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それぞれの授業のことや、所属しているサークル、今やっているバイトのことなど、本当に他愛もない話をしながら、段ボールの中身を片付けていたら、外はすっかり暗くなっていた。
小道沿いに等間隔に立っている街灯が、薄いカーテン越しに煌々と光っているのが分かる。
「やー、さすがに腹減ったな」
「なんか買ってくるか」
財布を持って外に出ると、空はすっかり暗くなり、星がちらついていた。
真田がアパートを出てすぐ、小道を来た時と反対の、奥のほうへと進んでいったので、俺もおとなしくついていく。
奥のほうは大きなアパートやマンションに挟まれているので、かなり暗くなっていそうだなと思ったのだが、等間隔に街灯が配置されているためか、そこまで暗いと感じなかった。狭い道の割にきちんと整備されているところを見ると、それなりに利用者の多い道なのだろう。
反対側の道路まで辿り着き、角を二回ほど曲がった先の方に、激安スーパー・ワイマートのギラギラと眩しい看板が見えた。
「……はー、めちゃくちゃ近いのな」
時間にして、徒歩五分くらいだろうか。もしかしたら、もっと短いかもしれない。
「いいだろー?」
「本当、腹立つくらい良い立地だわ」
俺と真田はスーパーに入ると、それぞれ気になる惣菜と、お互いに好物であるマグロづくしのパック寿司を買い込むと、アパートのほうへ戻る。
アパート前の出入り口となる階段の、左右の柱には煌々と明かりが灯されており、帰ってきた自分たちをあたたかく出迎えてくれているように見えた。
ふと階段横にある駐輪場のほうを見ると、来た時には開いていたシャッターが全てきちんと閉まっている。盗難防止の意味もあるのだろうか。
それにしても、これだけ分かりやすい出入り口なのに、真田にはここすらも壁に見えていたというのだから、不思議な話だ。
「そういやお前、最初はここも壁に見えてたんだろ?」
階段を上がりながら尋ねると、真田は口を尖らせながら頷く。
「そーなんだよねぇ。今じゃ考えられない話だけどな」
「それって、どんな風に見えてたんだ?」
「どんなって……このコンクリートの壁、そのまんまだよ」
そう言ってアパートを仰ぎ見ながら、真田は薄汚れた灰白色に小さなベランダの手すりと窓のはめられた壁を指さした。
「あの窓とかがついた壁がこう、そのままここにあった感じ」
真田が窓のある辺りの壁をぐるりと囲み、出入り口階段の上部に広がる空間に持ってくるような動作をする。
「……なるほどねぇ」
俺もつられて外壁をじっくりと見てしまった。確かにこの窓の部分が、一階と二階のもう一組分くらいあれば、この出入り口部分が綺麗に塞がりそうである。そしてあったとしても、違和感はなさそうだ。
「んなことより、とっとと戻って飯食おうぜ」
「そうだな」
出入り口で突っ立ったままだったので、促されるままに二階の部屋に戻ると、テレビにお互いのオススメ動画を映しながら、買ってきた寿司や惣菜をテーブルに並べて夕飯にする。
一通り食べ終わり、お笑い動画に二人して笑っている時だった。
……ピーンポーン。ピーンポーン。
不意にインターホンが鳴った。
「お、なんだ?」
「えー、誰だろ?」
安くて壁の薄そうなアパートだし、騒ぎすぎてうるさい、なんていう苦情だろうか。しかし昼間からずっとここで過ごしているが、隣の部屋から生活音みたいなものが聞こえてきたことはない。
真田が不思議そうな顔で玄関に向かうので、俺は一応テレビの音量を下げた。安アパートらしくドアモニターなどはないので、真田は玄関ドアについているドアスコープで外を確認してから玄関を開ける。
「はーい」
「あ、お待たせしました! ○△□寿司です」
にこやかな中年くらいの男の声。
俺はリビングの方から首を伸ばし、玄関のほうをこっそり覗くと、開けられたドアの向こうに笑顔の男性が立っているのが見えた。鮮やかな青いジャンバーに、白いヘルメットをつけている。バイクで宅配をする、寿司屋の店員だろうか。
しかし残念ながら、二人とも寿司の出前など頼んではいない。確かに寿司は好きだが、ワイマートで買ったマグロづくしのパック寿司を食べたばかりだ。
「ごめんなさい、うち頼んでないんですが」
「あれ?『ヤマネアパート』の二〇四号室ですよね?」
「いえ、ここは『よひら荘』の二〇四号室です」
「ええ! すみません、間違えました!」
配達員の男は申し訳なさそうな顔で何度も頭を下げると、すぐに立ち去っていく。
はぁ、とため息をついて真田がこちらに戻ってきた。
「え、なに? 間違い?」
「そうみたい。でも、なーんかよくあるんだよねぇ」
「へぇ、珍しいな」
自分も一人暮らしを始めてそれなりになるが、デリバリー系の間違いが来たことはない。
しかしよくよく思い出してみると、アパートの出入り口にはどこにも『よひら荘』という表記はなかった気がする。近くに似たようなアパートでもあるのだろうか。
「玄関の部屋番号んとこに、アパート名書いたプレートでも出しとけば?」
「ああ、そうしよっかなぁ」
真剣に検討しているようだったので、引っ越してからかなりかなりの頻度で間違われているようだ。いい部屋だが、地味に嫌な欠点である。
動画のキリがいいタイミングで、食べ終わった夕飯のゴミをまとめていると、キッチンの隅に郵便物の山が積まれているのに気付いた。
封筒やハガキなど、全て未開封のものばかり。ちらりと宛名を見ると、真田とは違う名前が書かれている。
「おいこれ、どうしたんだ?」
「え? ああ、前の住人宛の郵便物が未だに入ってきちゃってさ」
「ふーん」
引っ越した住人が転送届や住所変更をしてないと、こういうことはたまにある。賃貸物件ならではの、あるある話だ。
郵便物の山の一番上にあったハガキを一枚取ってみる。どう見ても何かの支払催促通知だ。その他の郵便物も、見た感じ何かしらの支払催促や、消費者金融などからの通知だと分かる。
「……なぁ。やっぱりここ、事故物件とまではいかなくても、やばい人が住んでたとかじゃねーの?」
「だからそれは無いって。もしそうだったら、不動産屋も言ってるはずだろう?」
真田がどこか呆れたように返した。確かにちょっと、何度も言いすぎたかもしれない。
事故物件というものは、それなりに雰囲気がやばいことも多いというし、こんなに居心地のいい家を何度も疑うというのも野暮だろう。
「しかし、こういうのってどうすればいいんだ? 勝手に捨てちゃダメだよな?」
「あぁ、なんかネットで調べたんだけど、郵便局に持って行くと処理してくれるらしいよ。そこそこ溜まっちゃったから、今度持って行こうと思って」
「へー」
自分も今後引っ越しをするだろうし、いいことを聞いたな、と思いながら、手に取ったハガキを郵便物の山に戻した。
「よかったら、また遊びにこいよ」
「おう、それまでに片付け終わらせとけよ」
「わかってるって」
すっかり入り浸ってしまって、いっそ泊まっていけばと誘われたが、明日は一限から授業なので帰ることにした。
出入り口になっている階段を降り、アパートを見上げる。小道に立つ街灯の明かりで、壁の薄汚れた灰白色がぼんやりと浮き上がっているように見えた。
自分の実家以外で、あんなにのんびりと過ごせる部屋はなかなかない。今住んでいるアパートですら、入居してすぐはなかなか落ち着かなかった。
あんな部屋に住めるなんて、正直ちょっと、いやかなり羨ましい。
ぼんやりと考えながらアパートを見上げていると、大きな道のほうから小道に人が入ってくるのが見えた。青いワンピースらしきものを着た女性が、こちらに向かって歩いてきている。
さすがにこのまま立っていたら、不審者と思われてしまうかもしれない。
この辺りは来たことのない場所だが、ワイマートの近くまでいけば、自宅への道も分かるはず。
俺はそそくさと小道を奥のほうへと向かい、家路を急いだ。