諸星1
『震災中に楽しそうにしないでください。亡くなった人もいるのに不謹慎です』
震災から三日。三日が経ってようやく金沢にいる親戚の家に避難できた。
地震から初めてお風呂に入り、温かな布団にもぐり込んだ。
くたくただった。
心も身体も疲れていて、それでも緊張が緩むことがなかった。
眠れなさから充電していたスマホを取り、寝ころんだままその画面を見つめる。
ずっと電波のない状態で過ごしていた。電話やメッセージは数十件あって、どれも自分を心配するものだ。私自身、避難所の体育館にいた時、同級生の誰が生きて、だれが最悪の展開を迎えたのか……分からないまま過ごしていた。
地震で一番怖かったのは情報がないということかもしれない。
何度もあった余震。
体育館の中で悲鳴が聞こえても、その場所にはテレビもなく、情報が遮断されていて、震度がどれくらいなのか、自分達はどのような状況になっているのかほとんど知りえなかった。無力さだけを思い知らされたのだ。
やるせない気持ちのまま、メッセージを返していると、父親から連絡があったことにも気が付いた。父の連絡は数件の着信とメッセージが一通。その内容を見て、顔を顰めた。
『アレと一緒に能登になんか行くからだ』
父の指す『アレ』とは私の母のことだ。
(相変わらず嫌な言い方……)
両親の離婚により、私は母と一緒に東京から能登に引っ越した。能登は母の実家があった場所だ。両親からどちらと一緒に暮らすかと聞かれた時、モラハラな父と一緒に暮らすことだけは嫌で、田舎に越すことにしたのだ。
その時も父は「あんな田舎へ行ってどうなる」と問い詰めた。それは愛情なんかじゃない。ただ自分が選ばれなかったことに対する憤りを私にぶつけているに過ぎなかった。現に地震にあった今も心配する様子はなく、冷たい言葉を送ってきている。
(べつに今更期待なんかしていないけど)
それでも胸がチクリとしたのは心の根底には父に対する期待があったのだろうか?
そんな甘い考えが嫌になって、SNSを開く。
SNSには能登に関する投稿が相次いでいた。現地にいた時には分からなかった情報を得ようと夢中になって画面をスクロールする。それがいけなかったのかもしれない。
開いたのは能登にいる人がアニメを見て笑っている投稿写真。仲間内で囲んで楽しそうにしている様子が写されていた。しかしそのコメント欄に『震災中に楽しそうにしないでください。亡くなった人もいるのに不謹慎です』と書かれてあったのだ。
(……なにも知らないくせに)
思い出したのは地震当日のことだ。
***
「津波がくるぞー!」
外からその叫び声が聞こえたのは地震が起きてすぐのことだった。
それを聞いて、私と母は二人で着の身着のまま近くの中学校に向かった。
部屋にいた私は薄着で、なにか羽織る余裕もなければ、靴下を履く余裕もない。裸足のまま、スニーカーを履いて、山道を歩いた。
車が通れないほどの細い山道を歩いている時も、揺れは続いた。
それに肌を突き刺す風に震えそうになる。
母は何度も「大丈夫?」と私に尋ねた。
「大丈夫だよ」
もしかしたら母はこの時自分が離婚したせいで、私を地震に巻き込んでしまったと思っていたのかもしれない。いつもよりずっと顔色が悪く見える。
「お母さんこそ、大丈夫?」
「うん。お母さんは大丈夫だから」
結局お互いに自分は大丈夫、と言い張っているうちに中学校に辿り着いた。
玄関の窓ガラスが割れていて、物々しい雰囲気に呑まれそうになる。
非難してきた人は校庭に集まって、体育館が開くのを待っているようだ。
「とりあえず皆と同じように待とうか?」
「うん、そうだね」
他に行く場所もない。母の提案にうなずいて、校庭に立ち尽くす。歩くことをやめると、より風が冷たく感じた。
早く中に入りたい。
きっとこの時、皆同じことを考えていた。
(どうしてこんなことになったんだろう……?)
能登で過ごすことになって、初めてのお正月だった。
おせちもお餅も用意して、母と一緒に正月をゆっくりと過ごす予定だったのに。
寒さに耐えながら目を瞑ると、父のことを思い出した。
『能登になんか行ってどうする?』
その言葉が心に突き刺さって離れない。
あの時、返せなかった言葉。なんて返せば良かったのか――その答えはまだ見つけられないままだ。
時間が経つごとに校庭に人が集まった。
おばあちゃんも小さな子も皆寒そうに身体を震えさせていた。
吐息で手を温めていると、何人かの小さな子が明らかにサイズの合っていない大人物の上着を羽織っていることに気が付く。その傍らにいる両親のどちらかは薄着で、きっと自分の羽織っている上着をその子達にあげたのだろう。
(優しいなぁ)
ちらりと母を見ると、校庭で転んだしまった近くにいた子を慰めていた。
――私はそんなことできない。
人付き合いは子供の頃から苦手だった。
表情が乏しく、なにか話しかけられても、上手く答えられない自分。
東京から能登に引っ越しても、結局私は誰とも仲良くなれず、距離を取られていた。いじめられているわけではない。挨拶もするし、話し掛けられたりもする。けれど、特定のグループに入ることなく、一人で過ごしていた。
どうしたら変われるんだろう?
いくら悩んだところで、抜け出し方が分からない。
悶々と考え込んでいるうちに体育館が解放される。
寒さから強張った身体を動かして、中に入れば、徐々に人が集まる。
適当に場所を取ったところで、看護師をしていた母は怪我をしていた人を助けたいと私から離れた。
(行かないで)
素直にそう言えれば良かったのに……結局私は母を引き留められなかった。
(だって心細いなんて子供っぽいし)
あと二年したら、成人する。そんな自分が母に駄々を捏ねるなんてみっともない真似できなかった。けれどそんなのはただの言い訳だ。
――本音を言うことが恥ずかしかった。
だから母に強がって「行ってきなよ」と言ったのだ。
ぎゅっと唇を噛んで、膝を折り曲げてマットの上に座る。
今日はこのマットの上で支給された薄い毛布を被って眠らなければならないのだろう。




