α―III. 籠球で魔術?
体育館
「ダムダム」というボールを床につく音が鳴り響くのと同時に、体育館のワックスの塗られた床に靴底が接して、「キュッキュッ」と音を発した。その後、どちらの音も止まり、手からボールが放たれる音が鳴り響く。
体育館に静寂が訪れ、ボールが綺麗な放物線を描く。
そして、紐にボールの触れる「シュッ」という音が体育館全体を包み込んだ。
これらの音は、バスケットボールを床につく――ドリブルしながら走り、スリーポイントラインの中に入った瞬間にジャンプシュートを放ち、ゴールに入るまでの一連の動作から齎される音であった。
目を瞑って聞いていれば、バスケ部が練習をしている風景を思い浮かべる音であったが、それを実際に行っていたのは“魔術部”の副部長である江藤清二だった。
ボールが転がっていく体育館はバスケットボールコートを二個作れるくらいの広さで、三年前に改装されたばかりで、まだ新しいと言える。
しかし、東坂高校の体育館で行う部活動の戦績は良くなく、部員数も少ないため反対の意見が多かったと言われている。
そんな体育館に新しく三人の人物が足を踏み入れ、それに気付いた江藤は入り口の方へと振り向く。
「あっ! 部長! 早くしないと、バスケ部が部長をリンチするそうですよー!」
Tシャツに膝までの半ズボンという完全に練習着姿の副部長は転がるボールを手にとって両手で抱えて叫んだ。
「はいはい、分かってるってー!」
江藤の言葉にそう頷くと、自らの鞄の中から江藤が着ているものと同じ練習着を取り出す。
そんな部長の様子を見て、大体の予想はついていたものの敬治は表情を引きつらせながら尋ねかける。
「あのー……今から何やるつもりなんですか……?」
「見てもらっても分かるようにバスケットボールやるんだよ! 魔術って科学中心の世界からすれば、あまり意味ない研究だからね。こうやって、他の部活の手伝いしないと、部費が出ないんだ。大変でしょ?
それじゃあ、敬治君は体操着に着替えてくれる? 今日、身体測定あったのはちゃんと、知ってるんだよー」
笑顔でそう答えたのだが、その答えは敬治の望むものではなかったようで、
「そう、なんですか……じゃなくて!」
と思わずツッコんでしまう破目になった。
「魔術とバスケのどこが関係してるんですか!? こんなので魔術の実力なんて見れる訳ないじゃないですか!!」
声を荒げる彼の様子はご尤もなのだが、尚も笑いながら部長は適当に対応する。
「まあ、落ち着きなってー。試合が始まったら、すぐわかる事だからさー」
そんな対応に銀縁眼鏡の男を睨みながら、神津の言っていた言葉を思い出す。
(あの人の言ってたとおり、ホントに遊んでるだけなのかも……)
納得できないまま部長の指示にしたがってバスケ部の部室で体操服に着替えて、体育館シューズへと履き替える。
東坂高校の男子バスケットボール部は弱小で、今、二・三年生合わせて七名と、練習で五対五をするには人数が足りない。そのため、よく魔術部の力を借りて、魔術部相手に試合形式の練習をしているのであった。
弱小の原因がまず相手を魔術部にする事なのだろうが、魔術部には一人だけバスケがバスケ部よりも上手い人物が存在している。
その人物とは江藤清二で、彼は中学生の時、某強豪校のバスケ部に所属し、そこでレギュラーを勝ち取るほどの実力の持ち主。だから、東坂高校バスケ部部員よりも上手いのである。
彼以外の魔術部部員がてんで初心者でも五対五が成り立つのは、彼のおかげなのだ。
部長が部室から出て行くのと同時に、敬治も同様に体育館へと再度、足を踏み入れた。
すると、そこにはもう試合の準備ができていると言わんばかりに、センターラインと平行にバスケ部の五人が並んでいた。
全員、一七○センチ以上の身長だが、一八○センチを越える身長の者は一人もいない。
それに対して、魔術部も同様に一八○センチを越える身長の者は一人もおらず、ましてや初心者が三人。それ加えて、
「あのー……人数が四人ないんですけど、バスケ部の人に一人、入ってもらうんですか……?」
疑問を抱いた敬治が尋ねかけると、部長は笑いながら首を横に振ってみせる。
「いいやー。この四人対五人の人数で試合するよ。まあ、清二君は中学の時バスケやってたから、二人分くらいの戦力になるし、大丈夫大丈夫!」
軽い口調で答える部長からコート内にいるバスケ部部員に目をやると、思いっきり此方を睨んできていた。
――五対四。魔術部が圧倒的不利な状況であるにも拘らず、何度も試合相手を頼んできているということは、それなりの対決ができていると言う事。やはり、副部長である江藤の実力がよほどのものであり、その為、相手に睨まれる状況になっている。
(それにしても、バスケで魔術の実力って……どうやって見る気なんだろ……)
その疑問はこの試合が始まるのと同時に、容易に打ち砕かれるのである。
「さあ、とっとと始めて、とっとと終わらせてしまいましょう。三人とも」
江藤が他の三人を呼んで、バスケ部の五人と向かい合うように並ぶ。
やはり、バスケ部にはバスケ部特有の雰囲気があって気圧されそうになる一方、魔術部には全く雰囲気が無い。
そんな右横に並んだ人々を横目で見て、小さく溜息を吐く。
(どう見ても、運動できるようなガラじゃないよね……副部長以外……)
すると、得点版の方へと向かうバスケ部のマネージャーが視界に入る。
バスケ部部員の残り二人が、試合の審判で、マネージャーがタイマーと得点版を務めるようだった。
「では、試合を始めます。礼!」
『お願いします』
挨拶を終えた魔術部とバスケ部は各部長を真ん中のセンターラインの円の中に残し、他の七人はその円の周りで構える。とは言っても、構えているのはバスケ部員と江藤だけであった。
「勝ったら、江藤をうちの部活にもらうぜ?」
「こっちは負ける気なんてないから、別にいいけど……?」
バスケ部部長による鋭い眼差しを魔術部部長は中指で押し上げてみせる眼鏡の奥で受け止めてながら、火花を散らす。
その瞬間に、審判によって、真上へと投げられたボール。それが最高地点に達し、自由落下し始めた時に二人は同時に飛び上がる。
先にボールに手を触れたのはバスケ部部長。そのまま、彼がボールを自らの後ろに弾くだろうと敬治も考えていたのだが、魔術部部長はその口をにやりと歪めて、呟く。
「Nidw」
それと同時に自らの手を、あたかもボールを後方へと弾くかのように動かす。
その瞬間、彼がボールに触れていないのにも拘らず、手の動きと呼応するかのようにバスケットボールはバスケ部部長の手から零れ、――――魔術部部長の後方へと飛んだ。
ワンバウンドしたボールは彼の後ろで構えていた江藤の手の中に収まる。
バスケ部の三人はコートの半分――ハーフコートからディフェンスをする気だったのか、ボールが真上に上げられた瞬間には後ろに下がっていた。
そして、残りの一人は江藤にボールを取らせない、ディフェンスにつく為か彼の方へと走り出していた。
だがしかし、もう既に遅かった。
敬治がオフェンスをしようと、バスケ部部員が構えている方向に走り出そうとした時、彼の目に江藤の姿が映る。そして、江藤の意外な行動に思わず声を漏らしてしまう。
「えっ?」
敬治が捉えたのは、ボールを持ったその場所からシュート体勢に入っている副部長の姿であった。
(こんなところから、シュート!?)
そう。まだ、センターラインも越えていないところから、江藤は自らの膝を曲げて、額にボールを持っていく。そして、彼もまた先の部長と同様に何かを呟くのだった。
「Ifer」
床を蹴って真上に跳び、手首の力だけでボールを押し出す。その刹那、彼の掌からは光と何かが爆発したような「ボンッ」と言う音が鳴り響く。
ボールは勢い良く彼の手から離れると大きな弧を描いた。
その場にいた全員が宙で弧を描いていくボールを目で追いかける。そして、最後に全員の目が捉えたのはリングに当たる事無く、網状の紐を通り抜けるボールの姿であった。
「シュパッ」と言う音と共に網状の紐を通り抜けたボールは体育館の床に落ち、その音によって茫然と立ち尽くしていた敬治も我を取り戻した。
(凄い……距離、空気抵抗、角度、強さ……一体、どれだけの事を計算したって言うんだ……? でも――――これが当たり前なんだ!)
心から江藤を凄いと思った。
江藤が、発動した魔術は火の魔術。因みに部長が発動した魔術は風。
まず、魔術を発動するためには二つ、欠かせないものがある。一つ目は理解。即ち、ゴールまでの距離を推測し、どのくらいの熱量を放出すればいいのかを目で見て、頭で計算しなくてはならない。
それを自らの感覚でやる者も多数存在するが、その者たちは博打と経験によって培われたものの二つに分けられる。しかし、江藤はちゃんと、目で見て頭の中で計算して、魔術を発動していた(魔術部は何度もバスケ部と試合をやって、江藤は何度もこれを使っているので少しは感覚も含まれるが)。
そして、二つ目に魔術を発動するために欠かせないのは、“詠唱”であった。詠唱は魔術師たちの間ではAraiと称されており、魔術の種類によって、Araiは異なり、強さもまた、異なる。
その為、覚えたAraiの数で魔術の勝負が決まる事も多々ある。
また、経験によってAraiは省略する事もできる。
「さて、敬治君。こんな事でいちいち驚いてちゃあキリが無いよ! ディフェンスディフェンス!」
「は、はい!」
晴れて、得点版の魔術部チームに「3」と言う数字が刻まれる。
バスケ部は江藤のシュートを何度も見ているため、もう驚く事は無く、その分、攻守の切り替えも早い。
すぐにドリブルでセンターラインを超えて、魔術部の死守しなければならないゴールのあるハーフコートにまで迫ってくると、いつもの自分たちのペースでボールを回していき、パスしたら他の場所へと移動し、またパスしたら他の場所へと移動する事を各個人が繰り返していく。
当然、誰のディフェンスにつくのか相談していない魔術部の四人は動く事無く、固まって見ているだけである。
そのため、スリーポイントラインからシュートを打たれるのは明白であった。
バスケ部の部長によって放たれたボールは弧を描き、リングに当たってゴールに入る。
「遠くから打とうが、同じ三点だろ?」
笑みを浮かべて、自らの方を見ながら告げるバスケ部部長に対して、江藤は視線を向ける事無く、
「僕のはリングに当たらなかったけど、田尻さんのは当たりましたーっと言う事で、僕の方が綺麗に入ったので勝ちですね」
とバスケ部の部長である田尻の名と共にそう言うと、コートの端の線――バックラインでボールを持っていた魔術部部長からパスをもらう。
今の発言を自分への挑発と見なした田尻は、左足を軸にして自らの方に振り返る江藤の前に立ち塞がる。
「ダブルチームなんて事はしねえ……正々堂々! 俺が相手してやる!」
ダブルチームとは一人に二人のディフェンスがつく事である。普通はダブルチームをして、ディフェンスを抜けなくなったオフェンスの最後の選択肢であるパスを阻止して、ボールを奪うのだが、元々、魔術部チームには四人しかいないので、江藤に二人ついた方が良い。
だがしかし、田尻のプライドがそれを許さなかった。
「何としてでも止めてやんよ!」
と、決意を述べた田尻を他所に江藤は部長に告げる。
「部長。ちゃんとディフェンスしないと、多分、僕たち負けますよ?」
「ぇえ!? それってヤバイじゃないか!?」
エースの負ける発言に焦りを覚える部長は「しょうがない」と言いながら後方にいる神津を呼んだ。
「沙智ちゃん! 早く、“結界”張って!」
「はいはい……分かりました」
覇気の無い返事をして腰を屈めながら、自分たちが守らないといけないゴールのハーフコートの床に指で何かを描き始める。
それに対して、部長と敬治は江藤に助太刀するべく、バスケ部の四人がディフェンスの為、構えている方向へと走った。
その瞬間、江藤は右足を前に突き出して、ボールをつくふりをして、その右足を田尻の右足の方へと出す。
江藤が自分の左側を抜こうとするのをフェイクだと読んでいた田尻は左に動いた後、すぐにその重心を右へと切り替えしたのだが、それもフェイクであった。
江藤は再度、右足を田尻の左足の方へと向けて、ボールをついて、田尻を一瞬にして抜き去った。
「くそ! パスは無い! 四人でかかれ!!」
さっきまでの意気込みやプライドはどこへ行ったのか、怒りを露にした田尻がそう声を荒げるのと同時にバスケ部の四人が江藤の前に立ち塞がる。だが、彼はその四人の間を器用にすり抜け、淡々とレイアップシュートを決めるのだった。
すぐにオフェンスへと切り替えるバスケ部チームはまた、さっきと同じようにパスを出してから他の場所へと移動して相手を撹乱させる作戦を実行しようとしたのだが、
「いてッ!!」
と、スリーポイントラインからパスを出して、ラインの中を通って移動しようとしたバスケ部の一人が透明な壁のようなものに阻まれ、後ろへと倒れこむ。
「な、なんだ!?」
見えない壁に触れながら、驚愕の表情を浮かべている事から、まだ、バスケ部の前で行った事は無いのだろう。
「今日は運動神経が良い“あの二人”もサボってるし、結界を張らせてもらったのよ。あなたたちがスリーポイントラインより中には入れない結界を、ね」
そう説明した神津は「にこり」と微笑んで見せた。そんな神津の足下には自らが指で描いた円や文字が光って、浮き出てきている。
「卑怯だぞ! 藤井!」
「卑怯? 初心者なんだから、これくらいのハンデをくれてもいいじゃないか!」
「ハッハッハッ!」と笑う部長を苦しい表情をしながら、睨みつける。
「くそ! それでも、スリーは打てる! 絶対勝つぞ!」
意気込んだ田尻の持っていたボールを次の瞬間に江藤は奪い取る。そして、スリーポイントラインからシュートを放ち、ボールはゴールに吸い込まれた。
「無駄口叩いてる暇はないと思いますけどね。また、僕一人にやられますよ? 田尻部長」