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家に溶ける  作者: 黑野羊
1)新 居
2/24

1−2

 ◇



 その日受ける予定だった授業が終わり、二人して予定がないというのもあって、早速真田の家に行くことになった。

 大学から大きな通りを二本ほど越え、大通りから一本脇に入った住宅街の道路を川のほうに向かって歩いていると、横に入る細い路地が見えてくる。

「あ。小道って、ここ?」

「そうそう」

 住宅と住宅の間に、まるで小さな隙間のように存在する小さな道。

 バイクならギリギリ通れるくらいの幅があり、地図で見たときに抱いた印象よりは広い。まっすぐ平坦にのびていて、抜けた先の通りもなんとく見える。

「ここ通ったことあるか?」

「いや、こっち側はあんま来ないから、通ったことはない、な……」

 今自分の住んでるアパートの位置的に、川辺のほうに用事でもない限りは来ない辺りなので、この道にもまったく覚えがない。

 建物に囲まれ、常に影っている細い道。その道沿いの入り口には大きな戸建が建っていて、その一つ隣が目当てのアパートだ。

 壁はコンクリートらしい灰白色をしていて、手前の戸建が少し大きいせいか、アパートなのになんだか妙に影が薄い。

「ここだよ」

 そう言って真田が見上げたアパートを、俺も一緒になって見上げる。壁面は白いペンキを塗っているものの、全体的に薄汚れているせいかグレーがかって見えており、壁に並ぶように付けられた室外機もすっかり外装が褪せていた。そこまで酷いオンボロというわけではないが、それなりに年季の入った建物だというのが分かる。

 小道に面した側に、上の階までの空間を切り取ったような高い天井の大きな階段があり、半階分ほど上がった先がメインの出入り口になるらしい。階段のすぐ横は一部シャッターが降りていて、開いている部分から中を見た感じだと、駐輪場と物置を兼ねているようだった。

 並んでシャッターの降りている箇所の前には、淡い赤紫の紫陽花がところどころで花びらが開き始めていて、建物の向こう端まで続いている。

 たしか『よひら』は『四葩』と書き、紫陽花の花弁が四枚あることからついた別称だったはず。

「……なるほど『よひら荘』らしい」

「だろぉ?」

 真田が何故か自慢げに階段を上がり始めたので、俺も後に続いてのぼる。

 上がりきった先には特に扉などはなく、壁面に銀色の郵便受けが八個並んでいた。部屋は全部で八戸あるらしい。

 郵便受けの前を通り抜け、ペンキの剥がれた柱や剥き出しのパイプを横目に、上階へ繋がる階段をあがる。この階段も、工事現場にでもありそうな簡素なスチール製のもので、手すりも掴まるのが躊躇われるように汚れていた。

 二階に上がり、通路を通って一番端までいくと、真田が借りているという二〇四号室に着く。玄関ドアはよくありそうな褪せた茶色いものだった。

「お邪魔しまーす」

 そう言って開けた俺は、予想外の室内に目を見張る。アパートの外見や廊下、階段の様子とは対照的に、めちゃくちゃに綺麗だったのだ。

 玄関から続くキッチンは、床も壁も綺麗な白で統一されて明るく、まだものが少ないせいかより開放的に感じる。

「な? 綺麗だろ?」

「お、おう……」

 驚いて立ち尽くす俺に、真田がニヤニヤと楽しそうに笑って見せた。

「ほら、上がれよ」

「う、うん。……お邪魔します」

 促されるままに靴を脱ぎ、真っ白なキッチンから開けっぱなしの中扉を抜けて奥の部屋へ行くと、そこでも俺は驚くことになる。

 奥の部屋は、壁は白いものの床が濃い茶のフローリングになっていて、間取りとしてはよくある1Kだが、なんだか妙に広く感じた。

「なんか、すごい広くないか?」

「おう、一〇畳あるからな」

「ええ、まじか……」

 建物のサイズの割に部屋数が少ない気がしていたが、一部屋がこんなに広いのであれば納得である。

 部屋の奥にベッドがあり、その反対の奥にはテレビと勉強机、手前に小さなテーブルとミニソファが置いてあった。雰囲気は洋室然としているが、もともとは和室だったのだろう、天井近くにはぐるりと白く塗られた長押がついており、収納はクローゼットではなく大きな押し入れのまま。押入れの上には天袋まであるが、壁に合わせた白い襖なので、和室の雰囲気はそこまで感じない。

 まだ引っ越してそんなに日が経っていないのか、全体的に物が少なく、部屋の隅には未開封の段ボールがいくつも積んだままだった。

 雑然としてはいるものの、なんだか妙に居心地がいい。

「……いい部屋だな」

「お。お前は平気な感じ?」

「え? うん」

 どういうことだ? と不思議に思ったのが顔に出たのだろう、真田が少しだけバツの悪そうな顔をする。

「実は、同じ学部の奴らは、この部屋くると気分が悪くなっちゃうみたいでさぁ」

「え、そうなのか?」

「そう。だからぜーんぜん遊びにきてくれなくて……」

「へぇー」

 真田の言葉に、俺はなるほどとようやく合点がいった。

 元々真田は話しやすくて人当たりがよく、すぐに友人をつくれるタイプである。なのに、わざわざ学部の違う元同級生に「遊びにこいよ」なんていうのは少し妙だな、と思っていたのだ。

 ──誰も遊びにきてくれなくて、寂しかった、のか?

 俺は薄いカーテンをめくり、大きめの窓を開けた。窓の外には低い柵のついた小さなベランダがあり、物干し竿がかかっている。立つのは難しいが、腰をかけるくらいなら出来そうなベランダで、俺はそこに座って外を眺めた。

 一階が普通のアパートより半階分以上高いので、二階にあるこの部屋は一般的なアパートの三階くらいの高さになる。小道を挟んだ反対側の建物はこの部屋より背が低いせいか、アパートが密集してるわりにぽっかりと開けていて、隙間から小さくではあるが近くを流れる川も見えた。

「めちゃくちゃいい部屋なのになぁ」

 鬱陶しい梅雨時期の晴れ間。入り込む風も気持ちよくて、他人の家なのにどこか懐かしさを感じる。

 改めて室内を見回していると、いくつも積まれた段ボールとは別にするように、押し入れの近くの長押に真新しい青色のブルゾンが掛けられていた。

 首周りに小さな飾りベルトがついた、オーバーサイズでおしゃれなブルゾン。色も深い青がとても印象的なものだった。

 しかし、これからどんどん暑くなってくるというのに、なぜ今こんなものがあるのか。

「なぁ、あのブルゾン、どうしたんだ?」

 俺が座ったままの状態でブルゾンを指差すと、勉強机の椅子に腰を下ろした真田がつられてそちらを見て、ああ、とどこか嬉しそうな顔をした。

「いやー、古着屋で一目惚れしちゃってさぁ」

「夏目前に買うものじゃなくない?」

「仕方ないだろー。古着は次行ったら無くなってることのほうが多いんだからさぁ」

 確かに、古着の場合は基本一点ものなので一期一会なことが多い。デザインも色も、状態もかなりいいので、つい買ってしまったという真田の気持ちも分かる。

「まぁ確かに、いいデザインだよな。色もいいし」

「だろ? 早く秋にならないかなぁ」

 そう言いながら、真田が開け放した窓から見える空に視線を向けた。

 残念ながら今年の夏も猛暑で、残暑がかなり長引くという予報が出ている。真田があのブルゾンを着れる日は、だいぶ先になるだろうな、と考えながら綺麗な青色を見つめた。

「それはそうと、橋屋」

 呼ばれたほうに顔を向けると、真田が両手を合わせて拝むようにこちらを見ている。なんだか見覚えのあるポーズだ。

 そう思っていると、やはりなんだか懐かしい、眉を困ったようにひそめた真田が言う。

「荷物の整理、手伝ってくんない?」

「……まじか」

「オレとお前の仲じゃーん!」

 ──俺を誘った本当の理由はやっぱこれかぁ。

 大量の段ボールに気付いた辺りで、そんな気はしていたのだ。

 同じ経済学部の連中に手伝ってもらおうと思っていたのに、誰も来てくれないから、わざわざ違う学部の俺に「遊びに来ないか?」なんて言ったのだろう。

 昔からそういう、調子がいいわりに抜け目のないヤツだった。

「まったく、仕方がないなぁ」

 俺は重い腰を上げると、うーんと伸びをする。それから腕まくりをして、積まれた段ボールのほうへ足を向けた。

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