宮本編3
「ここね、ウチから歩いていける公園の桜並木なの」
駐車場も広く大きな運動公園だ。遊具は少ないものの、野球場や市民体育館に陸上競技場もあり、目の前には海が広がっていて、散歩するには気持ちの良い場所。
少し公園から逸れると、道路には桜が何本も咲いていて、毎年そこを通ると春を実感していた。
「公園の橋には大きなキリコの時計があるんだけど、諸星さんはキリコって知っている?」
「一応は……」
自信がなさそうな返答だが、東京から引っ越してきた諸星が知らないのは無理もない。
キリコは長細い形をした大きな灯籠だ。祭りの時になるとキリコが出され、それに乗った小学生くらいの子供が太鼓や鐘を演奏しながら、大人達に担がられて、町内を回っていく。役割で言うと山車が近いのかもしれない。
油絵を描くために資料としてスマホで撮っていたので、その写真を見せた。
橋の真ん中に二十メートル以上の高さのキリコのモチーフが文字通り存在を主張させている。
「でか過ぎない?」
「ビルとかないから目立つんだよ」
目を丸くする諸星の反応は新鮮だ。
この辺では当たり前のことが東京から越してきたばかりの諸星にはまだ目新しく映るらしい。
思わず説明を続けたくなったが、このままでは脱線するので元に戻すことにした。
「これ以外には特に目立った物はない公園なんだけど、今年はこの公園の桜並木が綺麗で……」
説明を続けると、諸星はクッキーを食べながら意外そうに首を傾げた。
「今年『は』っていつもと違うの?」
「だって今年は地震があったでしょう」
「ああ……」
「公園の前は海でそこに津波も来たから……」
近所のおばあちゃんは山道を登って避難している最中に、津波を見たと言っていた。
縦にも横にも大きく揺れた地震。
立つどころか座っていることもできなくて、ただうずくまることしかできなかった。
「あの地震最悪だったね」
意識してにこりと笑う。能登は地震が多いけれど、あそこまで大きい地震は初めてだ。
「なんでよりにもよって正月なのかな」
ぽそりと諸星が呟いた。めでたいはずの正月。けれど、これからは『正月』を連想するたびに嫌でも地震のことを思い出す。
「正月に起きたから避難所の体育館でおせちを食べることになったよね」
人がぎゅうぎゅうの体育館で食べた冷え切ったおせちは砂を噛んでいるようで、少しも美味しくはなかった。けれど、食べるものは限られていて、食べたくないと言える状況じゃないから、無理やり飲み込んだ。やるせない気持ちと一緒に飲み込むしかなかったのだ。
「わたしは知らないおばあちゃんからお餅をもらって食べた」
「ああ、そういえば諸星さんも同じ避難所にいたね」
あまり喋らなかったけど、諸星の一言で同じ場所にいたことを思い出した。
「あの体育館、寒くなかった?」
「すごく寒かった。お餅がなかったら凍えていたかも……」
諸星の冗談に目を丸くする。なんだ。諸星だってこんな冗談言えるんだ。
「あれだけ人が多かったのにね」
常時、だれかしら出入りがあったから、至る所から隙間風が吹き込んだ。
段ボールの仕切りをしていたけれど、それでも周りを全部囲めるわけじゃない。
寝返りを打とうとすれば、隣の人にぶつかるくらいに密集していた。
あの時ばかりは身なりを気にする余裕もなかった。
「でもさぁ春になってやっと温かくなった」
ぽつりと呟いた言葉を諸星はどう思っているのだろう。けれどここの時、相変わらず感情の読めない諸星の瞳が揺れたのを確かに見た。
「春になった今でも車の走る道路は場所によっては津波の砂で覆われているし、桜並木の場所は災害ごみ置き場になっている。だけど桜は咲いた。それがね、綺麗だと思ったの。辛いことがあっても桜は咲く。地震があっても、人生は続くし桜は咲いた」
去年までは桜が特別きれいだと思わなかった。ふわりとした見た目に意思の弱そうな薄桃色。それにすぐに散ってしまうところも気にくわない。
綺麗ならば、もっと咲き誇れば良いのだ。
すぐに散ってしまう桜は気が弱そうで、好きになれなかった。
だけど、そう思っていることは間違いだった。
今年『も』咲いた桜。
弱いものがあんな地震に耐えられるわけがない。まして津波が来た場所だ。
それなのに、今年も咲いた――その心意気が胸に響いた。
寒くて辛い冬がようやく終わったのだと言われたような気がして、不覚にも嬉しいと思ってしまったのだ。
「どんな時でも、どんなことがあっても、桜が咲く。その強さが気に入ったから絵にしようと思ったの」
――話し過ぎたかもしれない。
今ポエムっぽいこと言わなかった?
そんな恥ずかしさから、顔を逸らそうとすると、諸星はキャンバスを覗き込んだ。
「桜が綺麗だったなら、津波が起きていない場所の絵でも、有名な桜の景色の場所を選んで描いても良かったんじゃない?」
なんて情緒のない質問なんだろうと思ったけれど、諸星の目は真っ直ぐにわたしを射抜いた。
「違う景色じゃ意味ないわ。わたしはね、津波に負けなかった桜の根性が気に入ったんだもん」
「桜に根性を求めるの?」
力説すると諸星は肩を揺らして笑う。
笑われたことに、ぷいっと顔を背ける。子供っぽいリアクションを取ってしまったと思うったけれど、諸星は気にした様子はないまま、またクッキーを食べ始め、綺麗に平らげた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせてお礼を言う諸星に育ちの良さを垣間見た気がした。
(いつも背筋伸びているし)
猫背になっているところ見たことないと今更ながらに思う。
「美味しかったなぁ」
「……お菓子作り趣味なの」
もくもくとした作業は好きだ。
きっちり材料を量って、レシピ通りに混ぜ合わせると美味しい物ができ上がる。
その成果が目に見えてみえることが好きなのだ。
――本当は調理部に入るかも迷っていた。
けれど、調理部は皆で協力して作ろうという感じだったので、合わないと思って辞めたのだ。
それに調理部に入るとなると宮本を気に入らない女子が『あざとい』と揶揄する可能性は出てくる。その可能性を避けるために、入ることを諦めた。
本当は人にお菓子をあげて反応を見るのが好きなのに、中学時代のトラウマが蘇ってそれができない。
(もうあんな思いは嫌……)
けれど……。
誰ともつるまない諸星なら――その可能性に思い至ってゴクリと喉が鳴る。
「内緒にしてくれるなら、たまにはお菓子あげるけど?」
上から目線の台詞になってしまった。
なんて可愛くないのだろう。失敗も良いところだ。
気を張り詰めた普段なら絶対にやらかさない失敗。
ツンデレキャラにしたって古過ぎるだろう。
だけど諸星は目を瞬かせて、嬉しそうに笑ったのだ。
「二人きりの秘密だね」
なんて意味深なことを言うのか。
そう思いながら、わたしは諸星を見据える。
「じゃあ、諸星さんの秘密も教えてよ」
「とくに秘密なんて……」
――秘密ならあるじゃないか。
美術部員なら皆が気になっている秘密が。
「その真っ暗な絵、なんなのか知りたい」
にこりと笑うと、諸星は目を瞬かせた。
「……正月に見た光景だよ」
良く分からない答えだ。
けれど、それ以上答える気はないようで諸星はまたキャンバスに向かった。
わたしはその答えが無性に知りたかった。
後にして思えばこの時、わたしは『諸星』という人物に興味を抱いた瞬間だったのだ。




