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家に溶ける  作者: 黑野羊
6)住 人
18/24

6−3

 ◇



「じゃあ、改めて自己紹介でもしようか。一〇四号室の汐見(しおみ)でぇす」

「二〇四号室に住んでる真田の友人で、橋屋といいます」

「橋屋と同じ学部の大迫です」

 改めて名乗りあった後、よろしくお願いします、と三人して小さくお辞儀をした。

 汐見さんの部屋は、真田の部屋の真下なだけあって間取りはほぼほぼ同じである。しかし、ちょうど部屋の真ん中をオシャレな青いカーテンで仕切っており、まるで二部屋あるようだ。ベッドは部屋の奥のほうに置いているのだろう。

 全体的に青い家具や小物で統一されていて、なんだか涼しい雰囲気がある。

 ──青色が好きなのかな?

 俺たちはその手前の、いわゆるリビングとして使ってる場所で話を聞く。

「まぁ、一〇三号室に住んでる咲野ちゃんに何となくは聞いてるんだけど、二〇四号室のその、真田くんて子がいなくなったんだよね?」

 そう言いながら汐見さんは、グラスに入った麦茶を一口飲んだ。口ぶりからして年上に違いはないが、年齢が読めない人である。

「はい。夏休みに入る前くらいから、授業やバイトに来なくなってたみたいで。夏休みの終わりに部屋に行ったら『部屋から出られない』って言っていて……」

「なにかの病気になっちゃってたとか?」

「いえ、そういう感じではなく。こう……すごくやつれてて、何をするにもやる気がないって感じで」

 懸命に最後に見た真田の様子を思い出して説明するが、どうにもうまくいかない。

「大迫くんはそうなった真田くんを見てないの?」

 俺の説明がふわっとしすぎなせいか、汐見さんが大迫に尋ねる。

「はい、真田の最後の姿をみたの、こいつだけなんで……」

「そっかぁ……。うん、それで?」

「夏休みの終わりに会った時にそうなってて、流石にやばいなって思って。とりあえず部屋から連れ出そうって、二日後に真田の両親を連れてきたんですけど、その時にはいなくなっていて……」

 そうして真田はいなくなった。

 あんな痩せ細った身体で、一人でどこか遠くへいくのは考えられない。しかし、あいつは消えてしまった。

 まるで、溶けてしまったかのように。

「……捜索願とかは出てないの?」

「いなくなって二週間後くらいに、真田のスマホに繋がって、話ができたらしいんです。その時に『忙しいからまた後で掛ける』って言われたらしくて」

「でも、そこから連絡はない、って感じ?」

「……はい」

「そっかぁ」

 テーブルの上に置かれた麦茶の入ったグラス。中の氷がカランと小さく音を立てて揺れる。

 俺の話を一通り聞いた汐見さんは、うーん、と唸りながら何かを考えるように腕を組んだ。

「まぁ、他の部屋の人から聞いてると思うけど、このアパートは見た目の割にかなり防音がしっかりしてて、他の部屋の生活音はほとんど聞こえないのよね」

「じゃあやっぱり、変な音が上から聞こえてきた、とかは……」

「ないわね、残念ながら」

 汐見さんの言葉に、俺と大迫は一緒に大きく息を吐きながら、肩を落とす。ある程度予想はしていたが、真下の部屋でこれでは、手掛かりになりそうなものはもう他に思いつかない。

「やっぱり手がかりなし、かぁ」

 分かりやすく落ち込んだ俺たちを見かねたのか、汐見さんが仕方がないなぁと言わんばかりの様子で小さく息を吐く。

「……アタシ、実は長いことこのアパートに住んでるんだけど、変なアパートだなって、つくづく思ってるのよねぇ」

 意外な言葉に、俺は思わず食いついた。

「やっぱりこのアパート、なにかあるんですか?」

「え、やっぱりって?」

 俺の問いかけに、汐見さんは意外そうな顔をする。

「あ……実は、真田がいなくなったのはオカルト的な理由で、このアパートが事故物件だからなんじゃないかって、色々調べてて」

「不動産屋に話に聞きに行ったらきっぱり違うって言われるし、アパート周辺の事故とか事件も調べたんですけど、全然なかったんですよ」

 大迫の説明に、ふーん、と言いながら汐見さんが何か考えるような顔をした。

「アタシが住む前からも、住み始めてからも、人死にの話は聞いてないから、まぁ事故物件じゃあないね。近くで刃傷沙汰とか、怖い事件も起きたことはないよ」

 やはり調べていた通り、この辺り一帯は平穏そのものらしい。

「では、なぜ汐見さんは『変なアパート』だって思うんですか?」

「うーん、これは信じてくれなくてもいいんだけど。……アパートの前に紫陽花があるでしょ?」

 そう言いながら汐見さんが窓の方を見る。

「はい」

「あの紫陽花、普段は青色の花を咲かすんだけど、たまにピンクや赤紫しか咲かない年があって。でもその年は必ず、短期間で住人が変わるのよね」

「……え?」

「まぁ関係があるのかどうかよく分かんないんだけど。赤く咲いた年は、郵便受けのチラシを放置する人がどこかの部屋に現れて、それからしばらくするとその部屋の人は引っ越しとかでいなくなっちゃってるの」

 汐見さんの言葉に、俺は背中がぞくりと粟立つのを感じた。よく効いた冷房のせいなんかじゃない。

 このアパートに通っていた頃、アパート前の紫陽花は綺麗に咲いていた。

「俺、紫陽花が咲いていた頃にここに来てたんですけど、その時はたしか、赤紫色で……」

「うん。今年は赤紫だった。だから、遅かれ早かれ誰かしら引っ越すことになるんだろうなって、思ってたのよね」

 俺は何も言えず、テーブルの上のグラスに視線を落とす。グラスは汗をかき、中の氷が溶け始めていた。

「じゃあそのジンクス通り、今年は真田が失踪していなくなったのか」

 大迫がなるほどなぁ、と呟くと、汐見さんは首を横に振る。

「あ、ううん。それが、真田くんがいなくなる前に、うちの隣の一〇三号室に住んでた男の子が、引っ越しちゃったのよねぇ」

 汐見さんの言葉に、俺はハッとして顔を上げた。そうだ、真田は厳密にはまだ引っ越しはしていない。その前にこのアパートからいなくなったのは、一〇三号室の人だ。

「咲野さんの前の、一〇三号室に住んでた人のこと、知ってるんですか!?」

「うん。田所(たどころ)くんて大学生の男の子だったんだけど、アタシの出勤時間と向こうの帰宅時間が被ること多くて、話もよくしてたの。でも、引っ越してきてからしばらくしたら、顔を合わせることがなくなってさ……」

 汐見さんによれば、ある時から一〇三号室の郵便受けはいっぱいになり、雨戸も閉めきっていて、通路側に面した窓から光が漏れることも無くなったらしい。防音のしっかりした部屋なので、人がいるのかどうかも分からず、少し心配に思っていたある日、アパートに帰宅したら一〇三号室の郵便物がなくなっており、ちょうど引っ越し作業をしていたのだとか。

「え、じゃあその住んでいた田所さんは……?」

「引っ越し作業には参加してなかったよ。作業してたのは見た感じ親御さんとか、ご兄弟っぽい感じの人たちだった。でも、亡くなったとか怪我とか病気とか、そういう感じではなかったかな。作業してる人、みんなどこか怒った感じだったし」

「怒った感じ?」

「うん。引っ越しまでしたのにーとか、今更あんなこと言うなんてーって感じでね」

 俺と大迫は顔を見合わせる。

 話を聞いた感じでは、確かに普通の引越しではなかったようだが、悲壮感がなかったのであれば、住んでいた田所さんは五体満足に生きているに違いない。

「確かに、不動産屋さんは亡くなってないって言ってたしな……」

「まぁ、どんなことが理由にせよ、赤い紫陽花のジンクス通りになったなぁって、思ってたんだ。でもまた二〇四号室の郵便受けがいっぱいになってたから、気になってたの。まさか失踪してたなんてねぇ……」

 汐見さんがそう言ってグラスの麦茶をグッと飲み干した。

「でも、なんでそんなジンクスがあるんですか?」

「さぁ? ただの偶然かもしれないし、別にこのアパートに伝わってる話とかじゃないもの。単純にアタシがそういう法則があるなぁって気付いただけ」

「よく、そんなジンクスに気付きましたね」

 肩を竦めて言う汐見さんに、俺は感心したように言った。

 普通に住んでいただけでは、そんな奇妙な連動に気付くことはない。

「……あー、アタシ、ご覧の通り青色が好きでさぁ」

 言われて俺は部屋の中を改めて見回す。見れば見るほど青色のものだらけだ。きっと青い服を着ているのも、同じ理由なのだろう。

「アパート探してた時も、ここの前に青色の紫陽花が綺麗に咲いててさ。それで決めたとこあったから、毎年楽しみにしてたの。だからそれで気付いたって感じかな」

「そうですか……」

 一〇三号室の人が無事だったことはわかったものの、真田のように家に引きこもっていたのかどうかは結局不明なままである。

 人前から姿を消しその間、郵便物を溜め込んでいたという妙な符合だけが残された。



 汐見さんにお礼を言って部屋を出た後、俺と大迫は掃除のために二〇四号室へ移動する。

「真田がどこに行ったのか手がかりになりそうな情報はなかったな」

「……そうだね」

 合鍵を使って二〇四号室のドアを開けると、熱せられたぬるい空気がむわっと身体にまとわりついた。雑然とした室内は前回掃除に来た時と変わらず、時間が止まったまま。

 結局、真下の部屋からも、何かそれらしい手がかりは得られなかった。

 自分たちにできることは、もうないように思える。

「さ、とっとと掃除して帰ろうぜ」

 大迫がポンと、励ますように俺の肩を叩いた。

「うん、そうだな。俺もバイトあるし……」

 頷いて俺は部屋に入る。

 誰かがいなくなっても、残された人間の日常は変わらず回り続けるのだ。

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