エピローグ・彼だけの救い【視点混合】
マーラー氏の事件から3か月後。ヴィクター君が女子寮に尋ねて来た。寮母に呼ばれて1階のエントランスに向かうと、仏頂面のヴィクター君がいて
「先生に手紙と荷物です」
「誰から?」
「檻の中のジェイル・マーラーから」
まさかの差出人に目を丸くする。ヴィクター君によれば、マーラー氏が私に手紙と荷物を送りたいと看守に頼んだらしい。
囚人でも家族や知人に手紙を書く権利は認められている。看守や所長が確認して特に問題の無いものだったので、ヴィクター君に託されたらしい。
マーラー氏は何人もの少女を誑かした魔性の画家であり犯罪者だ。ヴィクター君としては二重の意味で関わって欲しくない相手だろうが
「いっそ握り潰そうかと思いましたが、先生宛の手紙や荷物を私が勝手に処分するわけにはいかないので……」
「ありがとう。君はいつも自分の感情より、私の気持ちを汲んでくれるね」
あの事件から3カ月の間に、私たちは両家の両親に会い、正式な婚約者になった。
多少の触れ合いは許されるので、高いところにあるヴィクター君の頭をよしよしと撫でる。
ヴィクター君は勝手に手紙や荷物を確認することはしないでくれたが
「あの男が先生に今さらなんの用なのか、とても気になるので私にも教えてください」
立ち話もなんなので、私たちはエントランスにある歓談用のソファーに腰かけた。男子寮も女子寮もエントランスまでは、管理人の許可があれば異性の立ち入りが許される。
あまりに私的な内容の場合は、例えヴィクター君でも見せるわけにはいかない。だからまずは私だけ手紙を確認した。
人付き合いに無関心なマーラー氏らしく、手紙の内容は実にシンプルだった。
『画材代を稼ぐために絵を販売する件、こちらからもよろしくお願いします。ただ今回送った絵は、売り物ではなく君がもらってください。ジェイル・マーラー』
『画材を稼ぐために絵を販売する件』とは、ヴィクター君を通じてマーラー氏に提案したことだった。
この世界では貴族と平民の権利は同等では無い。だから正式な裁判にかければ、マーラー氏はより重い罪に問われていた可能性がある。
しかし別の世界で弁護士をしていた私からすると、教師と生徒とは言え、強姦ではなく同意による性交で15年の幽閉は大変な罰だ。
永遠に伴侶や家族に秘密を持つ被害者たち。特に父親のいない子を産むことになるハミルトン君を思えば簡単に許してはいけない相手だし、新たな犠牲者が出ないように隔離する必要はある。
それでも15年の幽閉によって、マーラー氏は十分に罰を受けた。それならせめて獄中では好きに絵を描かせてあげたい。
しかしマーラー氏にはほとんど貯金が無く、牢獄では稼ぐこともできない。マーラー氏の犯した罪を思うと、私やヴィクター君が画材代を援助するわけにもいかないだろう。
ゆえにどうせ絵を描くならと、絵の販売を勧めた。
あれだけの技術が有りながら、絵を売って生計を立てることをしなかったのは、なんらかのこだわりがあってのことだろう。けれど背に腹は代えられない状況でならと、僭越ながら提案した。
もしこの機会に絵を売ることへの抵抗が無くなれば、15年後に自由になった時。路頭に迷わずに済むだろうとの期待もあった。
だから彼が絵の販売を受け入れてくれてホッとした。
ヴィクター君に手紙を渡すと、彼は眉根を寄せながら
「あんな憎まれ口を叩きながら、わざわざ先生に報告の手紙と絵を寄越すなんて、どういう風の吹き回しだ……」
彼は私の代わりにマーラー氏に会って、この旨を告げた。この様子だと、最初から快諾したわけではないらしい。
私は彼の罪を暴き、15年の時を奪った。憎まれて当然のことをしたのだから、あえて聞くまい。
手紙を読んだヴィクター君は、私に目を向けると
「怪しいので絵は、私が先に確認してもいいですか? 先生の目を汚すような酷い絵かもしれないので」
芸術を愛するマーラー氏が、私への復讐で絵を穢すとは思えない。しかしヴィクター君の機嫌を損ねてまで拒否することでもないので、彼に確認を任せた。
私の目の前でヴィクター君が包み紙を解く。私より先に絵を見たヴィクター君は
「すごい……」
マーラー氏への不信感に染まった彼の顔が驚きののち、深い感動に変わる。マーラー氏をよく思っていないヴィクター君すら、思わず心を奪われるような素晴らしい絵のようだ。
彼の横から私も覗き込むと
「これは……髪型や服装からして私なのだろうが、またずいぶん美化したものだね」
本人を見ずに記憶だけで描いたせいか、それとも最初から私に似せる気が無かったのか。絵の中の私は光り輝くように美しく、まるで女神のように深い知性と慈悲を湛えた笑みを浮かべていた。
他人がモデルなら「美しい絵だね」と素直に称賛できただろうが、なぜこんなに美化されたのか?
どう受け止めたものか分からず、反応に困っていると
「いえ、私の目に映る先生も、いつもこのくらい尊く光り輝いています」
それは君が私に恋しているからだろう。そう思ったのはヴィクター君も同じで
「マーラーにも先生がこう見えたのだとしたら、まさかアイツも先生が好きなんでしょうか?」
眉間にしわを寄せて問う彼に
「君と同じ気持ちかは分からないが、この絵を見る限り恨まれてはいないらしい」
ただ思わず目を見張るような素晴らしい絵ではあるが、美しい絵であるほど、自分の部屋に飾るのは躊躇われるので
【マーラー視点】
万一にも令嬢たちと関係した事実を他の囚人に漏らさないように、僕は隔離房に閉じ込められた。食事や生活必需品を届けに来る看守以外とは、誰とも会わない完全なる隔離。
普通の人間にはストレスかもしれないが、僕は野蛮な犯罪者と関わりたくないし、刑務作業も免除されるので環境的には悪くない。
ただ実際に閉じ込めたが最後、絵など描かせない気ではないかと心配だったが
「必要なものがあれば看守に言え。料金は自分持ちだが、画材や本などは可能な限り、買って来るように頼んである」
隔離房に入れられた日。ヴィクター殿下がわざわざ説明に来た。普通の受刑者は手紙のやり取りくらいは許されているが、例え金を払ったって看守にお使いしてもらう権利は無い。
それを考えれば、あり得ない厚遇だが
「当面はともかく15年分の画材代など払えませんが。手持ちの金が尽きれば終わりということですか?」
牢獄の中で稼ぐことなどできない。けっきょく絵を取り上げるつもりかと警戒したが
「お前が望むなら描いた絵を画商に届けてやる。お前の腕次第で画材代くらいは稼げるだろう」
「僕が絵で稼げるように、わざわざ画商を紹介すると? なぜ犯罪者に、そんな配慮を?」
眉をひそめる僕に、ヴィクター殿下は「テーミス嬢の頼みだ」と冷たく答えると
「新たな被害者を出さないためとは言え、お前を15年も閉じ込めることに彼女は心を痛めている。それに出所後も、お前は教師に戻れない。お前が野垂れ死にしないように、絵で稼ぐ術を与えたいそうだ」
僕を破滅に追いやった彼女からのまさかの温情。しかし僕は感謝や感動よりも
「なるほど。わざわざ自分とは無関係の事件を裁いて破滅させておいて、死なれると困るわけだ。自分が罪悪感で苦しみたくないから」
僕はテーミス君の見事な手腕に感心していた。でも一皮剥けば彼女も正義面して首を突っ込んだくせに、自分の手を汚すことを厭う偽善者かと失望した。
ところがヴィクター殿下は
「……そうだ」
てっきり否定するかと思いきや、敵意の表情を浮かべながらも、テーミス君の弱さを認めて
「先生は優しいから、お前のような身勝手な人間でも、本当は傷つけたくないんだ。お前がお前のまま、誰も傷つけずに生きられる方法は無いかと、本気で考えたんだ」
僕と彼を阻む鉄格子を威嚇するようにガッと掴むと
「他人のことなんか少しも顧みないお前が、その優しさを嗤うな」
殿下は酷く憤りながらも、彼女を侮辱した僕から権利を取り上げることなく、その場を去った。
ヴィクター殿下の言葉に、テーミス君とのやり取りを思い出す。
『例え他人には情の無い人間でも、魂を削って何かに打ち込む人には、ある種の美しさがありますから』
彼女は僕が非情な人間だと知りながら、絵に対する姿勢だけは美しいと言ってくれた。穏便に幽閉するためだとしても『画家から筆を奪ってはいけない』と。絵で大金を稼いでいるわけでも、賞を取っているわけでもない僕を画家として認めてくれた。
だから彼女は
『先生は優しいから、お前のような身勝手な人間でも、本当は傷つけたくないんだ。お前がお前のまま、誰も傷つけずに生きられる方法は無いかと、本気で考えたんだ』
監禁ついでに社会が望む真っ当な人間に作り変えるのではなく、可能な限り僕が僕でいられるようにした。つまり絵とともに生きられるように。
僕は芸術以外のものに心を動かしたくない。それなのになぜか涙が出て、彼女を描かずにはいられなくなった。
完成した絵を、絵の販売を了承する手紙とともに、テーミス君に送りつけた。
絵を贈ったのは彼女への感謝でも試しの意味でも無い。テーミス君を想うと妙に心が騒ぐ。その感覚が嫌で、彼女の絵を遠ざけたかった。
僕は犯罪者で、彼女は正義の味方。二度と関わることはないだろうと思っていたが
「マーラー。お前に手紙だ」
看守から1通の手紙を渡される。差出人はテーミス君だった。自分で書いたらしく、噂どおりの酷い悪筆だった。
なんとか解読した内容は
『絵を販売する件を受け入れてくださって嬉しいです。また思わず目を奪われるような素晴らしい絵を、ありがとうございました。ただせっかくですが、あれほど美しく描かれた自分の絵を飾るのは恥ずかしいので、殿下にお譲りしました』
素晴らしい絵だと褒めながら人にやったと聞き、あげなければ良かったと密かに悔やむ。
しかし手紙の続きには
『殿下は先生に悪印象を持っているので、ものすごく悩んでいましたが、けっきょく捨てられず部屋に置いているようです』
そのくだりを読んで、ヴィクター殿下との最後のやり取りを思い出す。悪印象では生ぬるい。彼は最愛の女性を侮辱した僕を、明らかに嫌悪していた。そんな彼が今は僕の絵を持っているという。
恐らくは作者である僕がちらついて飾ることすらできない絵を、捨てることも譲ることもできずに。
彼が手放せないのはテーミス君の絵だからだ。
それでも人生でいちばん心を動かされて、取り憑かれたように描いた絵が、誰かの捨てられないものになって嬉しかった。
長年の悲願がふいに叶って嬉しい反面、少し虚ろになる。だけど、きっと僕はまた筆を持つだろう。絵は僕が生きている限り、決して手放せないものだから。
これで完結です。
追加分も最後までご覧くださり、ありがとうございました。
【受賞後の追記】
皆様の後押しのおかげで『ネット小説大賞』に入賞し、双葉社様に書籍化していただくことになりました。
こんなに大きな幸運に恵まれたのは、このお話を読んでくださった皆様1人1人のおかげです。本当にありがとうございます。
すでにご覧になったかもしれませんが、昌未様が描いてくださったソフィーとヴィクター君のイラストがあまりに素敵なので、よろしければ表紙だけでも楽しんでいただけたら嬉しいです(画像は作品下部に載せてあります)。




