-幽霊-
「なぁ、有知ってる? あの噂」
親友の神一が俺に言った。寺棲神一。俺の小学校からの親友で、俺とは正反対の非現実を信じている人間だ。宇宙人や幽霊と言ったオカルトの類を信じているし、そういった噂話も大好きだった。
「何だよ、噂って」
俺がそう言うと、神一はニヤリと微笑み、話し始めた。
「これはこの学校の七不思議の一つ。トイレの花子さんの話なんだけどな。四階の女子トイレの入り口から四番目の扉が、いつも閉まっているらしいんだ。何故だか昔から使用禁止になっているらしくて、だれもそのトイレが開いてるところを見たことがないんだってさ。それがさ、夜の四時四十四分、そのトイレを四回ノックすると……」
そこまで言って、神一は俺に顔を近づけた。
「『入ってます』って女の子の声が聞こえるらしいんだ」
よく聞く話だ。もちろんこの話だって信じられない。
「そんなの嘘だよ。ありえない。だいたい、誰が夜中の四時四十四分に学校にいるんだよ。たまたま使用禁止だったトイレが四階の入り口から四番目だったから、誰かが作った作り話だろ」
俺がそう言うと、神一は溜息をついた。
「出たよ。有の現実主義。いい加減、そういう考え方変えたらどうだよ」
そんな事言われても、今までの考え方を変えるのなんてかなり難しい事だ。まぁ、別に変えようと思った事もないし。でも、昨日から家に住み着いた宇宙人のせいで、少しは変わりつつあるがな。
「そこまで言うなら、今日試しに行こうぜ」
神一は嬉しそうに俺に提案した。
「嫌だよ。寝たいし」
「明日休みなんだから大丈夫だろ? もし花子さんがいなかったら、もうお前の現実主義についてとやかく言わないからさ。ただ、もし花子さんがいたら。一週間俺の命令を何でも聞いてもらうからな」
まぁ、どうせ嘘に決まっているのだし、この先神一に俺の考え方の事で文句を言われないのなら、付き合ってもいいか。
「わかった。行ってやるよ」
「おっけい。決まりだな。今日の夜四時に校門で待ち合わせ。逃げるなよ」
そう言って、神一は自分の席に戻っていった。暫くすると英語教師が部屋に入ってきて、英語の授業が始まった。
「ただいま~」
家に帰り、玄関を開けながらそう言った。誰の返事もない。母は買い物にでも行っているのだろうか?
靴を脱ぎ、リビングの扉を開けた。誰もいない。冷蔵庫に向かい、缶ジュースを手に取り、自分の部屋がある二階へ向かった。
深夜四時集合か……。眠くなりそうだから、今のうちに一眠りしておこうか。そう計画を練りながら、俺は自分の部屋のドアを開けた。
「おかえり」
爽やかな顔で、イヴが俺に言った。こいつの存在すっかり忘れてた。何か急にテンションが下がった。
「お前さ、帰れよ。何だっけ、ジモン星?」
「『エデン星』だよ!! 地球のリアクション芸人のような名で間違えないでよ!! っていうか君はミィがいるのがそんなに嫌なの!?」
「うん」
「即答!? 君って人は失礼な地球人だな」
そう言って、頬を膨らませた。可愛いんだけど。何かウザイ。っていうか、イヴが何で家に居座っているのかわからない。だいたいさ、おかしいと思わないのかね、うちの家族は。何かたまに思うんだよな。俺がこんなに現実主義なのに、両親も妹も、何でも受け入れちゃうっていうか、俺だけ何か違うっていうか。まぁ、そうだよな。父親も母親も、職業柄(性格には母親は元仕事柄)こういうことに関して、信じちゃうって言うか、興味持っちゃうっていうか……多分、その二人の血を色濃く受け継いだのは妹の杏だろうな。きっと、遺伝子調べたら、両親の遺伝子99%妹が引き継いで、俺は1%も満たないんだろうな。わかんないけど。
「まぁいいよ。あのさ、今日ちょっと夜、用事があるから、寝るよ。どっか行ってくれない?」
俺の言葉に、イヴは首を横に振った。
「それは出来ない。今日は君に会いに、お客さんが来ているのだから」
客? 少し嫌な予感がする。あれか。新手の宇宙人か?
「あなたが有さん?」
背後から女性の声がした。俺は慌てて後ろを振り向いた。そこには、セーラー服の女性が立っていた。髪は黒髪でロング。潤った赤い唇と大きな目が特徴的だった。だた気になる事を一つだけあげるとすれば、彼女の体を通して、背景である俺の部屋が透けて見えるということだ。
「おい!! 何て奴を連れてきたんだお前は!!」
俺の拳が、イブの頭部へ炸裂した。
「うぐっ!! 痛い!! やりすぎでしょ!! っていうかミィが連れてきたんじゃないもん! 彼女が自分でここへ来たんだもん」
イヴは頭を両手で抱え、涙ながらに抗議した。では一体、彼女は俺に何の用があるっていうんだ。信じない。信じたくない。でも彼女は、まさしく、神一から聞いた事がある特徴を持つ幽霊じゃないか!!
「気付いているでしょ? 彼女は正真正銘、幽霊なのさ」
だからそんなのいるはずがない。幽霊ってのは、死を恐れた人間が考え出した空想だろ。俺はそんな風に今まで認識してきたぞ。だが、俺の目の前に立つ彼女は人間とは似て非なるのも事実。基本人間は透けない。存在感が薄いとかそんなレベルじゃあいよな。これ。
「よし、仮に彼女が幽霊だったとしよう。だったとしても理解に苦しむんだが、その幽霊さんが、俺に何の用なんだよ」
「考えればわかる事じゃないか。君に用って事はつまり……」
何となくわかって来たぞ。あれか、俺の能力ってのに関係あるんだな? おいおいおい、俺の能力ってのは本当にあるのか? まだ半ば半信半疑だぞ。でもさ、信じるしかないのかね。こうも非現実的な方々が俺の前に現れるって事を考えると。
「私を見て」
幽霊が言った。俺は冷や汗を掻きながら、彼女の目を見た。
「私は存在してるの。人間としては死んじゃったけど。幽霊としては、まだ生きているの。でも、あなたが私を疑うから、私……いなく……なりそう」
うわ、何か泣いてるよ。俺が泣かした事になるんだよな? なんでだよ。俺が何したんだよ。いや、何もしていないから泣いているのか? ちょっと待て、俺が悪いのか? 俺、悪くないだろこの場合。
「ほらほら。君が泣かしたんだよ」
追い討ちをかけるなよ。わかったよ。俺が悪かった事にしておくよ。お前は後で俺がぶん殴るよ。
「わかった、信じるから。泣かないで」
何で俺が気を使わなきゃいけないんだよ。幽霊なんかに。まだ幽霊だって信じてないけどさ。でもさ、幽霊って信じるしか無いよな。透けてるもん。彼女の顔の向こうに俺が大好きなアイドル天王寺杜ちゃんのポスターが見えるもんな。
「うん。ありがとう。有さんって優しいのね」
どうも。褒められても何も出来ないけどな。まぁせいぜいハンカチで涙を拭ってあげる事くらいか。ただ残念ながら、俺はハンカチを持たない主義でね。つまりやっぱり何も出来ないんだけどさ。
「でも、驚いたよ。本当に幽霊って、透けているんだね」
噂で聞いたことはある。幽霊は透けていると。まぁ今まで幽霊なんて存在しないものだと思っていたから、実際に見ると驚いてしまうが。
「君は何か勘違いしてるみたいだな」
隣で一連の流れを目視していたイヴが呆れた顔で言った。頭部に喰らったダメージがまだ痛いのか、頭を摩っている。
「彼女が透けているのは、君のせいなのさ。君が彼女のような幽霊を信じないから、彼女が透けているのさ」
え? 俺が悪いの? えっと、少し考えるわ。つまりあれか、幽霊が透けているって噂は、俺の現実主義のせいか? 俺が幽霊を信じていないから幽霊は透けてると……だったらどんだけ俺凄いねん。
まぁ落ち着け、今はそんな事どうでもいい。とりあえず、彼女をこの家から出す事が重要だ。イヴの件もあるし、うちの家族に見つかったら、大変な事になる気がする。
「ごめん。俺が悪かった。これからは、君の存在を信じるように努力するよ」
そう俺が言うと、彼女は、目を潤ませながら笑顔でお辞儀をした。そして、俺の前から姿を消した。文字通り、消えたのだ。
「良かったな。君のお陰で、彼女は学校へ帰ったみたいだ」
イヴが言った。俺もほっとして胸を撫で下ろした。
「そうか。それは良かった……」
ん? 何かおかしい事を聞いた気がする。
「待て、イヴ。お前今、何て言った?」
聞き間違いだ。きっとそうだ。イヴは、あの幽霊が俺の学校へ帰ったなんて言っていない。
「彼女は帰ったみたいだと言ったけど?」
「わざとなのかお前は。もう一度聞く。お前何を言った?」
「物分りが悪いな。君の学校のトイレに帰って行ったと……うぐっ!」
俺の拳がイブの頭部に振り落とされ黙らせた。まさか、彼女があの花子さんだったなんて。しまった。まずい。彼女を帰したのはまずかった。今日は神一との約束がある。もし彼女が噂のトイレに帰っているとしたら、俺は一週間、神一の奴隷と化してしまう。どうにかしなければ。
「おい、イヴ。お前、もう一度あの子を連れて来いよ」
「あの~。まず謝るとかないんですか……ないんですね。何度も言うようですが、彼女は自らここへ来たので。彼女の意志で」
しまった。もう少し考えて彼女を帰らせれば良かった。っていうか、今更ながら、神一とあんな約束しなければ良かった。今から止めようとか言ったら、あいつ俺の事を怖がりだとか馬鹿にするだろうし。まいった。
「どうした?」
イヴが俺にそう言ってきた。こいつに話したって無駄だろうな。でも、こんな奴でも、もしかしたら役に立つかもしれない。俺はそう思い、イヴに神一との賭けの話をした。
「なるほど。それはまずい」
イヴが頷きながらそう言った。その後しばらく黙っていたが、何か思いついたようににやりと笑い、俺の目を見た。
「ミィに良い考えがあるわ。君を助けてあげるよ」
そう言って、イヴは自信有りげにウインクをした。まさかイヴの口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。それにかなり得意気な顔をしている。
「要するに、君達が学校に来た時、彼女が学校にいなければいいんだろ? そんな事、簡単な事さ。エデン星の技術をなめてもらっては困る」
なにやら怪しげな発言ではあるが、今のイヴは何故か頼れそうに思えてしまう。
「どういうことをするんだ?」
「まぁまぁ、ミィを信じて! 君は少しでも寝て、夜に備えてくれ」
……とても怪しいが、でも今は藁にも縋る思いだ。こんな奴でも、何とかしてくれるのならありがたい。
「なら任せていいんだな?」
俺の問いに、イヴは親指を立てて答えた。
神一との約束の時間が来てしまった。俺は重くなった足をどうにか動かし、学校の前までやってきた。
「遅いよ! 早く!」
正門の前で、神一が俺を手招きした。近づくと、神一がやたら重装備な事に気が付いた。頭にはライト付きのヘルメット。首にはデジカメを掛け、大きなリュックサックを背負っていた。サバイバル用のベストには多くのポケットが付いていて、どのポケットも膨らんでいた。対する俺はというと、とりあえず持ってきた懐中電灯のみの軽装備である。
「お前さ、キャンプにでも行くのかよ」
俺がそう言うと、神一は溜息をついた。
「お前は何もわかっていないな。幽霊ってのはだな、寂しさのあまり、人間を拒絶した存在なのだ。だから時として、人間を襲ってくる。いつ何時何が起こっても大丈夫なように、最低限の準備は必要さ」
神一が思い描く幽霊のイメージがわかったところで、俺は彼を無視して、校門を飛び越えた。神一も俺を追うように校内に侵入した。
「神一、そういえば、お前大丈夫なのか? こんな夜に外出なんて」
俺は隣を歩く神一にそう質問した。
神一は母子家庭だった。俺と神一がまだ小学生だった頃、神一の父親は亡くなった。その件があってから、前にも増して神一の事を心配するようになった。まぁ、所謂溺愛ってやつだ。
「母さんか? 心配性だからな。寝たふりして抜け出してきたよ」
そう言って神一は笑った。
俺達は校庭を歩き、一階の非常口から校内に潜入した。今日の事を考えて、予め内側から鍵を開けていたのが正解だった。中からだとちょうど階段の裏側にあたるため死角になる場所で、あまりこの非常口を認識している人が少ない事が好都合だった。
俺と神一はそれぞれの明かりを頼りに歩いた。神一は俺の腕に掴み、震えながら歩いている。人間は、先の見えないものには恐怖を感じる生き物なのだ。暗闇、人生、死。何度も言うが幽霊という存在なんて、死を恐れた人間が創り出した幻想でしかない。そう思ってしまう俺は、まったく恐怖を感じない。まぁ急に誰か人間が現れたら、流石に恐れるが。。
「有、早く四階行くぞ」
そう言って、神一は階段を登り始めた。俺も神一の後に続く。
神一の頭のライトが闇を照らす。普段当たり前のように見ている校内のあらゆるものが、その演出によって不気味に見える。ゆっくりゆっくりと階段を登り、四階まで辿り着いた。俺と神一は、廊下を歩き、噂のトイレの前まで来た。
俺は、急に不安になった。信じてはいない。俺は決して信じてはいないが、このトイレに花子さんがいる気はとてもする。矛盾しているようだが、今の俺は真剣にそう思っている。そして不安なのは、イヴがちゃんとどうにかしてくれれいるかという事だ。
「有、行くぞ」
震える声で、神一が言った。俺は神一の後ろから、神一の行動を見守った。手前から四番目のトイレ。神一の言ったように、唯一そこだけが閉まっている。やけにそのトイレだけ存在感がある。神一は額に流れる汗を腕で拭うと、そのトイレをノックした。
……返事がない。イヴが何とかしてくれたのだろうか。あいつ、やるじゃないか。俺は少しイヴを見直していた。
「いらっしゃいませ」
こんな場所では絶対に聞く事のないであろう言葉が聞こえた。神一は唖然とした顔で俺を見る。俺は無言で首を振った。言ったのは俺じゃない。
聞こえたそれは、確かに女性の声に聞こえた。はっきりではないが、俺はどこかでその声を聞いたことがある気がする。
「どうぞ、お入り下さい」
また声が聞こえた。トイレに入れと? 俺は耳を疑った。どういうことだ? 誰かが俺たちを中に招きいれようとしているのか?
「有……俺は開けるぞ」
意を決した神一は、トイレのドアノブを握った。ゆっくり、それを回して、ドアを押す。
刹那、辺りが光に包まれた。眩しくて目を開けることができない。ゆっくりと、目が光に慣れていき、前が見えるようになってきた。そして、目の前の光景に俺は愕然とした。
「お帰りなさいませ。ご主人様」
そこには、ピンクのメイド服に身を包んだ、花子さんがいた。
「え? お……おい、有、どういうことだ?」
神一は、前後を交互に見ながら、俺に訊いてきた。後ろには、俺たちが今までいたトイレがある。でも、目の前は、明らかにオシャレなカフェだ。彼女の姿から推測すると、ここはどうやらメイドカフェらしい。
「どうぞ、ご主人様。中に入って、くつろいでいって下さいね」
そういって、花子さんが俺達を、奥の席まで案内した。店内はモダンで落ち着いた雰囲気だ。席は四人掛けのテーブルが4席しかなく、お世辞にも広いとは言えない。右奥にはカウンターがあり、椅子が4脚並んでいる。部屋の中は、コーヒーの良い香りが漂っている。ここがトイレの中だとは思えないほどだ。
「こちらがメニューになります」
花子さんが笑顔で俺と神一にメニューを渡した。メニューは『萌えコーヒー』『萌えサンドウィッチ』『萌えパフェ』と、とりあえず萌えを付けたメニューが並んでいる。
「有……」
神一が小声で俺を呼んだ。表情は真剣だった。
「萌えパフェと萌え季節のシャーベット、どっちが良いと思う?」
頼むんかい!! 俺は神一のこの性格が羨ましく思った。
「好きにすれば良いじゃん」
俺の言葉に『ノリ悪いなぁ』と呟いて、神一は花子さんに注文をしていた。俺はそれどころじゃない。あいつを探すんだ。あの馬鹿を。
「先輩!萌えパフェ一つ入りました!」
「はい喜んで!!」
カウンターの奥から更に聞き覚えのある声が聞こえた。
パフェを片手に、イヴが現れた。こちらは黒いメイド服を着ている。イヴの童顔に似合っていて可愛い……俺は、慌てて首を振って感情を殺した。何を考えている。俺は、あいつを。あの馬鹿に説教をしなければいけないのだから。
パフェを受け取った花子さんが、神一の前にそれを置いた。ソフトクリームやらチョコレートやら、ポッキーやら、いろんなものが器に入っている。
「お待たせいたしました!! ゆっくり召し上がってくださいにゃん」
語尾にオプションを付けて、花子さんが言った。両手の拳を左右非対称に顔の横に並べ、猫の動きを真似て見せている。今わかったんだが、花子さん、かなり恥ずかしがってる。めちゃくちゃ無理して言ってるよ。多分、あいつに言わされてるな。
「神一、ちょっと俺……」
俺は神一の顔を見て、唖然とした。固まっている。神一が花子さんを見て固まっている。昔からこいつを知っているが、こいつのこの姿は、間違いなく花子さんに一目惚れをしている。
よし、とりあえずは放置しておこう。俺は先輩メイド気取りの馬鹿に近づいた。
「いらっしゃいま……うぐっ」
俺の拳が、イヴの脳天に対し垂直にヒットした。
「お前よぉ、これはどういう事だ?」
「似合うでしょ? 可愛い?」
そう言ってウインクした。騙されるな。この萌え表現に騙されるな。無心となれ。
「お前のメイド服などどうでもいい。今この空間の話をしている」
「空間を捻じ曲げて、トイレとメイド喫茶を繋げ……」
「そう言う事を聞いてんじゃねぇよ!! 何花子さんにやらせてるんだよ!! お前任せろって言ったよな? お前、花子さんを学校にいさせない的なことを言ってなかったか?」
にやりとイヴが笑った。
「ここは空間を捻じ曲げてある。学校ではない」
呆れて何も言えない。イヴの笑顔が無性にムカつく。
「とにかく、どうすんだよ。確かに花子さんという幽霊の存在を隠せるかもしれないけどな、トイレの中に、こんな空間があるなんて知られたら、その方がまずいんじゃないかよ」
俺の言葉を聞き、イヴの表情が強張った。
「いや、だからそれは、その……あれよ……ごめんなさい」
イヴは素早い動きで土下座した。こいつに任せた俺が悪かった。まいった。
「まぁいい。とりあえず、この状況をどうにかしなきゃ……」
とにかくだ、神一に花子さんが幽霊だという事を気が付かれてはいけない。もしばれてしまったら、明日から俺の人生は終わってしまう。それだけは避けなければ!! どうすればいいのか……神一を騙す方法が見つからない。何とかしなくては……。
「おい、有!」
その声を聞き振り向くと、神一が気持ち悪いほどの笑顔で俺を見ていた。
「なんだその笑顔は……」
パフェを嬉しそうに頬張りながら、神一はカウンター裏で食器洗いをしている花子さんを見つめた。
「おい、有よ。あの子可愛いよな~」
「あ……あぁ」
可愛いよ。十分花子さんは可愛いと思う。ただ彼女はこの世には存在しない幽霊なんだ。神一はそれをわかっていない。現に彼女は人間と違って、容姿だって透けて……
「あれ?」
透けていない? おかしい。家で会った時は透けていたのに……。
「君が彼女の存在を認め始めているからさ」
イヴが俺の耳元で囁いた。その言葉に俺は驚いた。
「俺が彼女の存在を認めている?」
そんなはずはない。幽霊なんて存在しない。存在するはずがないんだ……。
「存在している。現にミィもここにいる。彼女もここに存在している。それが答えさ」
まだ俺の能力ってやつだって信じていない。俺が現実だと思わないものを、消すなんて……そんな事あるはずがない。
「ゆっくりでいい。少しずつ、全てを信じて欲しい。お願い」
イヴが真剣な眼差しで俺を見つめた。俺はイヴの目をしっかりと見る事が出来なかった。まだ、自身は無かった。
「……わかってる……努力はする」
俺の素直な言葉だった。今俺にはどうすればいいかわからない。
「うん」
そう言って、イヴはお得意の笑顔を見せた。
「有、何を話しているんだ? ちょっと来いよ」
神一が俺に手招きをしている。未だにニヤニヤ笑っている。神一の隣に座ると、小声で俺に話始めた。
「あのさぁ、あの子俺達と同じ学校かな?」
えっと……詳しく聞いてないけど、多分、ここに住んでる幽霊って事は……そういう事になるかな。そう言えば、花子さん俺の高校と同じ制服を着ていたな。
「そうだと思うよ」
確信はないけどね。
「惚れた……」
出たよ。神一の悪い癖が……。こいつ、花子さんが幽霊ってわかってないからな。馬鹿な奴だよ。
……待てよ? これはチャンスかもしれない。こいつ、花子さんが幽霊だなんて思っていないのだから、俺との約束もチャラになる。これを利用しない手は無い。ただ、この空間がトイレにあったという状況がまずい。
「どうした?」
イヴが話しかけてきた。今思えば、こんな空間を作り出した技術は相当なものだ。こいつは本当は凄い。馬鹿だけど。ここはもう一度だけ、こいつを利用するしかないな。
「イヴ……耳を貸せ」
俺はイヴの耳を指で掴み、顔を近づけた。
「おい、この空間を別の場所に移動する事出来ないか?」
俺の言葉に、イヴの表情が変わった。
「ミィが誰だと思っているの? エデン星のイヴとは私の事よ」
「知らないし、興味が無い。早くやれ」
とても不服そうな顔をして、イヴは目を瞑った。両手の人差し指を左右の米神に押し当て、何か呟き始めた。暫く不思議な呪文を唱えた後、イヴが目を開けた。
その瞬間、辺りが目も眩むほどの光に包まれた。俺は目を瞑った。何が起こっているのかわからなかった。
「目を開けてみて」
イヴの声が聞こえた。ゆっくり目を開いた。辺りを見回すと、さっきの喫茶店だった。
「……おい、これはどういうことだ?」
俺はイヴを睨みつけて言った。イヴは動じない。それどころか不敵な笑みを浮かばせている。
「成功だ。さぁ、喫茶店から出るがよい」
イヴは俺達が入ってきた入り口を指差した。あのドアを出ると、俺達が通う学校のトイレに出るはずだ。俺はアダムの自信を確認する為に、ドアに歩み寄った。溜息交じりの深呼吸をし、ドアノブを握り締めた。ゆっくりドアを開けると、そこには見慣れた景色が現れた。しかし、さっき入ってきたはずのトイレではない。別の場所だった。
これがイヴの言う成功なのか?
「どう? これなら学校で大騒ぎにならずに済むでしょ?」
確かにな……。確かにそうだよ。でもな、俺は納得がいかない。
「どうして俺の家なんだよ!!!」
そう言って、俺はイヴの頭部に鉄拳を振り下ろした。そう。つまり俺の家のトイレにこの喫茶店が存在している形になった。怒りが治まらない。俺はこんな暴力的な人間だったろうか。確実なのはこいつが俺の前に現れた時からその凶暴性が露になったという事だ。
「あぐっ!! 痛いよぉ!!。良かれと思ってやったのにぃ!」
「あのな! 『トイレ入ったら幽霊の花子さんがメイドしている喫茶店のあるお家』なんて、馬鹿げてるよ! アド街にも出てこないよ!」
「便利じゃん! 花子さんだって、君に認識してもらえるし、一石二鳥でしょ!」
「知らないよ!!」
こいつは何故こんなにも馬鹿なのだろうか。溜息すら出ない。とにかく、学校で騒がれないから良しとするか……百億歩譲ってな!!
「とにかく、場所の問題は一時的に良しとしてやる。でも、俺が求めているのはそんな事じゃない。あいつをどうするかって話だ」
俺は神一を指差した。神一は未だに花子さんを見て、デレデレしている。
「あいつは花子さんを幽霊だと感付いていない。でもな、この空間が家に繋がった事を知ってしまったらそれはそれで問題だ」
俺が言うと、イヴは神妙な面持ちで何かを考え始めた。そして、軽く頷くと俺を見た。
「君の言葉は一理ある。あんまり使いたくないけど……背に腹は変えられない」
そう言ってイヴは神一に近付いた。俺は不安な気持ちで一杯だったが、イヴの行動を暫く傍観する事にした。
イヴは何かを神一に伝えた。何を言っているか聞こえなかったが、神一は小さく頷いたのだけはわかった。
イヴはポケットの中から何かを取り出した。何だろう。紐のような物だ。紐をイヴが人差し指と親指で摘み、紐を垂らした。紐の先には何かコイン状のの物が付いており、それをゆっくり揺らし始めた。
振り子のような動きをするコイン状の物を神一は目で追っている。暫くをそれを見つめた神一は重くなった瞼に耐え切れず、目を閉じ、寝息を立て始めた。
俺はイヴに近付いていった。ある事を確認するためだ。
「おいお前。まさか、神一を眠らせて、夢オチさせるつもりじゃないか? 返答によってはお前を殴る」
「どういう事?」
イヴがやった事。それは典型的な催眠術だからだ。
「とぼけるな。お前神一に催眠術やっただろ? 紐の先に付いたコインを見つめさせ、あなたはだんだん眠くなるとか言って……」
「な……なるほど! そんな事が地球人は出来るのか!」
驚いてる。これは本気で驚いている。
「流石地球人だな。地球の科学はエデン星の技術に劣らないと聞いた事があるからな」
科学じゃないし。多分。
「じゃあ、お前は何やっているんだ? 神一は催眠術受けたように寝ているけどさ」
イヴは自分が持っている紐を俺の前に見せた。
「これがエデン星で開発された記憶抹消装置なの。この紐の先に付いたこの装置を相手に見せ続ける事により、相手の記憶を少しだけ抹消出来る。副作用で相手は眠ってしまうけど……」
「……」
気が付くと、俺の魂のこもった拳骨が、イヴの頭部を殴打していた。
「最初からやれ!!」
神一を俺のベッドに寝かせると、俺は深く溜息を付いた。
「……ごめんなさい」
後ろでイヴが、涙を流して泣いている。せっかくの可愛い顔が台無しだ。
「いいよもう。それより、ちょっと話しないか?」
そう言って俺は、ベランダに出た。後からイヴも出てきた。俺は柵に寄り掛かると、空を見上げた。
「イヴ……あのさ。何で俺なのかな」
自分自身、何が言いたいのかわからなかった。ただ、一つ頭の中に何度もリプレイされている言葉がある。隣にいる自称宇宙人が言った言葉だった。
『君が彼女の存在を認め始めているからさ』
イヴは言った。子供の頃からそういった未確認生物やら怪奇現象やら信じていなかった俺が、宇宙人や幽霊を信じているなんて。俺には信じられなかった。
「君の能力の事?」
イヴが言った。横を向くと、俺と同じように空を見ている。
「……あぁ。何で俺にそんな能力があるんだろうな」
「さぁ……ミィにもわからない」
イヴが静かに言った。
「俺は昔から、架空の事だと思う事を信じてこなかった。現実主義なんて誰かが言い出したけど、そんなかっこいいものじゃないと思う。信じない。いや、信じる事が出来ない。家族でも友人でも、言っている事が現実味が無いと信じる事が出来ないんだ。……そう思っていた。そう思っていたけど、もしかしたら俺が一番……」
言葉が詰まった。その先を自分の口から言うのが怖かった。
「人間には才能があると聞く。足が速い者。絵が上手い者。頭が良い者。君はそういう能力を持つ才能だったってだけの話だと思うよ」
イヴなりに俺に気を遣ってくれているのだろう。俺はその時素直にそう思った。
「ありがとう」
言葉にならないほどの小さな声で俺はイヴに言った。イヴがその言葉に気が付いているのかわからなかったが、俺の顔を見て笑った。
「有、見て。あの輝く星、あれがエデン星よ」
イヴの指差す方向に、一際輝く星があった。イヴの母星。あそこに、イヴと同じ様な宇宙人が住むと言うのか。俺がイヴのアンテナに触れて見た映像を思い出した。
「信じない」
俺が言うと、イヴは俺の腕にそっと触れた。
「今はそれで良いんじゃないかな」
そう言って、イヴは部屋の中に戻っていった。暫く空を見つめた後、俺も部屋に戻る事にした。
部屋に戻ると、イヴはベッドに腰を掛け、俺の部屋の本棚にあった図鑑を読んでいた。ただの昆虫図鑑なのにとても真剣な顔で読んでいる。視線を動かすと、俺はある事に気が付いた。
「……おい、イヴ。神一は?」
ベッドに寝ているはずの神一が、姿を消していた。俺は何が起こったのか理解できず、辺りを見回した。
「彼なら眠い目を擦りながらトイレに向かったよ」
俺の背筋は凍った。




