審理中
ヴィクター殿下の指示で、3人の生徒が記録係についてくれたところで
「では、さっそく審理に入りましょう。確かアムルーズさんを中傷する文章と私の筆跡が一致したとか。それが真実なら言葉だけでなく、証拠をご提示ください」
にこやかに切り出した私に、バニティ君は「ハッ」と尊大な態度で
「僕がなんの準備も無く告発したと思うのか? そんなに恥をかきたいなら、ここに居る全員の前で悪事の証拠を叩きつけてやる」
もしソフィーが食い下がったら「これが動かぬ証拠だ」とでも突きつけるつもりだったのだろう。
バニティ君は懐から2枚の文書を出すと
「これが1週間前に学内の掲示板に貼られた誹謗中傷の紙。そして、これが筆跡鑑定に使った君から僕宛の手紙だ」
食堂のテーブルに中傷文とソフィーの手紙が並べられる。
アムルーズ君への中傷文には要約すると『男好きで恥知らずの泥棒猫』的なことが書いてあった。また手紙も確かにソフィーがバニティ君の誕生日に送ったものだ。
判定を任されたヴィクター殿下が中傷文と手紙を見比べて
「確かに両者の筆跡は酷似している」
「じゃあ、その誹謗中傷文を書いたのは、けっきょくテーミス嬢ってこと?」
生徒たちがざわざわと言い合うも、私は全く平気な顔で
「いえ。両者の筆跡の一致は私が書いた証明にはなりません」
私の言葉に、バニティ君は即座に
「つまり誰かが君の筆跡を真似て、この中傷文を書いたとでも? しかし、それが事実だと、どうやって証明するつもりだ?」
冤罪は容疑をかけられた時点で、被害者が圧倒的不利になる。
バニティ君が余裕ぶっているように例え真実でも
『誰かが私の筆跡を真似たんです』
と言うだけでは、聴衆には苦しい言い訳にしか聞こえない。
ところが本件に関しては、弁護士としての手腕を発揮するまでもなく
「いいえ。私の筆跡を真似るも何も、そもそも鑑定に使われた手紙は私が書いたものではないのです」
「は!? 何を言っている? ここにしっかり君のサインがあるだろう!」
予想外の切り口に、バニティ君は声を荒げた。
裁判に勝ちたいなら動揺は禁物だ。『勝てば官軍』という言葉が示すように、人は勝者を正義だと思うもの。
そして勝者とは強者だ。強者は決して焦りも怯みもしない。
「ここで恥ずかしながら、婚約者のルーサー様も知らない私の秘密をお教えしましょう」
ゆえに私は優雅に微笑んで
「実は私はとんでもない悪筆なのです。ですから誰かに手紙を差し上げる時は、プロに代筆を頼んでいました。よって私には手紙と同じ筆跡で、その誹謗中傷文を書くことはできません」
「う、嘘だ! そんなのは苦し紛れの出任せだ!」
バニティ君は否定するが、これははったりではなく事実だ。
ちなみに私の悪筆は、前世から続く根深き悪癖である。前世は重要な文書から知人への年賀状まで、助手の絢子君に代筆してもらったものだ。
しばし前世を懐かしみつつ
「でしたら私の担任の先生に確認してください。私は悪筆を恥じて、なるべく人前では書かないようにしていましたが、流石にテストだけは避けられません。ゆえに私の答案を見た先生方だけは、私の悪筆をご存知のはずです」
ご存知のはずと言うか、たまにコッソリ呼び出されて
『テーミス君。これは、なんて書いてあるのかね?』
課題やテストの解答について聞かれるくらいだったから、間違いなく知っている。
やがて前世の私と同世代の男性教師が迷惑顔で現れて、2つの文書をチェックすると
「確かにテーミス君は解読が難しいほどの悪筆だ。バニティ君が見せたその2つの文書の筆跡とは、全く一致していない」
自信満々で提示した動かぬ証拠を無効にされたバニティ君は
「あ……う……」
アドリブに弱い性質のようで早くも真っ青だったが
「だ、だったら、その誹謗中傷文も、その代筆屋に書かせたのかもしれませんわ!」
アムルーズ君の言うとおり。この学園は部外者の立ち入りは禁止だが、文書のやり取りだけなら郵送で可能だ。私に中傷文は書けずとも、後は掲示板に貼るだけで済む。
しかしそもそもの問題として
「私が誰かに代筆を頼むとして、なぜいつもの先生に? 代筆業をしているのは、その方だけではありません。こうして過去に私が差し上げた手紙などと筆跡が一致しないように、別の方にお願いするのが自然だと思いますが?」
「き、きっとその時は、そこまで思い至らなかったんだろう! そういう考え無しだからこそ、こんな恥知らずな事件を起こしたんだからな!」
バニティ君は私の失敗で押し切ろうとした。確かに現実の人間は思いもよらない失敗を犯す。
けれどプロの代筆屋が書いたとなると話は別だ。
「ところで、その代筆の先生は利用条件として『他者を攻撃したり不快にしたりなど、公序良俗に反する文章の代筆は引き受けられない』とおっしゃっています。この誹謗中傷文は、公序良俗に則したものでしょうか?」
「グッ……」
後数秒待ったとしてバニティ君が言いそうなことは分かる。利用条件など表向きのこと。大金を積めば引き受けたかもしれない。
よって私は自分から
「仮に大金を積まれて例外的に引き受けたとしましょう。このような悪質極まりない文書を、見る人が見ればその先生の仕事だと分かるいつもの筆跡で書いた理由は?」
誹謗中傷文をバニティ君に突きつけながら
「私にしろ、代筆の先生にしろ、他人を攻撃する文章を自分の筆跡で書くはずがない。とすれば、この誹謗中傷文は、手紙の筆跡を真似て偽造したものでしょう」
私の弁論に、生徒たちはヒソヒソと
「確かに『公序良俗に反する文章は書かない』と言っている代筆業者が、普段の仕事の字で中傷文を書くとは考えにくいよな」
「その中傷文が偽造だとしたら、誰かがテーミス嬢を嵌めようとしたってことか?」
この流れにバニティ君は慌てて
「か、仮に誹謗中傷は君の仕業じゃなかったとしよう! だとしてもアムルーズ嬢は君から何度も嫌がらせを受けて、その現場を目撃した者も居るんだ! 君がイジメを行った事実は変わらない!」
「では次に、その件を審理しましょう。私がアムルーズさんに嫌がらせする現場を目撃したという証人をお呼びください」
こちらも最初から、話がこじれたら呼ぶつもりで待機させていたのだろう。目撃者の男子は食堂に居た。
しかし彼が証言する前に
「お待ちください」
「なぜだ!? 君が証言を聞きたいと言ったんだろう!?」
焦りのせいかカリカリするバニティ君に、私は「ええ」と穏やかに返して
「ですが、当事者であるアムルーズさんと目撃者の彼には、別々の場所で証言をお願いしたいのです」
「べ、別々に聞くって、どうして?」
不安そうなバニティ君に、私はニッコリと
「最初に言ったとおり、私は無実です。とすれば、これからお2人は、ありもしない事件について語ることになる。お2人の証言がどこまで一致するか、別々に聞いて確かめたいのです」
その提案に、バニティ君ではなくアムルーズ君が
「ええ、それで構いませんわ。私たちは嘘など吐いていませんから。別々に証言させたところで食い違いなど絶対に起こりませんもの」
それから私は、アムルーズ君と目撃者の少年を別々の部屋で尋問した。
まずアムルーズ君の証言によれば、ソフィーは人気の無い場所に三度、彼女を呼び出して
『私の婚約者に近づかないで! 彼に色目を使うのをやめなければ、もっと酷い目に遭わせるわよ!』
他にも耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言に加えて、突き飛ばしたり頭を叩いたりなどしたそうだ。
証人は、そのうちの1件を目撃したと言う。その場所と日付けは両者の間でピタリと一致した。
この結果にバニティ君は
「ははは! これで分かっただろう!? 目撃者は普通科の生徒で、アムルーズ嬢と全く交流の無い完全な第三者! 彼女のために嘘を吐く理由など無い! その2人の証言が完全に一致したと言うことは」
「いえ、お2人の証言は見事に食い違っていました」
「なんだと!? どこが食い違っていたと言うんだ!?」
目撃者として用意された人物が、完ぺきな目撃証言をするのは当然。わざわざ相手が身構えている部分を突いてもボロは出ない。突くべきは相手の備えが無い場所。
「確かに肝心の目撃証言については不自然なほど一致していました。しかしお2人は答えられて当然の質問に、別々の回答を示したのです」
私が本当に聞きたかったのは100%でたらめの目撃証言ではなく
「それは目撃者を見つけた経緯です」
私の読みどおり。バニティ君たちは架空の事件の捏造に手いっぱいで、自分たちの出会いの経緯までは固めていなかった。
想定外の質問をされた彼らは
「不思議なことに、私が行ったイジメに関しては場所も日付けも正確に答えられたお2人が、お互いが出会った経緯については、いつ、どこだったか覚えていないそうです。ただし」
日付けや場所はともかく、流石にどちらから接触したかまでは度忘れでは誤魔化せない。
その結果。2人がしぶしぶ語ったのは
「アムルーズさんによれば『イジメの現場を見て心配した目撃者から声をかけてくれた』。目撃者によれば『事件の証人を探していた2人が声をかけて来た』とのことです」
自分たちの証言の食い違いを知ったアムルーズ君と目撃者はギクッと顔を強張らせた。
この事実に生徒たちも
「どっちから声をかけたかなんて簡単な質問に、どうして答えられないんだ?」
「何年も前じゃなく最近のことなら、細かい日付けはともかく、会った場所やどちらが先に声をかけたかくらいは覚えていそうなものですけど……」
不審そうに言い合う声に、アムルーズ君は慌てて
「た、単なる私の記憶違いですわ! イジメとは無関係のことを聞くから、慌てて答えられなかったんです! 目撃者の彼はバニティ様が探して、私に引き合わせてくださったんですわ!」
どうせ話を合わせるなら、自分に合わせるべきだったのに、彼女は最悪の方向に舵を切った。
しかし私は素知らぬ顔で
「では目撃者はルーサー様が見つけて、アムルーズさんに引き合わせたのが本当の経緯なのですね?」
「そ、そうだ! 彼は僕が探し出したんだ!」
破滅に向かう船にバニティ君を同乗させると
「どうやってですか?」
「ど、どうやってって……普通にアムルーズ嬢がイジメられている現場を誰か見ていないかと聞いて回って……」
いかにも不安そうに答える彼をよそに
「では皆様の中にルーサー様から、声をかけられた方はいらっしゃるでしょうか?」
私の問いに、生徒たちは近くの者と顔を見合わせて
「いえ、知りません」
「そもそもアムルーズ嬢がイジメられていたというのも初耳です」
審理が始まってから更に人が増えて、今や学食には全校生徒の半数近くが集まっている。それにもかかわらず、誰も目撃者を探すバニティ君を見ていない。
「た、たまたまこの中に居ないだけで……知っている生徒は居るはず……」
ゴニョゴニョと言い訳するバニティ君に、私は即座に
「でしたらルーサー様が、その声をかけた生徒を今から連れて来てください」
本当に聞き回ったなら、自分も相手も何人かは覚えているはずだ。
けれど、そんな事実は無いので
「あ、あの時は必死で、闇雲に声をかけたから相手の顔や名前は覚えていない……」
忘れたと言えば、それ以上の追及を免れると思ったようだが
「ところでルーサー様。誰かに何か尋ねるとしたら、友人や知人など身近な人物から当たると思いますが、なぜ顔も名前も分からないような生徒にだけ声をかけられたのですか?」
笑顔で追い打ちをかけると、バニティ君はとうとう涙目で逆上して
「うるさいぞ! 次から次へと! 今、考えているだろう!」
彼が叫んだ瞬間、食堂にシンと沈黙が下りる。
「今、考えているって……」
「事実を答えるだけなら、考える必要なんて無いよな……?」
生徒たちの言うとおり。嘘だからこそ、これまでの発言と矛盾しないか。また揚げ足を取られないかと考える。
このバニティ君を怪しむ流れは、意外な人物を動かして
「あの……」
「はい。なんでしょう?」
おずおずと手を上げた男子生徒に発言を促すと、彼は少しすまなそうに目撃者を見ながら
「確証の無いことなので黙っていたんですが、聞き回ると言えば、目撃者の彼。両親がくれる小遣いだけじゃ足りないとかで「何か簡単に稼げる方法は無いか?」と、ちょっと前に聞き回っていました」
「なっ!?」
予想外の伏兵の登場に、バニティ君陣営は軽く飛びあがった。
「貴重な証言をありがとうございます。やはり珍しいことを聞いて回ると、人の記憶に残るようですね?」
バニティ君を見ながら言う私の周囲で
「要するに目撃者は金に困っていたのか……」
「じゃあ、さっきの証言の食い違いって……」
「さっきの誹謗中傷文も偽造だって話だし……」
生徒たちの疑いの目が告発者たちに突き刺さる。
しかし、いくら濃厚でも疑惑は疑惑。バニティ君たちが黒だと言い切るには足りない。
だから私はグレーを黒に変える切り札として
「では午後の授業に遅刻しないように、今度は私側の証人をお呼びしましょう」
「君側の証人? 何について証言すると言うんだ?」
この学内裁判はバニティ君の不意打ちで始まった。
私がこの冤罪事件について準備できることなど無いはずだと彼は訝しんでいるようだが
「この事件の真相を探るにあたって、重要な事実を知る人物です」
「この事件の真相だって!? この事件は僕とアムルーズ嬢が親密な関係だと根も葉もない噂を真に受けた君が、勝手に嫉妬して起こしたスキャンダルだろう!」
バニティ君とアムルーズ君は魔法科の課題や訓練を口実にして、しょっちゅう2人で会っている姿が、多くの生徒に目撃されている。
それでも2人はあくまで学友だと言い張っていたし、少なくとも人前で身体的な接触はしていなかった。
だからこれまでは『かなり怪しいが、あくまで噂』で済んでいたのだが
「では、その噂の真偽について私側の証人をお呼びしましょう」
私がヴィクター殿下に頼んで、新たに召喚してもらったのは
「か、カウンセラーの先生……?」
王立学園には生徒たちのメンタルケアのために、誰にも言えない悩みを聞く相談役の先生が居る。
ソフィーは彼女に
「ルーサー様とアムルーズさんの噂を知った私は、以前から先生に相談していました。そして浮気が事実か確かめるために2人を尾行して、一緒に密会の現場を目撃したのです」
本人は無自覚だが、やはりソフィーは私の生まれ変わりだ。
彼女はもしもの時、自分に有利な条件で別れられるように、浮気の事実を証言してくれる味方を作っていた。
ちなみに先生には今日まで
『婚約者に浮気されるなんて女として恥です。家族にも誰にも知られたくありません。どうするか決めるまで誰にも言わないでください……』
と涙ながらに口止めしてあった。
カウンセラーだけあって同情心溢れる先生はソフィーを心から憐れむと同時に、婚約者を裏切ったバニティ君を嫌悪していた。
そんな最強の味方が今、満を持して
「先生、あなたはそこで何を目撃しましたか?」
「この場で言うのははばかられますが……2人は親し気に話しながら、お互いの手や髪に触れ、最後は抱き合ってキスしていました」
先生の証言に、学食内は騒然となって
「つまり噂は本当だったってこと!?」
「だとするとバニティ卿が、嘘の証拠や目撃者でテーミス嬢を告発したのって……」
浮気が確定したことで、生徒たちの中でバラバラだった事件のピースが急速に形を成していく。
後は言わずとも分かるだろうが、私はダメ押しとして
「浮気が本気になって私が目障りになったのでしょう。ですが、ルーサー様には優秀な弟君がいらっしゃる。自分の気移りによって一方的に婚約を破棄したら、ご両親の心証を悪くして、弟君に家督を奪われるかもしれない。だから私を悪者にして、自分は無傷で婚約を破棄しようとした。この冤罪劇の真相は、そんなところでしょうか?」
全てを暴かれたバニティ君は、もはや立っていることすらできなくなり、絶望の表情でその場にへたり込んだ。
「反論が無いなら、私の反証は以上です。お望みどおり、婚約は破棄しましょう。ただし悪いのは全面的にそちらですから、ご両親のお叱りを覚悟してください」
私は元婚約者に冷ややかに微笑むと、生徒たちに目を向けて
「私的なトラブルに巻き込んで昼食の邪魔をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。それにもかかわらず、公平な目で真実を見届けてくださいましたこと、心より感謝します」
よき聴衆であってくれた彼らに謝罪と感謝を述べると
「では皆様、ごきげんよう」
令嬢らしくスカートを摘んでニッコリ一礼し、昼休み終了のチャイムと共に学食を後にした。