向ける。
「お前と数十日行動して分かった事が一つある。お前――――“こっち側”じゃないな?」
その刹那、闇夜の街頭に照らされる雨粒の中に紅く光り輝くものが混じった。
↓
(再戦……)
破壊魔眼の力を振り返りながら、敬治は恐怖に駆られる。
「雪辱戦ですわね。日程はいつになさるおつもりですの?」
答えずとも、彼女は彼の様子から何かを察したようで、椅子から立ち上がってその場を去ろうとする。
(再戦じゃない……今、俺が考えなきゃいけないのは、それじゃ無いような気がする……そうだ。再戦は話題を逸らすため……)
考えを巡らせた結果、その言葉が口から出た。
「――――メリットとは何ですか?」
足をぴたりと止める彼女の表情を敬治は確認できないが、驚いていたに違いない。
ゆっくりと振り返る彼女は彼の目を見て、はぐらかす事はできない、どうせ、言わなければならないと思ったのであろうか、その場に立ったまま、その言葉を口にした。
「それは、わたくしたちの存在が――――」