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ヴィクター君は待てができない

 前世の人格が目覚めてから1か月。当初は60歳の男が突然うら若き女性になってしまい、これからどうしたものかと思った。


 しかしヴィクター君が前世の絢子君と完全に同じではないように、私の中にもちゃんとソフィーとして過ごした十数年の記憶と経験が残っている。ゆえに女性として生活することに、さほど戸惑いは無かった。


 むしろ前より明るく社交的になった私は


「ソフィー様。これから、お時間あります?」

「よろしければ、また相談に乗って欲しいんですの」

「もちろん。私でお役に立てるなら喜んで」


 放課後。同じクラスのご令嬢たちの頼みに、にこやかに応じる。


 私は昔から人が好きで、大学で非常勤の講師をしていたこともあり、若い人とも大いに交流した。流石に若い女性と同じノリではしゃぐことはできないが、人は自分に利する者を好く。


 中身が年寄りだけあって、若い人たちに教えてあげられることは多い。そのおかげで頼りになる同級生として一定の地位を得られた。


 これから育っていく子どもたちの役に立つのは、私にとって特に大きな喜びだ。


 どんな話が聞けるだろうと、むしろ彼女たちの相談を楽しみにしていたが


「テーミス嬢。少しお時間よろしいですか?」


 茜さす普通科の教室。不機嫌そうに声をかけて来たのは、普通科とは色違いの騎士科の制服姿が凛々しいヴィクター君だった。


「すみません、殿下。今ちょうど彼女たちと約束したところなんです。少しお待ちいただくか、日を改めていただいてもよろしいですか?」


 もちろん私にとって、いちばん大事なのは彼だが、人として約束を破ってはいけない。ヴィクター君にも私を慕うあまり、他の人を(ないがし)ろにして欲しくない。


 ゆえに先約を優先しようとしたが


「いえ、そんな! 私たちとの用事なんて、いつでも大丈夫ですから!」


 確かにヴィクター君は、この国の第三王子だ。王子様の誘いを自分たちのせいで断らせては、彼女たちも気が引けるだろう。


 この場で無理に彼女たちを優先するのは、かえって迷惑かもしれない。そう考え直して、彼女たちの勧めに応じた。


 私とヴィクター君が教室を出た後。


「ソフィー様、すごい! ヴィクター殿下にまで、お声をかけられるなんて!」

「もしかしてヴィクター殿下も、あの冤罪事件でソフィー様に興味を持たれたのかしら!?」

「浮気者の婚約者と別れたら、第三王子とご縁ができるなんて! もしお2人がうまく行ったら、恋愛面でも大逆転ですわね!」


 など噂されているとも知らず、私たちは空き教室に移動した。


 ヴィクター君の用件とは


「私たちの関係を公にしたい?」


 まさかの要求に、私は少し困って


「バニティ君との婚約を解消してから、まだ1か月だ。君と恋仲になったことを知らせるのは、時期尚早じゃないかね?」

「私も最初は卒業を待とうと思いました。先生が懸念されていたように、こちらも以前から不貞を働いていたと邪推されては困ると」


 そんなヴィクター君がなぜ考えを変えたかと言うと


「ですが先生は、あの事件と校内新聞の影響で一躍人気者になりました。婚約者と別れたばかりなのもあり、普通科だけでなく騎士科や魔法科の男子ばかりか、なぜか女子まで先生の気を引こうと手紙やプレゼントを送りつけています」


 彼の言うとおり。事件の翌日から私の机には、毎日のように花やら手紙やらが置かれるようになった。加えて男子だけでなく女子からも「お姉様になってください!」と謎の告白を受けている。


「これだけ多方面にモテているなら、私が先生に好意を持っても、なんら不思議じゃありません」


 ヴィクター君は端正な顔を苦し気に歪めると


「ですから、もう気の無いフリはやめさせてください。両想いであることは隠しますから、せめて私だけでも、先生を慕っていると公表させてください」

「恋とは普通、内に秘めるものだと思うが。君は私が好きだと皆に知られたいのかい?」


 両想いならいいが、一方的な恋着を知られるのは、ほとんどの人が恥だと感じる。


 ところがヴィクター君は殺意の表情で


「私が先生を好きなことなんて、世界中が知ればいいと思います。それを承知で先生に言い寄ることは、私に剣を向けるのと同義だと」

「相変わらず過激だね」


 前世の絢子君は女性どころか、私を慕う者は男や犬猫まで敵視していたなと懐かしみつつ


「まぁ、君の言うとおり。同性の友人はともかく男子生徒の好意には、何も返せないし困っていたところだ。君が周囲にどう思われても構わないなら、ありがたく風よけになってもらおう」


 翌日の昼休み。中庭のベンチに1人で座っていると


「あの、テーミス嬢。今お1人ですか? まだ昼食がお済みじゃなければ、良かったら僕と食堂に……」


 前に私に手紙をくれた魔法科の男子が、初々しく頬を染めて声をかけて来たが


「悪いが、テーミス嬢は私と先約がある」

「誰だよ。人が話しているところに割り込むなんて失礼じゃないか……ってヴィクター殿下ぁぁ!?」


 ギョッとした男子生徒は、私と彼を何度も見比べて


「えっ? テーミス嬢と約束していらっしゃるんですか? ヴィクター殿下が?」

「私が彼女と約束していたら、おかしいか?」


 高身長から繰り出されるヴィクター君の冷たい威圧に、男子生徒は後ずさりしながらも


「いえ、そういうわけじゃありませんが……。ヴィクター殿下はいつもお1人で、誰とも慣れ合わない方だと思っていましたので……。ましてや女性と約束など珍しいなと……」


 彼の言うとおり。この学園の生徒のほとんどが、ヴィクター君に硬派な印象を持っているが


「回りくどいのは好きじゃないからハッキリ言わせてもらうが、私はあの一件以来、テーミス嬢に深く心酔している。まだお返事はいただけていないが、私の妻になって欲しいと頼んでいるところだ。半端な気持ちなら邪魔するなと、他の者にも伝えてくれ」

「は、はいぃぃ。分かりました」


 男子生徒はあたふたと退散した。


「ふふ、流石はヴィクター君。君が恋敵だと知ると、生半可な男はみな逃げて行くね」


 今の私には老人の心だけじゃなく、女心も備わっているらしい。ヴィクター君に人前でハッキリと妻にしたいと言われて、思いがけず嬉しかった。


 ところが傍目には、前世はタヌキだのキツネだの言われた食えない笑みに見えるようで


「嫌じゃありませんか?」

「何がだい?」


 首を傾げる私に、ヴィクター君は気まずそうに目を逸らしながら


「まだ正式な恋人ではないのに、先生と違って私はとても狭量で、嫉妬深くて束縛が激しくて……」


 もし我々が本当の同世代なら、彼の独占欲を重く感じたかもしれない。


 しかし精神的には33歳も上の私には、ヴィクター君のままならない感情が愛おしくて


「おや、我々は正式な恋人ではなかったのかね? 人に言えない関係というだけで、私はとっくに君の恋人のつもりだよ」

「ほ、本当ですか? もう恋人ですか?」


 乙女な顔で問うて来るヴィクター君に


「恋人であり、未来の旦那様だ」


 前世の癖で片目を瞑ってみせると、彼は頬を染めて目を輝かせながら


「わぁぁ……」


 その愛らしい反応に、私は思わず笑みを零しつつ


「まぁ、こうして手料理を用意してもらうあたり、君のほうが私の妻かもしれないが」

「私はどちらでも。先生と結婚できるだけで嬉しいので」


 それから私たちは中庭にある東屋(あずまや)


「ああ、君のおにぎりは相変わらず絶品だね。みそ汁も以前と変わらない味でホッとするよ」


 炎を操るヴィクター君は、燃やさずに熱することもできるらしい。耐熱性の水筒に入れたみそ汁とお茶を、その場で温めて飲ませてくれた。


 それがとても美味しくて


「せ、先生? 泣いていらっしゃるんですか?」


 ヴィクター君の指摘に、私は目尻に浮かんだ涙を拭いながら


「ああ。私の意識が戻ったのは最近だが、ソフィーとして過ごした記憶も残っているから。君の料理を食べるのが十数年ぶりに感じて、しみじみ嬉しくなってしまった」

「そんな。私のほうこそ。先生にまたこうして手料理を食べてもらえるなんて夢みたいです」


 ヴィクター君ははにかみながら言うと「あの」と私に目を向けて


「違う学科で普段は別々な分、昼のひと時だけは、これから毎日私と過ごしてくれませんか?」


 当初は妙な噂を立てられないように距離を取るべきだと思っていた。


 しかしヴィクター君の言うとおり。あの事件で私は思いのほか人気になった。この流れなら以前からの仲だとは疑われないだろうと


「ふふ。この国の王子様の誘いじゃ仕方ない。これからは毎日、昼食を共にしましょう。殿下」


 昼食を共にするようになったものの、私とヴィクター君は誰にも恥じぬ清い関係だ。


 そのおかげか不貞を疑われることは無かったが


「ヴィクター殿下が怖くて近づけないから、何を召し上がっているのかは分からないが、どうも殿下のほうが給仕しているようだぞ」

「誰とも慣れ合わない孤高の第三王子に茶を注がせるなんて。やはりテーミス嬢は只者(ただもの)じゃないな!」


 孤高の第三王子を従える女として、私の謎の名声がますます高まった。

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