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「オレ、このままこの家に、溶けちゃうんじゃないかなって」
ゴミやチラシが散乱し、すっかり荒れ果てた室内にあるベッドの上で、真田裕和がぼんやりと天井を見つめながら言った。
自分より背も体格も大きくて、健康的だった身体は見る影もなく痩せ細り、目の周りも落ち窪んで真っ黒である。ベッドに横たわっている真田は、もう人間はない何かになっている気がした。
「……なに、言ってんの」
「でも、それもいいかなぁって」
そう言った真田の、どこか恍惚とした表情が妙に頭にこびりついている。
姿を見たのはこれが最後で、この二日後、真田は失踪した。
◇ ◇ ◇
「最近さぁ、変なアパートに引っ越したんだよね」
梅雨のわりに過ごしやすい日が続いていた、六月の頭。
大学の学食で昼食をとっていると、久々に会った高校時代のクラスメイト・真田がそんなことを言い出した。
「変なアパート? なに『事故物件』とか?」
俺、橋屋京助は向かいに座る真田にチラリと視線を向けてから、学食で一番好きなメニューであるきつねうどんをズルズルとすする。
真田は高校の時に同じクラスだったヤツだが、たまたま同じ大学に進学したものの、学部もサークルも全く違うので、時折こうして学食で会ったら話をする程度の仲だ。俺も真田も実家を出ており、大学近くのアパートで一人暮らしをしているが、真田はなかなかのオンボロ物件に住んでいた記憶がある。
「んー『事故物件』とかでは、ないんだけどさぁ……」
真田はどこか楽しそうに、その『変なアパート』について話し始めた。
住んでたあのオンボロアパート、老朽化で急に建て直しが決まっちゃってさ。んで、早々に引っ越してくれって突然言われたのよ。
まぁそうなってもおかしくないアパートだったからな。そこは仕方ない。
すぐ紹介された不動産屋に行って、大学近辺で手頃な物件ないかなーっていくつか見せてもらってたんだけど、そのうちの一つにちょうど大学に行く途中にある、狭い小道沿いのアパートを紹介されたのね。
お前知らない? ワイマートからちょっと大学寄りに行ったとこにある、ほっそい路地。あそこ通っていくと、結構近道なんだぜ。
アパートとかマンションの、ちょうど隙間みたいになってる感じの道で、両サイドがマンションの壁とかフェンスになっててさ。裏口ドアが面してるとこもあったかな。
でも紹介してもらった位置にあった建物って、アパートの壁だったはずなんだよね。いつも入り口どこなんだろうなーって思いながら通ってたから、覚えてたんだ。
でも地図を見た感じ、反対側は別の建物があるっぽいし、マジで入り口どこなんだろうって感じで、気になっちゃってさぁ。
一応、そこも含めていくつか内見させてもらって、最後にその小道沿いのアパートに行ったのよ。
どこから入るんだろうなーって思いながら、不動産屋が「こちらです〜」って歩いていくのに付いていったら、小道のほうに進むのよ!
いやいや、そこ壁しかなかったはずだけど!? って思いながら歩いていったら、マジでビビった。
入り口があったんだよ! それも小道側のほうに!
オレにはずっと壁にしか見えてなかったとこに、幅の広い階段と、その横に倉庫みたいな駐輪場があったんだよ!
「──で、ビックリしながら内見したら、値段の割に綺麗でさぁ。広さもあるし、大学も前より近くなるしってことで、今そこに住んでんだ」
真田は指を二本立て、ピースサインしながら笑ってみせた。
「……なんだそれ」
俺はきつねうどんのお揚げと麺を一緒に咀嚼しながら、真田の言っていたワイマートに思いを馳せる。大学近辺では激安スーパーとして有名な店で、金欠の時はかなりお世話になっている場所だ。そこから大学寄りになると駅にも比較的近くなるし、立地としてはかなり良い。
「話聞く感じだと、場所もかなり良さそうだな。家賃、結構高いんじゃねぇの?」
「そう思うだろぉ? ところがどっこい! オレが元々住んでたあのオンボロアパートより、三千円高いだけだったんだよねぇ」
真田はそれはもう自慢げな顔で言った。
「え、マジで!?」
大学に入ってすぐ、互いの部屋の家賃を言い合った記憶があるが、真田が元々住んでたオンボロアパートは、俺の住んでるアパートより一万以上は安かったはず。それより三千円高いだけとなると、俺のアパートよりまだ全然安いじゃないか。
「……お前が知らないだけで、実は事故物件だったりしないか?」
いくらなんでも怪しすぎる。俺が訝しげに言うが、真田は全く意に介さない。
「いやいや、今は告知義務もあるから、それはないって」
「でも、やべぇ不動産屋かもしれないじゃん?」
俺はそう言って箸を置くと、ちょうどレポート作業のために持ち歩いていたノートパソコンをリュックの中から取り出した。それからパソコンを開いてブラウザを起動すると、事故物件を調べられるサイトにアクセスする。
大学の住所を入力し、表示された地図を睨むように見つめた。
「えーっと、大学近くの小道っていうと、この辺……?」
俺が何をしているのかに気付いた真田が、すぐ隣の席に移動してきて、一緒にパソコンの画面を覗き込む。
「えっとな……。そうそう、この道だよ」
真田の指差した道は、地図で見てもわかるほど、本当にそこは人が通れるのかと思うくらい細い。
「んでここが、住んでるアパート」
戸建てやアパート、マンションがいくつも建つ隙間のような道の、大きい道から入って二つ目にある建物を真田が指差した。
「……えーっと『よひら荘』?」
「そ。『よひら』ってのは、紫陽花の別名らしい」
「へー」
今見ている事故物件紹介サイトでは、表示されている建物が事故物件だった場合、赤いピンが表示されるようになっている。そしてそのピンをクリックすると、どんな死亡事故や事件があったのかが分かる仕組みだ。
しかし、真田の指した『よひら荘』にはなにも付いていない。むしろ、そこから少し離れたところにある、大きなマンションにピンがいくつも刺さっていて、寧ろそちらのほうが気になった。
「うーん、やっぱり事故物件じゃない、のか?」
「ほーらなぁ」
どこか自慢げに真田が胸を張る。自分の家より立地もよくて、家賃の安いアパートなんて羨ましい以外の何ものでもない。
「建物自体は古いんだけどな。でも部屋はリフォームされてるからめっちゃ綺麗だぞ。よかったら橋屋も遊びにこいよ」
「ふーん。そんなに言うなら行ってみるかな」
妙に楽しそうに言う真田に、そんなにいい物件なら俺も引っ越したいもんだな、と思いながら返答した。