α―XXII. 人間兵器
翌日 病院
生と死の境を彷徨うほどの血を流した敬治は当たり前のように入院する羽目になっており、その病室には五人ほどのスーツを着た人物が見えていた。
そして、敬治はそんな中、ゆっくりとその瞼を開けて、天井を見つめた。
(……なんだ……夢だったのか……)
昨日の事を全て、夢だと思った敬治はそのままの状態を数分間、保ち続ける。そんな端から見た感じとは裏腹にその頭はフル回転していた。
(けど、ホントに夢だったのか……? 雪乃は確か、泣きながら――――)
そして、はっと何かに気付いたように体を起き上がらせようとしたとき、自らの腹部に激痛が走り、すぐに力を入れるのをやめた。恐る恐る首を動かして、腹部の方へと視線を向ける敬治だったが、その目が先に捉えたのは別のものであった。
「だ、誰……ですか……?」
敬治の目が捉えた五人のスーツを着た者たち。その中には紅炎の魔術師と敬治が戦った時に外野で見ていた委員会の人間の姿も存在しており、敬治もそれに気付いて、五人の者たちの正体を理解する。
「先日はどうも。僕たちは魔術委員会の者です。君に選抜の十人の魔術師に選ばれた事を伝えにきたのだけど、まさか、こんな事になっているとは思わなかったよ」
敬治はゆっくりとベッドの枕に頭を着けて、天井に視線を向ける。
笑う男の言葉は今の敬治の耳には届いておらず、ただ、昨日の状況のみが敬治の思考を支配していた。雪乃の言動と行動の違い。それが今の思考を混乱させる原因。
「まあ、無理も無いだろうね。“クラスメイトに抱きつかれた直後に刀で刺されて”は気が滅入る」
その瞬間、敬治は目を大きく見開かせて、危うく体を起こしそうになるのを押し止まった。
それは目の前の委員会の男の発言が鍵であり、考えた結果、ある事実に辿り着いた敬治。
「監視……してたんですか……? 俺を助けずにただ――傍観してたんですか?」
あの時の廊下には雪乃と敬治以外の誰もおらず、そして最後に聞いた足音が目の前の委員会の人間では無いのかと言う疑念がその質問を紡がせた。
答えを違えれば詰む事を察した男はただ、真実を敬治に伝える。
「君の言うとおりだよ。僕ら委員会の人間は一人以上、桐島雪乃の行動を近くで監視していた。しかし、それは監視と報告だけであり、何があっても手を出してはならない。だから、君に怪我を負わせる破目になった。
それで? 君は『監視していた。傍観していた』って事を知ってどうする? 君も一緒になって委員会は信用できないって敵に回る? そんな勇気も力も無い君はまだ子供。大人に対しての口出しは無用だ」
男の言葉に反論する言葉が見つからない敬治。そんな彼を諦めさせるように男はその事を口にする。
「桐島雪乃はこの一件により、“S級犯罪者”に取り決められた。この一件に首を突っ込めば……と言う事だけ忠告しておくよ。
さて、僕らは十人の魔術師に選ばれた事だけ伝えにきた身だから、御暇させていただくよ」
(S級……犯罪者……)
敬治は自らの拳を握り締め、病室のドアが開かれると同時に声を発した。
「待ってください……!」
腹部に伝わる鈍い痛みを堪えながら、立ち止まった五人の委員会の人間に向けて続ける。
「……その十人の魔術師の話。俺の方から断らせてください」
「まあ、僕はどうでもいいけど……僕なんかじゃなくて、君を推薦した山田愛沙と、それを了承した会長本人に言った方が良いかもね。それじゃあ」
そう言って、開かれたドアに吸い込まれるように五人は病室から出て行った。
一人残された敬治は一息吐くと共に昨日の事を思い出す。
(俺を刺したのは本心じゃないって意味の涙だった……? 俺を刺さなければならない理由があったのか、それとも、俺が邪魔だったのか……どちらにしても、魔術を使って人を傷つけた事は許せない。絶対に理由を聞いてから、謝らせてやる!
それから、もし、俺を刺す事を誰かに強要されていたのなら――――魔術委員会を敵に回してでも、雪乃の味方を!)
愛沙から教わった電撃による光速移動は敬治の自信を向上させていた。しかし、敬治は光速移動をできるだけで、その他は何ら変わり無い。
そして、次に病室のドアが開かれた時に入ってきたのは敬治の母親であり、勿論、こっ酷く叱りつけていた。
◇
数日後 夕方
敬治の腹部の傷は順調に回復しており、ベッドから腰を起こしても何の問題もなくなった。一つだけ、問題があるとすれば――
(中間テスト……今週だったような……? 最悪だ……)
――と言うことだけである。
そして、敬治が期末で挽回しようと心に決めた時、「コンコン」と言うノック音が病室に鳴り響く。それに敬治が返事をする前に病室のドアは勢い良く開かれ、現れたのは茶髪の少年、西井譲であった。
「どう言う事なんですか!?」
ズカズカと病室に入りながら敬治のベッドの横で立ち止まり、その形相を鬼のようなものに変えている西井のその表情から、ただ事ではない事が分かる。しかし、その事は敬治が入院している事ではなさそうであった。
「……どう言う事って何が?」
体を起こし、苦笑いしながら尋ねる敬治に訝しげな表情を以ってして返す西井。
「知らないんですか……?」
西井の言葉に敬治は思案するように顎を手で触れ、はっと何かを思い出したように口を開く。
「雪乃がS級犯罪者になったこと?」
「違いますよ!
……魔術委員会は先輩に伝えて無いんですね……」
その表情を段々と暗くさせていく西井は顔を俯かせた。しかし、敬治がその顔を覗き込もうとした瞬間に顔を上げて、事実を告げる。
「僕は先輩に桐島雪乃の情報を一切、言わないように命令されました。そして、桐島雪乃についての情報を聞く為に電話して来たなら、即時に魔術委員会に連絡するようにとも……これが何を意味するのか、察しはつきますよね?」
首を傾げる敬治の様子から、その意味を説明する。
「桐島雪乃を追いかけるようなら――魔術委員会は先輩を消す気でしょう。だから、僕からのお願いです。もし、桐島雪乃を追いかけようと思っているのなら、その考えは捨ててください」
西井のその目には心配の色が窺え、敬治もそれを十分に理解していた。しかし、敬治は自らの首を横に振った。それは雪乃が刺した時に言った一言を思い出したから。
「それでも俺は、理由が知りたいんだ。俺を刺した理由。涙を流した理由。そして、俺に助けを求めた理由」
その意思に揺るぎは無く、もう何を言っても駄目だと悟った西井は溜息を吐く。その瞬間、病室のドアの方からドアを挟んで、拍手の「パチパチ」と言う音が聞こえ、二人はドアの方へと視線を向ける。
そして、病室のドアを開けて入ってきたのは先日、敬治の病室を訪れた魔術委員会の男であり、尚もその手で耳障りな連続音を鳴らしている。
「ブラボーブラボー! 恋愛小説の台詞にでもしたら、カッコいい言葉を言ったものだね。だけど――」
笑っていた男の目が一瞬にして、敬治を睨むものへと変貌を遂げる。
「――此処は現実だ。君の勝手は通用しない。僕はちゃんと、忠告したはずだけど? 『この一件に首を突っ込めば』って。君の頭ではその先を理解できなかったかな?」
男の尋ね掛けに答える素振りを微塵も見せない敬治。その様子から忠告を守ろうとしていない事が男には分かった。
そして再度、守らせる為に忠告する。
「桐島雪乃を追いかけるような事をすれば、君も犯罪者と見なす。これで理解できたかな? 事の重要さが」
「十分に理解できましたよ。だけど、俺はあなた達の言いなりになる事なんてできない」
「なら、魔術委員会を敵にすると? 先日も言ったように君はまだ――」
「もう、子供なんかじゃない!」
男の話を遮るように言葉を放った敬治の隣で、段々と西井がその顔を青ざめさせていく。
「あなた達の敵になるんじゃない。俺は雪乃の味方になるだけだ」
「……そんな台詞を吐く時点で君はまだ子供だ。大人の事情と言うのを理解してないし。まあ、君がどうなろうと僕には関係も責任もないし、もう帰らせて貰うよ」
背を向ける男に敬治は拳を握り締めながら、叫んだ。
「あなた達は卑怯だ! 人の事を監視してるのに、事が起きてからしか手を出さない!」
「そうだよ。それが僕たちに与えられた命令だからだ。これはビジネスであり、ボランティアじゃないんだ」
そう言って男は病室から出て行ったが、敬治の怒りは収まらないままだった。
「本当に桐島雪乃を追うつもりですか……? さっきの男の言った事は決して、はったりでは無いんですよ?」
西井に改めてそう言われて、敬治の意思は少し揺らいだ。
雪乃を追えば、魔術委員会に追われる。そして、雪乃は谷崎の仲間であり、裏切ったのは当然の行為とも言える。
(なんで……『助けて』なんて言葉言ったんだ……なんで、俺なんかに助けを求めたんだ……! 一度でいいから、電話ででもいいから、話してくれよ……)
敬治の様子を見ながら西井も病室から出て行こうとする。
「……僕は先輩を止めようとは思いません。自分で決めてください。でも、もう一度だけ言っておきます。魔術委員会は信用しない方がいいです」
そう言って、西井は病室から出て行った。横を向いて病院を後にしようとする西井の目に入ったのは壁に寄り掛かった棚木の姿であった。
「盗み聞きですか?」
茶化すように微笑みながら問いかける西井に対して、真剣な表情で見下ろす棚木。
「ちょっと話がある。付き合え」
「……いいですよ」
◇
病院から徒歩五分ほどのところにある喫茶店の中へと入って行った二人は端からは兄弟のように見えただろう。
喫茶店に入ると、棚木はコーヒー、西井はオレンジジュースを頼んでそれら二つが来るのを待つ。その待ち時間に棚木は西井へと質問を投げかける。
「さっきのはどういう事だぁ?」
「『さっきの』と言うのは?」
質問を質問で返された棚木は少し、イラっとしそうになるが、表には出さずに内に止めた。
「魔術委員会は信用できねえって話だ。それで、てめえはどこまで知ってんだ?」
西井の表情の微妙な変化を見逃さなかった棚木は間髪入れずにポケットにしまっていた一枚の紙切れを西井に見せた。その紙切れには「T-0002471」と書かれていた。
「……何ですか、これ?」
「魔術委員会の隣にある魔術図書館ってのは分かるか? これぁ、そこの本を区別する番号だ」
「……その本に何が書かれていたと言うのですか?」
にやりと口元を歪める棚木。
「話が早ぇじゃねえか」
↑
五人の魔術師が招集されたその日。棚木は愛沙の跡をつけ、そこで二階堂壱と顔を合わせる事となった。
二人は構えながら、お互いにAraiを唱えようとしたその瞬間、二階堂は自らの首を傾げ、「はて……?」と顎に手を伸ばす。
「君の名前、どこかで聞いたことがあるような気がするのだが……私の勘違いだろうか?」
自分に問いかけるように言葉を発する二階堂を棚木は睨みつけたまま、自らの周りに水を生成し始める。
そんな様子には目もくれない二階堂は回答を見つけ出したように「はっ」と顎から手を離す。その後、にやりと口元を歪めて見せた。
「そうか。思い出したぞ。だから、君はそんなにも正義と悪に拘るのか。
……やめた。私は君にある重要な事を教えて、立ち去るとしよう。そうしよう。これから話す事を君は信じざるを得ない。何故なら君は、正義と悪に過剰に敏感だからだ」
黙ったまま、待ち続ける棚木は完全に二階堂のペースに呑み込まれていた。
「そんな事は言っても、君が信じてくれるかどうかは定かではないのだけれど、まあ、九割……いや、八割の確立で信じてくれると、私は信じているよ。
さて、君の所属している魔術委員会は最大の真実を隠している。それを知っているのは魔術委員会の中でも上位の者のみだろう。そして、それは君の正義と悪を大きく逆転させるに足る一手。それで詰みでも構わない」
二階堂は自らのポケットの中から手帳、胸のポケットからペンを取り出して、手帳に何かを書き込むと、手帳のそのページを破いてみせると、紙飛行機を作って、棚木の方へと飛ばす。
棚木はその紙を警戒し、触れる事も地面に落ちた紙を見る事も無く、目の前の二階堂だけを睨み続けていた。
「その紙に書かれた番号は魔術図書館の本の番号だ。その本に魔術委員会の真実がある。行ってみると、良い。では、私はこれで」
そう言って、棚木に背を向ける二階堂だったが、棚木がそんな二階堂を見逃すわけも無く、棚木は口元を歪めながら、Araiを唱えた。
「Whores」
棚木の周りに浮いていた水が野球ボールほどの球に凝縮され、棚木の元を離れて棚木へと猛スピードで向かう。その速さにより、丸い形だった水も鋭く尖ったものへと変貌していた。
それは雪乃の展開した八円陣結界を破壊して、雪乃の体を貫くほどの破壊力を持つ。
しかし、その水は二階堂の背中へと当たるのと同時に空中に飛散し、地面に落ちた。
状況を飲み込めない棚木に対して、二階堂は足を止めて、ゆっくりと後ろにいる棚木の方へと振り向く。
「私が見逃してやると言っている。もう少し、自分の立場と力を弁えたらどうか? そうしないと、君自身が詰む事になる」
二階堂にその殺気は棚木の戦意を失わせるには十分すぎるものだった。
↓
ウェイトレスが棚木の見た目に少し怯えながら、棚木と西井の目の前にコーヒーとオレンジジュースを置く。
そのコーヒーカップを持って、少しだけ喉を潤したところで棚木はその本の内容について語りだす。
「その本はただの戦争について語られてるだけでよぉ。ミッドウェー海戦の驕りや真珠湾攻撃の宣戦布告前の攻撃。はっきり言ってそんなこたぁどーでも良かった。
だが、魔術に関係の無い事が魔術委員会の図書館に置かれている事自体がまず、可笑しな話だ。絶対に何かあると思って、調べていく内に、その本で何度も繰り返し出てくる単語があることに気が付いた」
ジュースのコップの中に入ったストローを弄っていた西井は自分の手を止め、棚木は一息吐いてからその単語を口にする。
「――人間兵器」