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運命遡行  作者: ラララ
8/9

8週目

八度目の衝撃。歯車の軋む音とともに、エイジの意識は「三本の樫の木亭」の薄暗い部屋へと戻った。しかし、今回はこれまでとは明らかに違っていた。体に残る七度目の死の消耗感は激しいものの、その奥から沸き上がってくるのは、絶望ではなく、確かな「希望」だった。サリエルの術式を破壊できるという確信。それは、百三十七回もの死を越えて、初めて手にした光明である。


「八ループ目……」

エイジはベッドの上で拳を握りしめ、低声で呟いた。

「サリエル……お前の『糸』は、切れる」


窓の外から聞こえるパン屋の主人の声は、もはや単調な日常の繰り返しではなく、戦いの始まりを告げる号砲のように聞こえた。

「おーい、エイジ! 今日も元気がないな!」


エイジは窓辺に立ち、これまで以上にはっきりとした声で返事をした。

「オットーさん! 今日はついに大きな仕事の決着をつけに行く! 夕方にはいい報告ができると思う!」


今回は、単なる生存や観察ではない。サリエルの「儀式」を、可能な限り破壊する。そのためには、これまでとは全く異なるアプローチが必要だ。これまでは「隠れて行動する」「単独で動く」ことが中心だった。しかし、サリエルの術が街全体を巻き込む大規模なものである以上、もっと大きな「波紋」を起こさなければならない。


まず、エイジが向かったのは、冒険者ギルドだった。以前は情報収集の場として利用したが、今回は「依頼」という形で積極的に関わる。ギルドのカウンターで、経験の浅い見習い職員を捕まえ、真剣な表情で話しかけた。

「すみません、緊急の依頼です。今日の午後、街の東地区で大規模な魔物の襲撃があるという確かな情報があります。ギルドとして、警戒や避難誘導の準備をすべきではないでしょうか?」

職員は怪訝な顔をした。

「魔物の襲撃? そんな情報、我々は受けていませんよ。どちらからの情報ですか?」

「それは……個人的な情報源です。しかし、間違いありません」

「申し訳ありませんが、確証のない噶では動けません。衛兵隊に通報されては?」


エイジの警告は、当然のように軽くあしらわれた。当然の結果だ。しかし、エイジの目的は「依頼を成立させる」ことではなく、「噂を流す」ことにある。彼の声は、周囲にいたいく人かの冒険者や商人の耳に入った。好奇の視線と共に、囁き声が広がり始める。

「東地区で魔物? まさかね」

「でも、最近不穏だしな……」

「衛兵の動きも妙だし……」


小さな波紋ではあるが、これがやがて大きなうねりとなる可能性を残した。


次に、エイジは街の路地裏で活動する「影の街」の情報屋を訪ねた。かつて日雇い仕事でつながりがあった老練な情報通だ。彼は金銭と引き換えに、より核心に近い情報を提供してくれた。

「王城の塔か? あのサリエル様の件は、確かに怪しい噂が多いな。一つ、興味深い話を教えてやろう。あの塔に運ばれる物資の中に、大量の“魂喰い草”という魔草が含まれているんだ。こいつは、強力な幻術や精神干渉の術に使われる禁断の品だ。なぜ病床の魔術師が、そんなものを必要とするんだ?」

「魂喰い草……?」エイジは聞き返した。

「ああ。人間の意志を弱め、操りやすくする効果がある。もしかすると、街の衛兵たちのあの不自然な動きは、単なる魔術だけじゃなく、この薬草の影響もあるのかもしれん」


これは新たな発見だった。サリエルの支配は、純粋な魔術だけではなく、薬物による物理的な干渉も含まれている可能性がある。


最後に、エイジは「忘却の礼拝堂」へと向かった。今回は、これまで以上に具体的な作戦をクロノス老婆に伝え、その助言を乞う必要がある。


礼拝堂に着くと、クロノスは待ち構えていた。彼女の表情には、これまでにない緊張と期待が浮かんでいる。

「八度目の“輪廻”……あなたの魂は、ついに“勝利”の可能性を見出しましたね」

「はい、クロノスさん。サリエルの術は、破壊できることを確認しました。今回は、より多くの“糸”を断ち切るために、街中に混乱を引き起こそうと思います。彼の術式に、より多くの“ほつれ”を作り出すのです」

「それは……極めて危険な賭けです」クロノスの眉間に皺が寄る。「サリエルがどれほど強力な反撃に出るか、わかりません。あなたの魂が、それに耐えられるか――」

「もう、引き返せません」エイジの口調は断固としていた。「このループを終わらせるのは、今回しかないという気がするんです」


クロノスは深く息を吸い込み、ゆっくりと頷いた。

「わかりました。では、護符をもう一度」

エイジは護符を差し出した。クロノスは前回同様、祭壇で祈りを捧げ、護符を強化した。

「今回は、護符に新たな力を込めました。あなたが“糸”を断ち切った時、その“ほつれ”が周囲にどのような影響を与えるか、わずかですが“予見”できるかもしれません。どうか、その直感を頼りに」


強化された護符を受け取ると、かつてないほどの温かみと、微かな鼓動のようなものを感じた。

「ありがとうございます。……行ってきます」


エイジは礼拝堂を後にし、いよいよ実行段階へと移った。今回は、王城への潜入はしない。街中でサリエルの術の「末端」を破壊し、その影響を最大化させることに集中する。まずは、魔物の襲撃が起こる前に、「監視者」の衛兵を一人でも多く無力化するのだ。


彼は、前回のループで「監視者」が現れた位置を記憶していた。襲撃が始まる前に、その辺りを巡回する衛兵の小隊を見つけ出す。そして、彼らが魔物の襲撃に向かう前に、奇襲を仕掛けることを計画した。


エイジは路地裏に潜み、ターゲットを待ち伏せた。やがて、動きのぎこちない四人の衛兵から成る小隊が歩いてくる。彼らの左肩には、鷲の紋章が光っている。


(あいつらだ……)


エイジは護符に集中し、周囲の「時の流れ」を感じ取る。衛兵たちの動きには、明確な規則性と隙がある。サリエルの術に操られているからこその弱点だ。


小隊が路地の角を曲がった瞬間、エイジは行動を起こした。手にしていた(資材置き場で新たに調達した)麻袋に入れた石灰粉を撒き、衛兵たちの視界を遮る。

「敵襲だ!」

衛兵の一人が叫ぶが、その声は不自然に平板だ。


エイジは護符の力を借り、時間の流れをほんの少しだけ加速させ、煙幕の中に飛び込んだ。目標は、衛兵たちの首元にある「従魔の呪具」の首輪だ。短剣で素早く斬りつける。


「はあっ!」


一撃、二撃。二人の衛兵の首輪が砕け、彼らはその場に崩れ落ちた。残る二人が反撃しようとするが、その動きは鈍い。エイジは体勢を低くし、残る二人の足元を狙う。


「これで……だ!」


三体目の首輪を破壊する。しかし、四体目に斬りつけようとした時、衛兵の剣がエイジの腕をかすめた。

「ぐっ……!」


痛みが走る。しかし、エイジは引かなかった。最後の一撃を繰り出し、四体目の首輪も粉砕する。


四人の衛兵が地面に倒れ、動かなくなる。彼らはサリエルの術から解放されたが、同時に意識も失ってしまったようだ。


(よし……これで一つ……)


しかし、エイジの安堵はつかの間だった。街の中心部から、けたたましい警鐘の音が鳴り響いた。魔物の襲撃の始まりである。しかも、今回はこれまでよりもずっと早い。エイジの行動が、サリエルの術のタイミングを狂わせたのだ。


「来たか……!」


エイジは傷ついた腕を押さえつつ、高い建物へと駆け上がった。街を見下ろす。魔物はすでに街の中心部に現れ、破壊の限りを尽くしている。しかし、今回はこれまでとは明らかに状況が異なっていた。


まず、魔物の数が一隻だけではない。二頭、三頭と、複数の魔物が街のあちこちに出現している。サリエルが、エイジの干渉に対抗して、より強力な手段に出たのだ。


そして、人々の動きもこれまでとは違う。エイジが流した「噂」のせいか、あるいは複数の魔物出現によるパニックのためか、人々の避難行動がより混乱し、無秩序になっている。それはサリエルの「完璧なシナリオ」から大きく外れた、カオスな状況だった。


(これだ……! これがサリエルの術を乱す“ほつれ”だ!)


エイジは胸元の護符が熱く震えるのを感じた。護符が「予見」の力を発動させている。彼の脳裏に、いくつもの光景が断片的に浮かび上がる。


――魔物の一隻が、予定された経路から外れ、衛兵隊の詰め所に突入する。

――避難民の群れが、結果的に魔物の進路を塞ぎ、時間を稼ぐ。

――そして、王城の塔から、怒りのオーラが渦巻く……


(あそこだ……!)


エイジは護符の示す方向――街の東地区へと向かった。護符の「予見」によれば、そこで最も大きな「ほつれ」が起こるはずだ。


東地区に着くと、そこには一頭の魔物が、商店街を破壊しながら暴れ回っていた。しかし、その魔物の動きは、これまでに見たどの個体よりも狂暴で、制御が効いていないように見えた。首輪からは、火花とともに紫のオーラが漏れ出している。


(サリエルの支配が、弱まっている……?)


エイジは確信した。街中で起こっているカオスが、サリエルの集中力を散漫にさせ、術の精度を低下させているのだ。


「これなら……いける!」


エイジは狂乱する魔物に正面から挑むのは避け、周囲の建物の屋根を伝って近づいた。目標は、やはり首輪だ。しかし、この魔物はあまりにも暴力的で、簡単には近づけない。


その時、思いがけない援軍が現れた。何人かの市民や、ごく普通の衛兵たちが、魔物に対して投石や弓矢で応戦しているのだ。彼らはサリエルに操られておらず、自らの意志で戦っている。

「こっちへおいで! あんたたち、避難しろ!」

「でも、衛兵さんたちが……!」

「関係ねえ! 命が大事だ!」


その叫び声を聞いた時、エイジの護符が強く輝いた。そして、一つの「予見」が浮かぶ。


――暴れる魔物が、偶然にも路地裏に転がる酒樽(運搬中のものが落下したらしい)に火が引火し、大爆発を起こす。その爆発が、魔物の首輪を破壊する……


(あの酒樽か……!)


エイジはすぐに行動に移った。魔物の注意を引きつけつつ、ゆっくりと酒樽のある方向へと誘導する。危険な賭けだ。一歩間違えば、自分も爆発に巻き込まれる。


「こっちだ……! こっちへ来い!」


エイジは大声で叫び、石を投げつける。魔物は怒り狂い、エイジめがけて突進してきた。その巨体が酒樽のそばを通り過ぎようとした瞬間、エイジは手にしていた火種(非常用に持ち歩いていた)を、思い切り酒樽めがけて投げつけた!


「これで終わりだっ!」


火種が酒樽に命中する。次の瞬間、轟音とともに爆発が起こった。炎と衝撃波が魔物を飲み込み、その首輪が粉々に砕ける。


「ぐおおおおっ……!」


魔物の絶叫とともに、サリエルの怒りの念が街中に響き渡るような気がした。


エイジは爆風で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。激しい痛みが全身を走る。しかし、彼は笑っていた。


(やった……!)


しかし、勝利はまだ完全ではなかった。サリエルの怒りは頂点に達し、塔の方向から、これまでにない強大な紫の閃光が放たれる。それは、街全体を浄化するかのような、無差別な攻撃だった。


「全てをリセットしてくれる……! 愚かなる者たちよ……!」


サリエルの声が轟く。閃光がエイジを、そして街全体を包み込む。八度目の死が訪れる。


しかし、死の瞬間、エイジは護符を通して、はっきりと感じ取っていた。サリエルの力が、明らかに以前よりも「弱まっている」ことを。そして、街の至る所で、サリエルの「糸」が切れ、人々が本来の意志を取り戻し始めていることを。


(次こそ……次が最後だ……)


歯車が噛み合う衝撃。しかし、今回は少しだけ違った。衝撃が弱く、歯車の音も鈍い。まるで、サリエルの力が衰え、ループそのものにも影響が出始めているかのようだった。


九度目の朝。エイジはベッドの上で目を覚ます。体の消耗は激しいが、彼の心は静かに燃えていた。


「サリエル……お前の力は、確かに弱まっている」


彼は窓の外、王城の塔を見つめながら呟いた。


「次のループで、全てを終わらせよう」

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