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家に溶ける  作者: 黑野羊
5)捜 索
14/16

5−2

 ◇



「大変申し訳ありませんが、あのアパートで誰かが死亡した、という事実はございません」

 目の前に座る、ネクタイをきっちりと結んだ不動産会社の男は、きっぱりと、そして丁寧にそう言った。

 あのアパート──よひら荘を管理している不動産会社を調べてみると、大学の最寄駅近くに店舗があったので、午後の講義が無くなったのをいいことに、大迫たちと行ってみることにした。

 友人が住んでいるアパートについて話を聞きたいというと、最初は住んでる人間でないと無理だと言われたのだが『よひら荘』の名前と、住人である友人が姿を消したのだという話をすると、別室に通された。

 すぐに担当者だという男が黒いファイルを持って現れたので、事情を説明し、よひら荘が『事故物件』だったのではないか、と質問をぶつけたところ、きっぱりと否定されたのである。

「真田……今の『二〇四』に前住んでた人が失踪したとかは……」

「いいえ。基本的にご利用いただいた皆様は、特に大きな問題なく退去されていますよ」

「……本当、ですか?」

「はい。なので、あのアパートは事故物件ではない、と言うことができます」

 念を押すように確認すると、三〇代くらいに見える『江東(えとう)』という名札をつけた不動産屋の男は、先ほどと同じようにきっぱり、はっきりと言った。

「その、他の部屋で失踪しちゃった人とかも、いないんですかね?」

「はい、そうですね。そのような事件が起きたことも、記録にはありません」

 江東さんは広げていたファイルを何度か捲り、それから質問してきた川藤のほうをまっすぐ見つめて返答する。

「じ、じゃあ! 一〇三号室の人は!」

 大迫が思い切ったように声を上げると、やはり江東さんは身体ごと視線を大迫のほうに向けた。

「……そちらの部屋の方も、お知り合いですか?」

「あ、い、いえ、違いますけど。その、すごい郵便受けを手紙やチラシでいっぱいにしてたことがあったんで……」

 じぃっと見られてたじろいだ大迫が、俺を小突いて「そう、だよな?」と聞いてくる。

「夏前くらいに、そうなってるのを見たことがあって……」

「ほ、ほら! そうなってる部屋の人が、実は死んでましたー! とかあるじゃないですか」

 俺の言葉に合わせるように、少し大袈裟な手振りをつけながら大迫が言った。すると江東さんは、はぁ、と少し呆れたようなため息をついてから口を開く。

「……それこそ個人情報ですし、どのような方が住んでいて、どのような理由で引っ越したか、などはお答えできません。ですが、その時期に入居されていた方は亡くなっていませんし、少しトラブルはあったようですが、正規の手続きを踏んできちんと退去された、ということだけはお伝えできます」

「……トラブル?」

「申し訳ありませんが、それについては個人情報ですので」

 ──でも、ちゃんと『退去』はしてるのか。

 江東の言葉に、俺は膝の上に置いた握りこぶしをぎゅっと強く結んだ。

 郵便受けがあの状態になった人は、ちゃんと生きている。

 しかし、アパートからすでにいなくなっているのであれば、話を聞くことは難しそうだ。

「『退去』してるってことは、今は空き部屋なんですか?」

「いえ。もうすでに新しい方が入居されています。ですので、よひら荘には現在空き部屋はございません」

「……そうですか」

 俺たちは気まずい顔をそれぞれ見合わせながら、どうしたものかと言葉を選ぶ。すると、江東さんはそんな俺たちを見かねたのか、少しだけ眉を下げた。

「実は、最近のホラー映画に影響されてか、この手のお問い合わせは増えていましてね。逆に『事故物件はないか』なんて聞かれることもあるくらいなんですよ」

「あーやっぱり、そういう人もいるんですね」

「はい。でも正直、うちではそういった物件はあまり取り扱っていないので、聞かれても困っちゃうんですよねぇ」

 確かこの不動産会社では、基本的に大学近辺の物件を取り扱っているはず。江東さんの口ぶりから察するに、この辺りにはそもそも事故物件自体があまり無いようだ。

「まぁ、短期間で退去される方も稀にいらっしゃいますが、それも基本的には正当な理由のある方ばかりですし。『アパートの何かが原因で』ということは一度もありません」

 江東さんは自分たちがアパートに何かあると思い、こうして聞きにきたのを察したのだろう。その言葉に俺たちは顔を見合わせた。

「ご期待に添えず申し訳ありませんが、あの『よひら荘』に心理的瑕疵(かし)のある部屋はございません。ですので、事故物件ではないと断言することができます」

 開いていたファイルをゆっくり閉じると、江東さん両手をその上に乗せ、静かに言った。




 不動産屋を出ると、まだまだ太陽の高い時間だったので、がっくりと肩を落とした俺たちは、ひとまず大学へ戻った。

「やっぱり『事故物件』の可能性はなし、か」

「失踪した人もいなかったしねぇ」

 人のまばらな学食のテーブルにつくと、俺たち四人は揃ってぐったりしたように突っ伏する。

 誰かが死んでいなければ、失踪した人もいなかった。考えていた『やばい物件の可能性』を綺麗さっぱり否定されたのだから仕方がない。

 しかし、わずかだが収穫もあった。

「それにしても、一〇三号室の人が生きてるって分かったのは、救いだったな」

「うん。ちょっとホッとした」

「でもよー、真田と全く同じような状態になったのかどうか、まではわかんなかったじゃん」

「そこなんだよなぁー」

 結局、どんな理由で真田と同じように郵便受けをいっぱいにしていたのか、死んでいないにしても、なぜ引っ越したのかまでは流石に分からなかった。知っている人ならまだしも、知らない人の個人情報だと言われてしまうと、強くは聞けない。

「あと、少しトラブルがあったってやつな」

「やっぱあれ気になるよなぁ」

 不動産会社の人が言っていた、一〇三号室の住人によるトラブル。

 そのトラブルが原因で退去したのか、それとも全く関係なかったのか、それすらも分からない。

「……アパートの住人なら、なんか知ってたりしないかな?」

「そっか。アパートでのトラブルだったなら、知ってる人がまだ住んでるかも」

「聞き込みとかしてみるか?」

 大迫が提案したところで、あ、と何かに気付いた顔をする。

「あ、てかさ。真田がいなくなった時点でアパートの住人に聞いたりしてないのか? 隣の部屋の人とかさ」

「それが、お隣さん、ずっといなくってさ」

 真田がいなくなってすぐくらいに、隣の部屋とすぐ下の部屋に何かなかったか聞きにいったのだが、なぜかどちらも出なかったのだ。

「あー、連休あったし、旅行に行ってたとか?」

「お盆時期ずらして帰省する人とかもいるもんな」

「そっか……」

 混乱していたせいか、カレンダーのことなど何も考えていなかった。

「じゃあ改めてしてみるか、聞き込み」

「そうだな。真田の部屋のことも聞けるかもだし、やってみる価値はありそうだな」

 大迫の提案に、川藤が少し興奮したような顔で頷いた。

「え。今から行くの? この時間、アパートの人いるかな?」

 すぐにでも行こうと立ち上がった川藤の服の裾を、杉堂が慌てて引っ張る。

「……たしかに、平日の昼間じゃ働いてる人は家にいないか」

「じゃあ休みの日だなぁ。今週末の昼間とか行ける?」

「バイト夕方からだから、俺は平気」

 尋ねてきた大迫に向かって俺は頷いた。川藤と杉堂のほうを見ると、二人はそれぞれ渋い顔をいている。

「あー、悪い。週末はサークルの集まりがあるわ」

「オレはバイトぉ」

 川藤と杉堂が悔しそうな顔を学食のテーブルに乗せて、頬を膨らませていた。

「じゃあオレと橋屋で行くか」

「うん。……なんか、悪いな」

 三人は真田とたいして面識もないのに、こうして一生懸命手伝ってくれている。妙なことに付き合わせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「いいっていいって。乗り掛かった船だし、何より手伝わなかったら気になっちまって寝れねーよ。なぁ?」

 俺の肩を叩きながら、大迫が少しふざけたように言う。

「そうそう」

「好きでやってるんだし、気にすんなよ」

「……ありがとう」

 心強い友人たちがいてくれて、本当に良かった。

 一人だったらきっと、抱えきれなかっただろう。

「んじゃあ、聞き込みは週末やるとして、他に今やれることは……」

「……なぁ『事故物件』の定義ってさ」

 考えるように言う大迫の言葉に被せるように、スマホをいじっていた川藤が不意に口を開いた。

「その部屋で事件や事故、病気に関わらず人が死んだかどうか、だよな?」

「そー。だからただの『失踪』だけじゃ、事故物件にはならねーのよ」

 大迫が口を尖らせながら言う。

「ええっと、特殊清掃が必要になるようなことがあったかどうか、が判断の一つみたいだね」

 川藤の言葉に、自分のスマホで調べ始めた杉堂が、画面に表示された文章を読み上げた。

 俺も気になってスマホで調べてみると、杉堂の言うとおり特殊清掃が必要な死亡状況や、事件現場になった可能性がある場合もいわゆる『告知事項』の一つになるようだ。つまり、真田のように自ら外に出た可能性が高い失踪の場合、事故物件には該当しない。

「じゃあさ。部屋の外とか、アパートの近くで事件が起きた場合は?」

「あ……」

「確かに、アパートは関係ない、な……」

 俺は見ていた不動産オーナー向けのブログに『普段使わない共用部で事件が発生した場合は、告知義務対象外となることがある』と書かれているのを見ながら、川藤の言わんとしていることを察する。

 アパートの周辺になにかしら原因があったとしても、アパート自体は『事故物件』にはならないのだ。

「あのほっそい道。何かしらヤバい事件の一つくらい、起きててもおかしくないとは思わないか?」

「うーん。でも、街灯はちゃんとついてるし、夜も結構明るいけどな?」

 よくあの小道を使っているという大迫が、川藤の見解に口を挟む。

「でも、誰かにいきなり襲われたりしたら、逃げ道とかないだろ?」

「そう言われちゃったら、まぁ、そうだけどさ……」

 さすがの大迫もむっとした顔で口を結び、不服そうに腕を組んだ。

 普段使ってる場所をそんなふうに言われてしまうと、あまりいい気分はしないだろう。

「よくある怪談話でも、近くで起きた事件で死んだ人のお化けが原因だった、とかあるじゃん?」

「じゃあ、今度はあの小道について調べてみようか」

 俺の言葉にみんなで頷きあうと、一斉に立ち上がって学食を後にした。

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