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先生と絢子君

 それは絢子君が11歳で私が44歳の時。


 夜。いつもは電車を使っているが、今日は雨なのに傘を忘れてしまい、タクシーで帰宅した。


 雨を避けて速足で玄関に向かうも、なぜかガラス越しに見える家の中が暗い。


 以前は日中だけ家政婦に来てもらい、夜は1人だった。しかし今は1年ほど前から友人の忘れ形見である絢子君と暮らしている。


 それに絢子君はいつも私の帰宅が分かるように、玄関近くの居間で勉強しながら待っていた。


 そして私の帰宅に気付くと「お帰りなさい!」と、いつも先に戸を開けて出迎えてくれるのに。


 不思議に思いながら家に入ると、中はやはり暗かった。この様子だとトイレや風呂でもなさそうだ。


「絢子君?」


 名を呼びながら家の中を一通り探すも、彼女はいなかった。


 絢子君と暮らすようになってから、なるべく早く帰るようになったが、もう夜の7時だ。小学生の子が出歩くような時間ではない。


 け、警察! いや、落ち着け。その前に状況を確認しよう。もしかしたら友だちの家に遊びに行っている可能性もある。


 まずは家政婦の多希さんに連絡しよう。彼女は私より20歳上のベテラン家政婦だ。多希さんには絢子君が寂しくないように、夜の6時まで家にいてもらっている。


 彼女に聞けば、絢子君がどこに行ったか分かるかもしれない。玄関前の廊下に置かれた黒電話から、多希さんに連絡すると


「えっ!? 絢子さん、家にいらっしゃらないんですか!?」


 多希さんによると、彼女の仕事終わりである夜の6時まで絢子君は家にいたそうだ。友だちのところに行くとも聞いていないらしい。


「だいたい今日は雨なのに。こんな日の夜遅くにわざわざ外出しないんじゃ……」


 多希さんの言葉に「そう言えば絢子君は傘を持ったのだろうか?」と玄関の傘立てを見る。


 絢子君が使っている子ども用の水色の傘は傘立てに残っていた。その代わり


「……ああ、なるほど。絢子君がどこにいるか分かりました」

「本当に? 誘拐とかではないんですか?」

「事件性はありませんから安心してください。今から迎えに行って来ます。お騒がせして申し訳ありませんでした」


 多希さんとの電話を切ると、私はタクシーを呼んで、ある場所に向かった。


 それは私がいつも利用している駅。


 さっき傘立てを見て気付いたのは、私が置き忘れたはずの傘が無いこと。つまり絢子君は雨だからこそ、傘を届けようと私を迎えに駅に行ったのだ。


 推理どおり。駅に着くと、雨合羽を着た絢子君が紳士用の傘を手に、改札口の前で私の帰りを待っていた。


 私はすぐタクシーを降りようとしたが、ふとこちら側から会いに行ったのでは、電車を利用しなかったことがバレると気づく。そうなれば雨の中、私に傘を届けようとしてくれた絢子君の気遣いを台無しにしてしまう。


 私は運転手に頼んで1つ前の駅に向かうと


「おや、絢子君じゃないか。もしかして傘を届けに来てくれたのかい?」


 そこから電車に乗って、絢子君の待つ改札口に現れた。


 待ち人の登場に、絢子君はパッと顔を明るくして


「先生! はい! 先生が濡れないように傘を持って来ました!」

「外はこんなに真っ暗で、雨まで降っていたのに。迎えに来てくれて、ありがとう」


 私は笑顔で彼女から傘を受け取りつつも


「でもこんな夜遅く、しかも雨が降る中、子どもが1人で出歩くのは危ない。私を雨に濡れさせないためだとしても、絢子君の安全のほうが大事だ。もうしてはいけないよ」


 絢子君はしっかり者だが、まだ11歳。


 ただでさえ視界が悪い夜。さらに雨が降れば、余計に事故の危険性が高まる。それに変質者に狙われるおそれもあるので、夜間の外出は控えて欲しかった。


「迎えに来たの迷惑でしたか?」


 しゅんとする絢子君に、私は胸を痛めつつも


「君が迎えに来てくれたのは、とても嬉しかったよ。しかしそんな絢子君が大事だからこそ、何かあったらと、とても心配なんだ。だからこれからは私のためでも、日が暮れてから1人で外出はしないでくれるね?」

「……分かりました。心配をかけてゴメンなさい」


 なるべく優しく注意したつもりが、絢子君はすっかり落ち込んでしまった。


 辺りはもう真っ暗。本当はすぐにでも帰りたいところだが、幸い明日は休日だ。帰りが遅くなっても、学校の心配はしなくていい。


 私はせっかく駅前に来たのだからと


「絢子君。今日はもう疲れたかな? 少し寄り道しても平気かい?」

「どこに寄るんですか?」


 キョトンとこちらを見上げる絢子君に、私は喫茶店を指すと


「私を濡らすまいと助けに来てくれた良い子の絢子君には、ご褒美が必要だろう? 君が疲れていなければ、喫茶店でパフェでも食べていこう」


 その申し出に、絢子君はパッと顔を輝かせて


「全然疲れてません! パフェ食べられます!」


 残念ながら、その喫茶店にはパフェが無かったので代わりにプリンアラモードを注文した。


 帰ったら多希さんが用意してくれた夕飯もある。絢子君の腹具合を考えれば、量が控えめなプリンアラモードでかえってちょうど良かった。


「先生そう言えば、鞄はどうしたんですか?」


 絢子君の指摘で初めて鞄を持っていないことに気付く。一度家に戻ったので、財布だけ持って仕事用の鞄を置いて来てしまった。


 これでは絢子君に仕事帰りじゃないことがバレてしまうと、内心焦りながら


「ああ……今日は少しぼんやりしていて、仕事先に忘れて来てしまった」


 傘やマフラーなど重要度の低いものはともかく、流石に仕事用の鞄を置き忘れたことはない。


 普通ならあり得ない言い訳だが、絢子君は素直に信じて


「傘も忘れるし、先生は本当にうっかりさんですね」


 さて、この笑顔を曇らせないように、帰ったらすぐに絢子君から鞄を隠さなければと、私は何食わぬ顔でコーヒーを飲んだ。

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