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家に溶ける  作者: 黑野羊
3)変 容
7/9

3−1

 俺は同じ文学部の友人たちに言われたこともあり、しばらく真田の家にいくのをやめた。

 さすがにお前の家に行っていたら体調が悪くなったので、と言ってしまうのは(はばか)られたので「サークルやバイトが忙しくなった」と当たり障りのないことを理由に挙げた。

 しょっちゅう遊びに行っていたこともあってか、真田は「そうか、それじゃ仕方ないな」と、本当に残念そうな顔をしていたので、少しばかり良心が痛んだ。

 真田の家に行くのをやめてから、体調は目に見えて良くなってきた。

 あんなにくっきりと出来ていた目の下のクマも少しずつだが着実に消えていき、顔色はもちろん肌ツヤも良くなって、痩けた頬も今では以前のようにふっくらしている。

 体調が良くなってくると、指摘してくれた川藤と杉堂はよかったよかった、と喜んでいた。二人には感謝しかない。

 それからもう一つ、思ってもいなかった変化が起きた。

 顔色が良くなってくると同時に、あんなに真田の家に行きたいと思っていた気持ちが、少しずつなくなってしまったのだ。

 行くのをやめた当初、大学を出ると習慣のように真田の家に向かおうとしていたのだが、川藤たちが引き留めてくれたり、全然違う方向に遊びに連れて行ってくれた。しかしそのおかげで物理的に距離をとれたからか、今ではまったくそちらへ行こうという気持ちすらない。

 そして、毎日のように空き部屋が出ないかとチェックしていた不動産屋のサイトも、すっかり見なくなってしまった。

 夏休みに入ってからも、俺は真田の家に一度も行かなかった。

 連絡すら取らなかったが、もともと友人の多いやつだし、大学の同じ学部の連中と距離を取られていたとしても、バイト先にも友達くらいはいるだろう。同じ高校だったかつての級友が、一人くらい連絡を取らなくたって、何も問題はないはずだ。

 夏休み中は課題にサークル、バイトにも精を出し、顔も以前のような痩せこけた状態とはすっかり縁遠いものになり、俺はすっかり憑き物が落ちたようになっていた。



 ◇ ◇ ◇



 夏休みもあっという間に終盤へ入り、俺は大学の図書館で課題をやるついでに学食で昼食を取ることにした。

 久しぶりの学食で好物のきつねうどんを注文し、いざ食べようとしたタイミングで声をかけられた。

「ねぇ、文学部二年の橋屋くんって、君?」

「へ?」

 顔を上げてそちらを見ると、まったく見覚えのない、知らない男子学生が立っている。背丈は小さめの自分と同じくらいで、年齢も同じか下くらいだが、授業などで見かけたことがないので、学部もサークルも違う人物のようだ。

「……まぁ、そう、だけど」

 不信感マックスなままに答えると、そいつはこちらが警戒していることに気付いたのか、少し困ったように両手を振る。

「あぁ、急にごめんね! 僕、経済学部二年の寺町(てらまち)って言うんだけど……」

 そう言うと寺町は向かいの席に座り、ずいっと頭をこちらに寄せてきた。

「君さ、経済学部の真田裕和くんと仲良かったよね?」

「へ? ああ、まぁ、うん」

 真田の名前を聞くなんて、随分と久しぶりである。

 しかしなぜ経済学部の人間が? 俺が不思議に思っていると、それが顔に出たのだろう、寺町は頭をかきながらこんなことを言い出した。

「その、真田くんと連絡とれたりしない? 実は最近、バイトにも来なくなっちゃったらしくてさ」

「え?」

 寺町の話によると、真田は夏休み前から授業を欠席しがちになっていて、サークルの活動にもこなくなり、大学内ではほとんど見かけなくなっていたらしい。

 そして真田は経済学部の冨上(とがみ)と同じバイト先で働いているらしいのだが、夏休みに入ったあたりからバイトの遅刻が増え、休みがちになり、ついには連絡も取れなくなって、来なくなったのだそうだ。

「僕、真田くんと同じグループで課題やってたから、何か知らないかって冨上くんに相談されてさ。僕も課題のほうで、真田くんの担当部分ができてなくて困ってたし」

 説明を終えた寺町が、ぐったりしたように深いため息をついた。どうやら寺町と冨上は随分と迷惑を被っているらしい。

「それで、文学部に仲の良かった友人がいるって聞いて、探してたんだ。真田くんのこと、何か知らないかなって」

「……あー、いや。前はよく遊びに行ってたんだけど、忙しくなってからは会ってなくて」

「ぬあー、そっかぁー」

 俺が申し訳なさそうに答えると寺町が心底残念そうに、学食のテーブルに崩れ落ちて突っ伏した。きっとあれこれと巡っていて、自分がある意味最後の頼みの綱だったのだろう。

「マジで連絡つかないの?」

「うん。メッセージは送れるけど返信は来ないし、既読にもならない。電話も掛けてるんだけど、留守電になっちゃってさ……」

「そっか……」

 よく遊びに行っていた時は、メッセージでもなんでも、すぐに返信をくれるような奴だった。何かあったのだろうか。

 自分の中では真田なら家にずっといるイメージしかない。

「真田の家に行ったりは? してないの?」

「僕、場所知らなくて。知ってる連中がいるから教えてくれって言ったんだけど、行きたくないから絶対ヤダって言われちゃってさぁ……」

 そういえば、経済学部の人たちの中には真田の家に行って気分が悪くなった人がいると聞いている。そしてそれを理由に、同じ学部の人たちから距離を置かれているような印象があったのを思い出した。

 確かにそれであれば、経済学部の連中が行きたくないのも仕方がないだろう。すっかり意気消沈している寺町を見ていると、元同級生としてなんだか申し訳ない気持ちになってきた。

「……そっか、わかった。じゃあとりあえず、俺が一度家に行ってみるよ」

「本当!? 助かるぅ! ありがとう、よろしくね!」

 俺の返答に寺町が跳ね上がるように喜んだ。もし犬だったら尻尾をめちゃくちゃに振っていそうな雰囲気である。

 何かしら分かったら教えるからと連絡先を交換すると、寺町は俺と話がついたことを冨上に教えてくるから、と学食を出ていってしまった。

 俺はすっかり冷めてのびてしまったきつねうどんを食べた後、ひとまず真田に電話をしてみる。

 以前であれば三コールもあれば応答していたのに、十コール近く鳴っても出ない。このまま留守番に切り替わってしまうかも、というタイミングでようやく出た。

《おー……》

「あ、真田か? ひ、久しぶり」

《なんだー橋屋かぁ、久しぶりだなぁ》

 電話の向こうの声は、妙にのんびりとしていて、どこかだらけきっている。自分の知っている真田からは、なんだか考えられない雰囲気だ。

「いや、最近どうしてるかな、と思ってさ。……なんだお前、体調でも悪いのか?」

 戸惑いつつも普通に尋ねるが、向こうは相槌すらも間延びしていて妙な感じだ。

《んー、体調は悪くないんだけどさぁ、なーんかやる気がなくって。最近、家から出られないんだよねぇ》

「出られない?」

《うんー》

 意味がわからない。

 もしかして家が好きすぎて、引き篭もりになってしまったのかと思ったのだが、なんだか違うようだ。

 それとも、俺自身がそうだったように、体調が悪いことに気付けていないのではないか?

 あの時の自分の顔を思い出し、俺はだんだん心配よりも妙な不安に駆られ始めていた。

 そうだ、あの変な症状は、自分だけに起きるとは限らないじゃないか。

「あ、なぁ。ちょっと時間できたから、今から家に行っていいか?」

《いいよぉ》

 間延びした返事を聞き終えてから電話を切ると、俺はすぐに大学を後にした。

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