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審理後

 お粗末な捏造証拠と証人しか持たないバニティ君をやり込めるのは、赤子の手を捻るより容易かった。


 とは言え、私は覚醒したばかり。まずはゆっくり状況を整理したいところ、騒々しい若者たちに絡まれて少々疲れた。好奇の目に晒されるのも嫌だし、午後の授業は出ずに寮へ戻ろう。


 それにしてもバニティ君のせいで昼食を食べ損ねた。寮の部屋にはお菓子がいくらか置いてあるが、絢子君の手料理が恋しいな……。


 おにぎりとみそ汁の口になりながら、寮までの道を歩いていると


「そ、ソフィー! 待て! 待ってくれ!」


 私を追いかけて来たバニティ君は、許しを請うように石畳の道に膝を突くと


「彼女の色香に惑わされて、浮気したのは確かに僕が悪かった! でも君を陥れようとしたのは僕じゃない! 僕も彼女に騙されていたんだ!」


 要するに先ほどの一件は全てアムルーズ君の企てで、自分は無実だと言いたいようだが


「君はつくづく呆れた男だな。親の決めた婚約者はともかく、自分で選んだ恋人まで裏切るなんて」


 私は白い目でバニティ君を見下ろすと


「あの誹謗中傷文は私が君に宛てた手紙をもとに書かせたものだろう? 君がこの企てに関与していないはずがない」

「う、うぅ……」


 彼は一瞬言葉を失くすも、またグジグジと口を開いて


「で、でももともとは君のせいじゃないか。君が婚約者なのに僕を拒むから、仕方なく他の女に……」


 無限に恥を上塗っていくバニティ君。しかし彼は気づいていない。私を追う彼の後ろから、さらに別の人物が追いかけて来ていたことを。


「この卑怯者~ッ!!」

「グワァァッ!?」


 とつじょ石畳を割って、無数の木の根が顔を出す。その木の根は明らかな攻撃の意志を持ってバニティ君を締め上げた。


 ほう。アムルーズ君は樹木を操るのか。


 彼女の魔法に目を奪われる私をよそに、アムルーズ君は泣きながら激怒して


「私を愛しているって言ったくせに! 2人の幸せのために、彼女を排除するしかないって、あなたから持ちかけたくせに! 全て私のせいにするなんて! この卑怯者! 恥知らず~!」


 バニティ君も地属性の魔法の使い手だが、全身を締め上げながらの恐慌状態では、うまく発動できないようだ。


 このままでは未遂に終わった冤罪事件が、殺人事件に発展してしまう。そこまでいかずともアムルーズ君に傷害の前科が付く。


「およしなさい、お嬢さん。魔法を使っての暴行は、通常の傷害事件より罪が重くなる。こんな知性も思いやりも無い男のために、将来を棒に振ってはいけない」


 肩に手を置いて止めるも、アムルーズ君はワッと叫んで


「将来なんて! 自業自得とは言え、この男に関わったせいで私の評判は地に落ちました! こんな生き恥を晒しては、とてもこれから先、生きていけません!」


 泣き喚く彼女に、私は再び「お嬢さん」と優しく呼びかけると


「人は過ちや恥と無縁では生きられないものだ。大事なのは1つも間違えずに生きるのではなく、自らの非を認めて同じ過ちを繰り返さぬこと」


 彼女の心に届くように、年長者としての思いやりを込めて


「君には若さと美しさと、こんなにも素晴らしい魔法の才がある。1つの過ちで自暴自棄になって、せっかくの才能を無駄にしてはいけない」


 私の説得に、アムルーズ君は戸惑いの表情で


「ど、どうして励ましてくださいますの? 私はテーミス様を嵌めようとしましたのに」


 確かに彼女は自分たちの幸せのために、無実の女性を陥れようとしたが


「君のその嘆きようを見れば、伯爵家の地位や富を狙った打算ではなく、彼を愛するがゆえの過ちだったと分かる。ただでさえ恋人に裏切られて悲しんでいる女性を、これ以上苦しめたくない」


 どうやらアムルーズ君は良くも悪くも純粋な子のようだ。だからバニティ君の囁く軽薄な愛を信じて、悪事に加担したばかりか、恐らく身も捧げてしまった。


 ソフィーと同学年なら彼女はまだ17か18歳。そんな年若い少女が体も名誉も穢された。


 そのショックを思えば、彼女にも非があったとは言え、これ以上責める気になれない。


 私の言葉に、アムルーズ君は


「お、お姉様~っ!」


 先ほどまでとは別の涙をブワッと溢れさせると、私の前に膝を突いて


「酷いことをして、すみません! 私、これからはお姉様のような立派なレディになりますわ! 二度と人を陥れたり悪事に手を染めたりしません!」


 改心を誓う彼女の前に、私は腰を下ろすと


「君は素直ないい子だ。しばらくは人目が痛いだろうが、君が心から反省して真正直に生きれば必ず理解者が現れる。希望を持つんだよ」


 私からハンカチを受け取ったアムルーズ君はポーッと頬を染めて


「お姉様……」


 キラキラと目を潤ませる彼女の周囲に、無数の花が咲き乱れる。これも植物を操るアムルーズ君の魔法のようだ。こちらの世界の人にとって、魔法は感情表現の1つなのだろうか。


 面白いなと思っていると


「ソフィー・テーミス!」


 咎めるような語勢で私を呼んだのは、気絶中のバニティ君ではなく


「……いくら若くて可愛い子だからって、冤罪事件の共犯者を、ろくに叱りもせず許すなんて甘すぎるんじゃありませんか?」


 ヴィクター殿下はなぜかムスッとしながら私を見ると、次にアムルーズ君を見下ろして


「君も。いくら被害者が許したからって、君が非道な行いをした事実は消えない。テーミス嬢の温情に甘えず、よく悔い改めなさい」


 なぜだろう? 無表情のはずのヴィクター殿下から、抑圧された怒りが滲み出ているように見えるのは。


 アムルーズ君もゾッとしたのか、涙目でカタカタと震えながら


「は、はい。お騒がせして本当に申し訳ありませんでした……」


 アムルーズ君と別れ、バニティ君はその場に捨て置いた後。


 私とヴィクター殿下は男子寮と女子寮の中間にある広場に移動して


「ヴィクター殿下。先ほどは口添えをありがとうございました。殿下のご助力が無ければ、反証の機会を得られなかったかもしれません」


 ベンチの隣に座る殿下に、にこやかに話しかけると


「いえ。当然のことをしたまでですから」


 彼は少し視線を背けながら答えた。


 ヴィクター殿下は、この学園で最も優れた男だ。他人を寄せ付けない雰囲気もあって高嶺の花的な存在だが、彼に恋焦がれる女性は多い。それなのに本人は、意外と女性慣れしていないようだ。


 彼のシャイな態度に、私は密かに和みながら


「それで私になんのご用ですか?」


 話を促すと、ヴィクター殿下は小脇に抱えていた紙の束を手渡して


「先ほどの審理の記録です。これが事実である証拠として、作成者と私の署名も入れておきました」

「まぁ、それはご親切に。せっかく記録していただいたのに、すっかり忘れておりました」


 私の代わりに記録係たちから書類を集めてくれたヴィクター殿下は更に


「……これからこの事件と婚約破棄について、両家のご両親に報告なさるのですよね? よろしければ、報告書の作成も手伝います」


 思いがけない申し出に、私は目を丸くして


「そうしていただければ助かりますが、なぜ私にそこまでのご親切を?」


 もう私は窮地を脱した。これ以上の援助は、親切や正義感では説明できない。


 やや童顔で小柄なアムルーズ君とは対照的に、ソフィーは大人びた顔立ちのスラリとした女性だ。


 美人の部類だが、バニティ君の指摘どおり髪や目の色彩は華やかとは言い難い。ヴィクター殿下ほどの男が、一目で恋に落ちるような美女ではないはずだ。


 そんな私に、なぜ彼はここまで親切なのか?


 私の疑問に、ヴィクター殿下は切なげに目を細めて


「……それは私が、あなたの助手だからです」


 ポカンとする私に、彼は縋るような表情で


「あなたは善道正則(ぜんどうただのり)先生でしょう? 私は先生の助手だった勝木絢子(かつきあやこ)です。覚えておられませんか?」


 そうか。外見どころか性別まで違うせいで分からなかったが、行動だけみれば確かに。


 私の不足を全て補うかのような細やかな気配りは、公私ともに私の右腕だった絢子君のものだ。


 老人だった私が若いお嬢さんに転生したように、凛とした美女だった絢子君は、凛々しくも美しい青年になった。


 私はこの奇妙な再会を大いに喜んで


「それにしても、よく私だと気づいたね? 前世とは似ても似つかない姿になってしまったのに」


 私の言葉に、絢子君は柔らかく頬を緩めて


「どれだけ姿が変わろうが、中身が先生でしたら話しぶりと雰囲気で分かります。それに人が変わったようになってから、お髭を触る癖が再発していましたから」

「なんと」


 たまに出る前世の老人口調はほんの茶目っ気だが、今は無い髭を触る仕草は本当に無自覚だった。


 絢子君だけならいいが、他の生徒にも見られていたとすると流石に恥ずかしい。


 そんな私の隣で、絢子君は穏やかに話を続けて


「6歳で前世を思い出してから、いつかまた先生に会えたらと願っていましたが、まさか本当にお会いできるとは。この命まで捨ててしまわなくて良かった」


 独り言のような最後の呟きに、私は驚いて


「この命までとは? まさか絢子君」


 私の反応に、絢子君はハッと顔を背けると、気まずそうに口を開いて


「……先生が殺される原因になった事件を代わりに解決した後、すぐに後を追いました」


 自ら死を選ぶほどの悲しみを負いながら、私のやりかけの仕事を片付けてから逝く辺りが、健気で義理堅い絢子君らしくも痛ましい。


 今世では『孤高の王子』並びに『最強の騎士見習い』の異名を持つ彼が、今は俯きながら弱弱しく肩を震わせて


「……どうかお許しください。私にはあなたの居ない世界で生きることはできませんでした……」


 その涙の告白に


「君はまだ私を想ってくれているのかね? 君の告白を断って、傍に置きながらも、死ぬまで想いを無視し続けた私を」


 私の問いに、絢子君は涙に濡れた目を上げると


「傍に置いてくださいと縋ったのは私です。私が望むようには愛されなくても、傍に居られるだけで幸せでした」


 姿かたちは違っても、その表情は確かに彼女のものだった。


 胸が痛くなるほど、ひたむきで、いじらしく美しい。


 直視したら最後、手を伸ばさずにはいられない。だから生前の私は彼女から目を逸らし続けた。


「どうして前世を思い出したのか分かったよ」


 最初は今世の自分を冤罪から救うために、前世の人格が蘇ったのだと思った。


 しかし、きっと本当の理由は


「前世の私が最期に何を考えたか分かるかね? やり残した裁判のことでも犯人たちへの憤りでもない。君のことだ。絢子君」


 絢子君は大学卒業を機に


『子どもの頃から、ずっと先生をお慕いしていました。どうかこれからは親友の娘ではなく、1人の女として見てもらえないでしょうか?』


 失恋への恐れに声を震わせながら、必死の思いで告白してくれた。その積年の想いに、私は応えられなかった。


 なぜなら私は絢子君より33も年上で、彼女が10歳の時からの父親代わりだから。


 我が子同然に育てて来た女性に、手を出すなんて許されない。


 しかも親友の妻でもある絢子君の母を、私は密かに想っていた。彼女を彼女として見るには、あまりに母親と似すぎていた。


「だが私に拒否されてからも、君はずっと助手として傍で支え続けてくれた。そのひたむきな愛情を無視して、ついに応えなかったことを、死の間際に酷く後悔したんだ」


 私は膝の上で祈るように組んだ自分の手を見つめながら


「誰に後ろ指を指されようが、ありったけの愛情を君に返せば良かったと」

「せ、先生……」


 私は顔を上げて、隣に座る絢子君を見ると


「お互い前世とは似ても似つかない姿になってしまったが、もし手遅れでなければ、今度は私から言わせてくれ」


 今にも泣きそうな彼の頬に触れながら


「本当は前世から、ずっと君を愛していた」


 前世は抱くことすら許されなかった想いを告げると


「今は女の私が王子殿下にこんなことを言うのは無作法だが、もし君にまだ恋人や婚約者が居なければ、私と結婚してくれないか?」


 気弱に微笑みながら永遠の約束を乞うと


「そんなの、どっちも居ません……」


 絢子君は端正な顔をくしゃりと歪めて


「これから何度生まれ変わっても、私が好きなのは、ずっとずっと先生だけです」


 彼の頬に添えた私の手に自分の手を重ねると


「ですから、どうか今度は娘でも助手でもなく伴侶として、ずっとお傍に居させてください」


 美しい泣き笑いの表情が、前世の絢子君とダブる。


 万感の想いが胸に溢れるのを感じながら、彼の涙を拭うと


「せっかく神様がやり直させてくださったんだ。今度は正義の弁護士として世に尽くすより、君のよき伴侶として2人の幸せを第一に生きよう」

「先生……」


 絢子君は熱っぽく呟くと、私を抱き寄せて顔を近づけたが


「ふふ、それはまだ早い」


 彼の唇に指を当てて口づけを阻止すると


「ええっ……? そ、そういう雰囲気かと思いました……」


 初心な絢子君は頬を染めて恥じらった。


 私とて前世から待たせ続けている彼の気持ちに、早く応えたいのは山々だが


「両家の両親の同意を得るまでは、正式に婚約破棄したことにはならない。それに私は醜聞に巻き込まれたばかりだ。すぐに君と言う恋人ができたら、あの審理で妙に私に肩入れしていたのは、すでに恋仲だったからじゃないかと疑われかねない。ほとぼりが冷めるまでは、関係を伏せたほうがいいだろう」


 結婚は当人同士が良ければいいというわけにはいかない。


 絢子君とて周囲に後ろ指を指され、今世の家族に心配をかけながら、幸せにはなれないだろう。


 私たちが真に幸せになるには、なるべく周囲の賛同と祝福を得られるように踏むべき手順がある。


 ようやく両想いになれたのに、すぐに触れ合えないことに絢子君は顔を曇らせたが


「2人の将来のためだ。もう少しだけ待ってくれるね?」


 小首を傾げて頼む私に、絢子君は健気に笑って


「いくらでも待ちます。もう一度先生に会いたいっていちばんの願いは、もう叶いましたから」


 前世の私が最期に見たのは彼女の泣き顔だった。


 人間である以上、いつか必ず死が再び2人を分かつ。


 だからこそやがて訪れる別れの時に、悲しみより喜びが勝る人生だったと言えるように、今度こそ惜しみない愛情で絢子君を幸せにしたい。


 午後の日差しより眩しい笑顔に目を細めながら、そう思った。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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