α―XI. 具現の条件
瞬間、雪乃は炎に包まれた刀の切っ先を空に向けたまま、棚木の方へと走る。その眼差しはさっきのように棚木に直視しているようで心中では目を逸らしているものではなく、一心に棚木の動きだけを見ていた。
(わたしは……あんなお兄ちゃんなんかとは違う!!)
心中でそう反論しながら、棚木との間合いが炎が接する間合いまで迫った時、雪乃は刀を棚木に向けて振るった。
(“業火”を防ぐにゃあ、“ただの雨”じゃあ役不足か?)
迫り来る炎の刃を前に冷静にそう判断した棚木は右手を真上から真下に落とすような動作をしながらAraiを唱える。
「Zridelz」
その瞬間、空中に浮かぶ大量の雨水の四分の一が一線を越えて下に落ち、一瞬にして棚木の周りに集まって雪乃の炎の刃とぶつかり合い、爆発音を発した。
辺りは水蒸気に包まれ、敬治は二人の姿をその目で確認できない。
(どうなったんだ……!?)
水蒸気が晴れるまでの数秒間。敬治は濡れている自分の姿を見ながら、無力さを噛み締めるしかなかった。そして、水蒸気が晴れて目の前がクリアになった敬治の眼に映ったのは――
「具現っつっても、キューブほどじゃねえって事か? それとも、まだ、未完成か……?」
――何事もなかったかのように佇んでいる棚木とその目の前にずぶ濡れになって横たわる雪乃の姿であった。
「桐島!?」
「別に驚く事もねえだろ? こんな状況になってるのは偶然じゃねえ。必然だぜ?」
「……なんで……?」
「経験の差。俺とてめらの場数は天と地、月とすっぽん。だから、てめらの魔術には工夫ってモンが見られねえ。それじゃあこの世の中はぁ生きていけねえ。いや、生きる価値がねえ! それに、魔術師の決闘の時にゃあ、“普通なら最初に結界を発動する”はずだぜ? まあ、多く経験を積んでる奴ぁ発動しないがなぁ?」
指摘する棚木は目の前に倒れた雪乃へとゆっくりと近づいていく。敬治は棚木の言葉を聞いて、ある事に疑問を抱いた。
(俺は結界は発動しない。けど、桐島はあの時は発動してたけど、今日は発動しなかった……なんで? 意味があるから、発動しなかったのか……?
……意味。メリットがあってした事。メリット。利点。魔眼……?)
魔眼と言う単語が頭に過ぎった時、敬治の頭の中は何かが弾けたような感覚に包まれる。
(魔眼にはそれ相応の代償・条件があるって文書に書いてあったの読んだ事ある……なら、具現魔眼を発動するための代償・条件が手で、自分の肌で触れる事だったらどうだ……?
……それなら俺の時は……――そうか! 桐島はあの時もう、俺の電撃の魔術に対抗するための雷切を持ってたから結界を発動したんだ!!)
敬治がそう気づいた時、棚木は倒れた雪乃の目の前に立っていた。哀れむように雪乃を見下す棚木だったが、その耳は確かにその言葉を聞いた。
「わたしって――記憶力だけはいいの」
その言葉は倒れている雪乃から呟かれたものであり、棚木が「そうだ」と理解するまでの三秒間。その間に雪乃は起き上がりながら両膝膝を地面に着いて、右手を棚木の目の前に突き出して、“棚木がさっき唱えたArai”を唱えた。
「“Zridelz”」
雪乃の右手から放たれた水の水圧の強さに、棚木は後方へと飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「具現の魔眼は物体を具現させるのには代償は要らないけど、魔術を具現化させるのにはわたしの肌でその魔術に触れる必要があるの」
(具現だから、理解なんて必要ない。想像して、Araiを唱えるだけで相手の魔術を具現できる……!? 強い……)
ずぶ濡れの状態で立ち上がる雪乃を見ながら、敬治はその強さを噛み締め、それを敵にしていた事を思うと、背筋に悪寒が走った。そして、敬治はその目をそっと後方に飛ばされた棚木の方へと向けた。
そんな棚木は今、自らが創り上げた水の屋根を見上げており、そこに落ちた雨が波紋を広げていくのを捉えるのと同時に眉をひそめた。
「調子乗ってんなよ、クソが……」
仰向けからうつ伏せの状態になった棚木は人工芝の地面に手を着き、片膝を地面に着ける。
「計算めんどくせえし、流血せずに済ませようと思ってたが……そうもいかねえようならしょうがねえよなぁ!? おい!」
立ち上がった棚木は目の前にいる雪乃を睨みつけるのと同時にAraiを唱える。
「Whores」
水の屋根より、野球ボールくらいに凝縮された水が何個も下に落ちていき、棚木の周りを回り始める。そして、棚木は親指と人差し指だけを立てて、右手で銃のような形を作ってみせ、その人差し指の先を雪乃へと向ける。
「Sundob of a cserad lapec」
その動作から、遠距離から攻撃される事を察した雪乃は自らの周りに八つの円から形成される八円陣結界を展開した。しかし、棚木は結界を展開した雪乃を見て、笑う。
「八円陣じゃあ、意味ねえよ」
そう言って、棚木は銃の引き金を二度、引いたように右手を二回動かした。その瞬間、棚木の周りを回っていた水の球の内の二つが雪乃の方へと飛んでいき、その速さは銃弾よりも速いものだった。勿論、その速さにより、野球ボールの様に丸かった水の球の形も飛んでいく時には細長いものに変化していた。
一つの目の球によって結界を壊され、二つ目の球は無防備な雪乃の腹を貫いた。
「桐島――――!?」
人工芝の地面に仰向けに倒れた雪乃の方へと走って向かう敬治。
「桐島! おい!」
(大丈夫だ……気絶してるだけ……)
瞼を閉じている雪乃に向かって呼びかけた敬治は雪乃の胸が上下に動いているのを見て、安堵する。そして、敬治は雪乃の身体を抱え、その腹から制服に染みていく血を見て、棚木を睨みつけた。
「別にかまわねえだろ? てめえらは犯罪者なんだからよぉ!?」
「そんなの……納得いかねえ……」
雪乃をそっと地面に寝かせ、立ち上がる敬治。
「人を傷つけるために魔術は生まれたんじゃない……科学と同じ、人を便利にするために生まれたもの」
“魔術って使い様によっては人を傷つけられるけど、助ける事も可能なんじゃないのかな?”
谷崎の言葉を思い出しながら、雪乃の姿を見て、奥歯をギリッと鳴らす敬治は右手の人差し指を自分の方へと向ける棚木を再度、睨む。
「だから、お前のそんな魔術は――――俺が破壊してやる!!」
「ハッ! やってみやがれ!! 魔術の使えねえその身体でなぁ!!」
挑発するように言葉を放つ棚木に対して、敬治はその挑発に乗るようにAraiを唱える。
「Denthur」
瞬間、敬治の体は大量の光と稲妻に包まれ、右頬に付けていたガーゼは吹き飛び、「バチバチバチ」と連続する音を発した。
頬のガラスによって切られた傷が開き、垂れ落ちる血と共に敬治は苦しい表情を浮かべる。
(痛い……)
敬治が痛がっている理由は頬の傷ではなく、身体に付着した水を通って伝わる電撃であった。
(早く済ませないと……俺の身体が持たなくなる!)
身体に電撃を纏ったまま、敬治は自らの右手に一本の電撃の刃を創り出した。
「そんなモンで防げると思ってんのかぁ!?」
棚木はまた、三回銃の引き金を引くように右手を動かし、周りの水の球三つを敬治へと飛ばす。雪乃の展開した八円陣結界を破壊し、腹を貫いた水の弾丸は迫り来る敬治の電撃に当たった瞬間に弾け、飛散した。
全ての魔術を破壊する電撃。その事を知っていて、水の球を飛ばした棚木は舌打ちをし、最終手段に出た。
「Lqusal」
そのAraiを唱えた瞬間に棚木は空中の一線に溜まった全ての雨水を電撃を纏っている敬治に目掛けて落とした。
その水は電撃に触れた瞬間に弾けるが、それでも土砂降りで溜まりに溜まった雨水の量の全てを電撃で弾く事は不可能であった。
「ああああぁあああぁぁあぁぁぁあぁぁああああ!!!!」
(痛ぇ……けど、こいつは絶対許せねえ!!)
自らの体に流れ込む電撃に叫ぶ敬治を見ながら笑う棚木だったが、それでも尚、握った電撃の刃を放す事無く進んでくる敬治にその目を大きく見開いた。
(こいつ……こんなに電撃を食らって……なんで、まだ立っていやがる!?)
心中でそう叫んだ時には敬治の握る電撃の刃は棚木の目の前にまで迫っていた。Araiを唱えても、この距離では追いつかない。
(やられる……!?)
そう思った棚木であったが、敬治の右手に握られた電撃の刃の切っ先は棚木との距離が数センチのところでその動きを止めた。そして、棚木はさっき言っていた敬治の言葉を思いだす。
“人を傷つけるために魔術は生まれたんじゃない”
「だからって、俺も傷つけないつもりかぁ……クソが!!」
棚木が怒りを露にした瞬間、電撃の刃は砕け散り、敬治の纏っていた電撃も飛散する。そして、敬治はゆっくりと人工芝の地面に倒れた。
「……痛みで気絶しやがったか?」
「チッ」と舌打ちをする棚木や地面に倒れている敬治と雪乃は水の屋根がなくなったことにより、土砂降りの雨に打たれる。
「敬治君!? 雪乃ちゃん!?」
人工芝グラウンドの周りにいたギャラリーは魔術部の三人だけとなっており、傘を差している部長は二人の名を叫んだ。
棚木はその姿を見て、溜息を吐きながら、人工芝グラウンドの周りに張っていた結界を解いた。
その瞬間にすぐさま、二人の倒れている方向へと走り出す部長に続いて、江藤、神津も二人の元へと駆けつける。しかし、部長が敬治の元へと駆け寄ろうとした時、棚木は部長の胸倉を掴んで、部長の足を止めた。
「何するんだ!?」
「こいつとあの女は今日、俺たち委員会が預からせてもらう。そして、早急に魔術委員会の本部に連れて行く。邪魔はさせねえぜ?」
「淳君の邪魔をするつもりは毛頭ない! ただ、敬治君が心配なだけだ!」
棚木の睨みに対して、睨み返す部長の表情を見て、棚木はそっと胸倉を掴む手の力を緩め、ポケットの中からあるものを取り出して、部長に向ける。
それは金色に輝くルービックキューブのようなもの――大量の魔力が封じられたキューブであった。
「昨日、会長に連絡したら、『てめえに渡せ』って言われた。一回、盗られたんだから守る能力が無かったって事で俺は反対したんだがぁ……会長はそれでも『てめえに託す』って言ってた」
金色のキューブを棚木の手の上から部長が取ろうとした時、棚木は金色のキューブを持った手を引っ込めて、部長の胸に押し当てた。
「どんな交渉、手ぇ使ってこれをてめえが持たされてんのかは知らねえが……――てめえもあのクソジジイも一体、何考えてやがるんだ……?」
「……何も考えてなんかいないよ。俺はただ、会長にキューブを託されてるだけだ」
「どうだかな……言っとくがぁ、俺が魔術部に来ねえのはてめえが信用で信用できねえからだ。谷崎を異様に慕ってたしな、てめえは?」
部長を睨みつける棚木であったが、部長はそんな棚木からは目を逸らしてこれ以上、口を開く気は無いと言う態度を見せていた。
「チッ」と舌打ちをしてみせる棚木はそのまま、金色のキューブを部長に渡し、携帯電話をポケットの中から取り出した。
「もしもし。ああ……――――」
棚木が誰かに電話を掛け始めるのを他所に部長は敬治の方へと近寄って腰を屈める。
「敬治君!」
敬治を傘で雨から守り、部長の呼びかけに対して、何も反応を見せない敬治だったが、その胸がちゃんと上下運動を繰り返しているのを確認した部長はほっと、安堵の息を吐いた。
「雪乃ちゃんは!?」
と、すぐにその心配の色を雪乃へと向ける部長であったが、それに答えたのは棚木であった。
「事前に配備させて置いた魔術委員会と医療関係者も呼んだ。あと一分もすりゃあそいつらが来るから、こいつらは大丈夫だろうよ。治療は多分、車の中。てめえらはそいつらが来たら帰れよ」
と言う棚木の言葉通り、一分も経たずに三台の車が人工芝グラウンドに入って来て、敬治と雪乃をすぐさま、乗せた二台の車は颯爽とその場を離れてどこかへと行ってしまった。
「ハゲ校長かそれぞれの担任にちゃんと言っとけよ、部長? 明日は学校行けないってなぁ? それぞれの親にも連絡しとけよ、江藤!?」
「分かってますよ……それで、二人の処分については、いつ連絡が入るんですか?」
「明日だろうよ。まあ、結果は死刑か懲役の二択だろうがなぁ?」
にやりと口元を歪めてみせる棚木は残り一台の車に乗り込む。その車も二台の後を追うように人工芝グラウンドを離れていった。