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ソフィーの策【視点混合】

 本件の最大の障害は、マーラー氏と被害者たちの関係の立証ではなく、彼女たちの名誉を穢さぬこと。


 マーラー氏と彼女たちの関係が公になれば、すでに新しい恋人や婚約者。夫がいる女性たちの人生が壊れる。今は相手のいない女性も、この醜聞によって新たな幸せを掴むのが難しくなる。


 だからと言ってマーラー氏を野放しにすれば、また他の少女が彼の芸術の犠牲になるだろう。


 それを解決するために私が講じた策は


「さて、ここで先生にゲストを紹介しましょう。どうぞ、お入りください」


 私の合図で、美術準備室から3人の身なりのいい中年紳士が出て来る。そのうちの1人はハミルトン伯爵だった。


 見覚えのある顔に、流石のマーラー氏も動揺して


「ま、まさか彼らは、彼女たちの父親!?」

「ええ。もろもろの事情で全員参加というわけにはいきませんでしたが、お父様方には先ほどの先生とのやり取りを全て、美術準備室で聞いていただいていました」


 マーラー氏の位置からも、美術準備室のドアが開いているのは見えただろう。けれど、奥に彼らがいることまでは気づかなかった。


 角度によっては見えてしまうので、マーラー氏がそれ以上進めないように、私と被害女性たちでさりげなく壁を作っていた。


 そしてマーラー氏はまんまと彼らの前で、彼女たちと関係を持ったと認めた。


「私が繋げたのは被害者たちだけではありません。彼女たちの父親も、あなたが最愛の娘に何をしたのか知っています。上は侯爵家から下は男爵家まで。今や7人もの権力者が、あなたへの憎悪と言う共通の意志によって繋がっているのです」


 普通の人間でも7人も集まれば、かなりのことが可能になる。まして被害者の父親たちは貴族の当主だ。彼らが結託すれば、貧乏画家のマーラー氏を人知れず葬ることなど容易にできる。


「事件とは無関係の第三者が行う公の裁きと違って、被害者や身内による私刑には際限がありません。15年の幽閉と沈黙によって自ら罪を償うか? それともあなたを心底憎む、怒れる父親たちに裁きを任せるか? どちらになさいますか?」


 これこそが私の策。15年の幽閉以上の厳罰によって、犯人自身に投獄を選ばせる方法だった。


 さらにハミルトン伯爵が追い打ちをかけるように


「逃げたければ逃げるがいい。お前のせいで、うちの娘は望まぬ妊娠をさせられた。例え周囲にバレずとも、娘とこれから生まれる孫は一生消えない傷を負う。娘たちを生き地獄に落としたお前は、私1人でも必ず捕まえて八つ裂きにしてやる」


 激しい憎悪から来る本気の恫喝に、マーラー氏は「ぐっ……」と唸って力なく俯くと


「……15年の幽閉を受け入れたとして、そこで絵は描けるのか?」


 マーラー氏の問いに、ハミルトン伯爵は間髪入れず


「この期に及んで何を言っているんだ!? 貴様は犯罪者として投獄されるんだ! 絵を描く自由など与えるはずがないだろう!」

「そうよ! あなたはただ閉じ込められ、何もできずに15年の時を過ごすのよ!」


 被害女性の1人も声高に叫んだが


【ヴィクター視点】


 この期に及んで絵のことしか頭にないマーラーに被害者たちは激怒したが


「お待ちください。画家から筆を奪ってはいけません」


 先生のまさかの制止に、私以外の全員が驚いた。すぐにハミルトン伯爵が口を開いて


「なんで君が止めるんだ!? この男を裁く方法があると持ちかけたのは君だろう!?」


 感情的に怒鳴られるも、先生は「ええ」と冷静に受け止めて


「ですが先ほどお話ししたように、裁きは私刑による悲劇の拡大を防ぐためにあります。しかしマーラー先生は幽閉中の待遇や解放後の生活より、真っ先に絵が描けるかを気にした。つまりマーラー先生にとって、絵は自分の人生より重いのです」


 私は事前に先生から、マーラーへの見解を聞いていた。


 マーラーは人間に対しては非情かつ無責任だが、絵にかける情熱は本物だと。そんな彼から絵を奪おうとすれば、命がけで抵抗される。


 先生はその見解を被害者たちにも話すと


「そうすれば自首に追い込むための私刑を、実行せざるを得なくなってしまう。自分のために父親が手を汚すことになったら、お嬢様方の新たな不幸になります。それとも皆様は、お父様方に彼を殺させたいですか?」


 先生の問いに、被害女性たちは青ざめて


「そ、そんな恐ろしいことは望んでいません!」


 彼女たちの返事に、先生は改めて


「教師でありながら生徒たちを弄んだ罰と再犯の防止のために、マーラー先生は15年の幽閉を受け入れる。その代わり絵を描く自由は許す。双方の利害を考えると、このバランスがベストだと思います。異論はありますか?」


 先生の確認に被害者たちは顔を曇らせながらも


「……いえ、ありません」


 親に殺人の罪を犯させるくらいなら、絵を描く自由を与えるほうがマシだと判断したようだった。


 被害者たちの同意が得られたところで


「ではヴィクター殿下とお父様方は、マーラー先生の幽閉の手配をお願いします」


 私は先生の指示で、ハミルトン伯爵以外の2人の紳士にマーラーの連行を頼んだ。


 彼らにマーラーが連れて行かれた後。残された彼女たちは、先生に歩み寄って


「あの、テーミス様。私たちの代わりに無念を晴らしてくださって、ありがとうございました」

「それも世間だけでなく、家族にまで内緒で助けてくださるなんて」


 その一言に、ハミルトン伯爵は目を丸くして


「か、家族には内緒? しかし先ほどマーラーを連れて行ったのも、この中の誰かの父親では?」


 ハミルトン伯爵の問いに、先生はお茶目に笑って


「実は彼らは殿下に紹介していただいた刑事施設の所長と看守です。裁判無しで牢獄送りにするなら、その牢獄の主には、彼が確かに有罪であると知っていただいたほうがよいと思ったので」


 ついでに言えばマーラーに対して、他の被害者の父親も本件を知っていると思わせるための偽者だった。


 本当に父親たちに知らせることもできたが、先生は令嬢たちの心理的な負担を第一に考えられた。それに下手に父親たちを関わらせれば、誰かが本当にマーラーを殺害しようとするかもしれない。


 新たな悲劇を生まないため。また令嬢たちの秘密を守るために先生が考えた最善の策だった。


「彼らは本件に関して罪なきご令嬢たちの名誉を汚さぬように秘密を守ると誓ってくださいましたから、ご安心ください」


 先生の言葉に被害者たちは安堵したが


「ハミルトン伯爵。解散の前に、お嬢様方に1つお話があるのです。席を外していただいてもよろしいですか?」

「は、はっ。分かりました。ではリリアナ。私は外で待っているから終わったら来なさい」


 ハミルトン伯爵は先生の要請に素直に従って、美術室から出て行った。


「あの、テーミス様。私たちに話って?」

「お節介ついでに、皆様に1つご忠告したいのです。罰せられたのがマーラー先生だからと言って、ご自分に非が無いとは思わないでくださいと」


 突然の苦言に、令嬢たちはショックを受けて


「そ、そんな。テーミス様は私たちの味方なんじゃ?」

「そ、そうです。一対一のことならともかくマーラー先生は、これだけの女性を傷つけた常習犯なのに」


 自分たちにも非があると言われて、彼女たちは反感を持ったようだが


「私は他のモデルにも話を聞きました。しかし彼女たちはマーラー先生の毒牙にかからなかった。それは何故だと思いますか?」


 先生の問いに、彼女たちは「えっ?」と戸惑いながら


「単に好みじゃなかったとかでは?」

「恋愛的な意味では、誰もマーラー先生の好みではありませんよ。だから絵の完成と同時にあなたたちを切った。男としての欲で手を出したなら、卒業まで関係を維持したはずです」


 先生の指摘どおり。私から見ても、マーラーは彼女たちに性的な関心は無かった。彼女たち自身も今は彼が自分に、そういった熱情を持っていなかったと理解しているだろう。


 素直に先生の見解を認めたが


「じゃあ、なんですか? 被害に遭った子と遭わなかった子の違いって」

「それは皆様自身が、それを望んだかどうかです。この場にいる皆様は彼に特別な関係を望み、肌の触れ合いを求めた。要するに皆様は、自らマーラー先生を誘ったのです」

「そ、そんな! 私そんなことしていません!」


 先生の指摘に、令嬢たちだけでなく私も驚いた。まず貴族の令嬢が、自分から男を誘うとは思えない。それに先生が少女を侮辱するようなことを言ったのが意外だった。


 しかし先生は厳しい表情で


「誘うとは口で「抱いて欲しい」と頼むことではありません。あなたを特別に想っていると笑顔や態度で示すことです。この恋に気付いてとばかりに彼を見つめたり、まだ帰りたくないとねだってみたり。心当たりは?」

「うっ……」


 羞恥に呻く令嬢たちの陰で、私も密かにダメージを受けた。そういう言外のサインを私も前世、先生に送ったことがあるからだ。


 当時は控えめすぎて伝わらないのかと思っていたが、実はバッチリ見抜かれていた。好きな人に性的なアピールを悟られていたことを今になって知ってしまい、時間差で恥ずかしい。


 心乱れる私をよそに、先生は真面目に話を続けて


「何より彼は無理強いはしていない。相手が教師だと知りながらルールを破って受け入れると決めたのは、皆様自身です」


 先生の手痛い指摘に、令嬢たちは涙目で


「けっきょく何がおっしゃりたいんですか? 恋をしたのが悪いとでも言うんですか?」

「恋自体は悪ではありません。しかしマーラー先生と関係を持つ際、皆様は後ろめたさを感じたはず。それは本当は良くないことだと分かっていたからです。けれど皆様は良心の声を無視し、自らの不正によって誰にも言えない問題を抱えた」


 先生が彼女たちに苦言を呈したのは、個人的な正義感を満たすためではなく


「生きていればまたなんらかの衝動が、皆様を不正な道に誘うでしょう。ですが、その時はどうか自分を止めようとする良心の声を無視しないでください。禁を犯したがために誰も頼れない恐ろしさは、皆様がいちばんお分かりでしょうから。今後は同じ罠にかからないように、どうか慎重になっていただきたいのです」


 先生は大事にならないように、本件を彼女たちの家族に隠した。しかしそれは保護者から説教の機会を奪うことでもある。だから先生は親の代わりに、彼女たちが再び道を誤らないように厳しく戒めたのだ。


 ところが肝心の令嬢たちは


「……」


 その不満そうな沈黙に私は


「テーミス嬢は本件の解決のために1カ月も休学して、あちこち奔走し情報を集めた。自分には無関係の事件の解決のために、無償でこれだけの尽力をした彼女の忠告に、不満そうな顔をしないでもらいたい」


 先生の手前抑えたつもりが、怒りが駄々洩れていたようで、彼女たちは真っ青になると


「そ、そんな。不満なんてことは」

「ただあまりにもテーミス様のおっしゃるとおりなので、耳が痛かっただけで」


 慌てて言い訳すると、先生に向き直って


「テーミス様のおっしゃるとおり、私も軽率でした。今後は同じ過ちを繰り返さぬように気を付けます」


 苦言を受け入れた彼女たちに、先生は「分かっていただけて嬉しいです」と温かく微笑むと


「皆様のような純粋なお嬢さんたちが、心や体を傷つけられるのは胸が痛みますから。皆様が今度こそ本当の幸せを掴めますよう、陰ながら祈っております」

「あ、ありがとうございます」


 こうしてジェイル・マーラー冤罪事件は、虚偽ではなく真の罪によって相応しい裁きを得た。

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