α―XII. 委員会に入る?
五年前 ドーム
桐島雪乃、十一歳。桐島尚紀、十五歳。
季節は残暑が厳しい九月の半ばであった。セミの鳴き声は途絶えたものの、耳を澄ませば聞こえてきそうな暑い昼間に比べて、夜は少し秋を感じさせるようなちょっとした涼しさを伴っていた。
ナイトゲームに行われる野球の試合を桐島兄妹は二人揃って、見に来ていた。
『雪乃。ジュースいるか?』
『うん!』
優しく雪乃に尋ねかける尚紀の姿は端から見ても、普通の兄。しかし、それを演じていたのか、本物の尚紀なのかは定かではない。
ジュースを買ってもらった雪乃は上機嫌に尚紀と手を繋いで逸れないようにチケットに書かれた番号の席へと向かう。
指定された席に座った二人は周りの人々と同様に野球観戦を楽しみ、七回の膨らませた風船をドームの天井に舞い上げる時、その事は起こった。
宙へと打ち上げられるロケットのように直進はしないものの、飛んでいく細長い風船を喜ぶ雪乃を他所に尚紀も同時に喜びの笑みを浮かべてみせる。
その瞬間、尚紀の周りにいた雪乃以外の五千人の人物が、この世から姿を消した。
周りの人々が一瞬にしてドームから姿を消したのを目の前で目撃していた雪乃は笑顔を消し、訝しげな表情をしながら、隣にいる兄を見た。
すると、尚紀は急に立ち上がって雪乃の方を見て、ゆっくりと微笑んだ。
『大丈夫。兄ちゃんがついてるから、雪乃は心配すんな』
そう言って、頭を撫でる為に雪乃へと向かうであろう右手は、雪乃の頭へは行ったものの、すぐにその右手の人差し指と中指を雪乃の左眼の瞼へと持っていく。
「にやり」と口元を歪めてみせる尚紀はそのまま、右手の人差し指と中指を左眼に突っ込んみ、雪乃の左眼を抉り取った。
叫び声を上げる雪乃と呼応するように五千人もの人々が一瞬にして消え、驚愕していた周りの観戦していた人々も声を上げ、ドームの出口を目指し始める。
「グチョ」と言う音を発しながら、右手に持った目玉を握りつぶす尚紀に対して、雪乃は左眼の在った場所を左手で押さえ、右目から涙を溢れさせ、左眼の在った場所からは血の涙を溢れさせる。
『痛い……痛いよ! お兄ちゃん! ……どうして……?』
『“どうして”? そんな事を聞いてそれこそどうする、雪乃? 俺はもう、お前の知るお兄ちゃんじゃない。ただの――――犯罪者だ』
そう言った瞬間、雪乃と尚紀は数十人の武装をした警察に囲まれており、その全員が銃を持っていた。
『両手を頭の後ろに置いて、地面に伏せろ!』
その中の一人が声を荒げるのを見て、尚紀は嗤った。
『だからさぁ? そんな科学的もんが俺に通用すると思ってる時点で、あんたらの負けってのがまだ、分かんないのかねぇ? 警察さんよぉ?』
その瞬間、彼の周りにいた数十人の武装をした警察は黒い炎に包まれ、叫び声を上げる間のなく灰になって、ドームの景色に同化していった。
その景色を快楽の笑みで眺めていた尚紀の前に今度は一人の着物を纏った老人が現れる。その姿を見た途端に尚紀は笑みを消し去り、老人を睨みつける。
『あんた……俺を捕まえにでも来たのか?』
『そうじゃのう……五千人も消されたとあっては魔術委員会会長として、見逃すわけにはいくまいよ』
そう。老人は魔術委員会の会長であった。
『ふーん……だが、会長さん。あんたじゃ俺を止める事はできねえ!』
会長を睨みつける尚紀。すると、会長の目の前で黒い炎が上がったのだが、その炎は見えない壁に止められているようであった。
『――ッ!? ……流石は会長さん。俺の魔術を止めるとはなぁ!?』
『何ゆうておるんじゃ? お前さんのはどう見ても――――』
↓
翌日
白雨の称号を得た魔術師である棚木に負けた敬治と雪乃は、魔術委員会の本部まで飛行機に乗せられて向かっていた。
敬治たちの通う東坂高校は福岡であり、魔術委員会の本部のあるのは東京の為、二人は飛行機に乗せられたのであった。
二人は未だに目を覚ましておらず、東京の地に降り立ってからやっと、雪乃はその両目を開いた。
雪乃は辺りを見回そうと身体を起こそうとした時、腹部に激痛が襲い、身体を起こすのを諦め、大人しく天井をじっと眺めた。
(そっか……わたし、魔術で……)
気絶する以前の事を思い出した雪乃は今の状況から、棚木に負けた事が分かった。何故なら、彼女の周りには何重もの結界が張られていたからである。
(斉藤くんは大丈夫なのかな……?)
敬治の姿が雪乃の脳裏に過ぎるのと同時に、ある人の姿も一緒に過ぎった。
(……そうだよね。どうせ、わたしは――どう足掻いたって、籠の中の鳥なんだよ……)
そう心中で悲しく告げた雪乃は、天井に向けていた目線を右へと向けた。すると、そこにはスーツ姿の女性が座っており、片手に持った本をじっと読んでいた。
「お目覚めになられましたか?」
「は、はい……ここはどこですか……?」
「魔術委員会本部です。あなたが目覚めたので、これから三十分後に裁判を執り行わせていただきます。よろしいですね?」
本を閉じて、雪乃へと目を向ける女性に対して、雪乃はゆっくりと頷いた。
「はい……」
◇
魔術で犯した罪の裁判は魔術委員会の中から無作為に選ばれた八人と副会長が裁判員として、裁判長は勿論、魔術委員会会長の計十人で行われる。しかし、裁判とは言っても裁判員の考えはあまり反映されず、会長が独断に罰を決める事が多い。
「それでは、裁判を開始させて貰うとしようかのう」
と会長の言葉とは裏腹に裁判員の顔がやる気のないのもその為である。
法廷に立った雪乃を見下ろす会長は言葉を続ける。
「桐島雪乃。お前さんは大量の魔力を封印されたキューブを盗もうとした。この罪に間違いはないかのう?」
手枷を嵌められ、ポケットに入れていた白い眼帯を左眼にした雪乃はゆっくりと頷いた。
「ふぅむ……で、判決を下していいかのう……?」
(早ッ――――!?)
その場にいた全員が心の内で会長に対して、そうツッコんだ後、会長はその判決を堂々と口にする。
「お前さん……委員会に入る気は無いか?」
「――ッ!? ちょっと、待ってください、会長! なに言ってるんですか!?」
裁判員としてその場にいた魔術委員会の委員が会長の突拍子もない言葉に声を荒げた。
「彼女はキューブを奪おうとした挙句に去年、会長を殺そうとした“谷崎”の仲間なんですよ!? それに、彼女は桐島尚紀の妹だ!」
「だからどうしたと言うのですか? 会長の判決に何か不満があるとでも?」
声を荒げた魔術委員の者を睨みつけるのは魔術委員会の副会長である福津哲也であった。
黒縁眼鏡をクイッと人差し指で上げて、調整し、会長の方へと視線を向ける福津は身長一八一と高身長で、顔も整っており、テレビに出ていてもおかしくないようなイケメンだった。
「まあ、彼の意見にも一理はありますので、彼女がもう一度、キューブを奪うような事があった場合の対応と、キューブを守るための戦力はどうにかするんですよね?」
「そうじゃのう……今度、キューブを奪う事があったら、それ相応の罰を与える、とだけ言っておこうかのう。キューブを守るための戦力は……棚木と斉藤にしよう」
「斉藤……? そんな人物、聞いたことありませんが?」
「今日、彼女と一緒に棚木に捕えられた少年じゃよ。彼にも魔術委員会に入ってもらう事にするのじゃ。面倒くさいから、彼の裁判は無しでもええかのう?」
と、殆ど、会長の単独な判決により、裁判は終了し、雪乃は敬治の身を心配しながら、魔術委員の者に聞いた、敬治の寝ている部屋へと踏み込んだのであった。すると、そこには既に棚木がおり、雪乃が入ってくるのと同時に棚木は彼女を睨む。
「会長はあんな甘チャンだが、俺ァそうはいかねえぜ? てめえがキューブを奪わなねえよう二十四時間、見張ってるからなぁ?」
棚木の忠告を無視しながら、白いベッドに横たわる敬治を見る雪乃は自分を責める。
(わたしのせいで……こんな怪我させて……)
すると、その瞬間、敬治の頭のアンテナがピクリと動き、敬治は重い瞼をゆっくりと開いた。そして、目の前にいる雪乃を見て、敬治は口を開く。
「桐……島……? 怪我は大丈夫なのか……? それにここは?」
「わたしは大丈夫……ここは東京の魔術委員会だよっ」
「魔術委員会……? そうか……で、俺たちはどうなるんだ……?」
身体を起こさないまま、諦めたような表情で雪乃に尋ねる敬治に答えたの棚木であった。
「てめえには魔術委員会に入ってもらう事になった」
「やっぱり…………って、ぇえ!?」
勢い良く身体を起こして、棚木を目を大きく見開いて見る敬治に面倒くさそうに棚木は説明する。
「会長がそう決めやがった。だが、今度キューブを奪うような事があれば、それ相応の罰を与えるんだとよ。まあ、俺が奪わせやしねえがな」
(俺はキューブ奪ってないんだけど……)
と心中で思いながら、敬治は安堵の息を吐いてみせる。そんな敬治と雪乃に棚木は上の人間に渡された委員の証である手帳と専用の携帯電話を敬治の膝の上に放り投げた。
「それはお前らが魔術委員である証。失くしたりしたら再発行は効かねえから気をつけな」
まじまじと膝の上の二冊の手帳と二個の携帯電話を見つめる敬治は溜息を吐いて、棚木の方を向く。
(……俺はこんな人みたいに不当逮捕は絶対しないようにするぞ)
「おい、てめえ……今、俺みたいにはならねえって決意したろ? しばくぞ、クソが」
棚木の睨みと共に放たれる殺気にびくっと身体を動かす敬治は話を切り替えるように膝に置かれた携帯電話を手に取った。
「……これって、普通に電話とかメールとかできるんですか?」
「厳密に言うと、できねえ。だが、魔術委員同士のやり取りはできる。
ケータイは魔術委員会からの指令を受け取るだけの機器だと思っといたほうが良いぜ? これで情報交換すると、魔術委員会に駄々漏れだからな」
敬治はふーんと手に持った携帯電話とは違う方の膝に置かれた携帯電話を雪乃へと差し出し、同時に手帳も彼女に渡す。
「それで……魔術委員って結局何すればいいんですか?」
「ただ、その手帳持って、魔術で犯罪してる奴捕まえりゃあいいだけだ」
そう言って、棚木は病室のようなその部屋の出入り口へと足を進め、そこから出て行った。そして、彼はその部屋から出て行って廊下を歩いている最中、その拳をギュッと握り締めた。
(あいつらは悪……悪を根絶やしにするのが、正義であり、この俺だ……
……なのに、なんで俺ァ、あいつらと普通に話してんだよ、クソが! 会長も会長だ。あいつらを魔術委員に入れるなんて、ふざけやがって……!)
棚木の頭に過去の記憶の一部が過ぎ去って、棚木の怒りを逆撫でする。
(必ず……悪は全部、駆逐してやる……!!)
◇
魔術委員会会長室
大きい窓に一つの机と一つの椅子が置かれた、他には何もないその部屋。そこにはその部屋の名の通り、魔術委員会会長の窓の外の都会の風景を眺める姿があり、その横には副会長である福津哲也の姿もあった。そして、会長が窓の外の風景に飽き、椅子に座った時を見計らって、副会長はその口を開いた。
「これで、“駒”が全て揃ったというわけですか、会長?」
「駒とは失礼じゃのう。それはただのお前さんの想像に過ぎんわい。わしはそんな事ちっとも思うておらんよ」
「これは失礼致しました」
頭を下げる福津は頭を上げるのと同時にクイッと右手を使って、眼鏡を元の位置に調整する。
「ですが、まだ、私は“五十人もの称号を持った者”を魔術委員として迎え、どうするのかは聞かされておりませんが?」
「それを聞かせるためにお前さんを呼ぼうと思っておったのじゃが、既にお前さんはこの部屋におったからのう……“未来視”は凄いもんじゃ」
「未来視とはとんでもない。私はただ、結果を予測しているに過ぎません。自分の身近にある情報の一つ一つを繋ぎ合わせて、ただ、“予測”しているのです。天気予報と同じようなものですよ。
それよりも、早く説明していただけませんか?」
「うーむ」と自らの伸ばした白い顎鬚を触りながら、会長は福津に答える。
「去年、わしを殺そうとしたあやつの力ははかりしれん。桐島尚紀でさえ、解けなかったわしの結界をあやつはいとも簡単に解き、そして――――平然とわしの右足を奪っていった」
会長のその言葉の通り、会長の膝から下はこの世には存在せず、変わりに義足がはめられている。それを知っている福津は苦い表情を浮かべながら、話の続きに耳を傾ける。
「今年もあやつはわしを狙ってくるじゃろう。そして、わしもあやつ一人の相手をせねばならん。即ち、あやつの仲間の相手をする者が誰もいなくなるのじゃ」
「ならば、私たちもいますし、他にも――」
「――違うんじゃよ。あやつの側にはわしよりも遥かに優れとる結界を張る奴がおる。そやつがいらぬ結界を張りそうな気がするんじゃよ……わしの勘じゃがな。じゃから、称号は学生のみに与えたのじゃ。
そして、ここからがお前さんの気になる最大の部分じゃろう。“五十人もの称号を持った者”を魔術委員として迎え、どうするのか。答えは簡単じゃ。わしは五十人の中からあやつの仲間と相手をする者を選抜しようと思うておるのじゃ」
その目を大きく見開かせる福津は会長の座っている目の前の机に両手を叩きつけた。
「ちょっと待ってください! そんな事、できるわけ無いじゃないですか!? まさか、会長は日本を戦場にでもするつもりなのですか!?」
声を荒げる福津に対し、会長はゆったりとした口調で福津を宥めるように口を開く。
「お前さんの言う事も分からんでもないが、選抜しなかった場合の方が夏の被害が拡大するとは思わんか? 無闇に皆が魔術を使い出したら、あやつの仲間も倒せず、被害も増える。それならば、優れたものを選抜した方がいいと思うのじゃが?」
にやりと口元を歪める会長を見て、
(この人は……本当は楽しんでるだけなんじゃ……?)
と思いながら、福津は溜息を吐いてみせた。
「……それで、話は変わりますが、谷崎と繋がっている桐島雪乃は泳がせておいてもいいのですね?」
「それで問題ないよのう。……五十人もの若い魔術師たちによる称号十人選抜決定戦。面白いぞぉ……」
(会長のネーミングセンスの無さには本当に呆れてしまいますねぇ……)
笑う会長に対して、呆れるように福津は溜息を吐いた。