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能登より  作者: 秋月ニナ


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諸星3



(そもそも救急車は来るの?)


 信号すら作動していない。家道路にあるマンホールは膝丈まで突き出ていて、車の侵入を阻んでいる。

 そんなマンホールが至る所にあるのだ。道路の中心にマンホールがそびえ立っているせいで、車が往生しているのをついさっきも見た。

 普段なら気にならないマンホールの存在がこんな時に主張するなんて思いもしなかった。


(とにかく気を付けなきゃ)



 リビングから充電器を取って、そのまま家を出る。

 チョコレートを持つ余裕も上着や着替えを持つ余裕もなかった。

 ただ、今すぐに家を出なければならない。そんな危機感から、家を飛び出た。



(これからどうなるの?)


 家には住めないだろう。素人の自分ですらそう思った。

 けれど、それはいつまで……?

 工事をすれば直るのか?

 その間、どこに住めば良いのか?

 体育館にはどれくらいいれば良いのか?

 そんな疑問が次から次へと出てきて、不安になる。



 かじかんだ手で毛布を抱くと、少し暖かい。

 ――能登になんか行ってどうする?

 こんな時に限って父の言葉を思い出す。

 高圧的な父から離れたい。それは甘えだったのだろうか?



(……だからこんな目に合うの?)



 じわりと涙が溜まる。泣きそうになる自分が嫌でしかたない。

 誰もいない空間だろとしても、自分の弱さを曝け出したくなくて上を向くと、星空が見えた。



(綺麗……)


 満天の星空だった。空気は澄んでいて、人の生活音もなく、地震を警戒してか動物の鳴き声もしない。静寂で、明かりが何一つない闇が包む世界。


 散歩歩いた先すら、道路のどこに穴が開いているのか分からない暗闇だからこそ、星が輝いて見えた。

 皮肉だ。自分のいる場所はこんなにもボロボロなのに、空にある星空だけが輝いて見えるのだから。

 足を一歩踏み進める。道路のどこに穴が開いているのか分からない暗い道。結局津波は来たのだろうか?

 その情報すら分からなかった。



(情報がないってこんなに不便なんだ)


 そう思うと同時に、自然の中にいる自分の無力さを痛感する。両手が塞がってスマホのライトで照らすこともできない夜道をひたすらに突き進む。ときおり空を見上げると、やっぱり綺麗で、目に焼き付けたいと思った。



 中学校に着いてから、星空の写真を撮りにいこうかとも悩んだ。

 けれど、カメラ越しに映る星空は、綺麗ではあるけれど、どこにでもある光景に映る。それでは意味がないと思って、結局目に焼き付けることを選んだ。

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。校庭にいる私を母が探しにきてくれて、一緒に体育館へ戻ることにした。



「今、非常食配っているみたいだから並んで食べておいてくれる?」

「お母さんは?」

「まだすることがあるから後で並ぶ」


 きっと母はまた具合の悪い人や怪我をした人の看病をするのだろう。


「……二人分貰えるか聞いてみるね」

「ありがと」



 体育館に戻ると、非常食が配られていた。

 そこに混乱はなく、誰も我先にとせっついている様子はない。

 ただ皆、順番を守っていたことに驚いた。

 そこに感動したのはなぜだろうか?

 分からないけれど、人の美徳というのはこういうことなのかもしれない。


 皆、この地震について不安に思っている。


 情報もない、水も出ない、電波も届かない状況で、モラルを守る光景。それが不覚にもジンときたのだ。

 順番がきて、貰った非常食はアルファ米を水で戻したものだ。ドライカレーの味を噛み締める。

 結局、母は戻ることなく、朝を迎えた。残されたままのアルファ米をぼんやりと見つめる。

 私自身、環境が違うせいでろくに眠れなかった。


 少しウトウトしてはいたけれど、寝返りを打とうとすると、知らない人にぶつかって、目が覚めてしまった。



(体育館に何人いるんだろう?)


 段ボールで仕切られてはいるものの、プライバシーもなにもない空間だ。皆、それぞれに家族や知り合いとくっついている。それを見ると、自分だけが一人でいるのだと思ってしまった。


(人がこんなにいるのに……)



 孤独が増した気がするのはなぜだろう。

 寂しさを見ないフリをして、母の様子を窺う。

 昨日できた受付のところで母は立っていた。

 ちょうど近くには石油ストーブがおいてあった。石油ストーブで暖を取るフリをして、様子を窺っていると横で一緒に温まっていたおばあちゃんに声を掛けられた。


「あんた、諸星さんのとこの子け?」



 正直、能登弁は苦手だった。


 なまりがきつい上に、早口で、なにを言っているか聞き取れないことが多いからだ。



(テレビとかだと田舎のおばあちゃん達はゆっくり喋るのに)



 なんで能登の人はこうも早口なのか。

 内心の不満を隠しながら、うなずく。



「はい、そうですけど……」

「やっぱり! あんた、お母さんに似とるね。昨日、私が胸がちきない、って言ったら面倒見てくれたんよ。あんがとね」

「え……あ、ちきない、って……?」

「ちきない、って知らん? 疲れたとか、体調悪い、しんどい、って時に言うんやけど」



 そんなの知らない。だって家で誰も使っていないから。それに亡くなった祖母も早口ではなかったし、あまりなまってもいなかった。そのことを思っていると、お腹が鳴った。



「朝ご飯、食べてないん?」

「……まだ食べてないです」

「お腹空いたやろ? 餅、食べる?」

 指差された場所は石油ストーブの上。アルミホイルを敷いていくつかの餅が焼かれていた。

「でも……」



 この状況だ。お店が開いていない今、食べ物や飲み物は貴重なものだった。


「子供が遠慮せんで良いが。正月用にいっぱい餅ついたから、食べんとカビが生えるんや」



 さりげなく差し出された餅を受け取る。温かい。じわりと手のひらに熱が広がる。地震が起きてから初めて、温かい食べ物を手にした。



「ありがとうございます」

「冷めたら硬くなるよ。早く食べさし」


 せかされて、餅を口に含む。噛み切ろうとすれば、餅がよく伸びた。

 なんの味付けもないなめらかな白い餅はもち米特有の甘みがあって、美味しいと思った。



「美味しいです」


 素直に感想を言えば、おばあちゃんはクシャリと目を細めて笑った。



「なら良かったわ。あんた東京から来たんやろ。慣れんとこでこんなんになってしまって大変やったやろ」


 小さくうなずくと、おばあちゃんはポケットからチョコレートを取り出した。



「これも食べさし」

「あ……。ありがとうございます」



 勢いに負けて受け取る。昨日取ってこれなかったチョコレートがまさかこんな形で手に入れられるとは。



「こんなことになったけど、能登は良いとこやよ」


 おばあちゃんがポツリと呟いた。その言葉はどこか自分に言い聞かせているようだ。



「食べ物は美味しいし、人は優しい。『能登は優しや土までも』って言葉あるくらいやからね」

「……そうなんですか」

「そや、あんたのお母さんだって優しいやろ。私のこと助けてくれたもん。ありがとうって言っといて」



 小さく「はい」と言えば、おばあちゃんは自分のスペースに戻っていった。

 まだ私の手には餅が残っている。それをもう一口食べると、胸の中にも温かさが広がったような気がした


 ――能登なんかに行ってどうする?


 父に問われた言葉。今ならその言葉にどう返せるだろうか?

 満天の星空、美味しい食べ物、優しい人。

 予想のできない災害を受けても、我慢強く支給品を貰おうと一列に並ぶ人達。その光景がなぜか目に焼き付いて離れない。

 形にできない魅力。半年も住んでいたのに私はそれをずっと見逃してきたのではないか?

 それは能登に住んでいた期間だけではない。きっと東京にいる間もそうだったのだ。十六年生きていて、やっとそのことに気が付く。だからこそ、私はちゃんと答えを見つけたいと思った。



 餅を食べきった後、母の元に近付く。なにか手伝えることはないか。そう声をかけたのは、人と繋がろうとしたかったからなのかもしれない。


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