β―II. 魔力
「まず、なんで私の私有地に入れたの?」
「私有地って……普通の道だったけど、変な感じはしたよ。背筋を誰かになぞられるみたいな……」
「うーん」と難しい表情をする愛沙を見るのをやめて、カップ麺の中にある麺を箸で挟んで口まで持っていく作業を続行する哲郎。
「まず、根本的にお父さんはおかしい」
「だから、お父さんじゃないって……年齢的にも無理があるよ」
「言われてみれば……私は今年、十七で哲郎は三十……『十四歳の母』を考えれば、まだいける!」
何の解決にもならない言葉をスルーする哲郎は、同時に名前を呼び捨てしていると言う事もスルーしていた。
「と言うか、そんな話じゃなくて、魔術師じゃないのに哲郎は本当におかしいんだって!」
カップ麺を啜っていた哲郎に対して、愛沙は目の前の机を叩いて、哲郎の視線を自分の方へと向ける。
「結界は普通、認識できないもの。つまりは、『そこに道がある』って哲郎が気づいた時点で結界の意味を果たしていない事になる!」
(僕が変だって言いたいのか? この子は)
持っていた箸の手を止める哲郎は愛沙へと尋ねかける。
「けど、君の話し方だと、魔術師はその結果の存在に気付く事ができる。そう考えると、僕も魔術師と同じ何かを持っているんじゃないか?」
変な間を置いて、思案する愛沙は、
「良い質問だねー。私はその質問を待っていたのだよー」
と、いかにもそんな事に考えが及ばなかったような棒読みの返答を哲郎へとよこした。そして、何か考え始める愛沙を見て、再度、箸を動かし始める哲郎。
「そうかー……そう言う事だったのかー」
独りでに納得したように頷く愛沙は哲郎の様子を見て、自らもラーメンを食べる事に勤しんだ。
◆
カップ麺を食べ終わり、キッチンで片づけを始める哲郎がダイニングへと戻ってくるのを座って待つ愛沙。
そんな愛沙を見ながら、哲郎はコーヒーを淹れ始め、五分後に愛沙の目の前へと舞い戻った。
「遅い!」
そう言いながらも、目の前に置かれたコーヒーに砂糖を何杯も加えた後にミルクを入れて、おいしそうに飲み始める愛沙だった。
「では、哲郎が何故、結界に気付く事ができたのか。その理由を発表します!」
「その前に、そもそも結界って何なの? 人を寄せつけないってのは君の発言で察しがつくけど……」
出鼻を挫かれた愛沙は自らの頬を膨らませながら、説明し始める。
「結界って言うのはその察しのとおり、人を寄せつけないものって分かっておけばいいよ。あとはその結界が、円で構成されていて、円の数によって結界の強さが決まるって事ぐらいかな?」
「ふーん」と聞き流す哲郎。そして、愛沙は本題である哲郎が何故、結界の存在に気付けたのか。その理由を話し始めた。
「それで、哲郎が気付けた理由なんだけど……哲郎は“魔力”を持ってるから、気付けたんだよ!」
「……はぁ? 魔力?」
訝しげな表情を浮かべる哲郎はその単語を繰り返した。
「そう。ゲームで言うところのMP。それは誰しもが持ってる代物で、人によってその量も異なるの。タクローは魔力の量が普通の人よりかも格段に多かったから、結界を認識できたんだよ!」
淡々と魔力が存在するかのように語りだす彼女の話に哲郎はついていけない。
「ちょっと待って! 魔力って……そんなの存在するのか?」
「存在するんだよっ! けど、普通の人は魔力をほんのちょびぃーっとしか持ってなくて、使われたりはしない。そして、魔術が使える人でも同じ事が言える」
少し、自らの頭が混乱してきている哲郎は頭の中を整理しようと思案に走る。
(魔術が使える人も魔力が少ない……? じゃあ――)
「――どんな時に、魔力を消費する……?」
「魔法を使うとき」
その一言によって哲郎の頭の中は洗濯機に入れられたようにかき回された。
「……魔法と魔術って違うの?」
「全然、違うよ。まず、魔術は有から有。在るものから生み出すけど、魔法は無から有。無いものから生み出す。つまり、魔法は錬金術の等価交換の原則を逸脱してるのと一緒」
某錬金術師のネタを持ち込んだ愛沙であったが、哲郎は読んだ事も見た事も無かった為、いまいち理解できない。なので、哲郎は再度、愛沙へと説明を求めた。
「もうちょっと、分かりやすい説明してくれるかな?」
「……魔術って言うのは火を点けたりする事。火って言うのはライターでだって点けれるでしょ。だから、科学力でも補えるのが魔術って言う事なんだよ。対して、魔法って言うのは人を空に浮かせたりする事」
何となくその違いについて理解できてきた哲郎の様子を見ながら、愛沙は淡々と説明を続ける。
「そんな魔法を使う時に魔力は消費される。そして、その魔力のせいでタクローは私と出会ってしまった」
(『せいで』って自分が迷惑な存在だって、僕に思われていると思ってるのか……)
哲郎のその目に映るのは財力も何も持ち合わせていない独りの女の子であり、哲郎にはその姿が少し、寂しさを感じさせるように思えた。
すると、そこで哲郎の頭にある疑問が浮上する。
「そう言えば、何歳なの……? 高校生?」
「高校二年生。そして、早くお風呂を沸かして貰えるとありがたい」
「あっ、ああ……」
愛沙にそう言われて立ち上がる哲郎は風呂場へと向かい、風呂を沸かす準備を終えるのと同時にリビングへと舞い戻ると、ダイニングの机からリビングのソファへと移動して、テレビを見ている愛沙の姿があった。
「……まだ、話は終わってないような気がするんだけど……?」
「終わったよ」
「いや、君の探してるお父さんの話とか……」
「……えっ? 私のお父さんはタクローでしょ?」
その一言を聞いて、溜息を吐きながら頭を掻く哲郎は、「もう何も聞くまい」とお風呂の為のタオルなどの準備などの準備などに取り掛かった。そして、その準備が終わるのと同時にお風呂が沸き、鼻歌を交えながら、風呂場へと向かおうとする愛沙は哲郎の前で立ち止まって、呟く。
「覗いたら、私を誘拐した事にして警察に……」
「はいはい。分かってる! そんな危ない橋には渡らないよ」
「でも、渡らないって言うのもちょっと不自然。私みたいな美人で可愛い女の子の裸を見たくないなんて……哲郎はもしかして、こっちの方?」
右手の甲を左頬へと持っていく愛沙に対して、哲郎は激しく否定。
「そっちじゃないし! 君は自分を過大評価しすぎだよ!」
そのツッコミに「フフフ」と微笑んで、洗面所の隣にある風呂場へと向かって歩き、洗面所前の扉を閉じた。
「完全に彼女に遊ばれてるような気がする……」と呟きながら、リビングのソファに腰を下ろす哲郎は天井を見上げてみる。
(普通人より多い魔力……そんな事言われても、普通の会社員の僕には関係の無いものなんだよ。「もっと他に、人に自慢できるような能力を人より優れていたかったよ……」なんて思ってる自分が嫌になってくるなぁ……)
額に右腕を乗せて自嘲的な笑みを浮かべる哲郎。
(今の僕は、天井と身長が同じになってしまった……二十代の頃はまだ、少しだけ余裕があったのに、こんなにも三十と二十の境界は残酷で……――)
その先を考えようとした瞬間に携帯電話のバイブ音が響き渡り、哲郎は自らの体を起こして、ソファから立ち上がり、ダイニングの机に置かれていた自らの携帯電話を手に取って、開いた。
(非通知……)
携帯電話の画面を見て、そう心中で呟いた哲郎は通話開始ボタン――オフフックボタンを親指で押し、携帯電話を耳に当てる。
「もしもし?」
『其方ハ柏原哲郎サまでゴざイますカ?』
「はい。そうですが……」
返答してきたその声は哲郎の聞き覚えの無い、女性の高い声であった。そして、一瞬、「ジリジリ」という耳障りなノイズが走る。
「どちら様ですか?」
『名乗ル程の者でハござイませン』
言葉の発音の仕方を不審に思う哲郎に対して、そんな時間も与えまいと相手は言葉を紡ぐ。
『タだ、明日、あナた様にハ来て欲しイ所があルのでス』
「いたずら電話なら、切らせていただきますよ」
そう言って、通話終了ボタン――オンフックボタンを押そうとした時、その単語が呟かれた。
『山田愛沙。彼女ガどうナってモいいのデすか?』
「――ッ!?」
その目を大きく見開いて、携帯電話を耳元へと戻す哲郎は尋ねる。
「どういう事ですか……?」
『言葉通りノ意味合いでス。今かラわたクしが指定する所ニ明日の二十三時五十九分五十九秒まデに来らレなけれバ、彼女は死ニます』
ごくりと自分にも聞こえる音で唾を呑みこんでみせる哲郎は戸の閉じられた洗面所の方を見る。
(関わったからには無関心ではいられるはずがない……)
「どこに行けばいいんですか……?」
『○○○ビルでス。あナた様はこノ場所をヨく知ってイるでしョう?』
電話の相手が指定した場所は東京の都心から離れたところにある廃ビルであり、哲郎はそのビルの事を電話の相手が言ったのとは異なり、名前を知っているくらいで場所までは知らなかった。
(僕が良く知っている……? どう言う事だ……?)
記憶の隅々を探すが、そんな場所に心当たりは無かった。その無言からよく知らない事を察したのか、電話の相手は口を開く。
『訪れレばきッと、思イ出すでシょう。でハ』
一方的に切られた電話に哲郎はダイニングの机の横で携帯電話の画面を見ながら立ち尽くした。電話の相手が告げた廃ビルの名前をもう一度、心当たりが無いか自らの記憶に向かって問いただすが、答えは返ってこない。
(訪れたら、思い出す……なら、僕が一度行った事のある場所には違いないんだろうけど……)
思い出そうとすればするほど、思い出せなくなるような気がして哲郎は諦め、携帯電話をダイニングの机の上に置いた。
◇
翌日
六時半に目を覚ました哲郎が部屋を出て、リビングへと踏み入れるのと同時にソファに寝ている愛沙の姿が目に映った。
(まだ、寝かせといてやるか……)
と思いながら、洗面所へと行って顔を洗い、キッチンへと戻ってきた哲郎は食パンをトースターの中へと入れて、フライパンで目玉焼きを作り始める。そして、作り終えてダイニングの机へと並べるのと同時にソファの上で毛布に包まった愛沙を起こした。
目をしばしばさせながらダイニングの机に腰を下ろして、目の前に置かれたトーストの上に乗った目玉焼きを見る愛沙。すると、その瞬間に彼女は「あ」と言う声を上げて、顔を上げ、哲郎の方へと視線を移す。
「魔力は魔術にも使われるって言うの忘れてたね」
「……? でも、昨日は魔法を使う際に魔力を消費するって……」
戸惑う哲郎に対して、愛沙はトーストを口に頬張りながら話す。
「そうだよ。でも、魔術と魔法が曖昧なのもある。その場合にも魔力を使うと言うわけ。具体的に言うと、電撃の魔術とかその部類に当たる。電撃なんていうのは空気中に存在してるわけじゃない。だから、電撃の魔術を使える人って言うのは魔力を持っている人に限られてくるし、その中でも才能がある人と才能のない人に分かれるから、電撃の魔術を使う人は少ない」
電撃の魔術なんて興味の無い哲郎は「へー」と受け流しながら、トーストを口の中へと入れる。そして、ふと疑問に思ったことを口にしてみた。
「魔術師って一人一人、火とか水とか使う魔術の性質が違ったりするの?」
「良いとこついてる。人によって得意な魔術が違うから必然的に、人によって使う魔術も異なるようになる。でも、魔術って言うのは大きく分けて五つの性質しか持ってない。火、水、風、雷、土」
(五行思想と似てる……まあ、関係ないんだろうけど)
トーストを食べ終わる哲郎はコーヒーを飲んで、自らの皿とカップを下げ、愛沙が食べ終わってから、食器の後片付けへと突入する。
その後、洗面所へと行き、歯磨き。その後、トイレへと駆け込んでからスーツに着替えるといういつもどおりの行動をする。
(それにしても、今日行かなきゃいけないんだよねぇ……)
横目で洗面所で歯磨きをしている愛沙を見ながら、溜息を吐く哲郎はテレビを点けて、今日の天気を再度、確認する。
(降水確率は十パーセント。折りたたみは鞄に入ってるし、それでいいかな)
テレビを消して、鞄を手にした哲郎は玄関へと向かうのと同時にあることを思い出して、リビングへと舞い戻る。
「どうしたタクロー? 忘れ物か?」
「忘れ物といえば、忘れ物なんだけど……」
そう言いながら、何かを懸命に探す哲郎はそれを見つけるのと同時に「あった!」と叫びながら、愛沙の方へと近寄った。そして、その手に持った物を愛沙へと手渡す。それはこの家の鍵であった。
「外に出る時は必ず、鍵を閉めること! いいね!」
「うん。そして、タクローは私を栄養失調で殺す気なんだね」
急にそんな事を言われても、何の事か分からない哲郎が考える事、十秒。やっと、その意味が分かり、自らのポケットから財布を取り出して、千円札を手渡した。
「野口秀雄かぁ……どうせ千円札なら、夏目漱石か伊藤博文であってほしいよね」
「生憎、僕には前のお札を取っておくなんて言う趣味は持ち合わせてないから! じゃあ、よろしく」
そう言って、哲郎は会社へと向かうべく、玄関の扉を開けて、その扉を鍵で施錠した。