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運命遡行  作者: ラララ
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2週目

「……あり得ない」


エイジは窓枠に手をかけ、その指先が白くなるほど強く握りしめた。膝は微かに震えている。あの死の感覚はあまりにも鮮明で、悪夢の類いだと片付けられるような代物ではない。爪が腹を引き裂く鋭い痛み。喉から零れ出る血の鉄臭さ。そして意識が闇に消えていくあの絶望感。


「でも、これらは全部……さっき――いや、『昨日』のことだ」


机の上の黒パン。ポケットの中の小銭。全てがループする前、魔物に襲われる朝の時点で彼が持っていたものと一致している。パン屋の主人の台詞まで同じだ。


(死んだ……そして、戻ってきた?)


そんなことが可能なのか? 神話や昔話の世界でしか聞いたことのない現象が、なぜ自分に? エイジは頭を抱えたい衝動に駆られた。しかし、彼の内にあるどこか冷静な部分が、この異常事態をただ受け入れようとしている。受け入れるしかない。目の前の現実が、それを物語っている。


(もし、これが本当なら……)


エイジの頭の中で、思考が高速で回転し始めた。


(あの魔物の襲撃は、今日の午後、広場で起こる。ならば、広場に近づかなければいい。違う道を通り、あの場所にさえ行かなければ、死なずに済むかもしれない。)


単純明快な結論だ。死因を避ければいい。たった一度の経験とはいえ、彼は自分の死因を正確に知っている。これはとてつもないアドバンテージだ。


「よし……」


エイジは深く息を吸い込み、震えを止めようとした。恐怖はまだ消えていない。しかし、未知の恐怖よりも、既知の危険を避けることの方が、はるかに容易い。少なくとも、今回はパニックに陥って足が竦むようなことはしない。


彼はいつもより少し早く宿を出た。パン屋の前を通りかかると、主人が声をかけてきた。


「おい、エイジ。今日も元気がないな。ほら、いつものやつ、買っていくか?」


「……今日はいいです」


エイジはできるだけ平静を装ってそう答えた。昨日(あるいは、一度目の今日)もらったリンゴのことを考えると申し訳ない気もしたが、同じ流れを繰り返すことに一種の嫌悪感を覚えた。何より、あのリンゴは結局、潰れてしまう運命にあったのだ。


「おや? 珍しいな。まあ、いいけどさ」


主人は少し訝しげな表情を浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。エイジはほっとすると同時に、わずかな違和感も覚えた。自分の選択が、ほんの少しだけ「いつも」と違う結果を生み出した。それは、この世界が固定されたシナリオではないことの証左だろうか?


(とにかく、広場から離れよう)


エイジは目的を決めた。今日一日、街の東側、商業地区の方へ行くことにした。広場は街の西側にある。物理的に距離を取れば、あの魔物の襲撃に巻き込まれることはないだろう。


東の商業地区は、広場とはまた違った活気に満ちていた。大きな商店が軒を連ね、商人たちが値段の掛け合いをし、裕福そうな市民たちが買い物を楽しんでいる。エイジのような貧しい青年の姿は少し浮いていたが、特に誰にも気にかけられることはなかった。彼は人混みをかき分けながら、ただひたすらに歩き続けた。時間をつぶすことが最大の目的だ。


途中、衛兵の一団が隊列を組んで西の方角へ急いでいくのを見かけた。皆、緊張した面持ちだ。もしかすると、あの魔物の出現を警戒しているのか、あるいは既に何らかの報告が入っているのかもしれない。エイジは胸騒ぎを覚えつつも、自分は東にいると自分に言い聞かせた。


午後になり、エイジは商業地区の外れにある小さな公園のような場所を見つけ、ベンチに腰を下ろした。広場よりはずっと閑散としている。ここなら安全だろう。彼はホッと息をつき、緊張していた肩の力を少し抜いた。


(これで、あの目には遭わない……)


その安堵の念が頭をよぎった、まさにその時だった。


遠くから、聞き覚えのある、けたたましい叫び声が風に乗って聞こえてきた。


「魔物だ! 西の広場で――!」


エイジの背筋が凍りつく。やはり、あの事件は起こっている。しかし、彼はここにいる。これで終わりだ――


次の瞬間、地響きとともに、商業地区の一角が轟音と悲鳴に包まれた。


「ぎゃあああっ!?」


「逃げてっ!」


エイジが呆然とその方角を見やると、石材を積んだ荷馬車を蹴散らしながら、あの灰色の巨軀が咆哮をあげて乱入してくるのを目にした。なぜここに? 広場とは反対方向ではないか!


(違う……経路が違う!?)


エイジの計画は、あまりにも甘かった。彼は自分の死因である「広場での襲撃」だけを避ければいいと考えた。しかし、魔物の進撃経路そのものが、一度目とは変わっていたのだ。パニックに陥る人々の流れが、魔物をこちらの方向へと導いてしまったのか? それとも、ほんの些細な彼の行動の変化――パン屋でパンを買わなかったこと――が、蝶の羽ばたきのように連鎖を変え、結果として魔物の進行方向を変えてしまったのか?


「くそ……!」


エイジはベンチから跳び上がり、逃げ出そうとした。一度目のように竦み上がることはなかった。しかし、商業地区は細い路地が入り組んでおり、逃げ道に困る。


彼は必死で路地裏を駆け抜けた。後ろから魔物の足音と破壊音が迫ってくる。人々の悲鳴が耳をつんざく。


(こっちだ!)


次の路地を曲がったその時、視界の端で何かが光った。瞬間、エイジの頭に、一度目のループでは感じなかった「違和感」が走る。それはごく微かな、空間が歪むような感覚だった――


思考が追いつく前に、魔物の巨腕が路地の角を破壊し、飛び散った石材の破片がエイジの体を直撃した。


「がはっ!」


肋骨が砕ける音が体内に響く。彼は壁に叩きつけられ、床に転がった。視界が揺らぐ。痛みが全身を走る。


(また……ダメなのか……)


死を覚悟したその時、さっき光った方向――路地の奥にある質素な礼拝堂のような建物の扉が開き、中から一人の老女が顔を出した。彼女はパニック状態の状況を一瞥し、そして倒れているエイジを見るなり、目を見開いた。


「“刻の輪廻”……? まさか、この時期に……?」


老女の呟く言葉は、エイジにはほとんど聞き取れなかった。しかし、彼女の目が、エイジの臍の辺り――あの歯車が噛み合う感覚のある場所を、鋭く見つめているように感じた。


次の瞬間、魔物の影がエイジの上に覆い被さった。


「――!」


鋭い爪が閃く。痛みは一瞬だけだった。


視界が真っ白に溶け、意識が遠のいていく。二度目となる死の訪れ。しかし今回は、最後に聞いた不可解な言葉と、老女の驚いた視線が、エイジの記憶に強く刻まれた。


(刻の……輪廻……?)


そして再び――臍の奥で、鈍い衝撃。歯車が噛み合う音。


「――ッ!」


エイジは、『三本の樫の木亭』の薄暗い自室のベッドで、飛び起きるようにして息を呑んだ。汗が噴き出している。二度目の死。二度目のリセット。


「はぁ……はぁ……また……?」


彼は自分の体を触りながら、呆然と呟く。二度も死んだ。それなのに、またこの朝に戻ってきた。


(あの老婆は……誰だ? 彼女の言った“刻の輪廻”とは?)


一度目とは異なる情報が、エイジの頭に混乱と共に渦巻く。単純に死因を避ければいいという問題ではなさそうだ。このループ現象そのものに、何か意味があるのか?


窓の外から、パン屋の主人の声が聞こえてくる。


「おーい、エイジ! 今日も元気がないな!」


エイジは窓の外を見つめ、固唾を呑んだ。今回は、彼の選択が、さらに違う結果を生み出すだろうか? そして、あの老婆との邂逅は、単なる偶然なのか、それとも――。


彼は拳を握りしめた。恐怖は依然としてあった。しかし、その中に、わずかながらも好奇心と、そしてわだかまりのような感情が芽生え始めていた。


この理不尽な運命を、ただ受け入れるだけではいないか? 少なくとも、次こそは、あの老婆の言葉の意味を確かめてみたい。三度目の「今日」を、彼はそう決意した。


(次は……あの路地へ向かおう。あの礼拝堂を、探しに。)


そう決断した時、エイジは気づかなかった。この選択が、単なる生存を超えた、より深い運命の渦へと彼を引き込んでいくことを――。

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