α―XVIII. 五人の魔術師
敬治の病室を後にして、エレベーターを使い下の階へと降り、病院から離れる二階堂は病院の入り口で四人の人物とすれ違う。その中の眼鏡を掛けた一人の人物を見たところで二階堂は自動ドアの前で立ち止まった。
(はて……さっきの者はどこかで見た事があるような……?)
自動ドアのセンサーが二階堂に反応して一向に閉じられない中、思案を巡らしていく。だが、すぐに諦めたようで足を一歩、また一歩と動かし始めた。
「まあ、思い出したところでロクな事ではないだろう。ならば、思い出さないほうが得策だ。時には物忘れも役に立つ」
と言ったところで着物のポケットの中に入れていた携帯電話がバイブ音を立てたため、歩きながら携帯電話を開く。
そこに映されていた名前を見て、二階堂は先の一言を撤回した。
「前言撤回。物忘れはやはり、役には立たない」
溜息混じりに呟きながら、携帯電話のボタンを押し、耳元に当てた。
「失敬失敬。君のところに連絡する約束をしていたのをすっかり忘れていた」
◇
「お邪魔ー! 敬治君。お見舞いに来てあげたよー」
二階堂が去っていったすぐ後に魔術部部長である藤井がテンション高めに病室に姿を現す。そして、敬治の方へと近づきつつ、病室のドアの方を手へと右手を向けながら、言う。
「そして! 魔術部の愉快な仲間たちでーす!」
すると、部長に出てくるタイミングを無理やりに教え込まれたような不機嫌な表情で江藤と神津が入ってきて、その後ろから顔を俯け気味に雪乃が入ってくる。
「部長。此処は何階ですか?」
「えっ? 清二君。階段上ってきたんだから、二階でしょ? 俺、そこまで莫迦じゃないよ?」
訝しげな表情で江藤の質問に答える部長だったが、江藤は部長にニコリと微笑んで対応する。
「二階からでも、頭から落ちたら死にますよね?」
「ちょ、ちょっと待って、清二君! それって俺に死ねって言ってるのと、同義じゃないか!!」
「あれ? 莫迦なのによく分かりましたね」
「莫迦……後輩から莫迦って言われたよ、お母さん……」と病室で四つん這いに項垂れる部長を無視しながら、敬治の方へと近寄る江藤。
「本当に無事でよかったですよ、敬治君。ゴールデンウィーク中には退院できそうなんですか?」
「はい。多分、ゴールデンウィーク中には退院できると思います。心配をおかけしてすみませんでした」
頭を下げる敬治が頭を上げると項垂れていた部長は既に立ち上がっており、ニコリと言うよりもニヤリと笑みを浮かべて、神津と江藤を連れて、病室のドアの方へと足を進めて行く。
「ほらほら! 俺たちの用事は済んだし、もう帰るよー! あとはお二人さんで仲良くやってちょうだいな!」
と敬治の吐き気をそそるウインクをして、三人は出て行った。
病室に取り残された二人。敬治と雪乃。部長の一言によって二人とも少しだけ顔を赤らめている。
一時的な静寂な空気を雪乃は口を開く事によって、掻き消した。
「酷い怪我じゃなくて良かった……」
「うん。ありがとう……」
と再び静寂が訪れる病室で、敬治は二階堂の事が頭に過ぎる。
(あの人は……一体誰だったんだろう……? 雪乃なら何か知ってたりするかな……?)
窓の外の景色を見始めている雪乃へと視線を向ける敬治だったが、その思考をすぐさま消した。
(知ってるわけないか……)
「じゃあ、わたし帰るねっ」
「来てくれて本当にありがとな」
敬治の方へと微笑んだ雪乃は病室を後にし、残された敬治はベッドの枕へと頭を着けた。
◇
数日後 東京 魔術委員会本部
ゴールデンウィークもあと二日で終わりを告げるというこの日に、トーナメントによって決められた五人の称号を持った魔術師がそこを訪れていた。
五人の魔術師たちは円形の机の周りに並べられた椅子に座っていき、言葉を交わす事はない。
スーツとサングラスをその身に纏った人々がその部屋の壁を覆う中、一人の人物が姿を現し、その人々は一様に深々と頭を下げた。
その人物はゆっくりと、空いた席の方へと歩いていき、「どっこいしょ」と呟きながら席に着いた。
「さて……お前さんらが五十人の中で勝ち残った五人の魔術師なわけじゃが……」
自らの白い顎鬚を触る人物――魔術委員会会長は五人の面子を見て、言葉を発する。
「まあ、予想通りの面子じゃのう……“白雨、紅炎、雷鳴、疾風、溶岩”。魔術の五大性質が一人ずつとは、面白くないのう」
「ちょっと待てよ、じいちゃん! 俺のは炎と土の合成魔術だっつーの!」
五人の称号を持った魔術師の中の一人かつ中学三年生の男子が声を上げるのと同時に会長は溜息を吐く。
「お前さんはわしと似て、ネーミングセンスはゼロなんじゃから、あんまりしゃべりなさんな。なんじゃ、ブレンドって……」
眉間にしわを寄せ始める男子は尚且つ、頬を膨らませて会長から視線を背けた。
この“溶岩の魔術師”である男子が魔術委員会会長の孫に当たる人物だった。
そして、会長は仕切り直しといわんばかりに咳払いをして、本題に入る。
「さて、お前さんたち五人の他にあと五人を二回戦を勝ち抜いた二十五名の中から選ばなければならんわけなのじゃが……――わしはお前さんたちに選んでもらいたいと思うておる」
五人が一斉にその目を少しだけ、見開く。だが、慣れているのだろうか。すぐに表情を元に戻した。
「ひとり五人ずつ」
自らの右手の掌を五人に見せつける会長。
「戦って、五人の中から一人を選出して欲しいんじゃ。また、どうしても複数人いる場合には、わしに相談してくれて構わん。十一人でも、二十人でもしていいと、わしは思うておる。また、逆も然りじゃがな」
「その五人ずつの配分は会長がお決めになさるの?」
愛沙ではない、もう一人の“疾風”の魔術師の女が会長に尋ねると、会長は首を縦に振った。
「わしの独断と偏見で決めるつもりじゃ。異論は認めんぞ」
会長のその一言に逆らえるほどの権限を持っているものはこの中にはおらず、ただ、従うしかない。
一瞬の静寂も束の間。会長は先日の愛沙が関わった件を話し始める。
「さて、それでこのトーナメントが行われる元凶の谷崎は、と言うとじゃのう。まだ公表してないんじゃが、先日キューブを一つ奪いよったわい」
愛沙以外の四人が大きく目を見開き、表情を一ミリも動かさなかったのを棚木は横目で見ていた。
「残りのキューブは三つなわけじゃが……まあ、奪われるじゃろうな」
「そんな簡単に言っていいのかよ! じいちゃん!」
「仕方ないじゃろ。わしの結界を壊す程の男じゃ。何をしたところで谷崎の前には無意味じゃろう」
「じゃあ、じいちゃんはどうやって谷崎とタイマン張る気なんだよ……?」
段々と声を小さくしながら尋ねる会長の孫は今の会長の姿勢を見て、うすうす予想はできていた。
「……まだ、考えてないのう……」
その回答は嘘だと、会長の孫にはちゃんと分かっていた。しかし、それ以上、詮索しても真実の回答は得られないだろうと、口を閉じる。
「で、キューブを奪いに来たのは誰なんだよ。谷崎かぁ?」
耳に付けた金色のリングのピアスを揺らしながら棚木が質問すると、会長は、
「後の三つも谷崎が奪いに来るじゃろう」
と言いながら、頷く。だが、その答えが気に食わなかったのか、舌打ちをした。
「なら、会長がキューブを管理すりゃあいいんじゃねえのか? そしたら、谷崎を殺すか、捕まえられる」
「無理じゃな。わしは奴の速さにはつい――」
「いや。違ェだろ?」
会長の言葉を遮り、否定した棚木は会長を睨みながら、言葉を続ける。
「ただ、強くなった谷崎と戦いたいだけなんだろ? そのせいで何が犠牲になろうとなぁ」
すると、会長は自らの口元を大きく歪め、悪魔的な笑みを浮かべた。
「はて? わしはそんな事、一言も言うておらんがのう」
尚も会長に向けて、睨みをきかせる棚木だったが、会長のこれ以上の反応は望めないと覚ったのか、席を立ち上がった。そして、会長に背を向ける。
「まだ、話は終わっとらんぞ?」
「黙れよ、クソじじい」
そう言って、部屋の出入り口へと向かった棚木の前に黒いスーツを身に纏い、サングラスを付けた者が立ちはだかる。
「なんだよ、てめえら。俺とやるってのか?」
「訂正しろ。白雨の魔術師」
淡々と告げる目の前の男を見ると、棚木は鼻で笑った。
「俺らよりもお前らの方が“犬”じゃねえか――」
自らの右手を目の前の人物に向けて、Araiを唱えようとした瞬間、「バチチチッ」と言う音と共に棚木の首に電撃の刃が向けられ、隣には愛沙の姿があった。
「席に戻って」
「俺に命令すんのか? てめえの分際で」
火花を散らせる二人は一分間ほど、その状態のまま止まっていた。そして、棚木がしびれを切らして元の席へと戻っていくと、愛沙も席に着いた。
会長は「やれやれ……」と呟きながら、溜息を吐き、話を始める。
「……五人は慎重に決めるんじゃよ。谷崎の本当の目的は“わしを殺す事”ではないじゃろうからな」
「――!? 谷崎の他の目的をご存知なんですか?」
疾風の魔術師である女が会長に向けて尋ねるが、会長は答えるのに時間を要した。
「“樹を現出せし者、世界の王となるべし”」
何かに書かれていた文章を読み上げるように言う会長は五人を見ながら、首を横にする。
「どういう意味ですか……?」
「聞かん方が良い事じゃ。お前さんらが首を突っ込んで良い話じゃなかった。忘れてくれて構わんよ
じゃあ、もう解散してよいぞ。割り当ての五人は後日、携帯電話に知らせるんでな」
会長のその一言で会議は幕を閉じた。
◇
部屋から会長が姿を消した後、部屋の周りを取り囲んでいた黒いスーツの軍団もそこからいなくなり、部屋に残ったのはトーナメントを勝ち上がった称号を持った魔術師、五人だけとなった。
一番先に部屋を出て行こうとした愛沙であったが、棚木によって止められる。
「待てよ、山田ァ」
ジャージ姿ではなく、ゴールデンウィーク中に哲郎に買ってもらってであろう服を着ている愛沙は不機嫌な表情で振り返ってみせる。
「何?」
「てめえ、谷崎に会ったんだろ? それに加えてキューブも奪われた」
棚木から目を逸らす事無く、沈黙する愛沙。そんな彼女を嘲笑いながら、棚木は続ける。
「部長だったからって、手加減したんじゃねえのかぁ? それとも、ただ単にてめえが弱かっただけかぁ?」
「……私が弱かっただけ……」
谷崎の速さを思い出しながらそう告げる愛沙は視線を下に落とした。
「お前……俺より弱くなったんじゃねえか? 遊んでる間によぉ!!」
その刹那――愛沙は棚木の目の前には既に存在せず、棚木の後ろにいた。その背中に電撃の刃を突きつけて。
「教えてあげようか? 私とあなたの差」
明確な殺意と共にそう告げる愛沙に対して、棚木は「にやり」と口元を歪める。そして、自らの両手を上げ、降参の意を示した。
「俺たちはもはや、谷崎の手下と殺り合う仲間だろぉ? こんな奴がいちゃあ、仲が悪くなるんじゃねえか?」
背後にいる四人に問いかける棚木だったが、その意図は疾風の魔術師によって理解されていた。
「あなたは、まとめる役が必要って言いたいの?」
「そう言うこった。ここの五人、全員で戦り合って、まとめ役を決めねえか?」
ごくりと唾を飲み込む溶岩の魔術師。無関心に天井を見上げている紅炎の魔術師。頭を使って考え始める疾風の魔術師。電撃の刃を消す雷鳴の魔術師。不敵に笑う白雨の魔術師。
しかし、疾風の魔術師は首を横に振った。
「無理ね。こんなバラバラな、目的も同じじゃない連中をまとめる事なんて、此処にいる誰にもできないことだわ」
「てめえが言うんだったら、その通りなんだろうなぁ、井土?」
笑みを浮かべながら振り返って、疾風の魔術師を一瞥し、出入り口の方へと再び向き直って歩き出す棚木はドアノブに手を伸ばすのと同時にその動きを止めた。そして、疾風の魔術師に尋ねかける。
「てめえにとって、正義ってのはなんだぁ?」
唐突の質問であったが、すぐに疾風の魔術師は思案し、回答を出した。
「自分の利益を顧みずに誰かに何かを与えられる事、正しい事をする事……かな……?」
その回答に思わず笑ってしまう棚木は謝りながら自らの考えを述べる。
「すまねえなぁ。あまりにも国語の教科書にでも載ってそうな回答だったんで……だが、その回答は間違ってんだよ。
正義ってのは――――悪を嬲り殺しにするほどの圧倒的な強さだ」