5−1
「え、真田がいなくなった?」
夏休みが終わり、学食で久々に顔を合わせた同じ学部の川藤、杉堂、大迫に、俺は真田が失踪したことを話した。
三人もさすがに驚いたようで、昼食を食べる手が止まってしまう。
「授業もバイトも来なくなったから連絡したら『部屋から出られない』って言われて?」
「行ってみたら部屋がすげーゴミ屋敷になってたうえに、家具が変な配置になってて?」
「差し入れにも一切手をつけず、二日後に家に行ったら居なくなっていた、と」
「うん……」
三人はそれぞれ困惑した顔を互いに見合わせていた。
「引きこもってた奴が外に出たって話なら、本来は喜ぶべきなんだろうけど……」
「行方不明じゃダメだろが」
大迫がふざけたように言ったのを、杉堂がたしなめる。
「……まぁ、そういうわけだから、もしそれっぽい奴見かけたら、教えて欲しい」
俺は意気消沈したままの顔で、三人に向かって頭を下げた。
「ああ、もちろん。見かけたら知らせるよ」
「サークルとか知り合いにも、声掛けしとくからさ」
「……悪いな」
ぐったりしながら、俺は学食のきつねうどんに手をつける。
真田の両親はすぐに捜索願いを出そうとしなかった。真田の家を訪れた日の夜、真田から母親のスマホにショートメッセージで「しばらく帰れない」と届いたらしい。
つまり真田はあんな状態なのに何かの事情で自ら外出し、帰れなくなったというのだ。
真田は生きている。
とはいえ、真田を最後に見た時の姿を知っている俺は居てもたってもいられず、夏休みの終わりの空いている時間は、寺町や冨上にも手伝ってもらいながら、アパートや大学周辺を探し回った。しかし、全くと言っていいほど手がかりが掴めないまま夏休みが終わってしまい、こうして大学でも知り合いに声をかけて回っている。
「やっぱりさぁ、真田の住んでた家って、かなりやばい家だったんじゃないか?」
相変わらず大盛りのカレー、今日は大きなトンカツの載ったカツカレーを食べながら大迫が言った。
「やばい家って、具体的には?」
「オレもそうだったけど、人によっちゃ『入り口のないアパート』に見えるんだぞ?」
大迫たちには真田の家に通い詰めるのをやめた時に、あのアパートから出入り口が消えてしまう話をしていた。
「あー、そんな話してたね」
「だって『入り口』がないってことはさ『出口』もないってことじゃん? きっと出られない場所に取り込まれちまったんだよ」
「そんなオカルトな……。異界駅かよ」
「でもそうとしか思えないじゃん」
大迫たちの話を聞きながら、俺はあの日のことをぼんやりと思い出す。
広く開けた空間が塞がれ、あんなに大きく存在していた階段が、見事なまでに灰白色の一面の壁になってしまっていた。部屋など存在しないはず場所に、小さなベランダ柵のついた窓まであって……。
「……もしかしたら、大迫の言う通りかもしれないな」
うどんを食べる手を止め、俺がポツリというと、三人が驚いた顔で一斉にこちらを見る。
「いや、さすがに冗談だぞ?」
大迫が慌てて弁明したが、俺は静かに首を横に振った。
「実はあの日。真田の両親と一緒にアパートに行った日な。真田に親が来るって言っておこうと思って、最初一人で行ったんだよ。そしたら、アパートの入り口が……無くなってたんだ」
もしかしたら真田は、あの入り口がなくなった日に、姿を消したのかもしれない。
「マジで?」
「やっぱりやべぇ家じゃねーか」
川藤と大迫が揃って口角を下げながら、嫌そうな視線を俺に向ける。
しかし、あのアパートで起きたことはそれだけじゃない。
「あと、それから……」
「おいおい、まだなんかあんのかよ」
杉堂がぐったりしたように机に突っ伏した。知人の失踪やアパートの入り口がなくなるという怪現象で、もうお腹いっぱいなのだろう。
「いいよいいよ。もうこの際、あのアパートであったことも気になってることも、全部ぶちまけちまえ」
大迫がうんざりしたように手を振って言った。
もう自分だけでは抱えきれない。俺は三人に向かって頷いてから、ひと呼吸おいて口を開いた。
「あの家、妙に配達のミスが多かったんだよね」
「配達のミス?」
「うん。頼んでない出前が届くんだ。俺が遊びに行ってた時もあった。全部、間違いなんだけどさ」
「似た名前のアパートが近くにあるとかじゃないの?」
「えー、あったかなぁ?」
川藤の言葉に、よくあのアパートのある小道を使うという大迫が腕を組んで考え込む。
「で、他には?」
「あと、青い服の女の幽霊に、遭った……」
「青い服の女の幽霊?」
杉堂が両手で頭を押さえながら、肩を窄めて繰り返した。
「そう。あのアパートの前で確かにすれ違ったんだけど、振り返ったらいなくなってたことがあって」
「うへぇ……」
「もしかして、お化けの住んでるアパートなのか?」
「その配達の間違いってやつも、本当はお化け宛だったりしてな」
「もー、やめてよぉ〜」
大迫の言葉に、杉堂が心底嫌そうな顔をする。
案外そうなのかもしれない。真田はそんなお化けの仲間になったのか、それともお化けに驚いて出ていったのか。
「あのアパート関係で気になってることは、それで全部か?」
川藤に促され、俺は唇に指をあてながら考える。そうして思い浮かんできたのは『一〇三』という数字。
「そうだな。あと一〇三号室の人がちょっと気になってて」
よく遊びに行っていた時に、郵便受けがチラシや封筒などの手紙でいっぱいになっていた部屋である。
「なに? なんか真田とトラブってたとか?」
「ううん、実は真田の時みたいに郵便受けがいっぱいになっていたことがあった部屋なんだ。……今は、違うみたいなんだけど」
真田の様子を見に行った時、郵便受けの状態を見て頭によぎったのが『一〇三号室』のことだった。
「もしかしたら、真田と同じ様に『部屋から出られなくなった』人がいたかもしれない、ってこと?」
「うん……」
俺は小さく頷く。
一〇三号室に住んでいた人が真田と同じように『部屋から出られなくなった』のであれば、その後その住人はどうなったのか。もし、真田と同じようにどこかへ行ってしまったのであれば──。
「もし真田と同じ状況だったなら、手がかりになるかもしれないなって」
せめて、住んでいた人の生死でも判れば、真田のことにも踏ん切りがつく。
「……なぁ。ちょっと、調べてみないか?」
しばらく黙って話を聞いていた大迫が、大盛りカツカレーの皿をきれいに浚いながらそう言い出した。
「え、調べるって何を?」
「だから、そのアパートが本当にヤバい建物かどうか、をさ」
片眉を上げながら、大迫はご馳走様、と手のひらを合わせる。その様子に、俺は呆れて息を吐き出しながら、伸び切ったうどんを箸でつまみ上げた。
「事故物件かどうかなら、真田が引っ越しをした時に俺も調べたよ。事故物件紹介サイトにも載ってなかったし、告知事項もなかったって」
「確かに、真田が引っ越した時はそうだったかもしれないけど、もしその一〇三号室の人が死んでたら、今じゃ立派な『事故物件』だろ?」
大迫の言葉に、俺は言葉を詰まらせる。言われてみれば、確かにそうだ。その可能性は、ある。
「それに、知ってるか? 住人が失踪しただけじゃ『事故物件』にはならないんだぜ」
「え。そう、なの?」
「おう。だからそういうサイトには載らないような、変な事件があったってことも考えられるだろ?」
言われてみれば、事故物件の定義なんてちゃんと考えたことがなかった。
「まぁたしかに、そういう可能性もあるけど……」
「でも、どうやって調べるんだよ」
遅れてそれぞれの昼食に手をつけ始めた川藤と杉堂も、眉尻を下げながら大迫に尋ねる。
「とりあえず、まずは不動産屋に直接聞いてみようぜ。一〇三の住人が死んで空き物件になってるなら、告知事項ありの物件になってるはずだし。それに、真田の部屋の、前の住人がちゃんと普通に退去したかも聞けるだろ」
「うわぁ……」
得意げな顔で言う大迫に、川藤も杉堂も分かりやすくドン引きしていた。
しかし、大迫の言い分ももっともである。
真田と同じような状態になった人間が、どうなったのかを知ること。
これは、捜索へのヒントにもなる。
「……そうだな。ちゃんと調べてみるか」
俺は頷くと、一気にきつねうどんをかきこんだ。