8−2
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ファミレスに移動し、昼食を食べながら真田の部屋で見つけたノートを開く。文字は間違いなく真田の書いたもので、書かれた日付的にもあの部屋に引っ越してからしばらくくらいの時期だ。
内容的には日記というより、模様替えのためのメモのようなものらしく、最初の方は部屋を整えるのに必要なものを書き連ねているだけだった。
五月××日
カーテン(サイズ:××××)
腰くらいの高さの棚(サイズ:××××)
五月××日
包丁、キッチン用の棚、コップ用のラック
ゴミ袋大と小、マグネット
「買い物メモ、的なやつかな」
「うん、そんな感じっぽいね」
追加で頼んだパスタを食べる大迫の向かいで、俺はドリンクバーから取ってきたジンジャーエールを飲みながら、テーブルの上に置いたノートをめくる。
最初は買うものの名前とサイズだけだったのが、何に使うのかといったメモから、部屋をどうしたいこうしたい、という希望が書き添えられるようになってきた。
参考にしていたらしい雑誌名のほか、ところどころレイアウトの図案のようなものも書かれている。
六月××日
ミニ鉢植え、△△△で紹介されていたヤツのグレー
木製シェルフ(サイズ:××××)
仕切りつつ抜け感を出し、部屋をより開放的にみせたい
もう少し寝る場所とそれ以外を区別がつくようにしたい
描き添えられていた図案を見て、俺はあっ、と小さく声を上げた。
「この配置、見覚えあるかも」
「へー、なんかスッキリしてていいじゃん」
本棚の位置からして、模様替えを手伝ったことのあるレイアウトだ。
確かにこの配置は、過ごしやすいなと思って良い印象を持った覚えがある。
「……それにしても、こんな記録つけてたんだな」
「真田って、結構マメなヤツだったの?」
「いや、俺が知る限りでは、こんなこと書くタイプじゃなかったけど」
高校の頃は黒板の板書もまともにとらず、後からクラスメイトにノートを見せてもらうようなタイプだった。大学に入ってからの真田はこの家にいる時の様子しか知らないので、大学から少し変わったのだとしたら分からない。
しばらくは過ごしやすさや、おしゃれな雰囲気を出そうと試行錯誤していた記録ばかりだったが、日付が七月に入ってくると、少し様子がおかしくなってきた。
七月××日
家の中をじっくり味わうレイアウトにしたい
窓沿いをぐるりと回りこむようにすればいいのでは?
描かれていたレイアウトは、部屋の奥からすぐにキッチン側へ行けないよう、中扉の周辺にわざと大きな棚を配置してあった。
そこからさらにノートを捲ると、レイアウトの仕方はさらにおかしくなっていき、全体的にみるとまるで迷路のような、部屋からキッチンのほうへ行くのがより大変になるようになっている。
七月××日
より時間がかかるようにしたい
ここにいたほうが安全だし、出たくない
俺と大迫は不可解な一文に顔を見合わせる。
「ここにいたほうが安全?」
「……どういうことだ? 外が怖くなったとか?」
「最後に話した時に、確かに『出られない』とは言ってたんだけど……」
あれは『外に出たいけど出られない』ではなくて、『外が嫌だから出られない』ということだったのだろうか。
そういう意味だったのなら、この出るのに時間がかかるレイアウトも少しは納得できる。出たくない気持ちを正当化するために、すぐに外へ出られない部屋を作っていたのではないだろうか。
しかし日付が八月に入ると、描かれたレイアウトにあまり変化は見られなくなってくる。全体的にぐるぐると、渦を巻くような印象が強い。もしかしたら体力が落ちて、家具の移動もままならなくなったのかもしれないが。
八月××日
理想に近づいてきた
じっくりと時間をかける
これで大丈夫だ
渦を巻く迷路のような配置図を見ながら、大迫がうーん、と何か考える顔をした。
「……なんか、こういう迷路みたいな巣穴作る動物いなかったっけ?」
「ああ、プレーリードッグとか?」
「そう、それそれ!」
俺の回答に、大迫がまるで喉の小骨が取れたような顔をする。
確かに一見迷路のようにも見えるが、でもこれはまるで──。
「これ、どちらかと言うと、カタツムリみたいじゃない?」
ぐるぐると部屋全体をつかって渦を巻き、最終的に辿り着くベッドの位置は部屋の中央に鎮座する、奇妙なレイアウト。
まるで梅雨の時期に、紫陽花の葉の上に這う、カタツムリの渦巻きのような。
そして日付がついに居なくなった九月になると、もうレイアウトの図案は描かれておらず、気持ちの悪い一文だけが書かれていた。
九月××日
これで部屋の一部になれる
「『部屋の一部になれる』……?」
思わず読み上げ、俺と大迫は再び顔を見合わせる。
「アイツ、やっぱりなんか精神やってたんじゃないか?」
「わかんない……」
確かに様子がおかしいことに変わりはなかったが、そんな意図を持っていたとは思わなかった。
『オレ、このままこの家に、溶けちゃうんじゃないかなって』
そう言った時の真田は、どんな表情をしていただろうか。
もうよく思い出せないし、思い出したくもなかった。
ひとまずこのノートを読んで分かったことは、真田が精神をやられていたことと、あの奇妙な部屋の配置は意図的なものだったということ。
「カタツムリ。……カタツムリかぁ」
最後の一文が書かれたページを開いたまま、大迫がじぃっとノートを見ながら呟く。
「どうかした?」
俺が訊くと、大迫がなんとも言えない顔で遠くを見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「……うん、年の離れた従弟がカタツムリを飼ってた時期あったなぁ、って思い出してさ」
大迫がぼんやりとした声のまま、ドリンクバーでとってきたメロンソーダをストローで吸い上げる。
「へぇ。カタツムリって飼育とかできるんだ」
「らしいよ。それに雑食だから、餌は野菜クズとかそういうのでいいんだってさ」
「ふーん」
雨の日に、外で見かけるイメージが強いので、室内の水槽にいるイメージがなんだかあまり思い浮かばない。
「そんでさぁ。カタツムリの殻ってカルシウムでできてるらしくてさ、そのために卵の殻とかあげたりするんだと」
「え、そんなの食べるんだ」
「うん。しかもな、自分の殻を強くするために、仲間の殻を食っちまったり、共食いしたりしちゃうこともあるんだって」
「……マジで?」
大迫の言葉に、俺は分かりやすくドン引きする。
梅雨時期に見かける、可愛らしいカタツムリのイラストが脳内に浮かんでいたのだが、途端になんだかグロテクスなものに見えてきた。
「そういう顔になるよなぁ。オレも最初聞いた時、ビックリしたもん」
メロンソーダで緑色に染まった舌を、大迫がべぇと出してみせる。
そういえば、あのアパートの壁の色は灰白色をしていたな、とふと思い出した。
カルシウムといえば白。
そして灰白色は、カルシウムに不純物の混ざった色でもある。
「……なぁ、大迫。あのアパートって、前は違う名前だったよね」
よく遊びに行っていた時期、アパートの前には鮮やかな赤紫の紫陽花が咲いていて、濃い緑色の葉っぱの上にはカタツムリがいた。
二本の触覚をピンと伸ばして、ぐるぐると渦巻く殻を背負って。
「あぁ、古地図見てた時に『つぶら荘』って書いてあったな」
「『螺良』の『螺』ってさ、渦巻く、の意味だよね」
これは果たして、偶然なのだろうか。
それとも……。
「……やめよう」
大迫が静かに言った。
黙り込んだ俺が何を考えているのか、気付いたのだろう。
「それこそ、つまんねーオカルトだ」
「うん、そうだね」
俺は小さく頷くと、コップの中に残っていたジンジャーエールを一気に飲み干した。