α―XXIII. 宣戦布告
「人間兵器……よく表現されている言葉ですね」
呆れるように笑う西井に対して、棚木は真剣な表情で睨みつける。
「てめえの感想なんて聞いてねえよ。“人間兵器”ってのはどういう意味だぁ?」
その尋ねかけは西井の笑いを抑えるのではなく、逆に増幅させたが、すぐに笑うのを止めて、ストローを口に銜える。そして、ジュースを飲んで一息置いてから、謝った。
「失礼しました。あまりに知らないようで少し、哀れに思えてきたもので……」
「哀れだと?」
自らの拳を握り締め、必死に怒りを押さえ込もうとする棚木。
「てめえ……今度、俺を挑発するような言葉吐いてみろ。そのジュースでてめえの気道を塞いでやんぞ。だから、さっさと説明しやがれ!」
「……人間兵器。その言葉通りですよ。魔術委員会は僕たち魔術師を“戦争の道具として使おうとしていた”」
その目を大きく見開く棚木だったが、予想していた答えではあったようで、すぐにその表情を元に戻す。
「いや、少し語弊があるのかもしれません。僕たち魔術師では戦争の道具にするには足らない部分が多すぎました。そこで、魔術委員会は様々な実験を繰り返し、ある人物を生み出すに至ったんです」
「……おいおい……そいつってのはまさか――」
「そう。そのまさかですよ。五千人もの人間を一瞬にして消す事のできる人間――桐島尚紀は魔術委員会によって作られた人間兵器の一つです」
驚きを隠せずにいる棚木は一時の間動かず、その後、大声で笑い始めた。周囲の異様な視線は棚木へと向けられる。
「ハハハッ! そりゃ、傑作だ。あの五年前の事件は魔術委員会が仕組んだってことかよ……」
笑うのを止めて、コーヒーカップの中を見ながら静かになる棚木。西井はそんな棚木の様子から確かに恐怖を感じ取っていた。
「……ふ……っざけんじゃねえぞクソ野郎がぁぁああ!!!」
棚木が叫び、机に両手を叩きつけて立ち上がった瞬間にコーヒーカップは倒れ、中に入っていたコーヒーは机の上だけでは飽き足らず、床にも黒い水溜りを作った。
店員が急いで台布巾を持って、机と床を拭く中、棚木はその状態から動かない為、代わりに西井が店員に深く、頭を下げた。
「すみません。こんななりなので大目に見てやってください」
にこりと笑う西井だが、店員は棚木の形相を見ると、すぐさま、カウンターの後ろに行ってしまった。
「話の続きですが、彼は作られたと言っても、ただ、その体の中に……聞いてます?」
「……魔術委員会……ぶっ壊してやる」
その言葉を残して、棚木は喫茶店を後にした。
一人残された西井は残ったジュースをストローで吸い上げ、コップの中を氷のみにする。
「できない……“あなた一人だけ”ならね……」
◇
翌日
まだ、一週間以上は入院しなければならない敬治の病院での生活は究極に暇である。そんな敬治を見かねた母親は敬治の漫画を態々、病院まで持ってきてくれ、敬治は今、その漫画を手にしていた。
すると、漫画を読むのを邪魔するかのように病室の扉は「コンコン」というノック音を奏でた。
(……部長が来たのか……?)
そう思うと、ノック音に答えるのが嫌になってくる敬治。だからといって応えなかった場合の方が、話がややこしくなる事をわかっている敬治は応えざるを得ない。
「どうぞ」
しかし、入ってきたのは敬治が予想だにしなかった人物であった。
「……やはり、君はこの部屋に住んでいるんじゃないかね? いつも、君はここで寝ている」
そう。その人物と言うのは二階堂壱であった。その姿はこの前の着物ではなく、きっちりとしたスーツ姿で、勘違いしている様子は無い、ように見えた。
「えっと……二階堂さん? でしたっけ?」
「いかにも。この私が二階堂壱。君は確か、怪盗刑事だったね。堂々と怪盗を名乗るなんて、君には富士山を凌駕するほどの勇気があるようだ。私にも分け与えて貰いたいくらいだよ」
「いや、怪盗じゃなくて、さ・い・と・う敬治です!」
その一言を聞いて、考えるように顎に手を当てる二階堂は次の瞬間にポンッと握りこぶしと掌を合わせた。
「失敬失敬。君の名前は斉藤敬治か。怪盗で“刑事”を名乗るなんていうのはどうもおかしいとは思ったが……やはり、勘違いと言うものは怖い」
(怪盗でけいじ……? ああ、刑事か! なるほど……)
納得すると同時にその回答に辿り着いてしまう自分の思考が少し嫌になる刑事、ではなく敬治。
「……あのー……それで、何の用なんですか? この前は会う事が目的だとか変な事を……」
訝しげな表情で自分を見る敬治に二階堂は此処へ来た目的を話し始める。
「ふうむ……私の目的をここで君に話したら、君は確実に私を敵と見なし、その先の話に聞く耳を持たなくなるだろうが……まあ、君が聞きたいと言うのなら、言おう。
私の“今”の目的は君との対立にある」
「対立?」
首を傾げる敬治の様子を見る事無く、二階堂は病室の天井にその目を向ける。
「そう。私は君の敵だと言う事を今日は証明しに来た。つまり、君がア○パンマンで私がバ○キンマンと言うわけだ」
例えがおかしく、敬治の頭ではどうもしっかりと理解できない。しかし、何個も頭の上に浮いていたクエスチョンも考える内に少なくなっていく。
「あなたは谷崎先輩の仲間……?」
「まあ、仲間と呼べるほど親密な関係にあるわけではないが、其方側の人間だと思ってくれて構わない。
ところで、君は桐島雪乃の事をどう思っているのかね? 友達以上恋人未満かね?」
「そんな事、今は関係ないだろ」
自らを睨みつけている敬治に対し、冷静に考える素振りを見せる二階堂は納得し、関係がある事を証明するために事実を告げる。
「今、私のところに桐島雪乃がいる、と言ったら十分に私に関係ある問題だ」
「――雪乃が!? 嘘……?」
「嘘ではない。写真を態々、撮ってきてやってもいいくらいに真実だよ。だから――私は彼女をどうとでもできる立場にあると言うわけだ。
今、私は谷崎と同じ電撃を使う君に興味がある。つまりは君の実力の程を知りたい。だから、こんな状況を作り上げたのだよ。そこで――
――私は君に宣戦布告する」
首を傾げる敬治は、二階堂がどこまで本気で言っているのか分からない。しかし、二階堂は全て本気だった。
「これは私と君の戦争だ」
そう言った二階堂は満足そうに敬治に背を向けて、病室から出て行こうと病室のドアを半分開いた。しかし、その体勢から一向に外に出ようとしない二階堂は、病室のドアを閉め、敬治の隣に舞い戻って来た。
「普通、ここは止めるのではないのかね? いや。私なら、確実に止めるつもりだったのだが君と私の考えには齟齬があったようだ。失敬失敬。私の勘違いだったようだ。なら、まだ、私は君に用が……あったような気もしたが、やはり、帰らせて貰うとしよう。では、怪我が治るであろう頃に此方から連絡しよう。お大事に」
颯爽と病室を去っていった二階堂にデジャヴを感じながら、敬治は心中で呟いた。
(……結局、何しにきたんだ、あの人? 宣戦布告……? それより、本当に雪乃はあいつのところに……?)
敬治の頭の中はまた、多くのクエスチョンに包まれる事となった。
◇
数日後
手すりを使いながらなら、歩けるようになった敬治は重い体を久々に動かす。
(重いな……)
自分の体であっても、ここまで重いと自分の体ではないような錯覚を覚える敬治。そんな敬治は廊下である人物と顔を合わせる事となってしまう。
「あ」
「……え?」
驚きの表情を浮かべる敬治に対して、その人物は「しまった」と言うように顔を歪めて見せた。
「なんで、部長……その格好……もしかして……入院してるんですか!?」
そう。先日のA級犯罪者との一戦で怪我を負った東坂高校魔術部部長の姿が敬治の目の前に存在していたのだった。
「あーそっか! 敬治君はあの時の事知らないのか! なるほど……」
と自分だけ納得する部長を睨む敬治だったが、すぐにその表情を悲しいものにする。
「雪乃が……やったんですか?」
「違うよ。彼女の仲間が君を人質にキューブを奪っていったんだよ。これで、谷崎に奪われていないキューブは残り二つ。魔術委員会は奪われない為なら、何でも実行する。彼女を追おうとする君を犯罪者にしてでもだ」
「……なんで、部長がそれを……?」
それは魔術委員会の人間である男と病室で交わした会話。つまりは部長が知り得ないはずの情報であるが、部長は知っていた。
部長は真剣な表情で敬治の疑問に答える。
「もし、敬治君が彼女を追ったなら、俺がその事を魔術委員会に伝える事になってるからだ。つまり、俺が敬治君を売るんだ」
「……罪悪感を残したくないから、俺に今、話したんですか?」
頷くのを躊躇った部長だったが、考えると敬治の言っている事はご尤もで、頷かざるを得ない。
「冗談なんかじゃない……ある意味、脅しで話してるんだ。だから――」
「――『行かないでくれ』って言うんですよね。でも、無理です。関わってしまったんですから、もう、無関係じゃない」
その言葉を伝えて満足した敬治が手すりを使いながら、部長の横を通り過ぎる時、敬治は部長の心配そうな表情を目の当たりにする。
「大丈夫です。恨んだりしませんから」
その場を去って病室に戻っていった敬治の方を部長は振り返る事は無く、そして、自らの左手で壁を殴りつけた。
「駄目だよ、敬治君……それでも、俺は“こちら側”の人間なんだ」
◇
数日後
カレンダーはもう六月のものへと変わり、気象庁では福岡は今週から梅雨入りだと言っているが、敬治にとってはちっとも嬉しくは無い。
そして、そんな憂鬱気分に突入しそうな勢いにあった敬治だが、携帯電話のバイブ音によってそんな気持ちも吹き飛ばされる。
(電源切るの忘れてた……!)
焦る敬治だったが、その画面に映し出された名前を見て、すぐさまベッドの上から降りて病院の屋上へと向かう。
その間に歩く分には支障が無いと確認した敬治は「よし!」と口に出して、屋上に着いた瞬間に携帯電話のボタンを押した。
「もしもし」
『二階堂壱だ。君は斉藤敬治か?』
「はい」
『良かった。私は君に間違った電話番号を貰った可能性があるのに頭が及んでいなかった。しかし、心配しなくとも君はそんなに機転の利く人物ではなかったようだ……いや、失敬失敬。あからさまに君の事を莫迦だといっているわけではない。ただ、私のほうが少し、優れているというだけだよ』
二階堂によって並べ立てられた言葉を聞き流しながら、敬治は本題へ入るように促す。
「それで、何の用です?」
『言ったはずだよ。私は君に宣戦布告した。なら、それをいつ、どこでするのかを伝えなければならない。それで、今日でも良いか聞きたいというわけだ』
(今日……)
自らの腹へと目を向けて、摩る敬治。すると、その行動をやめて、自らの顔を上げた。
「一つ、質問いいですか?」
『うむ』
「あなたが雪乃にキューブを奪えと命令したんですか? もし、あなたじゃなければ誰が命令したんですか?」
考えているのか、暫しの間、沈黙する電話の相手。敬治はその間に太陽の照りつけている所から壁の影へとその身を移した。
その質問は先日、二階堂が病室に来たときには混乱していて、忘れていた大事な質問だった。雪乃を縛っている者から救い出すのが、敬治の一つの目的であり、決して無差別に誰でも傷つけたいわけではない。
『私ではなく、谷崎を介して、私の元にいる者が命令した事だ。つまり、谷崎が命令したも同然だよ。しかし、君がそれを知ってどうすると言うのかね?』
「……だったら、俺はあなたとは戦う意味が無い。俺が戦わなきゃいけないのはあなたの元にいる命令を受け継いだ人と、谷崎先……谷崎本人だ」
再度の沈黙を挟み、二階堂は笑った。
『ふふふ……ふははははははッ! 君は何も分かっていないようだ。私がいつ、谷崎の下についていると言った?』
記憶の中を弄る敬治だったが谷崎の仲間と言うだけで、上か下かは定かではなかった。
「……あなたが、裏で操っていると?」
『そう。私が谷崎を操って桐島雪乃にキューブを奪わせるように命令し、そして、君を傷つけるように命令した!』
挑発するような二階堂の口ぶりに敬治は自らの拳を握り締める。
「嘘じゃないんですよね……?」
『当たり前だよ。嘘を吐く意味が無い』
「……だったら、なんで……なんで彼女を泣かせるような事を命令したんだ!!」
腹から声を出したが為に腹を抑える敬治はその痛みよりも、雪乃の心の痛みの方が大きい事を知っている。
『彼女はただの駒に過ぎない。これ以上の会話は平行線だよ。今から言う場所に午後二十二時ちょうどに来るんだ。場所は――』
二階堂が場所を言ってからすぐにその電話は切られた。